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第二話(3)

 丸尾くんが、青い顔をして全力で一礼。走り去っていった。あの、深々とした礼は俺に対してのものだったのか?

 なんだろう。新入生とはいえ、野球部の丸尾くんはガタイもいいし、なんだろうなあ、俺を相手にビビる必要もないはずだし。

「兄弟のために一年をシメておくなんて、さすがお兄さんですね」

 杉山柚羽がいう。職員室も近いし、不穏当なことは言わないでほしい。

「ええと、なんのこと?」

「葉月先輩、お話があります」

 理々香の表情は、まるで決闘を申し込むような目だ。決闘なんてしたことはないけど、はぐらかせるような雰囲気ではない。

「……場所は、ここでいいのか?」

 話がある、と改まって言われたとき、たいていの人は、その話題について思いを巡らせる。身構えて、より有効に備えるために情報を得たいからだ。

 俺も考えていた。丸尾くんがいて、彼に詰め寄るように桐原理々香と杉山柚羽がいた。丸尾くんは走って行ってしまったけど。

 丸尾くんは……体育祭で、莉緒の上着の下を見た。

 ああ、嫌な予感がする。莉緒が自分自身で、せっかく築こうとしていた人間関係が壊れそうな予感。あの誕生パーティで、楽しく過ごした二人を相手に信じたくはない。ひとの悪意の存在を。

「どこか、人のいない場所にいきましょう」

 桐原理々香が歩き出す。柚羽が、こちらをちらりと確認してから、彼女に続いた。

 理々香は、適当な専門教室を選んで、そこは化学室だったが、化学室である理由はないだろう、無人なのを確かめると俺たちを招き入れて、扉を閉じた。

 化学室は、日ごろ使われる薬品の臭いがかすかに鼻を突いた。閉め切った窓と、流れていない空気が、無人であることを俺たちにより知らしめていた。

 理々香が深呼吸する。

 そして彼女は、決意をもってその問いを投げかけてきた。

「リオくんは、女の子なんですか」

 その疑問は、核心を突いたようでいて、急所をわずかに外れた、そんな風に感じた。その証拠に、俺の胸には少しだけ安堵がある。けれど、理々香の言葉に答えられないことには変わりない。

「理々香ちゃんさあ、葉月センパイ、それいきなり答えられるわけないよ」

「そ、それはそうだけど……」

 柚羽の言葉に、空気が緩んで、少しだけありがたさを感じる。俺は呼吸するのを思い出したように、息を吐いた。

「どうしてそう思った?」

 問いに問いで返す。あがき、というか、それは時間稼ぎなのかもしれない。どう返答すべきか、手掛かり、ほんの小さな材料でもいい、俺はそれを探していた。

「……入学したばかりのころ、噂を聞きました。リオくんが以前、乱暴されたことがあるって。乱暴っていうのは、その……」

「言わなくていいよ。つづけて」

「女の子がそういう目に遭うって大変なことだから……だから、女の子だと居づらいから、男の子だっていうことにして……リオくんを守っているのかなって……違いますか?」

 ああ……俺は少し、恐怖に身をすくめ過ぎていたのかもしれない。莉緒を守ろうとするばかりに、彼女たちの言葉に怯え過ぎてていたのかも。

 彼女の言葉は、完全に想像だった。彼女は、究極的な証拠、画像を見ていない。

 桐原理々香の推理と空想、それは善意の曲解なのだ。

「どうして、それを聞きたいんだ?」

「そ、それは……」 理々香が言い淀む。

「わたし、わかります。理々香ちゃんの気持ち」

 まるで、挙手するかのように、柚羽は言葉を挟んだ。

「友達には、隠し事ってされたくないし、したくないって、思ってくれてるって信じたい……。でも、どうしても言えない理由があるんじゃないかって。だけど、じゃあ友達なら何でもずけずけ聞いていいのかって、普通は思いますよね? さっき言った通り、葉月センパイが答えられるはずもないですし」

 理々香は、ぐっと歯を食いしばっていた。きっと柚羽の言葉のとおりなのだろう。

 友達であることを盾に、莉緒が踏み入ってほしくない領域を、自分は興味本位で踏み荒らしているのではないかという葛藤も含めて。

 柚羽の言葉は理々香の気持ちを言い当て、一方で理々香の踏み込みすぎをたしなめるようでもあった。理々香の罪悪感からすれば糾弾されているような気持になったのかもしれない。

「……ごめんなさい。聞いてはいけないことだった……」

 だが、違った。理々香に謝罪させないように、風が吹き払うように柚羽は言った。

「でも友達なら、ちゃんと友達なら、知っておいてあげたいんです」

 柚羽が、理々香の手を取って握って言ったのだった。

「わたしたち、リオくんと友達になったばかりですけど、でもちゃんと友達だと思ってます」

 柚羽は言い切った。




 ――俺は、反省した。二人の気持ちは、俺の疑いとか怯えとかが凝り固まっていた部分をほぐして溶かしてくれるようだった。

 俺にも最近、どうやら友達みたいなものができた。

 でも、莉緒は違った。いままでは。

 莉緒を守らなきゃっていう義務感を重荷に感じたことはないけど、二人が俺の心を軽くしてくれたのは確かだ。

 これからは、この二人が莉緒のそばに居てくれる。そんな二人との関係性を、莉緒は作れたんだ。それがうれしかった。

 俺は二人に対して頭を下げた。真剣に、深く。

「ありがとう。でも、俺の口からは言えない」

「それは……」

 二人は俺の言葉の意味を理解したようだった。

 莉緒の為だからって、俺が勝手に決めて何もかもを二人に話して、あとからお前の為なんだと莉緒に言ったとしたらどうなる?

 莉緒はきっと、わかったといってくれるけど、それは莉緒が我慢して耐えてるだけなんじゃないか。それが想像できるくらいに、二人は莉緒と、すでに友達だったのだ。

 だから、今日の話はここまでだ。

 そう思った矢先。

 化学室の扉が開いた。

「いいよ」

 開いた出入口に立つ、上着にネクタイの男子制服の人物。小柄で、線が細くて。男子にしては少し長い髪。長いまつげにきれいな瞳。薄紅の唇がつややかに言葉を紡ぐ。

「理々香、柚羽。僕のこと、心配してくれてありがとう」

 憂いの混ざった笑顔が儚くて、どうしたらこの笑顔を、ほんとうの楽しい笑顔にできるか、俺はいつも考えていた。

「りお……いいのか」

 こくりと莉緒はうなずいて、後ろ手に扉を閉めると、鍵をした。

 莉緒は化学室の机に、制服の上着を脱ぎ、ネクタイをほどき、シャツのボタンをはずし始めた。

 俺は後ろを向いた。莉緒と俺とは同じ男同士だけど、そうしなければならない気がした。

「リ、リオくん、言葉で言ってくれれば、私たち……」

「ちゃんと、見ないと、たぶん理解できないと思う」

 莉緒の声はすごく澄んでいて、堂に入っていた。

 俺からは見えないけれど、衣擦れの音して、脱いだシャツ、その上に下着が、視界の端にある机の上に置かれたのはわかった。

「僕のからだ、女の子みたいでしょ……」

 二人は、圧倒されているのか、言葉もない。ただ、気配が揺らぐのだけを背中で感じていた。

「これでも……僕は、男なんだよ。そういう病気なんだって。ちゃんと男みたいな部分も、あるんだよ」

 俺は、二人にもわかってほしかった。莉緒は自分のことを病気だって説明しなきゃいけない。でも、倉松医師も言ってた。健康なんだ。どこも悪くないのに。

 二人は、何も言えない。

 莉緒は、もうこれ以上の説明はない、と理々香と柚羽の言葉を待っていた。

 待った。

 待っていた。

 でもやっぱり、だめなのだろうか。

 莉緒の呼吸が聞こえる。苦しいのだろう。二人を待つ間の時間が。そこに、濡れたものが混じり、莉緒は両手で顔をぬぐった。それが嗚咽に変わる。

 やはり、家族でないと莉緒のことは受け止められないのか……諦めに変わろうとしたその時。

「リオくん!」

「ごめん」

 衝撃に凍り付いていた二人を、莉緒の涙が溶かしたのだ、と思う。

 理々香と柚羽が莉緒を抱きしめていた。二人とも、泣いていた。

 二人は、ごめん、ごめんと繰り返して泣いた。三人は抱き合って、声を出して泣いていた。

 俺がちょっとだけもらい泣きしたのは秘密だ。


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