第一話(2)
「ああー……」
俺は机に突っ伏した。
「なんだよ、でけえため息だな……気持ちは分かるが」
竹内は雨模様の外を見やった。
別に俺は天気だけで憂鬱になっているわけではないんだ。
昨夜の莉緒のことを、誰に相談できるというのだ。無理やり承認ボタンを押してしまったのは、兄の強権が過ぎたのではないかと、俺は思い悩んでいた。
でも、過ぎたことは仕方ない。悪いと思えば謝るしかない。莉緒は許してくれるだろうか。
突っ伏したまま、俺も教室の窓を見た。
体育祭から一週間。週明けの月曜から、梅雨が本格化した。外は小雨が朝から根強く降り続いている。
じめじめとする校内。
湿気を帯びた廊下が、上履きに踏まれてうすら汚れる。床に埃が引っ付いて、掃き掃除で綺麗にならないのが難点だ。今週は掃除当番だった気がするから、まあがんばろう。
ぶぶっ、とスマホが呼ぶ。スマホではなくて、呼んだのは真白だった。
“お昼休み、生徒会室で待ち合わせしましょう”
少しこちらの都合を無視した言葉の選び方なんだけど、言葉のチョイスが悪いだけなんだ、真白は。
いや、友達付き合いというものをしたことがあまりないのかも。そういった意味では、彼女も莉緒と似ているのかもしれない。
◆◇◆◇◆
三橋優香先輩は、青陵学園三年生の書記である。
ショートボブをぎりぎりまで攻めた短い髪。たぶん整っている顔立ちに、大きな丸眼鏡が乗っている。少し鼻が低いのか、眼鏡が下がるのをいつも気にしている。
生徒会長である私を補佐してくれる、素敵な先輩である。
兄は、副会長として助けてくれるけど、仕事が大枠というか大胆。雑とまではいわないけれど、細やかに物事を進めるのは、やはり優香さんの方が得意だ。兄の苦手を補ってくれる。そんな彼女は、兄の恋人だ。
「それで、お昼には誘ったんですか?」
ずばり回答を求める優香さんの質問。遠回りをしない方法だ。
つまり、私は先般、彼女にアドバイスを求めたのであって、今その成果を問われている。
答えないのは非礼になる。
「ひとまず、春詩くんにはここで待ち合わせしようと、伝えました」
私を見返す彼女の視線は、私の答えに満足していない、という表情だ。
「いいですか」
優香さんは、眼鏡をくい、と上げた。
「普通、手作りのお弁当を一緒に食べる昼休み、というのは高難度のイベントです。それを無意識にやってのけたあなたが、いまさら昼食に誘うのに、言葉をワンクッションおくのは、押しが弱いというか、もはや押していないと同義です」
ぐっ、と反論をこらえた。指摘は事実だ。優香さんは、さらに言葉を重ねようとして、受け手である私の反応を待っている。
「……っ、ぜひ、ご指導続けてください」
そうだ。私は、春詩くんととっくに昼食をともにしている。しかも一度は手作りの弁当を差し出すという事をやり遂げた。そのときは春詩くんが、お弁当がないというから、半分ずつ分け合おうという論理的な互助精神、合理的な判断であって、トキメキとかそうした感情を挟む暇がなかった。というか全く気付かなかった。実に経験不足だ。
あまつさえ、私は同じ箸を使うという間接キスまでしていたのに。これはとんだ手落ちだ。
「私だって、蒼司くんとは時間を掛けましたとも」 と優香さんは言った。
優香さんに、恋愛初歩における間接キスの概念や、手作り弁当に込められる愛情の意味合いをとくとくと語られ、かつ自分が蒼司くんを、あの難攻不落の堅物要塞を、いかに果敢に攻略したかを説教された。
その説教の間、無自覚な過去の自分に対して、私は羞恥心で顔を覆った。逃亡しなかったところは褒めてほしい。
しかし、優香さんの教育は果たして効果があるのだろうか。
知識を得た今、私は、春詩くんをお弁当に誘う事すら、恥ずかしくなってしまったのだ。至らないほんの二、三週間前の自分の行為が、恥ずかしかった。おそらくあと数分で来るであろう春詩くんを、ちゃんとお昼に誘えるのだろうか。
「無言で渡すおにぎりでさえ、告白と受け取る男子がいても不思議じゃありません。それだけ、お弁当を渡すというのは、男子にとって威力と意味があるのです」
優香さんは、いままたそうやって私を追い打ちした。
そんなことを話していると、扉がノックされた。春詩くんだろう。彼は、自分は部外者である、と礼儀で自分を律するためか、生徒会の面々と打ち解けた今もノックを欠かさない。
どうぞと応えると、予想通り、いつもののんびりとした顔が姿を見せる。
やわらかそうな髪は、たぶん弟の莉緒くんに近い髪質。顔だちも、ほんとは悪くなさそうなのに、眠たそうな目と、大雑把な髪型が、印象を目立たなくしている。莉緒くんのために頑張る体育祭の彼の写真は、かっこよかった。
その顔を見ると、私はほっとするのだ。
「それでは、私は失礼します」
「あれ? 三橋先輩は弁当食べないんですか?」
春詩くんが聞く。
「今日は、私はいない方がよさそうですから」
優香さんは春詩くんを、次いで私を見る。意味ありげな悪戯っぽいほほえみ。
彼女が席を外すのは、申し訳ないけれど今の私には助かることだった。
「それで、さ」
春詩くんは、私の机のそばにやってきて、いつものように座るのかと思ったら神妙な面持ちだった。
「言わなきゃいけなかったんだ」
そんなセリフで春詩くんが切り出したから、私はどきりとした。
「体育祭のとき、俺を赤組にしてくれてありがとう。おかげでりおのそばに居られた。それから、誕生会もしてくれて。すごく喜んでた」
顔を上げた春詩くんが静かに言った。その言葉を聞いて、私はほっとした。交際をやめるといわれたら、どうしようと思った。
「私は、自分の立場でやれることをした。だけど、曲げられないこともあるから、春詩くんは怒っていたし、嫌われたかも、とも思ってたわ。だから誕生パーティに呼んでくれて、うれしかった。莉緒くんは、あなたの大切な兄弟だから……それで、あの」
真剣な、正直に何を思っていたかを互いに打ち明けあう流れで、さらりと切り出せるかと思った。少し言葉が躓いたけど、言えた。
「今日はお弁当を作ってきたの……一緒に食べましょう?」
◆◇◆◇◆
「……一緒に食べましょう?」
そういった真白の表情には、一緒に食べてくれるかな、とか、嫌われてないかな、とか、人付き合いにある、当たり前の心配をする感情が秘められていて、優秀な生徒会長というより、普通の同い年の女の子だってことがよくわかった。
「もちろん。ごちそうになるよ」
そのまま、生徒会室で俺たちは椅子を並べた。
真白の手作り弁当はうまかった。先日、半分ずつ分け合ったのも、手作りだったらしい。
食べながら、ポツリと真白は白状した。
「手作り弁当が、男女の親密な交際への一行程だなんて、思いもしなくて」と。
真白らしいというか。こらえるのが困難なほど笑いが込み上げた。声を出して笑うというより、にやにやが絶えない、はたから見たらさぞかし気持ち悪かったろう。だが、こんなかわいいことを言う真白が彼女だということを、改めて実感したのだ。
それから真白のお願いが何なのか聞いたら、お弁当を一緒に食べること、だった。そんなの、いつもしているのにというと、あらためてお弁当を作って、誘うという事がいかにも、恋の儀式めいていて、不安だったと答えた。それ、クリアしたんだから、もう一つくらいお願い事を聞くよ、と言っておいた。
今日のことは、真白の好意を少し感じ取れた。
そもそも興味があるからまずは付き合おう、という真白のスタンスで始まった関係だ。
そうではあるのだけど、真白はいろいろ俺のことを考えてくれているみたいで、真白は少しずつ一緒に歩いてくれているんだなって思った。俺も真白にごめんと謝った。体育祭で、ちゃんと配慮してくれてたのに、不機嫌になってしまったことを。




