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屈辱を胸に秘めて

「どーよ? 右手動く?」

「ええ」

 まだ湿布を貼ったままではあったが、右手を左右、上下に動かして痛みが無いことを確認し、晴奈は礼を述べた。

「重ね重ねありがとうございます、小鈴殿」

「だからそーゆーのいーって。……気分、落ち着いた?」

「……正直に言えば、憤懣(ふんまん)やる方ない気持ちで一杯です」

 垂れていく晴奈の猫耳をやんわり撫でつつ、小鈴はその猫耳にそっと耳打ちする。

「雪乃は家元さんと話するっつってたから、30分はこっち戻って来ないわよ。他に人が来る可能性もないし。……泣くなら今よ? あたしとアンタの仲じゃん」

「……ぐすっ……ぐす……ひっく……うぐっ……うーっ……」

 小鈴に優しく抱きしめられながら、晴奈は静かに泣き出した。


 晴奈が泣き止んだ後も、小鈴は彼女を優しく抱きしめながら、あの狼獣人のことを教えてくれた。

「アンタが戦ったあの『狼』、ウィルバー・ウィルソンっつって、教団教主の息子の一人なのよ。人をナメくさった腹立つ性格してるけど、ウデは確か。去年、上僧兵――教団員の中でも特に戦闘力あるってポジションね――に昇格したし、アンタが突っ込んで手ぇ折られたのも、仕方ないっちゃ仕方なかったのよ」

「私の無謀を差し引いても……勝てる見込みが無かったと」

「あたしはそーは思ってないけどね。忘れてるかもだけど、アンタあたしを負かしたんだし。次は勝っちゃいなさいよ」

 小鈴の言葉に、晴奈は顔を上げた。

「次ですって?」

「何年かに1回のペースで攻め込んでくるんでしょ? 前回は4年前だったらしいし、次もソレくらいじゃない? だとしたらアンタは19歳か20歳かってトコじゃん。今よりもっと強くなってる。そうでしょ?」

「……はい。……強くなります」




 こうして気持ちを新たにし、ふたたび修行に励んだ晴奈だったが――この騒動から数週間後、事態は思わぬ方向に発展した。晴奈の実家である黄家が、黒炎教団によって黄海ごと襲われたのである。

「小鈴から――通信術で――現地の情報来たけど……その、かなり……緊張状態にあるらしいわ。現時点で黄家の資産の大半が教団に奪われたって。……それに今、紫明さんの奥さんと娘さんが、人質に取られてるって」

 雪乃から報告を受け、晴奈は呆然となった。

「そんな……母と、明奈が……」


 その後も小鈴経由で、教団が「今回の襲撃失敗は黄家による援助により焔流が勢力拡大したことが原因」と断じ、その大元となる黄家、そして彼らが治める黄海を包囲・封鎖したこと、そして封鎖解除の条件として明奈の身柄を要求したことが伝えられた。

「……で、黄大人は要求を呑んで、妹さんの身柄を引き渡したそうよ。妹さんは今、教団総本山の黒鳥宮(くろとりきゅう)に軟禁されてるらしいわ。恐らく強制的に入信させて、ゆくゆくは黄海教化のための人員に使うんじゃないか、と」

「そうですか……」

「小鈴の予想では、黄家は焔流への援助を打ち切るだろうって」

 雪乃の言葉に、晴奈は苦々しい表情を浮かべながらうなずく。

「でしょうね。焔流とのつながりを保ち続ければ、教団に囚われた明奈の身が危ういでしょうから」

「妹さん……無事だといいわね」

「……そう願うしかありません」




 故郷を出奔して以来、晴奈の人生はほとんど、彼女が思うままに動いていた。だが、この年から己がどうあがこうとも変えられない、望まぬ苦難と運命が、ふたたび彼女にまとわりつくようになっていった。

 だが――。

「……」

 晴奈はその不幸を嘆き悲しむようなこともせず、かと言ってあの日のように激情に身を任せることもせず、淡々と鍛錬を続けていた。

(……でも、いつか)

 ただひたすら、心の内にその悲嘆と憤怒を抑え込み続ける。

(私はいつか必ず黒鳥宮に攻め込み、あの狼、ウィルバーを倒す。そして絶対に助け出してやる。待っていてくれ、明奈)


蒼天剣・血風録 終

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