幕間13:代役計画(シャロンSide)
-シャロンSide-
「それで、シャロン。現ギルドマスター──オルガの意向を教えてもらいましょうか? ……私が議席を退いてから、随分と方針が変わったようで?」
そう言って、リンダ・リーダは私を見下ろした。
モブ・アイカータが部屋を出たのを見計らってからのことだ。
紫紺のローブの裾が床石にかすれ、抱えたとんがり帽子の縁に指が軽く触れる。視線はまっすぐ、揺れがない。
世界で七人しかいないレベル8のひとり──彼女がそこに立っているだけで部屋の温度をわずかに下げる。
私は椅子の背に片手をかけ、もう一方の手で葉巻を取った。
「──我々としては、復帰していただけると助かるんですがね」
冷え切った魔女の視線は一旦無視する。
図太く振る舞えとは、かのギルドマスターのオルガ・ブラウンロックの教えでもある。
私はスモークトレントの樹皮を巻いた高級葉巻を口元へ寄せた。
樹脂の香りがふっと立ち、芯が赤く灯る。
ゆっくり吸い込む。煙は細い筋になって喉の奥まで満ち、ゆっくりと口中に広がる。
ひと息だけ鼻へ抜くと、燻した木の香りが鼻腔を撫でる。
余韻を残したまま、吐息で白い線が揺れた。
銀の灰皿の縁に長く伸びた灰をそっと預けると、室内の空気が重みを取り戻す。
私は視線を上げ、リンダの銀色の瞳を正面から受け止めた。
「淫魔族が復活の兆候を見せた今、女神教は今まで以上に『祝福』持ちの男子探しに躍起になる」
葉巻を灰皿に置き、私は指を組む。
「とはいえ、六百年前も二百年前も、淫魔族が現れてから長い間『祝福』持ちの男子は現れなかった。今回もその可能性は高い。だが、ギルドは五十年も百年も待つ気はない」
「──! まさか……」
リンダも察したようだ。
彼女のまつ毛がわずかに震え、帽子を抱える腕に力が入っている。
「オルガさんは代役計画を再開するつもりです。モブ・アイカータはそのための旗印となる。『祝福』持ちの男子が見つかるのが先か、数多の男子の中から淫魔王を倒すほどの力を持った男子が現れるのが先か」
「……二百年前の代役計画は失敗に終わったと伝わっています。結局のところ、被験者たちは苦行に耐えることができず、自殺する者も多かったと」
ギルドの史料によれば、第一次代役計画では被験者の男子に禁欲と、男子だけでのダンジョン踏破を課した。
当時の選りすぐりの若者たちは、初めは淫魔王を倒したランズのような『英雄』になる期待に胸を躍らせたという。
しかし、長期の禁欲は彼らの精神を蝕んだ。
いくら管理を強めても、興奮を落ち着ける薬草を調合して飲ませても、暴発耐性の装備を揃えても、彼らはひと月に一度は経験値を失った。
いくら支えようとも、彼らだけで上級ダンジョンを攻略できずに次々と命を落とした、と伝わっている。
(──去勢の項は、封印指定されて詳しい情報を得ることはできなかった。ただ、被検体に思わぬ事態が起きたとだけ記されていた……)
人体実験含めて、当時あらゆる手段を用いて冒険者ギルドと四大国は英雄を作り出そうとした。
そして成果を上げる間もなく『祝福』持ちの英雄ダークが現れ、第一次代役計画は中断することになる。
私はもう一度葉巻をくゆらす。
銀皿に灰を落としてから、リンダに向かって言った。
「第一次での反省を活かすそうです。今回は自主性に任せ、ギルドは間口を広げるだけと言ってました。何万、いや将来的には何十万という男子に機会を与え、その中から天才が出てくるのを待つと。教育と同じですよ。教育は画一的な人材を作ることに長けているが、望んだ天才を作り上げることはできない」
「……シャロン。それは、冒険者学校の男子生徒の在り方を変えると?」
「そうなるでしょうね。来年から、多くの初級・上級冒険者学校で男子専用クラスを設けることになる。男子をサポート役に誘導する専用授業は縮小・統合の方向で検討しています。それが何年続くかはわからない。十年か、二十年か。それとも百年か……。いずれにせよ、淫魔王が現れた時のために、我々は備える必要がある。『祝福』だよりを、我々はよしとしない」
リンダは静かに首を振った。
視線を落とし、考えを噛みしめるように唇を結ぶ。壁の時計がひとつ刻まれ、音がやけに大きく響いた。
「……教育制度の詳細は、オルガと議論します。シャロン、あなたにも分かるはず。現行の取り組みは、四大国との外交やギルドの運営・人材確保で長年成果を上げてきた。上位階級やギルドにとって有能な人物を囲い込むために、サポート役男子を育成する意義は高い」
「ええ、もちろん。……あなたのお孫さんも、私の孫も、決して他人事でない。急な制度変更は、私も望んではいないですよ」
リンダの周囲で空気がわずかに歪んだように見えた。
こめかみに汗が一筋落ちる。私は姿勢を崩さず、言葉を継いだ。
「聞けば、レン・リーダはモブ・アイカータの背を追っているとか。本人が戦うことを望めば我々は支援しますよ」
「──シャロン」
「おお、怖い。あくまで例え話です。……こちらから無理強いはしません。現時点ではね」
沈黙が走る。リンダはローブの襟を整え、目線だけで圧を重ねた。
紫紺の布が指先に沿って静かに落ち、とんがり帽子のつばが胸元でわずかに揺れる。
やがて、彼女は踵を返す。
これ以上は不要──そう言外に告げる仕草だった。私は立ち上がりかけ、言葉を添える。
「見送りますよ」
「不要です。あなたも忙しいでしょう、シャロン」
肩越しに銀の瞳がこちらを射た。
その視線に、胸の内側まで覗かれたような心地が残る。背の革椅子が小さくきしんだ。
扉が静かに閉まる。
私は革張りの椅子に身を沈め、天井を仰いだ。葉巻を深く吸い、樹脂の甘味を口内に満たす。
──第一次の教訓を踏まえた第二次代役計画は、果たして形になるのか。
成果が出るのは数十年後、数百年後となってもおかしくないと、私は悲観する。
非力で脆い男たちに未来を託すことの、なんと頼りないことか。
口元がかすかにゆがむ。煙を吐くと、白い線はすぐにほどけた。
男神アラオンが生み出したとされる、女性特効の存在──淫魔王と淫魔族。
女神が生み出した人間とその社会に嫌がらせするためだけに、生み出されたような連中。
いつか人類は彼らを克服することができるのだろうか? 英雄を量産して対抗することができるようになるだろうか?
(それまでに何人の男が犠牲になることやら……)
片手でまぶたを覆い、視界を閉ざす。
手のひらの温度がまぶたに移り、呼吸だけが静かに往復した。
(だが、それでも我々は歩みを止めてはならない。何度でも試行しなければならない……)
後世のために、試行を重ねることが最優と冒険者ギルドは判断した。
ならばその意志に従って計画を遂行するのみ。
まぶたの裏に、一人の男の姿が浮かぶ。
モブ・アイカータ。
願わくば、あの男が英雄の代役となってくれるよう──私は祈った。




