第30話 サポーター
メイリーナの手のひらが机を打つ。
教室のざわめきを裂いた。
窓ガラスがびりと震え、教卓の縁でチョークの粉が跳ねる。
声を上げたレンとカナメを、メイリーナはにらみつける。充血した眼が細くなり、乱れた赤髪は獅子のたてがみのように逆立って見えた。
メイリーナが教壇を降り、ゆっくりこちらへ歩む。
口角を上げているところを見るに、彼女はこの状況を楽しんでいる。
なんつー教師だと、俺は肩をすくめる。だが嫌いではない。
ジャケットと同色のズボンの裾から踵が覗く。
威圧するかのように、メイリーナはスライム製の靴底で床板を力強く踏む。
湿り気を含んだ音が教室の芯を打った。
俺は椅子を引いて立ち上がった。闘争に備える。
一歩踏み出し、高鳴る心拍と共に、彼女の到着を待った。
メイリーナが肩を怒らせ、鼻息を荒くする。
俺、カナメ、レンの前にたどり着いた。
ワインとサラマンダー火酒の匂いが、ぬるい吐息に乗って届く。
隣の席のベル・ブルーウィングが青ざめた顔で椅子と机を引く。
ほかのクラスメートも息を詰め、目だけがこちらへ集まっていた。
「学校の決定が不服か、貴様ら」
俺を中心にメイリーナの視線が左右に流れる。
カナメが一歩、前へ。
彼女の雪白の肌に、燃えるような赤みが浮かび上がっているのを、俺は見た。
「節穴かと。とても正気の判断とは思いませぬ」
「誰に対して──」
カナメは胸の前で手を払う。袖のボタンがきらりと光った。
胸を張って、メイリーナに詰め寄る。
狭い通路に熱がこもり、周囲の息が詰まる音が重なる。
「モブはこの場の誰よりも戦果を上げております! 成績最優秀者を語るならば、我を除けばこのモブ・アイカータ以外におりますまい! ご再考を──」
言葉の尾を、抜き身のナイフがさらった。
ヒュ、と空気が裂ける。冷たい線が、カナメの喉下でぴたりと止まる。
ジャケットの内ホルダーから、音もなく刃が走っていた。
(速い──)
俺は目を見開く。
ここは冒険者学校だ。教師の武装は日常──誰も驚かない。
ただ、刃が出た瞬間、誰の指も追いつかなかった。レベル6の前衛職の技量に、俺たちは圧倒される。
レンの手が机の縁を掴む。指が白くなっている。
カナメは赤味を帯びた瞳を逸らさない。彼女の喉元にひと筋、汗が垂れていく。
「舐めるなよ田舎者、知ったふうな口を聞いて」
「〜〜無礼者っ!」
その一言は、カナメをたぎらせるには十分だったようだ。
前へ出ようとする彼女の顎先を精妙に刃がかすめた。つーっと、顎から紅い血が垂れる。
「無礼者はどっちだバカが!? この上級冒険者学校は冒険者ギルドの管轄だ! 四大国を凌ぐ組織なのをその身に教えてやろうか!? 小国の王子ごときが調子に乗るんじゃない!」
ナイフを突きつけたまま、メイリーナは吠える。
細身の刃が天井灯の白を返した。
「貴様、また……っ!」
カナメが青筋を立て、メイリーナをにらみつける。
カナメを援護するように、横合いからレンが言葉を挟んだ。
「──メイリーナ先生。校規には“男子が学外クエストに帯同不可”とはない。であるなら、選抜も公平に……」
メイリーナが今度はレンに射殺さんばかりのまなざしを向ける。
ナイフはなおカナメの喉元に据えたまま、怒声が飛ぶ。
「元男子のお前と、男子のお前らには言わなきゃわからないか? 学外クエストは校内の用意されたクエストとは違う! 責任が伴う、栄誉あるクエストなんだ! そんな責任伴う現場で、レベルが下がる可能性がある男の評価なんて低いに決まっているだろう! レベルを下げ、弱くなった穴を誰が埋めるんだ!? それを公平に選抜? 馬鹿も休み休み言え!」
レベルが下がる可能性──その音が鼓膜で鈍く跳ね、俺の下っ腹は冷える。
指先が机の角を探り、無意識に力がこもる。
誰かが小さく息を呑む音。
隣の席のベルが胸元をぎゅっと押さえたのが、俺の視界の端に映る。
「そ、それで言うなら女子も……」
レンの苦し紛れの一言が、火に油を注いだ。
「はぁ!? 女子も、が何だ!? 何が言いたい、リーダ! はっきり言ってみろ、ああ!?」
レンの肩がびくりと跳ねる。詰問から逃れるように、彼の視線は落ちた。
言わんとするところは分かる。個人差によるが、女子は生理で休む時は休む。
男子のほうが稼働率は高いと、彼は言いたかったのだろう。
だが、この社会は女子を中心に回る。今ここでそれを言ってもどうにもならない。
結局は男子が弱く、頼りにならないという点が問題なのだから。
メイリーナの圧に耐え切れなかったのか、レンは目に涙をため始める。
レベル6の二十七歳女戦士とレベル2の十五歳の男性魔術師。
その腕力差は、彼を恐慌状態に陥らせるには十分だった。
俺は一歩踏み込む。左手を突き出して彼の前に身を滑らせた。
「なんだ、アイカータ……!?」
割り込んだ俺へ、メイリーナが声を荒げる。
(母さんよりはぬるいが、なかなかの圧だな……)
レンが怖気づくのも無理はない。実際、怖い。
母の圧を日常で浴びていたから、まだ耐えることができる。
俺はメイリーナを無言で見下ろす。
赤い片目と視線が噛み合い、数秒の膠着が生じた。
眼帯の革が動き、片目が鋭く細まる。
「貴様も──」
「サポーターとしての帯同なら、構いませんよね?」
俺は短く告げる。
押し黙っていた教室に、どよめきが走る。
女子たちが顔を見合わせるのが、メイリーナの肩越しに見えた。
メイリーナが片眉をあげる。
カナメの喉元に突きつけていた刃先が、紙一枚ぶんだけ下がる。
俺は意を決し、話を続けた。
□
サポーター──冒険者パーティの補助要員。
本来、冒険者ギルドへのパーティ登録申請では「近いレベル同士」が原則だが、サポーターだけはレベル差があっても例外として帯同が認められている。
とくに女子四人+男子一人の編成は男子をサポ枠に置く前提で運用され、平均レベル5以下のパーティなら火力減より士気上昇が勝ちやすいと評価されてきた。
「男子サポーターは、冒険者ギルドも有用だと評価しています。炊事・洗濯・荷物持ち・記録・士気管理と幅広い職務を担うことで、他メンバーの能力を一段と引き出すことができる」
「……お前の言う通り、サポーターであれば認めてやらんでもない。男子の本来の役割だしな。だが──」
メイリーナは刃先をわずかに下げ、眼帯のない方の目を細める。
顎先の血を指で拭ったカナメが、唇を結んで俺を見ていた。
気にかけずに、俺は言葉を紡いだ。
「今回の実習先のリヴィエ村はミカの近郊──俺が今年の冬まで通っていた場所です。村の冒険者ギルド職員や、常駐する冒険者たちとも面識があります。現地での雑務や交渉事は、任せてください」
「ほう……」
刃の腹を指先でなぞりながら、メイリーナは長考に沈む。
周囲の声が止むまで彼女は言葉を発しなかった。
ややもして、彼女は口を開いた。
「──わかった。そこまで言うのであれば、サポーターとしてお前を申請しておこう。くれぐれも前に出て、戦闘に参加するなんて思いあがるんじゃないぞ? 勝手な真似をしたらどうなるか、知っているな?」
「はい。規則違反時は即時帰還・停学・冒険者ギルド出入り停止……理解しています」
「ならば構わん。……アイカータ。お前をリヴィエ村派遣実習のサポーターとして正式に任用する!」
「はいっ! 頑張ります!」
メイリーナがホルダーにナイフを収め、ジャケットの金具が小さく鳴る。
踵を返し、赤毛が肩で跳ねた。
教壇へ戻る足音が室内に響く。
握った拳の熱はいまだ引かなかった。
指の根に汗が溜まり、脈が打つ。
張り上げた声とは裏腹に、胸に迫るのは強い焦燥。
噛みしめた奥歯と下唇から、血の味がにじむ。
(サポーターは攻撃行動禁止……。めんどくさいことになったな……)
一部のクラスメートは肩の力を抜き、嵐が過ぎ去ったことに小さく安堵の息をこぼす。
アリス、カーラ、マリー、ルールルーをはじめとした親交の深い者たちから向けられた憐憫の視線。
そして、カナメ、レン、シモンの伸ばしかけた手の気配を、俺は一身に感じ取った。
最初からわかっていたことだ。
メイリーナが語ったことはあながち間違いでない。
組織運営にあたり、男女の性差を考慮したうえで合理的に判断することの意義を、俺は商家の息子として重々承知していた。
黒板の「学外実習」の字が雨越しの光に濡れ、白粉がわずかに舞う。
サポーターで学外実習に参加し続けるのは非効率が過ぎる。
戦闘要員として認められるためには、世間を押し黙らせる実力と実績が必要だ。
──圧倒的な偉(威)を示すほかない。
それを、この学外実習を通じて、なんとか満たすことができれば……。
一限目の鐘が、やけに腹に響く。
雨粒がさらに強くガラスを叩いた。




