第47話 戦う理由
カナメの藍の瞳がじっと、俺を見定めている。
カナメには事前に魔導板帳で、話す内容をさわりだけ共有していた。そして、決して口を挟まないと約束してもらっている。
──ずるい男だと、俺は内心自嘲した。
「あなたとパーティを組むかどうか……? そんなの──」
「いや、違うんだアリス。そんな簡単な話じゃない」
俺は首を横に振り、天板に手を置いたままアリスの返事を遮った。
アリスの金の瞳がこちらを真っ直ぐ射抜く。
俺は視線をカーラへ移す。
琥珀色の瞳が落ち着きなく揺れるのを確かめ、口を開いた。
「カーラ。俺たちは前回の学外クエストで〈淫魔族〉の痕跡を見つけた。その件でギルド表彰も受けた。そこまでは知ってるよな?」
「う、うん」
「俺たちが学外クエストで相手にした〈闇の華〉──やつは、意思のある魔物だった。やつは淫魔族の手によって生み出されたって情報を、俺はこの目で『視た』」
「!」
カーラが胸元に右手を添える。俺は彼女を見たまま、言葉を継いだ。
「淫魔族の最近の動向を見て、俺は感じた。近いうちに淫魔王が復活する可能性があると。三年後か十年後か、もっと近いかもしれない。伝承では、淫魔王は女性特効のスキルを持つ。淫魔王の前では、当代最高位の女性冒険者ですら無力化されたって話だ」
視界の端で、カナメのうつむいた横顔を俺は確認する。
ためらいを押し込み、俺は言葉を引き出す。天板に置いた手は、気づけば固く握られていた。
「初代・二代目ともに、〈女神の祝福〉の才能を持つ英雄──ランズとダークが討ち倒した。英雄が現れるまでは、人々は怯えて暮らした。……初代淫魔王の時代、何が起きてどれほど続いたか、わかるか? カーラ」
尋ねると、カーラの視線が泳ぐ。
数拍おいて、途切れがちに彼女の口から答えがこぼれた。
「じゅ、授業で聞いた話だと、七百年前から六百年前の、百年。人類は、〈魔大陸〉に連れ去られて、奴隷に……だったはず」
「正解。大陸北方の〈魔の島〉を経由して転移できる〈魔大陸〉へ、人々はさらわれ続けた。初代淫魔王は好色で残忍──そう伝わっている。さらわれた者は玩具のようにもてあそばれた。ランズが討つまで、百年もの間」
マリーの前のグラスで氷が鳴った。いまは誰も飲み物に手を伸ばさない。
「ここまでは、前回クエストの時に聞いたような話ね。それで? あなたは……」
ためらいがちに、アリスが声を上げる。
言葉尻が小さくなる。彼女にその先を言わせず、俺は告げた。
「俺が淫魔王を殺す」
口にした途端、鼓動が速くなった。
心音が五人にまで聞こえそうな静けさの中、俺は彼女らの様子をじっと見守る。
カナメも、アリスも、カーラも俺のことを食い入るように見つめていた。
口を開きかけたアリスが、何も言わずに閉じる。
対照的に、マリーの動きは怖いほど静かだ。
胸元で両手を組み、祈りを捧げ始める。水色のまなざしは、俺から離れなかった。
その傍らで、ルールルーが黒帽子のつばをつまむ。
彼女は一拍だけ目を伏せ、再度紫水晶のような瞳をこちらへ投げかける。無言の同調が、彼女から伝わってきた。
「な、んで」
アリスが声を絞り出す。
俺はしっかと拳を握り、話を続ける。
「俺が、そうしたいからだ。俺は祝福持ちじゃない。けれど、俺は男だ。淫魔王を殺せる可能性を秘めている」
「バカげてるっ」
アリスが足の長い椅子から降りた。
俺に指を突き出して、彼女はまくしたてる。
「祝福を持たない男が、淫魔王を倒す? そんなの、できるわけがないっ。淫魔王を倒すために、ランズとダークはレベル10まで上げたっ。歴史上、ランズとダークを除く男の最高レベルは6だって知らないのっ? ──あなたにだって……っ」
「知ってるさ。そのうえで、俺もレベル10を目指す」
「そんなの……」
「無理じゃない。勝算はある。──俺はこの学校にいる間、ひたすらダンジョンを攻略する日々を過ごす。レベルを上げるには一番の近道だからな。各国の四元素ダンジョンだって攻略する。失う経験値も計算して、踏破するダンジョンと時期も選ぶ。根性だけで目指すつもりはない。……そのクソみたいな日常に付き合ってくれる人間を、俺はいま、探している」
「!」
「みんなを呼んだ理由が、それだ。俺と共にダンジョン攻略したいという物好きだけ、この場に残ってほしい。──引き止めはしない。断固たる意志がなければ、きっと成し遂げられないだろうから」
「……でも、淫魔族が動いているからって、王まで近いうちに復活するとは限らないでしょう!?」
「ああ。〈闇の華〉の件だけで、そこまでは断言できない」
「なら、どうしていまから……!」
「復活してから強くなろうとしても、間に合わないかもしれない。俺はまだレベル3だ。何年かかるかも分からないからこそ、いまから始めたいんだ」
アリスは立ち尽くし、表情の置き場を失っていた。
俺はカウンターの内側を出て、彼女の前に立った。
そっと右手を伸ばし、褐色の首筋に巻かれたチョーカーへ触れる。革が体温を含んでいて、脈が薄く指先を叩いた。
かつて俺が巻いたチョーカーをさする。
いまにも泣き出しそうな婚約者に、俺は語り掛けた。
「アリス。君が入学前に思い描いてた学校生活とは、きっとかけ離れた生活になると思う。もしかしたら、卒業後もレベルを維持するため俺は戦い続ける。それでも、俺はやり遂げたい。……だから、こんな男のことなんて、忘れてくれ」
「……っ」
「すまない」
謝罪だけ残し、俺はチョーカーから指を離す。
他の四人にはなんのことか分からなかったことだろう。けれどアリスには届いた。
下唇に歯を立て、彼女は涙の代わりに視線で俺を射た。怒りとも、悲嘆ともつかない熱が、瞳の奥で揺れている。
「……どうしてなんだ? 君が、そこまですることなんて──」
横合いからカーラが尋ねた。
問いを受け、俺はアリスからカーラへ向き直る。危険も苦労も承知のうえで望む理由を、どう伝えればいいだろう。
「みんなは、この世界は好きか?」
「え……?」
カーラの返答を待たず、言葉が勝手に前へ出る。
異世界で育ってからずっと抱いていた感情を、俺は吐き出した。
「俺は、好きなんだ。ミカが、リヴィエ村が──俺を取り巻くいまの世界が、大好きなんだ。母さん、ふたりの父さん、姉妹兄弟たち、祖父母、友だち、近所のみんな。俺を鍛え、育ててくれた人たちのことが、愛しくてたまらない」
生前やり込んだゲームと似た世界に、何の因果か転生して。
この、人の死が軽い世界でやっていけるか不安な中、母や周りの人々が生き方と仕事の仕方を俺に教えてくれた。
才覚と原作知識だけでは、ここまで来られなかった。
いまでは実家の商売に貢献し、多くの人から尊敬を受けることができている。
生前よりもはるかに濃密で、充実した人生を送っている。
いつの間にか、俺は元の世界よりこの世界のほうが好きだと感じるようになってしまっていた。
「俺の手で百年の不幸を防ぐことができるかもしれない。なら、俺は戦うよ。俺を愛してくれる人たちには、笑顔でいてほしいんだ。──俺が苦労するのは構わない。それ以上の多くの幸せを、俺はすでに受け取った」
言いながら、俺は五人の表情を順に拾う。
誰も口を挟まなかった。アリスも立ったまま、俺の話を聞いている。
最後に、カナメと目が合った。
彼女はわずかに眉を寄せ、俺を見つめている。
どうして、いままで黙っていたのか──まなざしに、そんな問いを感じた。
俺は黙って、彼女の目を見返し、やがてうつむいた。
伝えるべきことは話した。
俺は顔を上げる。五人から一歩離れ、続けた。
「……三十分後に戻る。その間に、俺と同じ覚悟を背負うか決めてくれ。決して、俺への義理だけで残ろうとはしないでほしい。断っても、みんなが大切な学友であることは変わらないよ。──それじゃ」
アリスは視線を逸らさない。金の瞳に怒りと戸惑いを浮かべたまま、俺の行く先を追っていた。
ほかの四人も、まだ席を立たない。返事を待ちたい気持ちを抑え、俺は扉へ向かった。
正直、全員に残ってほしい。もうひと言頼めば、誰かはうなずいてくれるかもしれない。
その言葉を呑み込んで歩く。扉までの距離がやけに長かった。
いったい、何人が残るだろうか?
汗ばんだ手でノブを握る。
振り返れば、きっと頼んでしまう。俺は前を向いたまま扉を開けた。




