第三話 球技大会(1)
莉緒が、理々香と柚羽、二人の友達を得て一週間。
全校の熱気が体育館に集った。やる気があるとないとに関わらず、物理的な熱量が集合して、まあとにかく熱い。体育館の湿気がものすごい。なんなら汗が霧になっているのではないかと思うくらいだ。
各所の窓は全開だけど、今日は風が弱くて涼しさとは無縁だった。
今日は球技大会だ。男子はバスケ、女子はバレーに分かれて試合が行われている。
体育祭をやったばかりだが、一日がかりのスポーツイベントの裏で、教師は教師で仕事があるんだとかなんとかと、担任の五味渕が言っていた。大人のボヤキに親身になれるほど、俺は大人の仕事を知らない。
で、その一試合目、俺たちのクラスの結果は散々。
対戦相手は三年二組。何の因果か、不良筆頭、藤原が率いるチームだ。
ちなみに、言ってなかったが俺たちは二年一組だ。一組のいいところは、下校のときに階段が近いことだが、もちろん今は関係ない。
藤原に対してうちのクラスのやつらは、俺を前面に押し立てた。理由は、藤原に一歩も引くことなく立ち向かえるから、だと。
結果はコテンパンという、もはや古語みたいな表現がぴったりの負けっぷりだ。
予選は一ゲームたったの十分、あれよあれよと点を取られて巻き返す間もなかった。
「藤原パイセン、半端なかったな。ラフプレーの連発かと思いきや、ルール内できっちり
やるし」
「荒っぽい接触はあるけど、球技大会のレベルに合わせて加減してるみたいだったよな」
「元バスケ部なんだと」
「なんであのひと不良やってんだ?」
(性根の問題だろ……)
内心で悪態をつく。クラスメイトは、藤原のプレーを褒めざるを得ない様子だ。それに異論はないけど、ファーストコンタクトのイメージの悪さを払拭するほどではなかった。ほっぺたはとっくに治って痛くもなんともないのに、俺は殴られた場所を触って歯噛みした。
そんなに腹立たしいなら、殴られたと先生に訴え出ればいいのに、それは女々しくて嫌だった。
「じゃ、次の試合まで解散なー」
チームリーダーが指示する。へーい、と、おのおの太い声が答えて、いかにも男子チームだ。
「次負けたら予選敗退だっけ?」 「勝てるといいなー」
雑談に花を咲かせながら散っていくメンバーたち。このチームのノリは、ガチ勝負はできないけどゲームが楽しめればいい、という、実に俺好みのスタンスだ。
ちなみに竹内はというと、クラスの別チームで、体育の授業で行われた予選ですでに敗退し、本戦の今日は、負けチームトーナメントを戦っている。
さて、どこで時間をつぶすか。旧体育館も含め、体育館全面で男女それぞれの試合が行われている。試合のないやつは観覧席か教室、あとは校舎内でめいめいに過ごしている様子だ。
暑苦しい体育館内の観覧席は不人気かと思いきや、こんな日まで教室で過ごしたくないってやつが多いみたいだ。部活やってるやつらは、部室へ。あとは武道場の畳の上でゴロゴロなんてのも魅力的だが、そちらは武道系の部活のやつらが占領済み。
今日はぎりぎり雨が落ちていないので、中庭やら、校舎裏やら、それぞれ好きに時間を過ごしている姿が見られた。
俺は、無人に近い一般教室を通り抜け、真白に教えてもらった屋上へと続く階段まで足を伸ばした。屋上には出られないかもしれないが、出入り口の踊り場なら一人になれるだろう。
「兄さん、どこいくの?」
四階に差し掛かったところで、莉緒の姿が見えた。
「よ」
俺は少しの思案ののち、小さな声で莉緒に言った。
(秘密の場所にな)
(それって、ついて行っていい?)
莉緒は小首をかしげる様子で言った。
俺はうなずいて了承すると、口に人差し指を立てて無言で階段を登った。階段は少し音が響く。無人に近い校舎は声が通りやすくて、ひょっとすると秘密の場所がばれてしまうかもしれない。
(なんだか、わくわくするね)
残念ながら、屋上の鉄扉は閉ざされていたが、鉄扉の前はひんやりしていて、涼を取れた。窓があって明かりも採れるし、窓を開けると階下から風が抜ける。秘密基地にはもってこいだ。
俺たちは、ぺたんと床に座ってくつろいだ。スマホを取り出すと、莉緒にメッセージを打つ。
”声が響くから、気をつけような“
“うん”
俺は、床の汚れを確かめてから、ごろんと大の字に転がった。
莉緒も真似して寝転がる。
床がひんやりして気持ちいい。
“りおのチームは勝ったのか?”
俺はスマホでの会話を続けた。
“勝ったよ。補欠だから、応援なんだけどね”
“それは悔しいな”
“うん、でもみんなが心配してくれてのことだから。あたりが激しいとケガするかもって”
――りこだったら、平気で男子に混じって試合しそうだよな……と、送信ボタンをタップする直前で、この文を消した。りこと比べるなんて、莉緒を女子扱いしているみたいだと思ったからだ。
“りおは、線が細いからな”
送信。俺は少し目を瞑った。この二か月、いろいろあったけど、莉緒とこうして高校生活ができているのは、素直にうれしい。
握っているスマホが、ぶぶっと鳴った。
“しずかだね”
“そうだな”
二人で寝転んでいると、子供のころ連れて行ってもらったキャンプみたいだった。
“子供のころのキャンプみたいだね”
”同じこと、思ってた“
“あれ、どこにいったんだろうね。子供のころで覚えてないよ”
“あれは高知だな”
“また、行ってみたいな”
“夏の旅行に、リクエストしてみようか”
“うん、そうしよ。りこにも聞いてみる”
ぶぶっ、とスマホのバイブレーションがキャッチボールみたいに繰り返された。
ぷくく、と俺が笑うと、莉緒も笑いを噛みこらえきれないようだった。
床の上のごろ寝は、それから少し静かになって、俺は莉緒の顔を眺めていた。
静かだった。莉緒も、俺を見ていた。
階段が一階から屋上まで吹き抜ける構造は、静かだとこんなにも音が届くのか。
どこかで雑談しているらしき笑い声、
自動販売機が容器を吐き出す音、
立て付けの悪い来賓用出入口のドアが軋んで閉じる音。
いろんな音が響いては静寂に消え去っていく。
そんな音を耳にしていると、艶っぽい声が、どこからともなく漏れ聞こえてきた。
鼻にかかったような、時折悲鳴のようにも聴こえる。繰り返し、一定のリズムを刻んで高い鳴き声を上げた、それは、つまり……。
その“音“を耳に捉えて、
どこからともなく。そうとしか言えない。
ほぼ無人の校舎で、男女が……
俺と莉緒は、瞬きする間だけ、その”音“に意識を奪われていた。
無意識からふと我に返ったとき、俺と莉緒は、互いが互いにその音を聞いたのだと、認識していた。
耳に伝わる、かすかで、しかし確実に行われているであろう、その行為を、意識せずにはいられなかった。
こんな、学校の中で、おそらく生徒である男女が。
俺は、自分がどんな顔をしているかわからない。
莉緒は頬を赤らめて時間をやり過ごそうとしていた。莉緒も、いつかのことを思い出しているのだろうか……。




