黒と赤の炎
双月暦508年、初春。いつになく、紅蓮塞は騒々しかった。
「またか……!」
「しつこくてかなわん!」
「今度こそ斬り散らしてくれるわ!」
あちこちで剣士たちがいきり立ち、走り回っているからである。しかし、まだここで2年ほどしか暮らしていない晴奈には、彼らが何に憤り、何をしようとしているのかが分からない。
「師匠、何かあったのですか?」
「ええ、恒例行事みたいなものよ。楽しくはないけどね」
横にいた雪乃は――せわしなく動き回る剣士たちの邪魔にならないよう――自分たちの部屋に戻ってから、詳しく説明してくれた。
「黒炎教って知ってる?」
「ええ、故郷でも何度か見かけたことがあります。黒い外套や黒装束などを着込んだ、真っ黒な者たちですよね? うわさに聞くに、央南の東部地域では蛇蝎のごとく忌み嫌われているとか、西端州では絶大な政治力を有しているとか」
「ええ。その教団がね、うちに攻めて来るのよ」
「攻めて来る? 何故です?」
話を続けながら、雪乃は刀を手にし、和紙でぬぐい始める。どうやら彼女も、戦いに備えるつもりらしかった。
「焔流が黒白戦争の頃に活躍した奸雄、克大火と対立した一派だからだそうよ。黒炎教団は克を信奉しているから、そう言う相手を目の敵にしてるのよ」
この説明に、晴奈は目を丸くして呆れる。
「こ、黒白って確か……4世紀の戦争でしたよね? そんな過去の因縁を、まだ引っ張っていると言うのですか?」
晴奈の顔をチラ、と横目で見ながら、雪乃は刀に打粉しつつクスッと笑う。
「宗教ってそう言うものでしょ? 天帝教だって、1世紀の経典をずっと使っているって話だもの。ともかくそう言う因縁があるから、何年かに一度、彼らはこの紅蓮塞を潰そうと攻めてくるのよ」
雪乃はもう一度刀を綺麗に拭いて、鞘に納めた。
「晴奈、あなたも準備した方がいいわよ。塞全域の防衛戦だから、戦える者は基本的に全員参加するよう、招集がかかるわ。もしあなたが妊娠中だったり、こっそり子育て中だったりするなら別だけど」
「にんっ、……いやいやいやいや! あっ、あるわけございません! そもそも相手などいるわけがないでしょう! 私は独り身! 独り身です!」
顔を真っ赤にして否定する晴奈を見て、雪乃はまたクスクスと笑った。
紅蓮塞は中核となる本丸を囲むように、大小50程度ある修行場と、さらにその倍ほどの宿場・居間が連なっている。普段はその字面の通りに修行の場、居住区として機能しているが、有事の際にはその様相は一変し、要塞としての働きを見せる。それが紅蓮塞の、「塞」たる所以である。
襲撃の報せから数日も立たないうちに、紅蓮塞の守りは堅固なものとなった。塞内のいたるところに武器と医薬品が積み上げられ、要所には数十人の手練が詰めた。そして大方の予想通り雪乃も晴奈もこの防衛戦に駆り出され、紅蓮塞北西側の修行場、嵐月堂の護りに付くことになった。
「師匠。黒炎教の者たちは一体、どこから攻めると?」
三方を囲む急坂をぐるっと眺めつつ、晴奈が尋ねる。雪乃も周囲を見回しながら、慎重な口ぶりで答えた。
「そうね……ここから侵入するとなると、境内の垣を乗り越えるか、それとも破るかでしょうね。いずれにしても、油断は禁物よ。敵は克直伝の魔術を使うそうだから」
「魔術ですか。てっきり央北とか央中の文化と思っていましたが、央南に近い者でも使用者は多いのですね」
「諸説あるけど、克大火は魔術学の祖の一人、『魔法使い』って説もあるもの。……そう言えば晴奈は知ってる? 克が魔法使いって言われてる所以を」
「いえ。その克某とやらの名前すら、今日初めて聞いたくらいです」
「じゃあ、この緊張感もピンと来てないわよね。普通の剣士や魔術師が相手だったらわたしたち、こんなに警戒しないわ。相手が『悪魔』の直弟子たちだから恐れるのよ」
「悪魔?」
「そう、悪魔。曰く『乱世の奸雄』、曰く『漆黒の魔法使い』、曰く『世界最強の剣豪』――そして曰く、『黒い悪魔』。克大火を表す二つ名はどれも、畏怖に満ちた言葉なの」
「それは……まあ……恐ろしいのでしょうね。しかし焔流剣士ともあろう者が、そんな古代の伝承に恐れをなすと言うのも、いささか情けないのでは」
そう返した晴奈に、雪乃は首を横に振った。
「古代じゃないわ。克は依然として、現代に生きている。これは『現在』の話なのよ」
「どう言うことです? 黒白戦争時代の人間なら、とっくに没しているでしょう」
「そこが悪魔の悪魔たる所以なの。克大火はまだ生きている。それも若々しい、青年の姿でね」
「まさか!」
現実離れした答えが返ってくるとは思わず、晴奈は声高に反論する。
「ありえません。人の寿命などせいぜい60年か70年でしょう。長耳の方なら多少は長寿と聞き及んでおりますし、何かしらの記録では100年の大往生を果たした方もいるとか。しかしそれを踏まえても200年生き、しかもずっと青年のままと言うのは眉唾でしょう」
言葉を立て並べて反論した晴奈に、雪乃は静かな声で、しかしきっぱりと返した。
「200年生きる。不老不死の存在。真に不可能を可能にする秘術。誰もがそんな話、ありえないと嗤う。『そんな悪魔じみた話があるものか』と。
でも克の話だけは、本物なの。だって彼は、本物の悪魔だもの」




