第五話(3)
無人の教室。自分の席にへたり込んで時間が過ぎるのだけを待った。
井出、と言ったよな。ああいう拒絶は、これまで肌に感じたことがある。言葉にされなくても、視線で、陰口という空気で。
家族だから、兄妹だから、友達だから、だから莉緒のことが可愛い、守りたい。でも距離を置いた他人にとっては異物でしかないのだ。
そういうものに、莉緒は晒されてきた。高校に入って、だいぶ状況は変わったと思う。それは桐原理々香と杉山柚羽、近しいみんなのおかげだ。
俺はスマホを見た。父さんに電話を入れてある。仕事が忙しいから、繋がらないことが多いが、俺たち兄妹からの電話を、父さんは必ず折り返してくれる。だから、俺は待っていた。
いま、俺のスマホは、メッセージの着信で騒がしかった。
“葉月先輩が丸尾くんに言ってた、わざと、ってどういう意味ですかあ?”
“丸尾が、わざと暴力沙汰にして、先生方に介入するように仕向けたんじゃないかってこと”
“うーん、なるほど。でも、どうして?”
“スマホに保存されてる画像なんて、生徒同士でわめいても解決できないでしょ?”
理々香と、杉山さんと俺の三人だけのグループ。莉緒のことを莉緒抜きで相談したいときに使うグループだって、理々香は言っていた。実際たまに相談を受ける。こういう言い方は、莉緒が傷つかないか、とか、どうしたら喜んでくれるか、とか、そんな内容だ。
いまは、理々香が杉山さんの素直で率直な質問を、俺の代わりに答えてくれていた。
『すみません、かえって巻き込んでしまって』
理々香は別れ際に謝ってくれた。感謝こそすれ、だ。知らないよりよっぽどいい。また力になってほしいと、俺は言った。同時に、あの場に呼ばれておきながら、何もできない無力感に打ちのめされていた。
ぶぶぶ、ぶぶぶとスマホが振動した。
――葉月 誠、と画面は表示していた。
「父さん」
『元気か、春詩』 若く聞こえる声。父さんの声は穏やかで、いつも優しげだ。
俺は、今日あったことを手短に話した。
『そうか、わかった。弁護士の先生に伝えておく……だから春詩、自分で全部しょい込むなよ。この問題は、どだい一人でどうこうできるものじゃない。父さんだってそうだ。法律とか、人間関係とか、全部巻き込んでなんとかするしかないんだから』
「わかってる……」
『陽子は……母さんは元気か?』
「元気だよ、あいかわらず。母さんがいないと、ウチの中も地区の行事もまわんないよ」
電話の向こうで、父さんは楽しげに笑った。
『高知旅行、楽しみにしてるよ。みんなによろしくな』
「うん」
通話を切ったスマホごと、俺は我慢できなくて頭を抱えた。焦燥感で、頭を、胸をかきむしりたくなる。何か手を打たなきゃいけないのでは。また何か大事になるのでは。
ごとん、とスマホを床に落としてしまう。
頭を掻き、手のひらで顔を覆って、いっそ泣き喚いたほうが楽なのか。
「春詩くん……?」
不意に掛けられた声に、顔を上げる。
「ましろ……」
教室の入り口から俺をみつめた真白は、まっすぐに俺の元へやってきて、椅子に座る俺を抱きしめてくれた。
「どう、した?」
真白の柔らかさ、ぬくもりに急激に包まれて、俺の全身の感覚が戸惑っていた。
「春詩くん。どうした、じゃないです。そんな弱り切った顔をして。終業式からたった数時間で、どうやったらそんなにやつれられるんですか」
終業式で、俺は壇上の真白を見上げた。真白の生徒会長挨拶は、涼やかな声だった。真白も俺のこと、壇上から見つけてくれてた。その優しげな瞳が、今は近くにある。
それから、この間と同じように、横に椅子を持って来て真白は腰かけた。肩を寄せて、手をつなぐ。真白がしてくれるのは、たったそれだけ。
「ねむってもいいんですよ。お寝坊の春詩くん」
手を握ってくれる真白の体温を、ゆっくりと感じていた。たしかに、ウトウトとしたかもしれない。それくらいに心地よかった。いつしか、真白の肩に俺はもたれていた。彼女の肩に頬をのせて、やわらかな感触に包まれていた。
ゆっくりと、静寂と「ふつう」を取り戻していく感覚。
見えてないどこかグラウンドで、野球部のバットが硬式ボールをはじき返す音が聴こえる。サッカー部も交えて、運動部の独特な掛け声に、ちょっと俺は笑みをかみしめた。
建物のどこかでは、吹奏楽部がコンクールの課題曲を演奏していた。
「真白……暑い」
ちょっと元気になった俺は、冗談と照れ隠しを兼ねたセリフを投げた。
「もう。当たり前です。夏なんだから」
真白は名残惜しさなどみじんも感じさせずに立ち上がった。
「そろそろ、莉緒くんの部活が終わる頃では?」
確かに、課題曲を吹き終えて、吹奏楽部の音が途絶えている。
「うん。そうだな……」
俺は真白に感謝を込めて、抱きしめた。そんなことを、家族でもない女の子にできるなんて、俺自身意外だった。
「りおを、迎えに行くよ」
「はい」
真白が手を振って俺を見送る。俺も手を振り返した。




