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第六話(2)

「よう、りこ。着替え持ってきたぞ」

 しらじらしい第一声を、俺は心の中で何度練習したことか。

 試合形式練習がりこのグループの番になったので、俺はそれが終わって一区切りつくのを待っていた。

「はる兄?! どうしたの!」

 りこがコートの端にいる俺に駆け寄ってくる。

「どうした、じゃない。母さんに着替えを頼んだだろ?」

 恨みがましく俺は言った。シャツは汗でぐっしょりだ。いや、ズボンもパンツもな。

「えー、自転車で来てくれたんだ」

 スポーツバッグをりこは抱きしめた。それを、あたかも愛おしそうに。

 いや、ほんとなら俺を抱きしめて感謝すべきだ。暑苦しいからいらんけど。

「ありがとぉ~」

 りこは、その代わり大事そうにバッグを締め上げてる。やっぱりよかった、俺じゃなくて。

 顔を洗ったみたいだけど、勇吾くんの告白で泣いてしまったりこの目は少し赤かった。

 俺は、ちょっと考えあぐねた結果、りこの頭をぽんぽんとなでた。

(がんばって考えて答えたんだよな。えらいぞ)

 と、ちらちらと視線を感じる。

「え? あれってりこ先輩のお兄さん?」 「りこの兄貴?」

 まあ、同級生とかの兄弟が来たときは、注目を浴びるものだしな。高校では、莉緒のおかげでなんとなく再評価されてる俺は、すまし顔でやりすごした。

「やっぱ普通だね」 「りこ先輩がかわいいだけか」 「遺伝子だけじゃないんだね~」

 ぐぬぬ。欲をかいてはだめだということだな。うん。

「りこ~。お兄さんに、これ飲んでもらいなさいよ。暑い中来てもらったんだし」

 とみちゃんが部員用のクーラーボックスから、ペットボトルのスポーツドリンクを持ってきてくれた。りこはそれを受け取るとそのまま俺に差し出す。

「あ、うん。そうだよね。はる兄、これ飲んで?」

 それは経口補水液として作られたタイプのドリンクだった。山の上ったって、暑いもんなぁ、体育館。

 無造作に渡すりこを見とがめて、とみちゃんがこめかみをグリグリして教育を施す。

「熱中症って、大変なんだよ? 帰り道も途中で暗くなったら危ないんだから」

「は、はる兄。帰り、気をつけてね。ね?」

 そうそう、一言添えるといいよな。とみちゃんて、気がつく子なんだな。

 とみちゃんに脅されたりこが、途端に不安になって俺に気を遣うのがおかしかった。

「ごめん。私、子供だから、全然そういうの気がつかなくて」

「帰りは気楽だよ。ほとんど下り坂だから」

 俺はスポーツドリンクをごくごく飲んだ。経口補水液がうまい。うまいってことは、ちょっと脱水気味ってことだよな。

「私、もっとちゃんとするね」

「おう。わかった。試合、応援に行くからな!」

 俺が飲み干したペットボトルを、りこは手を差し出して引き取ってくれた。

 りこだって、別に気の利かない子じゃないと思うけど。




 その日は、朝から母さんが張り切っていた。

 早朝から台所仕事をしているのは、寝ぼけ眼で、布団の中から察していた。

 階下の包丁の音が、枕越しにリズミカルに聴こえる。

 暑苦しい布団を抜け出して台所に降りる頃には、お重に色とりどりのおかずが詰め込まれて並んでいた。それとは別に、りこが個別に食べられるように分けて詰めた弁当箱もある。

 それにしても何人分だ。りこの分も合わせて五人分か。

 今日はいよいよ、りこが出場する大会の日である。

 母さんの運転で、県立体育館に向かう。荷物がたくさん積める、乗用タイプの軽自動車。渋い茶色をしているが、同型の色違いはよくすれ違う大衆車だ。かつては名家と言われた葉月家も、現代においてはそんなもんだ。ほんと、古い家と墓だけなんだよ、立派なのは。

 助手席に俺。後部座席には莉緒と、それから途中で拾った真白が乗っている。

「お邪魔してしまって、すみません」

「いいのよ~。ありがとう、真白ちゃん」

 もっぱら母さんが一番賑やかな顔ぶれ。俺はさておき、あとの二人はお喋りなタイプではない。だけど遠足気分なのはみんな同じみたいだった。

 車窓は流れ、再開発された市街区域へと車は向かった。

 広い車線と緑の茂った中央線。街路樹の向こうに、巨大な施設が見える。スタジアム、といっても差し支えない県立体育館だ。




 県立体育館の駐車場に到着すると、遠方から参加する学校のバスやら、俺たちと同じく応援に来ている保護者のものらしき車でいっぱいだ。

 俺は大きな保冷バッグを担いで歩く。母さんの力作……みんなの弁当が入っている。暑さでいたむからな。

 母さんと真白は、日傘をさして歩く。俺と莉緒はキャップをかぶってガマン。

 母さんは動きやすい格好だが、一応よそ行き。化粧もばっちり。

 真白は、その名にふさわしい真っ白いワンピース。

「春詩くん、手伝いましょうか?」

「ああ、水筒だけ頼むよ」

「はい。任されたわ」

 真白に、肩からずり落ちそうな水筒を任せる。真白は、今度は莉緒の隣に駆け寄り、自分の日傘の下に莉緒を入れたのだった。

「莉緒くん、入って」 と、肩を寄せ合って歩き出す。

(おいおい、彼氏は俺じゃないんだっけ……)

 汗をだらだら流す俺に日傘の影を分けてくれたのは母さんだった。

「真白ちゃん、気が利くわね」

 母さんがそう言って、俺はもう一度二人の相合傘を見る。莉緒は、色白で日焼けに弱いから、真白の気遣いはありがたかった。

 莉緒は、ちょっと緊張気味に真白の隣に収まっていた。莉緒も、実はちょっとだけかわいいカッコをしている。さりげない程度に。キャップは目深にかぶって莉緒だとわかりづらい。そのうえで、デニムのボトムスに、柔らかな生地を重ねたような、ふわりとしたシャツ。よく似合ってる。だから、真白に気後れなんて、しなくていいんだぞ。


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