第31話 いざ、リヴィエ村へ
春シーズン第四週の一日目、朝。
アリス所有の最新式浮遊帆船の上で、俺たち学外実習班は思い思いにくつろぐ。
カナメは船首に立ち、アリスは船体後部の舵輪の前。
俺とマリー、ルールルーは後部甲板に備えられたベンチで向かい合って座る。
船は交易都市ミカの南——キャラバン通りの浮桟橋群を出て、北西へ巡航中だ。
距離七十キロメートル先にあるリヴィエ村へ向け、船体が風を切って進む。
精霊樹の甲板は朝露で蜂蜜色に濡れ、木目の溝に白い光が細くたまる。
艤装に擦り込まれたオイルの匂いが帆布と麻縄の匂いと混じり、冷えた空気に溶けていく。
俺は背もたれから身を乗り出し、天を見上げた。
頭上に備え付けられた赤地の布が日差しを遮る。
鷲紋の赤帆が風を掴み、はためくたび、索具が澄んだ音を返す。マストの影が甲板の上で波のように揺れる。
視界の端で人影が動く。
船首から二人のメイドが移動してくるのを俺は見つけた。
濃紺のエプロンに動きやすい作業ズボン、腰には工具袋──青髪ショートのメイド長のカミラが点検表に手をかざし、魔力を走らせる。
緑髪ツインテールのメイドのミナは甲板縁の安全索を指で確かめて回っている。
メイドらの仕事っぷりを見終え、俺は次に船尾に視線を流した。
「~~♪」
アリスが船尾両舷のツインホイールのうち、右舷の舵輪の後ろに立っていた。
鼻歌まじりで舵輪を握る。
彼女が舵輪を軽く流すだけで、船首は素直に応える。
緑髪のメイドが帆脚索に触れ、舷側の目印旗を覗き込む。
「お嬢様、風位二度右。結界は良好でございます」
もう一人の青髪メイド長はアリスの背にある風圧結晶の基台を軽く叩き、緑の脈動を確かめる。
板帳に記しながら、メイド長がアリスに伝える。
「記録、巡航高度一定」
ポール先端の風圧結晶が淡く緑光を吐く様は、どこか幻想的だ。
ここは異世界だ、とあらためて感じる。
アリスの赤外套はささやかに揺れるだけ。
風圧結晶に刻まれた〈結界魔法〉がコックピット周りに薄膜を張り、外の風圧を斜めに滑らせて甲板上の空気を静めている。
「あと三十分でこの船旅も終わると思うと、寂しいような……」
「観測値、流麗」
俺の前に座るマリーとルールルーが感想をこぼした。
シスターヴェールからはみ出した、波がかった水色の髪がふわりと揺れる。
片頬に手を添えて、マリーは背もたれ越しに流れる景色を見つめていた。
ルールルーもマリーに倣い、風景を紫水の瞳に収めようと身を乗り出す。
「二人は浮遊帆船は初めて?」
「ルーは一度も」
「私は一回だけ。昔、女神教国に聖女候補として招かれた際に、王都からの直行便に乗ったことがあります。ただ、その時はもっと地面に沿っていたような……」
マリーが人差し指を立て、小首を傾げる。
それもそうだろう、と俺は返す。
「この船、改造してるからな。ふつう、こんな高度出ないよ」
「まあ!」
「納得」
「高さもそうだし、速度もアホみたいに出る。一昨日乗せてもらった時は、とんでもない目に遭った。身の危険を感じたよ」
週末のアリスとカナメとの暴走操船デートを思い出し、俺はため息を吐く。
二人に何があったかを身振り手振りで説明する。
〈結界魔法〉を切って、時速二百キロ超で夜空を駆けたこと。
甲板を吹きすさぶ風を浴び続け、歯茎がむき出しになったこと。
急旋回をしたせいで体が泳ぎ、甲板から飛び出しそうになったことなどを伝えた。
まるで前世のジェットコースターのよう。久方ぶりに俺は胃が浮く感触を味わった。
……今回は安全装置がないせいで、死と隣り合わせだったが。
「——騒がしいな、我の居ぬ間にどうした?」
そうこうしていると、背後からカナメの声が聞こえてきた。
船首から戻ってきたようだ。サイドデッキから現れた彼女の草履が板を軽く叩く。腰の二刀の柄頭が小さく触れ合う音を立てた。
俺は肩越しに彼女の藍色の瞳を見上げる。
「一昨日のことをみんなに教えてた。……もういいのか具合は?」
「うむっ。耳先がやや火照るが、少しは落ち着いたぞ。夜の景色もよかったが、昼の景色もまた、よいものだな。そう言えばアリスよ、一昨日のように速度は出さぬのか?」
「今日は安全優先! あれ、気に入ってくれた?」
「うむ! 我が生涯であれほど高揚した乗船体験はなかったぞ! あれなら和国にもすぐ行き来できよう!」
「やろうと思えばできるだろうけど、入国審査があるから正規の手段使ったほうがいいな」
「む。そうなのか? ……確かに、和国から船で来た時は、港で手続きしたな」
俺が補足すると、カナメはひとりで納得した。
原作では物語の終盤になるまでは改造浮遊帆船での他国への移動は禁じられていた。
冒険者ギルドの認定を受けることで、入国審査の手続きを省略できるようになる。
認定には最低でもレベル7は必要なので当分先になる。
早く世界各地へレアアイテム漁りに出かけたいものだ。
俺はマリー対策の魅了耐性装備に想いを馳せつつ、流れる景色を再度眺める。
遠く河の向こうに広がる田園風景。
川風が土と若い麦の匂いを運ぶ。
遠い昔、親戚の家の軒先で弟分が奏でたギターの和音が、脳裏によみがえる。
懐かしきリヴィエ村の輪郭を、俺はじっと見つめ続ける。
冒険者ギルドの計測では、近日中に村で大規模襲撃──スタンピードが発生する恐れがあるという。
はたして、世話になった村民たちを無事に守ることはできるだろうか?
サポーターで参戦する自分にどこまでできるかと、俺は不安を覚える。
(なすべきことをなす。──規則に反して武器を抜くことをためらうなよ、俺)
破れば即時帰還と停学、冒険者ギルド出禁の可能性。
それでも、大事なものを守るために武器を抜く覚悟はできている。
前回実習で手に入れた、固有品の短剣〈貫く火烏の爪〉に、俺は指を添わせる。
腰の〈貫く火烏の爪〉は、鞘越しでも熱を帯びていた。




