第36話 スタンピード②
【モブ、ルールルー。私は、防衛班と足並みをそろえて向かうわ。先行して】
【了解】
俺が返答するや否や、ルールルーが杖をかざした。
杖頭の宝玉が淡く脈打つ。
一拍もしないうちに、視界が渦巻く。腹がふわりと浮き、耳奥で風が笛を吹いた。
浮遊感を帯びる。
地に足がつく前に再度、空間のひずみに巻き込まれる。
二回の空間跳躍を経て、俺たちは開けた空間に降り立った。土の固さを、跳躍靴越しに認識する。
「うわっ!?」
「も、モブくん!?」
俺はすぐに辺りを見回す。
十字路。中央に木組みの時計台。右手側にギルド訓練所と冒険者ギルド出張所。左手側には女神教小聖堂〈リヴィエ礼拝堂〉と村議会兼集会所。
時計台の風見鶏がきい、と回る。
軒先に吊るされた花籠が風に揺れ、白壁に彩りを添える。
リヴィエ村中央広場に降り立ったことを俺は確信する。
顔見知りの人々が、俺たちを囲むように立つ。彼女らは軽装のまま、手に剣や盾、槍などを構えていた。
「状況! 非戦闘員の屋内誘導は?」
俺は声を張り上げる。
女性二人が集団から抜け出し、前に出た。
女神教の青い僧衣をまとった女性と、金のショートボブで丸眼鏡の女性。
ミレーヌとノエル──村長家の双子が俺と対峙する。
彼女らの背後には、ミドリーの姉のリアやマリア婆さんなどの、デルヴァン家の面々が控えていた。
「モブくん」
俺の問いかけに応じ、ミレーヌが柔らかな声音で説明する。
「外に出ていた人の避難は済んでる。各々の家か、近くの施設に退避済。スライムたちは川辺の他に、暗渠──地下水路経由で移動してるみたい。今は川辺のほうで別動隊とマーケッタ商会のメイドさんたちがスライムと戦闘中。私たちの部隊は村のあちこちに隠れているスライムを、出現次第潰して回ってる。今のところ大きな被害は出てないよ」
「ありがとう」
俺が一礼すると、ミレーヌが微笑を返す。アッシュブロンドの髪を払って、目を伏せた。
その様子を見て片割れのノエルは、唇を突きあげ不満を表す。
ノエルの妬みに気づくも、俺は口に出さない。
情報収集を優先した。
俺は視界を赤く染める。ぐるりと視線を巡らせ、辺りを一度見透かした。
中央広場四隅の集水枡、足元に流れる暗渠越しに情報を得ようとする。
もう一段深く、『視』ようとする。
俺はこの世界そのものにまで意識を注いだ。
風景が赤黒く変わる。一拍──情報の奔流が脳をパンクさせる前に、俺は目を閉じた。
足が震え、鼻血を垂らす。
強烈なこめかみの痛みと、吐き気に見舞われ、俺はしゃがみ込んだ。
「モブ様っ!?」
側に立つマリーがかがむ。俺の背に触れようとしたところで、俺は手を上げて制した。
マリーに向かい、首を横に振る。
(異界と違って、世界は情報が多すぎる……。レベルがあがればもう少し耐えられそうだけども……)
俺は一瞬の走査で得た情報を、必死に口に出した。
喉に乾いた砂を噛むような感覚を抱えたまま、かすれた声を吐き出す。
「暗渠に群れ。村長宅・デルヴァン家・広場下──各十前後、計三十。それと一か所、正体不明魔物」
「……!」
目に刺さった像を頭の中で並べ直す。
俺が『視た』ところ、村長宅、デルヴァン家、中央広場──三つの溜まりにスライムがもつれ合っていた。各所で十匹単位。アリスの報告内容と合わせると、村内に六十匹のスライムがいることになる。
さらにひとつ。
俺の目はデルヴァン家の脇で別種がいると、告げていた。
俺はルールルーの手を借りて立ち上がる。
この場にいる村の居残り組を確認。合計五十名。残り五十名は川辺周りでメイド隊と一緒に戦っている。ここには、段畑模様の肩章をつけたヴェンディルの女衆、デルヴァンの働き手──レベル3が数名、レベル2が大勢いる。
彼女らの顔の向きが揃ったのを見計い、俺は声を張った。
「ミレーヌたち──みんなは村長宅と広場に二手に分かれて警戒。二十五ずつならみんなでもスライム十体に安全に対処できると思う。……俺たちは正体不明のモンスターがいる、デルヴァン家に向かう」
「う、うちに正体不明?」
列の奥で赤茶のポニーテールが揺れた。ミドリーの姉であるリアが不安げに目を伏せる。
彼女の耳へ届くよう、俺は腹から声を押し出した。
「ミレーヌ! ノエル! 防衛班が戻ってきたらデルヴァン家に援護をよこしてくれ! それまでは俺たちで守る!」
双子が同時に顎を引く。
俺は肩越しにルールルーと目を合わせた。彼女の帽子のつばがわずかに上がった。
ルールルーの肩を支えに体勢を整え、俺は跳躍の合図を取る。
空気がひと息、冷えた。
胸の底に針の先ほどの不穏は刺さったまま。
視界が再び、歪み始めた。
□
デルヴァン家屋敷前。
白壁と木組みの外壁に朝の光が一様に差し込み、軒下の干し網が風にかすかにふくらむ。
鶏の一声、牛の鼻を鳴らす音が耳に届いた。
俺は庭を見回す。鍬が立て掛けられた塀の影、空になった桶、吊るし籠。生活の道具はそこにあるのに、人の気配だけが抜け落ちている。
視界を赤く染めて走査する。
開け放たれた門の境界に、結界魔法が展開されていることを俺は確認した。
隣に立つ二人に伝える。
「ルー、マリー。魔物除けの結界魔法が張られている。緊急時用に張ったみたいだ」
「ええ。寒気で産毛が逆立ってます」
「私は悪寒」
「転移で入る。やってくれ」
「うん」
ざっと『視た』ところ、柵と塀を境界として結界魔法がデルヴァン家の屋敷を覆っていた。
ただし地中や排水の地下部分までは行き届いていない。都市の高級邸宅ほどの護りは充実していなかった。そのため、スライムたちの侵入を許すことになりそうだと俺は推測する。
ルールルーが杖を少し掲げ、帽子のつばを指で持ち上げる。
俺たちが転移で屋敷内に移動するや否や。
背後の玄関扉の内板がびりと震えた。
左右から叫び声。
片や食堂の広間、片や客室の並ぶ廊下。
リネンのカーテンが吸い込んだ冷気を返し、胸の奥で心拍がひとつ跳ねた。
俺は右手側を向く。カナメがいるはずの客室の方角。
廊下の先──客室のドア板が裂ける音とともに内側へ割れる。
木屑が飛沫のように散った。
木屑と一緒に、飛翔する物体があった。
俺は息を呑む。
ドアに縫いとめられるエステバンの体を、俺は見た。
樹液とも血ともつかぬ湿った臭いが鼻に刺さる。
ひゅう、とエステバンの喉が細い音を漏らした。
腕のような太さの蔦が、彼の腹を貫いている。
「……エッタ」
エステバンが握っていた鉄の盾が、指先からこぼれる。鈍い金属音が鳴り渡った。
「──エッタァッ!!」
裂けるような声が廊下を駆け抜ける。
戦闘行為禁止の言いつけを、俺は忘れる。
ホルダーから抜いた火属性ダガーは、抜き際に鈍い閃光を吐いた。
熱くなっても決して自身を見失うな──母の教えが、駆け出そうとする両足を必死に床へ縫い留める。
奥歯を噛み合わせる。こめかみの筋がきしむ。
視界を赤に染め、引き抜かれた蔦とエステバンの状態を、俺は分析する。蔦の切り口は脈動を残し、血の色はまだ明るい──手当の余地はある。
なおも食堂方面から届く、野太い声と子どもたちの声が俺の頭を冷やした。
「……ルー、反対側に救助に向かってくれ。マリーはエッタに回復魔法を。まだ瀕死で済んでる」
「も、モブ様……?」
「ルー、頼んだ」
生気を失うエステバンの瞳を、俺は遠目に見つめる。彼は口元を震わせ、何かを言おうとする。
ルーの顔を見ずに、俺は駆け出した。マリーが並走する。
俺は客室の内部を隠れ見る。
〈第四の目〉で種族『闇の華』と映し出されたものの正体を、確認しようとした。
傍らでマリーがエステバンに手のひらをかざすなか、俺は目を見開く。
「カナメ、リオラ……!?」
カナメが眠っていたベッドの脇に、大穴が空いていた。
地竜が掘り返したかのように地面は抉れ、床板が斜めに崩れている。
大穴の側には、カナメの愛刀二振りと、リオラがよく家で抱えていた人形。
人形の縫い目のほつれから綿が少しのぞき、赤いリボンが床の上で心許なく揺れた。
大穴から湿り気が吹き上がり、土の匂いが部屋をじわじわ満たしていく。
穴の縁には爪痕のような削れと、黒い花粉めいた粉が点々と残っている。
掛け布の皺だけが、つい先ほどまで誰かがいたことを物語っていた。
寝台の縁に銀髪の毛が数本貼り付き、枕のくぼみがまだ戻らない。枕もとの青竜革の魔導板帳のページが、空しくめくられた。
「さらわれたのか……!?」
俺のいらだちを消すかのように、外から鐘の音が届く。
一、二、三。
木組みの梁を渡って音がひろがり、窓ガラスが微かに震える。
攻撃班がヌシを討伐し、スタンピードが終わったことを報せていた。




