第34話 男の矜持
「いったいどうしたってんだ、エッタ? 内緒話か?」
俺はエステバンの背を追って、デルヴァン家の廊下の角を曲がる。
食堂ホールとは反対側――客間から少し離れた通路に入った。
壁に掛かった編み籠と古い丸鋸が影を落とす。窓辺のリネン越しに白い光が細く伸び、埃が一粒ずつ光った。
物置部屋に至る廊下の途中で、エステバンは立ち止まった。
振り返り、彼は人さし指を唇に当てる。
俺はうなずく。俺が木肌の板に肩を預けると、エステバンもそれを真似て壁に背をつけた。
ちょうど、横並びに会話する形となる。
「それで?」
俺はエステバンに数センチ身を寄せた。小声で尋ねる。着込んでいる緑の外套の留め金が光を鈍く返す。体重をかけた分、木床の固さを革ブーツ越しに感じ取った。
「……ミドリーたちへの説得を、手伝ってほしいんだ」
エステバンはつなぎの袖を壁に押し付け、天井を見上げた。
併せて胸ポケットの鉛筆と折尺が軽く揺れる。
彼の指先が、胸ポケットの縫い目をなぞった。
「説得?」
「防衛班に入れてくれって、義母さんとミドリーに。午後の訓練、僕も参加するって言ったら、断られた。……今の僕じゃあ、力不足だって。家を守ってくれ、って」
「……エッタ、お前」
「僕も、村のみんなを守りたい。聞いたんだ、今回のスタンピードは自分たちで防衛をしなきゃいけないって。だから、僕も――」
「いまのレベルは?」
俺は横槍を入れる。
エッタは唇を結んで、視線を落とす。
その仕草だけで、俺は把握する。目を細めて、彼の返答を待った。
「……1に、下がった、よ」
「――そうか」
木床がきしみ、乾いた音を立てた。言葉の重さが胸に落ちる。
若くして伴侶を持つ男が、女神の呪いから逃れる術はない。
かつて十五歳の時にレベル2になったエステバンもまた、世間一般の男性同様、レベル1へ戻ってしまっていた。
「……幸せの証だよ。子宝にも恵まれてる。卑下することじゃない」
「兄さん!」
エステバンは俺を見上げ、焦げ茶のまなこをまっすぐに差し向ける。
目頭に雫がたまっているのを、俺は見つける。彼の喉仏が一度上下し、つなぎの袖が握り拳で皺を寄せた。
肩を震わせたまま、エステバンが言葉を継ぐ。
「……兄さんが、うらやましいよ。僕だって、レベル3もあれば、前に立ってみんなを守れるのに――。こんなことなら……」
「エッタ」
俺の底冷えした声に、エッタが肩を震わせる。
遠くの食堂から談笑の音が一拍遅れて届き、すぐに静けさが戻った。
「それ以上は、怒るぞ。俺が、異常なんだ。いいか、レベルが低いことは、悪いことじゃないんだ。お前が立派に家族に向き合ってる証拠だよ」
「……兄さんが、何を言っているか、わからないよ。高いほうが、絶対いいじゃないか」
「バカ野郎。男でレベルが高いってことは、それだけ社会の規範からはみだしてるってことだ。母さんが言ってたよ――群れを繁栄・維持するのは、いつだってお前みたいに家庭を顧みる男たちなんだって。レベルに執着するような男は、家を痩せさせるって。……だから、レベルが低いことを、卑下するなよ。お前は何も間違っちゃいない」
「兄さん、それでも……」
目に涙を浮かべ、エステバンは力なくつぶやく。
壁に背を預け、目を伏せた。
「それでも僕は、家族を守る力をずっと、持っていたかったよ……」
エステバンの頬に雫がひとつ垂れた。
俺は手を伸ばして、彼の肩を抱き寄せる。抵抗はない。
革の匂いが近づき、つなぎ越しの震えが手に伝わる。
俺は顔を上げて、天井を見つめた。
千六百年前。
女神が性差をなくすために男性に成長阻害の呪いをかけたことから、世界は大きく変わってしまった。
長い時代を経て、人々は女神が定めた新たな制度に順応していった。
現代では腕力を得た女性のための社会が確立され、男性たちは女性たちをサポートする立場におさまった。
だが、男性の中に眠る本能──狩人や戦士であった時の記憶は、時折彼らを苦しめる。目の前で嘆くエステバンのように、本来の役割を求めて、無力感に苛まれる男性は多い。
囮役に志願する男性がいるのも、彼らの本能をくすぐるからだった。
本心と求められていることが一致することで、彼らは幸福な一瞬を迎える──。
彼らのために、何かしてやれることはないかという想いが、俺の中で日に日に募っていく。
けれど、いまの俺では共感してやることしかできない。
うなだれる男の悲哀を、俺はただただ受け止め続けた。
「エッタ。……お前は、リオラを、家に残る家族を守れ。前線に出なくても、やれることはある。俺が、お前に代わって村のみんなを守るよ。そのために俺は来たんだ。俺に任せろ」
「……」
ぽんと肩を叩くも、返事はない。
自分こそが村を救う──そういった男の願望を俺はよくよく理解している。
なんの慰めになっていない。それでも、俺は男に染みついたもう一つの本能に訴えかけた。上下関係と信頼を盾に、俺は説得を試みる。
視界を一瞬だけ赤く染める。
エステバンの技能を〈第四の目〉で確認し、俺は言葉を続けた。
彼の手首を取り、指先のたこや手のひらの細かな傷に視線を沿わせる。
「──長いこと、訓練続けてたんだな、エッタ。前よりも、傷が増えてる」
「……!」
「地道に頑張ってきたんだな。誇らしいよ」
「そ、それじゃあ」
エステバンの表情に喜色が差す。
俺が首を横に振ると、再び目端に雫がにじんだ。
「『今回』は、俺の顔を立ててくれ。お前に何かあっちゃあ、リオラやミドリー、エステルさんたちに顔向けできないからな。安心しろ。村を救う手立てもしっかり考えてきた。なあエッタ」
ひと息整え、エステバンの両肩に手を置く。
彼と向き合った。
かつて勇気づけられた言葉──親友の言葉を俺は借りる。
「このモブ・アイカータを信じられないか?」
布越しに、体温とつなぎの縫い目の固さが伝わる。
潤んだ焦げ茶の瞳を、俺はじっと見下ろした。
「……ずるいよ、兄さんは」
エステバンが目端を指で拭う。
力の抜けた肩から背中に、俺は手を回す。再度、彼を抱きしめた。
「──話は、終わりですか?」
「うわ!?」
大声で耳がきぃんと鳴る。エステバンが声を上げると同時に、俺は振り返った。
廊下の角から青のシスターヴェールと、紫髪のボブが顔を出す。ヴェールの影がマリーとルールルーそれぞれの頬にかかり、薄い笑みが重なって揺れた。
□
エステバンを先に帰して、俺は乱入してきたマリーとルールルーに向き合った。
廊下の木壁に二人分の影が並び、窓のカーテン越しの光が表情を明るく見せる。
頬に手を添えて微笑むマリーに、首を傾げるルールルー。
ルールルーの、学生服の上に羽織る黒マントが、隙間風ではためく。銀糸の留め具がかちりと鳴り、マントの裾が彼女の足首付近で揺れた。
「何やら興味深いお話が聞こえてきましたので、つい盗み聞きを」
「ったく……。いつから聞いてたんだ?」
「レベルの話のところ」
マリーのチョーカーに吊り下がる紫水晶がきらめく。
豊満な体つきに見とれぬよう、俺はマリーの水色のまなこを見据えた。
「ほぼ、最初からかい。男子の秘密話を聞くとか、評判悪くするぞ? ……まあいいや。俺たちも飯行こう」
「お待ちをモブ様」
「ん?」
俺は立ち止まって、糸目を貼り付けたマリーに視線を落とす。
彼女は胸の前で両手を組む。祈るような所作のまま、彼女は問いを投げる。縫い取りのある袖口が小さく震えた。
「一つお尋ねしたく。……先ほどのエステバン様との会話では、モブ様は男子がレベル上げにこだわることに、否定的な立場を取られていました。ではなぜモブ様は、レベルを上げようと努力されているのですか? 危険に飛び込み、禁欲を重ねてまで……」
「答えないといけない?」
「ええ。無理に、とは言いませんが──是非に。私の心持ちにかかわることですから」
「なら、答えなきゃな」
マリーが探るような声色で問いかける。
糸目の間から覗く水色の瞳に、俺は視線を合わせた。廊下のリネン生地のカーテンが、風でふわりと持ち上がっていた。
タイミングを見て話そうと思っていたこと。
向こうが受け入れる準備を整えてくれているなら問題はないだろう。
俺は自身の目的について、口にした。
「俺は淫魔王が目覚めた時に備えてる。俺が現役の間に起きるかは、わからないけれどな」
三年後に目覚めるはず──原作知識については伏せて話す。
それとなくぼかすことで、相手が聞き入れる下地を作る。
マリーは眉根を上げて、俺を見つめた。
「淫魔の予言を、信じられていると?」
「予言?」
ルールルーの疑問に、マリーが答える。
「ええ。女神教の凱歌録では、二代目淫魔王が英雄ダークに討伐された際に予言を遺したと記されてるの。『百年、二百年のちに必ずや我が末裔が女神のくびきを打ち砕く』と。二代目淫魔王討伐から早二百年。今や予言を信じるものは少ないですが……」
俺はうなずいて、話を続ける。
「俺はレベルが下がるただの男──英雄じゃあない。けど、もしも淫魔王が再来して、ランズやダークのような英雄が淫魔王に挑む時にさ。ただの男でも、肩を並べて戦うことができる強いやつがいたほうが、英雄様も助かるだろう?」
俺は男に戻ったカナメが、淫魔王に挑む姿を幻視する。
ただ、カナメの隣に立っていたいという欲求が俺を突き動かしていた。
「……そのためだけに、モブ様は、禁欲を?」
「そうさ。英雄の横に立ちたいっていう、つまらない、男の意地さ」
俺が答えたと同時に、マリーが両手を頬に添えた。
頬を上気させ、身震いを始めた彼女を見て、俺は一歩身を引いた。
甘ったるい香りが鼻をかすめた気がする。
「ふ、ふふっ……!」
「マ、マリー?」
「実に私好みの、答えでした。見返りもなく、無駄になるかもしれないことに、それでも勤しむ……。ああ、どこまでたくましいお方なんでしょう……。やはりモブ様は、尊敬に値するお方です。お慕い申し上げますわ♡」
「お、おう」
首元の、黒のチョーカーに吊るされた紫水晶をマリーはつまむ。
自身を封じる魔道具〈才能封じの首輪〉に、彼女は意識を巡らせているようであった。紫水晶が光を返し、糸目がわずかにほどける。
「終わった?」
「もう、ルーったら。あんまりよ。冷たいじゃない」
「いまはマリーよりご飯のほうが気になってる」
「……ル〜?」
無機質にルールルーが俺とマリーの目を交互に見上げる。
俺は微笑んで、彼女たちに告げる。
「俺たちも食堂行こう。──食べ終わったらアリス含めて、作戦会議で」
「はい。そう言えば先ほど、村を救う手立てがあるとおっしゃってましたが、どのようなお考えで?」
「ルーが鍵になるかな。後で話すよ」
「?」
ルールルーが小首を傾げる。
彼女の横を通り過ぎると、黒マントの裾がまた風に乗った。
食堂のほうから皿の音と焼きたてのパンの匂いが流れてきて、自然と足取りは軽やかになった。
◆□◆
春シーズン第四週の三日目、正午。
ギルド訓練所の会議室の一角、避難訓練前の短い休憩時間。
窓は半分開き、外で模擬訓練を行う訓練生の剣戟音が響く。長机の上には依頼票と印章、紙束を押さえる石が散らばり、魔力のきれた火晶石のランプが影を落としている。
「へぇ……おもしろそうじゃない」
「まあ」
「……ルー、馬車馬?」
「あ、あとで慰労するから、勘弁な」
「感情値、期待」
俺はアリス、マリー、ルールルー……そしてシルヴェットに、作戦の全容を話す。
壁の地図に張られた色糸──赤は避難導線、青は防衛班の配置──を指し示し、そこへ新しい黄色い糸を重ねながら話し続ける。
話を聞き終えたシルヴェットが、長机の上で腕を組んでうなっている。
俺が賄賂として提出した、防衛班の名簿に才能の情報を付け加えたリストを手元に置き、彼女は視線を上下に走らせた。
「……わかった。君たちを遊撃班に任命することにするよ」
「ありがとうございます、先生」
俺は小さく拳を握る。
窓からの風が依頼票を一枚めくり、陽の筋が長机の角を白く照らす。
窓際の黄色い糸が、かすかに揺れた。




