第一話 ひまわりの憂鬱(1)
今日は、一日いい天気だった。まるで莉緒の誕生日をお祝いするみたいに。
夕暮れにはほんの少し早い時間、兄妹でみんなを見送りにバス停まで歩いた。
真白が俺の隣を歩いていて、前では竹内が小倉さんの気を惹こうと一生懸命喋ってる。功を奏しているのかはよくわからない。
後ろは莉緒たち三人。その後ろにりこと、その隣にとみちゃん。
一番後ろは、みんなを守るように一ノ瀬兄がゆっくりと一人で歩いていた。
「今度は、球技大会ですね」
「ん? ああ」
真白の言葉に頷く。
「男子はバスケですけど、春詩くんは得意ですか?」
「いや、球技とか、からっきしだよ。不器用なんだ、俺は。かといって、マラソンとか短距離とか速いわけでもないし。ま、たぶん普通なんだよな、いろいろと。期待しないでくれよ?」
真白はふふっと笑った。
「球技が得意な人を好きになったわけではありません……あ、訂正です。興味を持った、という意味ですよ」
「わかってる」
あまり深くは聞かないようにしておこう。
「私は、春詩くんのことを知りたいのです。深いところも、些細なことも。だから、今日は楽しかったです」
お母さまのお手伝いもできましたし、という真白は、最初からお手伝いしようと考えてのことだったのだろう。動きやすい服装で、シンプルで、それでいてちょっと上品な格好だ。そんなことも気づかないくらい、俺は自宅にみんなを招くという、不慣れな行事に気を張っていたらしい。
「ごめんな。真白」
「いいえ。お母さんともお喋り楽しかったですよ」
俺は、謝罪の意図をいちいち説明し直すことはしなかったけど、真白の気づかいに感謝した。
「そういえば……」
「そういえばリオくん、なんで校内SNSのクラスチャットに入ってないの?
真白と理々香、二人の声がかぶって、俺の耳は、後ろの声に引き付けられた。
「写真、みんないっぱいアップしてるよ。全体の写真にはアップしてないやつもあったし。楽しいよ!」
「う、うん……そうだね……」
理々香と柚羽の疑問に、莉緒は答えあぐねているのだろう。
クラスのSNSというものに、莉緒が二の足を踏んでいる理由は、容易に察せられる。
莉緒が修学旅行のあの事件で写真を晒されたのは、中学時代のクラスチャットだ。中学校は公立で、当時使用されていたのは一般のSNSのサービス。今は校内SNSだけど、そこに違いはなかった。
クラスメイト。たまたま同じ年に生まれて、たまたま同じ学校に居合わせただけの他人。
そこに、莉緒は体の秘密を暴かれるかのように、画像をばらまかれたのだ。すべてのクラスメイトがそうとは莉緒も思っていないだろうけど、恐怖は拭えていない。
新しいクラスメイトと打ち解けられるか。そのために一歩ずつ前進しなければならないのだけど、恐怖と躊躇いが勝ってしまうのも仕方ないことだ。
俺は、後ろの三人の会話がどう転ぶか耳を傾けていたけど、理々香が無理強いをせずに引いたのでその話題は終わった。
「まあ、気が向いたら入ればいいんじゃない? 招待メッセージ、念のため送っておくから」
俺はどうすべきなのだろう。思考に意識がのめりこみそうになって、真白の声に引き戻された。
「春詩くん……?」
「あ、すまない。っと、バスが来てるな、急いだほうがよさそうだ」
「……ええ」
みんながバスに乗り込んで、それを兄妹三人で手を振って見送った。
窓際に座った真白と目が合って、俺は笑顔を返したのだった。真白も笑顔でいたと思う。ガラスが西日を反射して、よく見えなかった。
その日の夜。頭の中の引っ掛かりが、俺の精神をかりかりと微かにひっかいて、睡眠を邪魔した。
暗闇の中で、むくりと起き上がる。
引っ越してからの、変わらぬ寝床の順番。和室に敷いた布団は、俺が真ん中、りこが右で、莉緒が左。りこは布団を蹴っ飛ばして、大きな口を開けて寝ている。
左の莉緒は、布団が空だった。
そっと障子を開けて部屋を出ると、縁側のアルミサッシが冷え冷えとしている。家の近くの林から、夜鳥の鳴き声が響いていた。聞こえるのはそれくらい。町の喧騒から離れた土地の静けさがある。
俺は足音を立てないように、ゆっくりと下に降りた。
案の定、台所に明かりがついていて、テーブルの自分の場所に、莉緒がぽつんと座っていた。
俯いた視線の先の、テーブルの上にはスマホがあって、俺はそこに何が表示されているか分かっていた。
莉緒が、驚いて俺を見た。半分泣きそうな顔で、俺を見ていた。
俺は黙って莉緒の横に座った。
スマホには、校内SNSのクラスチャットへの招待を示す通知が表示されている。
どうすべきなんだろうな。
逡巡も束の間、俺は瞬発的な発想で、莉緒のスマホの承認ボタンをタップした。
「……!」
莉緒が、声にできずに俺の腕にしがみついた。止めて欲しそうな、抗議するような顔で。
「大丈夫。理々香と柚羽だっている。俺たちだってついてるから」
こつんとおでこをくっつけて、俺は莉緒の頭を撫でた。撫でまくった。
莉緒が苦しんだ過去を、いいもので上書きしていきたい。上書きできなくても、立ち向かえるよう助けてやりたい。
言葉を費やしても、莉緒の不安を完全に拭ってやることなんてできないだろう。でも、俺はできる限り、頭をなでたり、何度でも言葉をかけてやったりすることをやめない。
声を出せないまま、浅い呼吸を続ける莉緒を、俺は抱きしめた。
「大丈夫だよ」
俺だって、自分のやり方に後悔がないわけではない。半べその莉緒を抱きしめて、とんとんと背中を叩いてやった。こんな風になってしまう莉緒を見ると胸がつらい。
そうして、抱きしめていると莉緒はだんだん落ち着いて眠ってしまった。こういう時は、まるで幼い子供のようだ。
いったい、台所に一人ぼっちで、何時間ああしていたのだろう。
抱きかかえて、布団に寝かせてやる。きっと目が覚めたら、高校生の莉緒だ。いつもしっかりしている莉緒は、一生懸命そう振舞っているだけなのだ。
いつか莉緒が普通に笑えると、いいな。




