第42話 結末、そして秘密の共有
「──モブ!」
「!?!?!!!!」
カナメが距離を詰めてきた。
……というよりは、飛び込んできた。
俺は両手を広げて銀の流星を抱き止めようとするも空ぶる。
カナメは俺が想定していたよりも高い位置で抱きつく。
抱きつき方がもはやおさるさんである。
今度肩に乗せてやろうか──じゃなくて!
(うおぉおおおおッ!? ま、股とおへそが眼前にッ!!)
カナメの下腹部に頬がくっついた。彼女は刀を手放さず、鍔が俺の首の付け根に当たる。
クリーム色の寝巻は戦闘の余波なのかところどころ破け、特におへそは丸出しである。
汗や血、布の焦げたにおいが混じり合って鼻に刺さる。
顔は柔らかいモノで包まれ、視界は赤みを帯びた肌で埋まった。
喜びより気恥ずかしさが大いに勝り、体温が一気に上がった。
カナメは両腕と両脚を俺の頭と首に絡める。振りほどくことができない。
倒れかけるのと暴発するのを、俺は何とか踏み止まってこらえた。
「よかった、よかった……!」
「た、体調! 体調、もう大丈夫なのか!?」
「おお、そうだった!」
カナメが俺から降り立つ。宙返りで着地した。
銀の髪を振り、人差し指を立て、彼女は左手を突きあげた。その左前腕には、黒き蛇模様はもうない。
「我、復活!」
「……さようで」
「うむ! いまはおかげですこぶる調子がよいぞ!」
「おかげ?」
「い、いや。気にするな、言い間違いというやつだ。とにかく!」
どことなく歯切れが悪い。カナメの視線が一瞬だけ、左腕の消えた蛇紋を撫でる。
俺は不審に思うも、カナメはさえぎった。
腰を下ろし、彼女は正座する。深藍の瞳を俺たちに向けると、彼女は深々と一礼する。
再び顔を上げて、凛とした声を発した。
「モブ、アリス、マリーよ。感謝する。本当に迷惑をかけた。救助に来てくれた恩義、我は生涯忘れぬ。何かあれば、必ずやそなたらの力になろう」
「あら、嬉しい」
「迷惑だなんて……。仲間ですもの、お力になれてよかったです」
側に寄ってきたアリス、マリーがそれぞれ口にする。
俺は頭をひとかきした。
「こっちこそ助けることができてよかったよ。ずっと体調悪いのに連れ去られて、心配してたんだ。連れ去られた理由は、わからずじまいか?」
「──その前に」
アリスが口を挟む。
彼女は指をある一点に向けた。
「あれと、マリーのこと説明してもらえる? なんなのあれ? ルールルーとでも言うの? リオラは大丈夫なの?」
「……ああ」
アリスが指差した先にいるのは、とんがり帽子を被った紫色の大型スライム。
眠るリオラを取り込んだまま、ふよふよとマリーの側に鎮座している。
ルールルーのスライム形態。
恐らく、回復措置のためリオラを体に取りこんでいる。原作ゲームでも、ルールルーが主人公を呑みこんで回復させる描写があったのを、俺は思い出した。
膜の側面に小さな気泡孔が開き、リオラの胸は規則正しく上下している。
俺はマリーとルールルーに目配せする。
マリーがうなずいたのを見て、俺はカナメとアリス二人に事情を話すことにした。
□
「なんと……!」
「マリーが半淫魔で、ルールルーの正体が大昔の魔法学者が造った合成獣? ……なんだか頭が痛いわ」
「ああ。目で『視て』、俺は二人がそういった出自であることを、知ったんだ。それから、注意深く二人を観察していた。危険じゃないかって。──でも、ひと月監視し続けて、わかった。二人は危険じゃない。ただ、普通の学校生活を送りたいだけだって」
嘘である。
二人とも原作ヒロインなので、俺は全く危険と思わなかった。
説得力を持たせるため、俺は目で情報を得たと言い換える。
「モブ様、ありがとうございます」
マリーが深々と頭を下げる。
顔を上げて、彼女はシスターヴェールの揺れがおさまるのを待つ。
首輪から吊り下がった紫水晶に触れながら、彼女は言った。
「ですが、それだけでは私への疑念は拭えないことでしょう。──この場を借りて、少しよろしいですか?」
水色の瞳が俺の目を覗き込む。
何かを期待するように、細めたまなざしを彼女は俺に向ける。
続いて彼女は、カナメとアリスのほうを見やり、ゆっくり言葉を紡ぎ始めた。
「──私が、淫魔の血を引く女と気づいたのは、半年前ほどのことです。女神教国で修行する中で、私は日に日に増していく激しい衝動に悩まされていました」
マリーは指を組み、天に祈るような所作に移る。
壁に立てかけた杖の先の、火晶石ランタンの灯りが彼女の表情に陰影を作る。
「その衝動、っていうのは?」
「──はしたない話ですが、その……」
「む?」
「いや、言いづらいなら言わなくてもいいぞ。うん」
「なに? はっきり言ってほしいわ」
俺が待ったをかけると、アリスが強めの語気で説明を迫る。
頼むから察してくれんか? 諦めて、俺はマリーに代わって口に出す。
「……性欲だよ」
「も、モブ様!?」
「んなっ……!?」
「──ああ、そういうこと」
マリーが頬を朱に染めて声を張った。男の俺が素直に口にしたことに驚いている。
俺の隣で聞いていたカナメもまた、顔を真っ赤にして呆けている。
アリスだけがあっけらかんとうなずきを返した。
「ムラムラするのなんて、誰にだってあるじゃない。半淫魔だとすごいの?」
「な、なにを聞いとるか貴様ァ! 恥じらいはないのか!?」
「そ、そ、それはそうなんですが!! そのっ!!」
「女神教のシスターって、婚姻も子づくりも盛んでしょ? 『生命を産み、育むことが最も尊い使命である』とか『多くの子を授かることは最大の祝福である』とか、うたってるじゃない? 聖女候補だと違うの?」
ずけずけとアリスが聞く。
確かに前世でのシスター像と異なり、女神教のシスターは性に奔放である。
リヴィエ村のミレーヌ──シスターで村長の娘──や、村付きのシスターに迫られた数は両手の指では収まらない。
まるで濡れたような、重みを帯びた声を、マリーは上げる。
「……聖女候補は、その。高レベルを目指す関係で修行に重きを置いてるというか。でも、私の他の候補は従者を従えてわりと発散していたんですが、私はその……」
俺は衝撃を受ける。まじ? 他の候補はそんなんだったの?
興奮をエロ仲間に共有したい衝動を抑えつつ、俺は傾聴する。
ゲームの設定上は、マリーは純潔だったはずだ。
そのためかこの世界では変人扱いされていたことだろう。俺も似た境遇なので痛いほど理解る。
「ど、どうにも、女神教国内の男性に魅力を感じることができず……。そ、そればかりか、冒険者学校に入学するまでは男性相手に興奮することがなくて……」
言い終えるや否や、マリーは両手で顔を覆った。
耳の先まで赤くする。
『何を言わせてる』と言わんばかりに、隣のカナメはアリスをねめつけている。
それはそう。こんなの、ほとんど公開羞恥プレイみたいなものだ。
一方でアリスは首を縦に振って、力強く同意している。
「その気持ち、すっごくわかるわ。私も似たようなものだったし」
「あ、アリス様……」
「で、その衝動に悩まされて、どうしたんだマリー?」
俺は口を挟んで話題を軌道修正する。
こほんと、ひとつ咳ばらいをして、マリーは言葉を継いだ。
「私は、衝動に悩む中、自らの中で育っていたもう一つの欲求に気づきました。自身を縛る何かがあると、肌身で感じたのです」
マリーの左手が首元の紫水晶に伸びる。
魔道具〈才能封じの首輪〉。
本来は特異なスキルを持つ囚人に使うような高級魔道具であるが、彼女は自身のスキルを封じ込むため、自らの意思で首輪を巻き続けていた。
ランタンの火にさらされた紫の鮮やかなきらめきを、俺はじっと見つめる。
「いまの自分が自分ではない感覚は、私を狂わせかけました。眠りも浅くなり、食も細くなる一方……。結局私は、耐えられませんでした。違和感を取り除きたいという欲求は育ち、身悶えする中、私は自らを縛る枷を見つけた。気づいた時には、この首輪に手をかけていました。『決して首輪を外すな』──育て親である孤児院の院長先生の言いつけを破ったその時……」
喉仏が上下する。
全員がマリーの言葉を待ちわびて、洞の中にひとときの静寂が生まれる。
マリーはためらったのち、目を伏せながらも言葉にした。
「──ちょうど同じ部屋にいた男性たちは、私に『魅了』され、一瞬で気を失ってしまった」
隣のカナメが息を呑んだ。
俺もまた、マリーの語り口に聞き入り、あいづちを返すのも忘れていた。
アリスは髪を耳にかける。恐る恐るといった様子で、マリーに彼女は問いかけた。
「……その人たちは死んだの?」
「いえ。一週間ほどして、日常生活に戻られておりました。ただ……」
マリーが言葉を濁す。
促すように、アリスは問いかける。
「なにか、あったってわけね?」
「──はい。彼らは才能ある若者たちで、レベル2の女神教徒でした。ただ善意で私を看護してくれていた。そんな彼らを、私はものの数秒でレベル1まで落としてしまったらしいのです。同じ部屋にいたというだけで、彼らは精気を失ってしまった……」
想像するに恐ろしい光景ではある。
俺は背筋に汗が一筋垂れるのを感じる。
「何より恐ろしかったのは、私の心でした」
「む?」
「私は、彼らが床に崩れ落ち恍惚に浸る姿を見て、こう思ったのです。『……ああ、なんておいしそうなんだ』と」
「……なるほどね」
心なしか、アリスの声が上ずっているように聞こえた。
マリーの瞳に陰が差したのを俺は見る。
気にした素振りを見せずに、マリーは語り続ける。
「周りには、私の仕業と怪しまれなかった。魅了されたはずの彼らは、私に都合のよい証言をした。……いえ、魅了されたからこそ、彼らはそうした。嘘をついている様子もなく、まるで本心のように、なにがあったかわからないと彼らは口をそろえて言った」
「……むぅ」
「以降、私は淫魔として覚醒してしまった。それまで異性に触ってもなんともなかったのですが、あの日を境に、私に触れる異性を『魅了』するようになったのです」
「なんと……!!」
「それは、なんというか、むごいわね」
カナメとアリスが驚くのも無理はない。
二人とも、表情のベクトルは違えど、同じくらい本気で驚いているのが伝わった。
俺は片眉を上げ、マリーの言葉の続きを待った。
「恐ろしくなった私はすぐに聖女候補を辞し、女神教国を後にしました。自身が何者かがわからず怖くなったのです。なぜ私に首輪をかけたのか? それを確かめに院長先生を問いただすも、孤児であった私が何者かまでは、わからなかった。赤子の時に似たような出来事があり、力を封じただけと、先生はおっしゃってました」
「なるほどね」
俺はあいづちを打つ。
赤子の頃のマリーの暴走。孤児院の院長は、なぜ高級な魔道具を使ってまで彼女を守ろうとしたのか。
彼女に流れるもう一つの血筋が、保護の継続に繋がったのだろうと俺は察した。
「この身に淫魔の血が流れていると、私は確信しています。幼き頃から持ち得ていた、人並外れた腕力と魔法の才。かの伝説の淫魔族のごとき魅了の御業。……浅ましい衝動。そしていまもなお──」
そうしてマリーは俺に視線を合わせる。
水色の瞳は潤みを帯びる。
今にも泣きだしそうな表情を、彼女はたたえた。
「体が強く、異性を求めてしまっている」
カナメとアリスの表情が強張るのが、見なくても伝わった。
マリーの言葉を、俺は聞き入る。
「初めは、自身の秘密を探すための力を求め、冒険者学校に入りました。レベルを上げることで、世界を渡り歩く力を得ようとしたのです。同じ時期に魔導塔を辞めたルーからの誘いがあったことも大きかった。──けれど、いまやもう初心を忘れかけるほどに、私はあなたのことを目で追ってしまっている。……ひと目惚れ、でした」
マリーが俺に向かって一歩詰める。
飛びかかろうとするカナメとアリスの気配を、俺は手を軽く上げて制した。
まっすぐに、俺はマリーと向き合う。
「私を見下ろす瞳。鍛え抜かれた肉体。人を導く強い精神。何もかもが新鮮で、日に日にあなたへの想いが募っていく」
淫魔の血を引くがゆえの高い魅力値。
その蠱惑的な肉体とフェロモンは、容易に男を溺れさせる。
吞まれないように、俺は拳を固め、自分を奮い立たせた。
「レベルが下がろうとも、あなたは歩みを止めない。自らを厳しく律し、道なき道を歩み、強くあろうとする。──そんな気高く美しいあなたを、いつか私は欲望に耐えかね、誘惑するでしょう。衝動が膨れていくのが、わかるのです。それでも……」
マリーが顔を傾ける。
胸の前で、再び指を組みながら、彼女は言った。
「──私は、あなたの側にいてもいいですか?」
心拍がひとつ跳ねる。生唾を、俺は飲み込んだ。
話を始める前に、マリーが期待を込めて俺を見た意図を、ようやく知る。
回答次第では彼女は学校を辞し、望まぬ形で再会することだろう。
もしくは永久に交わることがなくなるか──。
わざわざ身の上を話し、自身の危険性を訴えたうえで、マリーは俺に問うた。
その気遣いに、俺はまぶしさを覚える。
だからだろう。
俺の答えは、すぐに決まった。
前に出る。マリーの組んだ手に、俺は自身の手を重ねた。
「──!?」
「──も、モブッ!?」
「なにしてるのっ!?」
マリーが目を見開き、カナメとアリスは叫ぶ。
俺の視界に、ピンクのオーラが浮かび出す。マリーの体の周りに、ハートが浮かんでは消える。
俺は奥歯で自分の舌を痛めつけた。『魅了』状態に抵抗する。
ここで『魅了』されちゃあ男が廃る。その一心で、俺は抗い続ける。
拒絶されても仕方がないと自身に言い聞かせていたのか、マリーの手は震えていた。
その震えを、俺は押さえつけて言った。
「前も言ったろ? 俺はマリーとレベルが同じで、ほかの男と違って、耐性があるってさ。もしも襲ってきたら、返り討ちにしてやるよ」
「あ……」
マリーの口から息が漏れるのがわかった。
指先のこわばりが、触れているうちに解けていく。
手のひらに伝わる脈は、先ほどよりも穏やかだった。
「心配するな、マリー。俺はそんじょそこらのやわな連中とは鍛え方が違う。君にも負けない。それに、君には秘密を共有する友達も増えただろ?」
マリーははっとしたように目を見開く。
恐る恐る、彼女は周囲を見渡した。
刀の柄に手をかけるカナメと、レイピアを抜いたアリスがそれぞれ肩をすくめる。二人の影が床で並び、灯の揺れに合わせて重なったり離れたりする。
「俺やルー以外にも、君を知る強い友達ができた。カナメとアリスなら、俺と一緒に君を止めるよ。きっとな。だから安心してくれ。君は、俺たちの側にいていい」
「……っ」
マリーが俺の手にゆっくりと額を落とす。
ややもして、肩を上下させた。
嗚咽と共に、俺の手の甲に雫が垂れる。
何度も雫は俺の手を叩いた。
俺は、胸の奥で固く巻いていた糸が、少し緩むのを感じた。
そんな中、俺の背にカナメが力強い言葉を浴びせる。
「少し驚いたが、今やマリーも我が友のひとり。素性がどうあろうともな! 何かあれば、我が止めて見せよう!」
カナメらしい発言に俺は笑みを浮かべる。
続いて、アリスの言葉も耳に届く。
「……事情はわかったわ。でも、モブに襲いかかるようなことがあったら、私はなんのためらいなく、あなたを殺すわよ?」
「はい、はいっ……」
マリーが力なくうなずく。彼女の涙は止まらない。
受け入れられる喜びというのは、胸に沁みるものだ。
密かに近寄ってきた紫色のスライム──ルールルーがマリーに身体をこすりつける。ルールルーなりの慰めだろう。
マリーが顔を上げるまで、俺たちはしばらくの間、そうしていた。
その間、俺はずっと舌を噛んでは耐え忍ぶ。このくらい、楽なもんだ──と、自分に言い聞かせた。




