第40話 怪力僧侶の秘密
-モブSide-
春シーズン第四週の四日目、午前。
俺、アリス、マリーの三人はリヴィエ地下迷宮に辿り着いた。
遠目に見えるダンジョンの入口は、岩肌を削った坑道そのもの。周囲に魔除け札と油ランプが等間隔に吊るされている。
見上げれば中空に、アリスの自家用浮遊帆船が係留索で留まり、帆布が朝の風に小さく鳴る。
春先の風で息が冷え、土と苔の匂いが鼻をかすめた。
「あれが入口かしら?」
尋ねながら、アリスは帯刀したレイピアの位置を指で調整する。
もう一方の手で赤い外套を口元に寄せ、彼女は吐息を隠した。
「ああ。もとはただの坑道だったって聞いてる。近くのダンジョンが潰れて、二百年前にあそこに異界が生まれたって話だ」
「そうなのですね。受付は……あそこでしょうか」
マリーが着地の拍子に付いた土ぼこりを払う。
青い僧衣の裾が、風にはためいた。
「船は空中に停泊させておくわ。行きましょ」
「ああ。カナメとルールルー、リオラが待ってる」
俺は手もとの赤竜革の魔導板帳を閉じる。
外套を翻し、俺たちはダンジョン前の見張り小屋兼受付に向かって駆け込む。
小屋は丸太組みで、窓には棚板と通行記録の板札がびっしり並ぶ。中からはインクと革、湿った古紙の匂い。
呼び鈴を鳴らすと、係の女狩人が帳面を抱え身を乗り出した。黄緑の帽子を彼女は被り直す。
クエスト票を渡す。
いぶかしげに、彼女は受け取った紙に視線を落とした。
「救助クエ? スタンピード明けの戻り個体、観測なしだけど……」
「地下道があったみたいで」
「ふーん……。まあ、シルさんの署名もあるし……。はい、これで」
受付簿への署名と許可印が押された。
通行許可を得るや、俺たちは再び走り出す。
足もとで砂利がはぜる。
洞穴の口から吹き出す冷気が小屋から漏れた暖気を押し返すのがわかった。
□
リヴィエ地下迷宮の最初のフロアで、俺たちは一旦足を止めていた。
火晶石ランタンを背丈ほどの杖の先に吊り下げ、掲げる。
洞穴内に漂う空気は冷たく、さらした頬の産毛を逆立てる。
ランタンの光源は洞穴内を照らし、石床や岩壁に生えた光苔の淡い輝きを塗りつぶす。
天井の低い部分では、鍾乳の雫が灯に反射して光る。奥へ続く通路は緩やかな下り勾配で、道の先は影で隠れていた。
「このダンジョンはどういったダンジョンなの?」
赤竜革の魔導板帳──カナメに贈った青竜革と対の品──を再び取り出している途中。
アリスが横合いから話しかけてきた。
外套の袖口が灯りをすくい、彼女の褐色肌に薄い光が差している。
俺は魔導板帳のページを開きつつ、質問に答えた。
「第五層からなる異界型で、レベル1から3のモンスターが生息している。スライム種、蜘蛛種、鼠種がメイン。スタンピード後でも、構造の変動は少ない傾向にある。らせん状に地下に下りてくことになると思う。〈特殊徘徊魔物〉は、第一層にいるけど、こちらから手出ししなきゃ襲ってこない」
「さすがに詳しいわね」
「十二歳の時から世話になってるからな」
手元の板帳に魔力を通す。赤い魔力光がきらめいた。
アリスがさらに近寄ってくる。俺の背に控えていたマリーも身を乗り出す。
三人揃って板帳の同期が終わるのを待った。
先行して潜入したルールルーが、定期的にこの魔導板帳を通して情報を送付する手はずとなっていた。デルヴァン家で分かれて以降、何度も同期を続けたことで、俺たちは彼女の状況を逐次把握できていた。
カナメはどうなったか。リオラはどうなったか。
新しい情報が手に入ることを、俺たちは期待して待つ。
やがて、魔力紙に文字が浮かび上がる。
(藍色……! カナメか!)
先ほどまでやり取りしていた紫色の文字ではなく藍色──俺はカナメの書き込みであると理解る。
気づけば前のめりで俺は板帳を覗き込んでいた。
目を凝らして、俺は文を読もうとする。
「──まあ♡ あらあら」
「へえ……」
「ん?」
両隣は書き込まれた文字を認識したようだ。恥ずかしながら俺はまだできていない。
もしかして字がでかい? 俺は腕を伸ばし、板帳を見る。
そして、ようやく何が書かれているのかを俺は理解した。
──たったひと言。
ページをまたがって、藍色の達筆な字が、刻まれている。
《好きだ》
「ぶふぅっ!?」
俺は噴き出した。すぐさま口を袖で拭う。
みるみるうちに体熱が上がっていく。
「へえ……、へえ~……。情熱的ね。ルールルーでは、なさそうね」
「ええ、あの子ではないと思いますけど……。からかっているのかしら? あの子、案外そういうところ、ありますから」
ランタンの鎖がきい、と小さく鳴る。
俺はおぼつかない手で前のページをめくる。
ルールルーからの新しい共有はない。
勢いよく魔導板帳を閉じ、本に顔を埋めた。竜革の匂いが鼻を満たし、頬の火照りを冷ます。
恥ずかしさ半分、嬉しさ半分。
カナメの無事を知り、俺は大きく息を吐いた。
胸の底にたまっていた冷気が、ひと息で抜けていく。
──だが、浸っている暇はない。リオラの救助に向かわねば。
(ときめくな俺、揺れるな俺、これは何かの間違い……! 俺たちは親友、そうだろうカナメ……!!)
「か、カナメと合流できたみたいだな、ウン。ヨカッタヨカッタ」
「あらあらあら♡ こちらの字、カナメ様でしたの? よくおわかりで」
「へえ~……カナメがね~……へえ~。ここまで仲良くなったのね、あなたたち? 私を、差し置いて……」
「先行くぞ、先! まずは右手側──」
何を思ってカナメがこの単語を選んだか知る由もない。だが羞恥だけで俺は身を焦がしそうであった。
魔導板帳を腰の携帯袋にしまう。からかってくるひとりと、棘を剥き出しにするひとりを置いて、俺は歩き出そうとする。
その途中、脳裏に響く声を聞いて、身構えた。
ランタンの炎が一度だけ針のように尖り、俺は手のひらを汗で湿らせた。
【──はあ!? 今度は、侵入者? ああもう! こんな時に……ってあれ?】
少年のような声。
アリスとマリーと顔を見合わせ、全員が聞いていると知る。
腰のダガーホルダーに指をかけつつ、俺は謎の声に耳を傾けた。
□
【同胞! 来てくれたんだね! よかったぁ~】
俺たちは一斉に首をかしげる。
『何か知ってる?』『さぁ?』と言わんばかりに、お互いの目を見ては肩をすくめる。
三人分の影だけが床の石目に重なる。
俺は音の出所を探す。注意して洞穴内を見回すも、モンスターの姿はない。
水の滴りが間遠になり、空気が沈む。
通信魔法のような仕組みで一方的に脳内に届いているのかと、俺は疑い始める。
声の主は変わらず、焦りを孕んだ声を上げる。
【あなただよ、あなた! そこの青い方! 淫魔様なんでしょ!? 前のと違って、男神の波動をびしびし感じる! 僕を植えた方とそっくりだ!】
「……っ!!」
隣のアリスから、血の気が引く音が届いた気がした。
彼女は手早く腰から吊り下げたレイピアを抜く。鞘金具が乾いた擦れを残し、刀身が火晶石ランタンの光を照り返す。そのまま、彼女は刃をマリーに向けた。つま先が半歩進み、外套の裾が膝で止まる。
「どういうことかしら、マリー?」
「……アリス様」
マリーは手を合わせ、祈るような所作でたたずむ。
首元に突き付けられた切っ先を彼女は見ない。ただまっすぐ、アリスを見返す。
僧衣の胸布がひと呼吸ぶんだけ揺れる。
マリーの首元の紫水晶の首飾りが、一瞬だけきらめきを帯びる。
その光が刃の縁に乗り、マリーとアリス、二人の間に薄い線を引いた。




