第8話 死線を越えて
-マリンSide-
マリン・サンドストームはいま、不思議な心地であった。
「マリン! 後方に〈泥濘生成〉!」
〈激怒の兎〉が暗闇の中から勢いよく飛び出した。
まるで事態を予測していたかのように、瞳を赤に染めたモブが、兎の跳びかかりをかわしている。
瞳に宿った赤い光は、狐火のように影を残す。
その光景を目の当たりにしても、マリンの杖を繰る手つきは無駄がなく、滑らかであった。
モブの指示通りに〈泥濘生成〉に切り替える。
岩人形の制御に回していた集中力を、新たな魔法の維持に回す。
「ガッ!?」
対象が魔法で作り出された泥沼に沈んでいき、移動速度は低下する。
兎の跳躍は封じられる。しばらくの間は、飛びかかりの心配もないだろう。
再び、モブの声が広場に響いた。
「――全員後退! 目標、泥沼の維持! カナメ、〈水弾〉! マリン、〈魔力弾〉!」
「おうっ!」
「はいっ!」
マリンは勢いよく返事をする。指示が頭に滑り込む感覚――かつての指導教官に感じたものをモブの声から感じ取る。
〈泥濘生成〉を維持しつつ、杖を傾け、無属性魔法〈魔力弾〉の光球を眼前で作り出した。
――なぜ彼は、私が使うことができる魔法を知っているのだろう。
そんな疑問を抱くも、マリンは嫌な思いはしていなかった。
マリンは力のある言葉を紡ぐ。
詠唱を伸ばし、威力に魔力を注ぐ――茶色い光球が三条の閃光を放ち、泥沼の怪物をえぐった。
沼の中の兎が怯む。
赤い眼光がマリンを射抜くが、すぐさま水の塊が浴びせられた。
そして、水の着弾と同時に、横合いからモブの弓に稲光が走るのをマリンは見た。
属性を帯びた矢じりが、兎の肩口の傷に吸い込まれる。
兎の体が、跳ねた。
水弾によって濡れている兎にとっては、致命の一撃だったのだろう。
口から白煙が立ち上るのをマリンは確認する。
「体力わずか!」
モブの声を聞き、マリンは再度心地のよさを感じた。
命のやり取りのさなか、マリンはなぜか安心を覚える。覚えて、しまっている――。
「オ゛ォア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ッ!!!」
肺の中の空気を全て押し出し、〈激怒の兎〉が咆哮をあげた。
渾身の力を振り絞り、泥沼の淵にたどり着く。
腕の力のみで跳躍する。泥沼を抜け出す。
兎の巨体が空を舞った。
その時、マリンは自分が目標であることを、知った。
(っ――)
見上げるだけで体は動かない。
マリンは自分の鈍くささを呪う。
だが、とマリンは一方で思った。
自分が倒れても、兎は間もなく絶命するだろう。
自分がぐちゃぐちゃになっても、彼らはきっと帰還できる。
迫りくる泥にまみれた巨塊を前に、マリンは嫌に冷静だった。
兎の影がマリンの体に差し掛かる。
――その時。
マリンは横合いから押し出されるのを感じた。
「――っ!?」
兎が《《モブ》》にのしかかる。
モブが下敷きになる様を、マリンは突き飛ばされながら見ていた。
「モブくんっ!?」
地面が震える。
マリンが尻もちをした時には、すでに兎の巨体でモブは隠れきっていた。
兎が動く様子はない。
横たわった状態で、身動き一つしない。
(ど、どうなったの!?)
マリンは自身の胸に手をやる。
(彼は、彼は……っ!?)
マリンの息は詰まりかけるも、即座に呼吸は元に戻った。
兎の体が赤き粒子となって立ち昇る。
血痕のついたダガーを両手で握りしめて、モブが天を見上げていた。
息絶え絶えと、彼は呼吸を繰り返している。
マリンはその姿を、ぼうっと見つめ続けた。
◆□◆
-モブSide-
「モブ、無事かっ!?」
俺の周りにいくつかのアイテムが散らばる。
〈激怒の兎〉が赤き粒子となって、消えた。
血に濡れたダガーが、痺れる指先から滑り落ちる。土に突き立った音が、戦いの終わりを告げた。
興奮状態が収まると共に、俺の全身は悲鳴をあげた。
自重によって、ダガーは垂直に兎の胸部に突き刺さり、とどめに繋がった。
俺の腕力・技量でも、兎へ傷をつけることはできたようであった。
呼吸するだけで全身に痛みが走る。
俺はようよう自身の体を『視る』。
救助した際のカーラとそう大差ない半死体であった。
「――」
泥にまみれた手袋を脱ごうとしたが指が震え、動かすことはできなかった。
眼球は痛みできしみ、胸元がえぐられるような吐き気に見舞われている。
カナメに返事しようとも言葉にもならない。
回復をしてほしい。
振り絞って懇願しようとする途中、俺の体は唐突に光に包まれた。
虹色の光。
全身を多幸感が包み込み、全身の細胞一つ一つに力がみなぎっていく。
体力がおのずと全快する。
間違いない。これは――。
「っしゃぁあああっ!!」
「うおうっ!?」
俺は飛び上がって両手を天に突き上げた。
祝福の鐘が俺の脳内に響き渡る。
持ち上げた手のひらを『視る』。
俺は自分のレベルが3になったことを確認した。
「く、位(レベル)があがったか」
「あがった! それも二つ!」
俺は近寄ってきたカナメに向かって指を二つ立てて差し出した。
カナメが苦笑しながら、小太刀を鞘に納める。
「当然だ! 此度はお前の活躍が大きかった。黄金ではなく――虹色の光なぞ、初めて見たぞ。それほどの偉業をなしたのだ! 胸を張れ」
「そっちこそ! カナメのおかげだ。……カナメが悲鳴を聞いて走り出した時、俺、不安だったんだ」
「む?」
「……あの兎に、俺は立ち向かえるのかって。だけど、カナメが勇気をくれた。戦闘中も、お前に励まされたんだ。だから、最後まで戦うことができたんだと思う。――その、かっこよかったぞ、カナメ」
カナメが目を見開いた。
白い肌が紅潮している。
心なしか、破れた帷子から覗くことができる肌も赤らんでいる気がした。
「と、当然のこと! 我は和国一の快男児! かっこいいのは、その、あ、当たり前のことだぞ!」
「はは、そうだな」
「~~っ、そ、その。お、お、お前も」
「ん?」
「お前も、か、かっこよかった、ぞ。わ、我一人なら敗れていた……感謝する!」
目を伏せ、両手の指先を合わせながら、カナメは言った。
俺は胸が温かくなるのを感じる。
頬が、自然と緩んだ。
俺は手を差し出した。
カナメは恐る恐る、俺の手を握る。
柔らかさが増えたものの、依然として分厚い剣だこが残る小さな手を、俺は握り返す。
俺たちははにかみ合い、さらに固く相手の手を握った。
「これからも、よろしくな。カナメ」
「――うむ!」
かすかな風が草むらを薙ぐ。
マリンが近寄ってくるのを、俺は視界の端でとらえた。
□
「ま、マリン殿――!?」
マリンが寄りかかってくる。
カナメを左手、俺を右手で抱き寄せ、彼女はうつむいた。
ドリアードの杖が倒れる。
他の戦利品とともに、俺たちの足元に杖は転がった。
「ちょ、汚れますよ?」
俺の肩にマリンの長い黒髪が触れる。
ゆったりとした紫のフード付きローブに俺の衣服の泥がついた。
血の生臭いにおいにまじって、柑橘系の香料がほのかに漂う。
肩越しに、マリンの指先の震えを俺は感じ取った。
「……ごべんなざいぃ」
マリンの頭頂部を見下ろす。
しゃくりをあげるマリンを、俺は静かに見守った。
「君だちを、巻き込んで、死なせるとごだった……。生きでて、ほんどうに、よがっだ……」
「先輩……」
「後衛職なのに、俯瞰が苦手で、さっきも、下級生の君に指示を仰いで……。ほんと、情け、ないよね……」
俺は斜め下に視線を動かす。
銀のまつ毛ごしに藍の瞳と目が合った。
カナメは顎を少しだけ突き出し、俺の行動を促す。
俺は手袋を脱いだ。手のひらを露出させる。
「先輩、顔をあげてください」
「――え」
俺はマリンの頭に手を置く。
さらさらな黒髪が手の内を滑る。
瞬間、黄色い声――マールとヒルダの声が耳に届いた。
周囲の反応と、赤面して硬直するマリンのことは無視する。
髪を撫で上げながら、俺は言った。
「今日は細かいことなしで。結果的に、全員生き延びて勝った。それで、いいじゃないですか。――今日は本当に助かりました、マリン先輩。また、教えてください」
「でも……」
「おーい、みんなはどう!? マリン先輩どうだった!?」
俺はわざとらしく大声をあげる。
周りにいたパーティーメンバーに呼び掛けた。
「かっこよかったよー♪ マリン先輩も、モブっちも、カナメっちも、ヒルダもー♪」
「せ、先輩も、すっごく、すごかったですっ!」
「うむ! 胸を張れ、マリン殿! そなたのおかげで救われた命があった! そんな己を卑下することはないぞ!」
マール。
ヒルダ。
そして、カナメ。
俺と視線を合わせると、みなはにかんで見せた。
「みんな……」
マリンが涙ぐむ。
しばらくの間、俺とカナメはマリンの背中をさすり、彼女が顔を上げるまで待ち続けた。
(ああ、よかった――)
俺は仲間たちと一緒に笑う。
昨夜、月に伸ばした拳は、間違いなんかじゃない。
カナメ、マール、ヒルダ、マリンの顔を見て、俺は安堵する。
この世界に住まう、親しい人たちの笑顔を守ることができた気がして、俺の心はどこか晴れやかだった。




