第39話 カナメと魔法生物(カナメSide)
-カナメSide-
「ル、ルールルー!?」
「ん」
我は片膝立ちでルールルーを見上げる。
帽子に吊った房を彼女は指でいじる。黄色のほうき星が小さく揺れた。
我は屋敷がすっぽり収まるほどの広さの洞穴を見渡す。
我らがいるのは水場の側。水面は静かで、我ら二人の影だけが揺れる。
光苔が暗がりをわずかに照らし、長いまつげの影がルールルーの表情に薄い陰りを作った。
彼女はたたずみ、杖の先端を足元の岩肌に置く。
何も語らず、我を見つめている。
「先ほどのは……」
「……」
ルールルーが帽子を被り直す。
それを見て、我は目を伏せた。思い直してすぐに言葉を継ぐ。
「すまぬ。聞くべきではなかった。……助けに来てくれて、本当にありがとう」
「ん」
我は改めてルールルーを見上げる。
彼女はこくりとうなずき、帽子のつばを下げた。
確かな信頼が視線を通じて伝わってくる。
我を襲う腕の熱も、いまだけは忘れてしまうほどに、彼女と心が結びつく。
我は気を取り直し、立ち上がる。左手を開き、一拍置いて握り締めた。
吐き気と鈍痛はいまだ残るものの、使命感が五体に活を入れる。
側にいる仲間の存在が、我を生き返らせていた。
「ルールルー。なにか武器はないか? 我はあの幼子──リオラを救わねばならん。あの者らには、世話になったからな」
視線を下げ、頭半分ほど低いルールルーと目を合わせる。
我の言葉に応じ、ルールルーはマントの内から魔法の携帯袋一つを取り出した。
彼女が放り出した袋を両手で受け取る。
手もとを見た。赤白の絹糸で縛った携帯袋──我はこれに見覚えがある。
「これは我の」
「モブが持ってけって。それと」
差し出されたのは我の携帯袋だけではなかった。
青竜革の魔導板帳。
モブが我に贈ってくれた大切なもの。
とたんに胸が熱くなる。少しだけ前のめりになる自分に気づく。
ルールルーが開いたページに、視線を走らせた。
ページの左側にはモブとルールルーのやりとりと思しき筆跡が残されていた。
「連絡用に勝手に使った。嫌だった?」
「むむ。き、緊急時だ、やむをえまい」
「ん」
「ぜ、全部、見ておらぬよな?」
恐る恐る尋ねる。
見られて困るようなことは──か、書いていた気もする!
頬が自ずと火照る。
ルールルーが口を開くのを、我はいまかいまかと待ち侘びる。
彼女は少しだけ顔を傾けながら答えた。
「見た。モブとカナメは、愛し合ってる?」
「ぶふぅっ!?」
思いもよらぬ返答に、我は噴き出した。
口元を腕で拭って、ルールルーをねめつける。
いったい何を見てそう思ったのか。
体の熱はますます上がり、背中の産毛まで敏感になっていく。
「な、な、なにを見てそれを!?」
「はじめのほう。モブが愛をつづってた」
「何ゆえ見たバカ者ぉっ!? わ、わ、我は男だ! も、モブとはまだそんな関係ではないっ!」
「まだ?」
「ええい! 言い間違いだ、言い間違い!! いいから、モブたちに連絡するぞっ!! まったく!! わ、我と敵の情報をあやつに伝えねばっ」
我はルールルーから魔導板帳をひったくって、手元に引き寄せる。
自分でも何を言っているかわからなくなった。
耳まで熱い。ひと呼吸吐いて、我は息を整える。
いざ指先に魔力を込めようとしたとき、再び左腕の紋様に焼け付く痛みが走った。
「ぬぐ!」
「カナメ?」
《主よ……》
また謎の声が聞こえる。前よりもはっきり、まるで耳元で囁かれるみたいに。
我が魔力を使おうとするたびに、声が近くなるような気がした。
であればと、我は渾身の魔力を注ごうとする。左手の指先から、力を発した。
「どいつもこいつもいい加減にせんかぁ!! 姿を見せい!! 我の邪魔をするなぁ!!」
魔導板帳の紙に触れながら藍色の極光をほとばしらせる。
紙の繊維が逆立ち、文字の無い頁に波紋が走る。
皮膚の下の熱が高まるとともに、ほどけていく感覚を覚える。
《嗚呼、主よ……。やっと……。主の御心のままに……》
声が遠ざかっていく。
藍色の光がおさまるとともに、我をさいなんでいた気怠さも霧散する。
洞の冷えが素肌へ戻り、胸の呼吸が深く落ちた。
目の前でルールルーが目を丸くしている。
我は左腕に視線を落とす。我の左薬指の根元から走っていた謎の黒紋は、きれいさっぱり消えていた。皮膚は新しい陶磁器のように滑らかで、さきほどまでの熱の名残はなかった。
「お、おお? 紋様が消えたぞ。やってみるものだな」
「びっくり」
「す、すまぬ。迷惑をかけた。……うむ、体が軽い。まるで羽が生えた──」
そこまで言って、我は体を強張らせた。
ルールルーの上半身に巻き付く、半透明の黒蛇の姿を認める。墨に水を落としたような輪郭が、彼女の肩から鎖骨へとするりと這う。
「な、な、な」
「?」
我が指差しても、当のルールルーは気に留めず。
まるで何もないかのように彼女は小首をかしげていた。
《ご機嫌よう、主。お初目にかかります》
声がまた脳裏に響く。
ルールルーの肩で蛇は頭を持ち上げる。
赤眼の黒蛇はちろりと舌を出し、我を見つめていた。
□
(こやつは、何だ?)
我は魔導板帳を胸に抱く。注意深く、その黒蛇を見つめる。
透けて見えるものの、全身は黒い。
背には白斑が二列──数は二十三と中途半端な数であった。
《何者かは、拙もよくわかっておりません、主よ》
(──!? 心が読めるのか?)
《ええ。拙と主は深く結びついておりますので、当然のこと》
蛇はルールルーの体を這うように動く。やがて、影の帯となって跳んだ。
我の首元に巻き付く。
歩幅二つ分はあろう長尺の体を、蛇は我にこすりつける。
肌へ触れる感触は冷たくも熱くもなく、紙の縁で撫でられるような妙な鋭さが残る。
耳元で、蛇は囁く。吐息はない。言葉は心に直接届いた。
《ただ、そなたより生まれ出でた存在であること。そなたが主であること。先ほどまでそなたを蝕んでいた呪熱を、拙が喰らい続けていることは、わかっております》
「──!?」
「……?」
ルールルーは相も変わらず蛇が見えていない。疑念の瞳をこちらに向ける。
我は頬に舌を近づけられ、背筋を震わせた。
舌先は墨の刷毛のように軽く触れ、感覚だけがそこに残る。
目と鼻の先の赤眼をにらみつけながら、我は尋ねた。
(呪熱を喰らう? どういうことだ? なぜお前は他の者に見えない? お前は──)
《質問が多いです、主。それより──》
【──見つけた】
「!?」
ルールルーが左斜め上に顔を向ける。周囲を見渡し始めた。
杖先の灯がわずかに強まり、水面に光が反射する。
どうやら、彼女も闇の華の声を聞いたようである。
《男神の波動が強くなりました、と言おうとしたのですが間に合わなかったようです》
(わ、わかるならとっとと言わんかバカ者ぉ!! ──どこにおる!?)
我もルールルーと同じように辺りを探る。
天井、洞の二つの入り口、水辺。
どこを探しても闇の華の影は見つからない。
《空間です、主。彼の者は異界越しに、我らを監視しております》
(な……!)
【さっきは驚いたよ、たかがスライムが僕を出し抜くなんてね……。人間の姿に変わって──君は何者だい?】
洞の空気が薄紙一枚ぶん縮んだ気がした。
水場のさざ波が止み、光苔の明滅がほんの一瞬だけ拍を外す。
見えない窓越しに、冷えた瞳がこちらを覗き込んでいるような心地だった。
「ルーはルー。あなたも、造られたもの?」
警戒しながら、我はじりと足を運ぶ。自然と膝をため、指先は魔法の携帯袋に触れる。
気づいた時には、ルールルーと我は背中合わせとなっていた。
帽子のつばが我の銀髪に触れる。とんと合わさった背の温もりが心地よい。
背後にいるルールルーは杖をしっかと握り、紫水の瞳を光らせる。
【あはっ。僕は造られたんじゃない、高貴なる淫魔様の手によって産み出されたんだ。君とは違うよ】
「? 違わない。意味するところは一緒。あなた、バカ?」
【……下等モンスターが。なら、これを見てみなよ!】
脳内に闇の華の声が反響する。
洞の二つの入り口──左奥と右手前の穴から無数の大蜘蛛が姿を現した。
糸口が先に現れ、次いで脚が畳まれては開く。赤い眼が炭火のように灯り、甲殻が光苔の下で鈍く濡れた。
入口の縁に白い膜が張り、通路の石が蝕まれる音が遠くで続く。
我とルールルーの影が床に重なり、背の接点で心拍がひとつ揃った。
【僕はもうとっくに、このダンジョンを支配した。ダンジョン核に接続し、ヌシに昇格したんだ。ダンジョン内のモンスターをこうして呼び寄せることもできる。どうだ、君と違うだろう? ──君たちは逃さない。死体にしてから養分にしてあげるよ。……ああ、いいことを考えた】
闇の華がせせら笑う。
表情は見えぬが、狂気を孕んだ声だけで、ろくでもないことを思いついたのだと我は察する。天井の砂がぱらりと落ち、洞の空気が少し重くなる。
【君たちを片付けたら、もう一度スタンピードを起こそう。もっと大勢をさらうんだ。村・街を襲い、生長し続け、僕を産み出した淫魔様たちに成果を見てもらうんだ。もう一人の男神の波動を持つ方にも、きっと気づいてもらえる。ああ、なんていい考えだろう。君たちもそう思わない?】
「悪趣味」
「反吐が出る……!」
【あははっ。なら、止めてみなよ。君たちに、できるものならば!】
合図があったかのように、大蜘蛛の群れが洞の中に大挙した。
脚の節が石を叩く音が続き、入口の縁に白い糸が次々とかかる。湿った足音が重なり、床の水たまりが細かく跳ねた。
ルールルーが杖を掲げる。短く、彼女は言葉を発した。
「基礎結界」
紫色の魔力光がまたたく。
薄紫色の半球が我らを覆った。
半透明の膜は蜘蛛たちの侵入を拒み、腕を伸ばすほどの距離で、黒い物体が群がった。結界に当たるたび、甲殻が乾いた音を出し、糸がぬめりを残して広がる。
道端の石をひっくり返し、虫がびっしりと付着していた時のようなおぞましい光景が眼前に映る。結界表面に影が重なり、内側の空気がわずかに冷えた。
「結界魔法か、かたじけない」
「少しは持つと思う。カナメ、どうする?」
「──先刻言った通り、幼子を救いに行く。モブたちとの合流はその後! そして、やつを斬る! 野放しにしておけぬ!」
「了解。準備が終わったら、跳ぶ、よ」
我は魔法の携帯袋に手を突っ込んだ。
赤鞘の刀に指をかける。鞘に手が吸い付いた。柄の巻きが手のひらに沈み、汗がすぐに引く。
続いて草鞋を取り出し、地面に置く。急いで指を通した。
縄の感触が足の甲に食い込み、立ち位置が定まる。
後頭部付近──銀髪を赤白の紐で結わえる。
最後に青竜革の魔導板帳をしまって、腰帯に魔法の携帯袋を結んだ。
最低限の準備。これ以上は、隙を見ながらの装備となるだろう。
結界の縁で蜘蛛が跳ね、薄膜が波紋を返した。
《主よ。拙は背後に目を光らせておきます。呪熱は抑えておりますので、存分に戦ってください》
(……ええい! よくわからんが任せた! お前のこと、後できっちり聞かせよ、黒蛇よ!)
《──仰せのままに》
上半身に巻き付く黒蛇が顔を背後に向ける。
草鞋ごしに石床の固さを確かめつつ、我は赤鞘を強く握りしめた。鞘口で金具がわずかに鳴る。
全身に気力が満ちる。倦怠感はない。
五体満足に戦うことができる喜びに、我は打ち震える。肩の力を抜き、呼吸をひとつ深く入れた。
右手で刀の柄に手をかける。
結界を支えるルールルーを、我は肩越しに見やった。
「ルールルーよ」
「?」
「お前が姿をさらしてまで助けてくれたことに、我は恩義を感じている。お前のおかげで、心がすっと晴れやかになった。──今や、力がみなぎっておる。こんな有象無象、我とお前なら容易く打ち払えよう」
「──ん」
「行くぞ、ルー!」
我の呼びかけにルールルーが応じる。
杖先が灯る。目まぐるしく回る〈中転移〉の感覚にさえ、我は心地よさを感じた。
洞の灯りが遠のき、次の場所の湿りと温度だけが先に頬へ触れた。
──モブよ、後できっと言い聞かせてやる。
お前が信ずる我の勝戦を。
お前を信ずる我の勇姿を、活躍を。




