第27話 揺れる心、カナメの弱音
春シーズン第三週の四日目、夕方。
俺はカナメと連れ添って、交易都市ミカの郊外──アルディノ運河の河川敷を訪れていた。
水面は春めいた夕映えを映し、茜と藍がまだらに溶け合う。
視界の端で、ダンジョン〈アルディノ坑洞〉へ向かう浮遊帆船の最終便が桟橋を離れた。
浮遊石で船体が浮く。
船尾の風晶ダクトファンから生じた風が推力を生んだ。勢いに乗ると、向かい風が帆面を撫で、受け流された風によって船影は加速。じぐざぐと切り返しを行いながら北空へ滑っていった。
『──嫌よ。女のままでいいじゃない。私は手伝わないわ』
「……」
昼のアリスの言葉が不意によぎる。
俺の傍らではカナメが袴の膝を折り、背筋を伸ばしている。
お互い大岩の上で坐禅を組み、横並びで川面と対峙していた。
俺も和国衣装に着替え済である。
若草色の小袖を身に纏う。
形から入れと、カナメには強く言われた。
河畔は若草と湿った泥のにおいが入り混じる。
俺は岩の上で、再び目を閉じた。
胸奥の空気を、長く吐き出す。
──体術スキル〈瞑想〉。
カナメから手ほどきを受け始めてまだ五日足らずだが、体内をめぐる魔力の流路は日ごとに澄み、雑念の澱が少しずつ沈殿していく。
今は、川のせせらぎと心臓の鼓動が同じテンポで重なっていた。
「……呼気が一拍ぶん長くなったな。あと二、三度で形になるだろう」
淡々とした声音はさざ波に溶けるほど柔らかい。
片眼を開けてカナメのほうを見やると、藍色の虹彩が俺を見つめていた。
俺は岩肌に手をつき、湿った冷気を掌に感じながら首を回す。
「次は意識を腹底に沈めるんだったか?」
「うむ。ひと口ぶん息をため──そのまま背骨を伝わせ、川底へ石を落とすように下ろすのだ」
「合点」
俺は再び目を閉じ、肺を満たす。
呼気とともに、茜色の空も浮遊帆船も遠ざかるのを、俺は感じ取った。
□
瞑想を解いても、胸中に澄んだ静けさが残る。
ふと脳裏をかすめるのは、昼に聞いたアリスの返答──彼女は、カナメの頼みをやんわり断った。
『あなたが男に戻ることに、そこまで執着する理由がわからないわ。不便でしょう?』
そう言って、アリスは横に首を振った。
俺は息を潜め、隣のカナメへ視線を滑らせる。
西日に目を細めた。
小袖の襟元から覗く喉が白く細い。
横顔は凛としているが、長いまつげの影がわずかに震えた。
澄んだ川風が銀のポニーテールを撫で、月の生まれかけた空へ一筋流れる。
「──モブよ、邪念が伝わっておるぞ」
「……そっちもな」
カナメは目を見開いていた。
渡しの舟が作り出す波紋をじっと見つめている。
彼女もまた、昼のやり取りを思い起こしているのだろうか。
「昼のことが、気にかかるか?」
「……そうだな」
「なあ──」
「まったく! あやつも薄情な女よ。我のことを好いておるのならば、手を貸せというに。我が男に戻れば、我と婚儀を挙げられるではないか」
カナメが目を伏せ、軽やかに言う。
けれど語尾はわずかに揺れ、胸の奥で渦巻く複雑な感情が透けていた。
俺は痺れた足を崩し、大岩を下りた。
立ち上がって軽く伸びをすると、夕立ち前の湿り気が上衣にまとわり付く。
見おろす位置に立つと、カナメの髪の銀が薄闇を孕み、川風と共にゆるく踊る。
「あの子は、女が好きだからな。男に戻っても、そうなるとはかぎらんぞ」
「……ふんっ」
ひとつ吐き捨て、カナメもそっと坐禅を解いた。
足袋で小石を踏み、腰を伸ばす仕草はどこまでも武人的で、宵の空に冴えた影を落とす。
地に置いていた赤鞘と黒鞘の二振りを手早く拾い、腰帯へ収めると、鍔が触れあって涼やかな澄音を奏でた。
カナメが俺に向き合う。
西日を背にし、俺のことをまっすぐと見やった。
一歩踏み出してくる。
手を伸ばしてもわずかに届かない距離で、彼女は止まった。
「モブよ。お前の目では、我の呪いはわからぬか?」
「……それは」
「まだ調べていない、というのならば調べてほしい。……手がかりがほしいのだ、頼む」
宵の風が俺の体の火照りをさらう。
原作知識にかまけて、俺は〈第四の目〉で彼女の呪いについて深く『視』ていない。
──ひょっとしたら、何かわかることがあるやもしれない。
胸の奥がズキリ、と痛む。
「わかった。試しに深く『視て』みるよ」
「!! ──うむ、頼むぞ」
俺は目をつむる。それから、目に魔力を通し、視界を赤に染めた。
意識を研ぎ澄まし、カナメを『視る』。ステータスが浮かび上がった。
【名前:カナメ・ビゼン
種族:人間
性別:男→女
年齢:17
レベル:3
経歴:
女神暦1981年=第三十代和国将軍アヤメ・ビゼンと政務参与カズヒロのあいだに生まれる。次男。幼少の頃から(中略)。
女神暦1998年=春シーズン第一週の二日目朝。呪い〈男神の気まぐれ〉を受け、性別変換(永続)を付与された。
才能:〈女神の祝福〉
状態:性別変換(永続)】
「ッ!?」
俺は目を見開いて、半歩後ずさりする。
初めて見る単語を見て、唖然とする。
〈男神の気まぐれ〉──おそらくは男神ゆかりの呪いということなのだろう。
息を整える。
今度は〈男神の気まぐれ〉について俺は意識を向け、深く『視よう』とする。
そして──。
【名称:男神の気まぐれ
説明:***モブの現在のレベルでは開示不能(レベル8要)***】
初めて見る表記に、俺は言葉を失った。
□
【名称:性別変換(永続)
説明:***モブの現在のレベルでは開示不能(レベル8要)***】
こっちも一緒か──俺は視界を元に戻す。
目をつむり、まぶたの上から眼球を揉んだ。
脂汗が体温をうばっていく。
「も、モブ? 大丈夫か?」
「あ、ああ……。だい、じょうぶだ……」
ひと呼吸つく。
心臓は跳ね上がり、耳の裏まで脈打つ。
一歩近寄ったカナメを、俺は手のひらを向けて制した。
「カナメ。実は──」
俺は〈第四の目〉を介して『視た』ものをカナメに教える。
カナメの呪いには男神が関与していそうなこと、それ以上の情報は秘密になって『視る』ことができなかったことを告げた。
レベル制限があることはいったん伏せる。
教えることで、彼女が重荷に感じることを、俺は嫌った。
カナメには俺がレベル10を目指していることを伝えていない。
唐突に告白したところで頭のおかしいやつ、ただの無謀な夢を見ている人間と評されるだけだ。
伝え方を考える必要がある。
「だ、男神とやらが我を……!?」
「ああ。神が関与する呪いってことは強力だろう。校長が呪いを解けなかった理由もいまならわかるよ」
「そう、だな。和国でも大霊である黒毛震狐様ゆかりの呪いは強力と聞く。男神の呪いもそのようなものなのだろう。黒毛震狐様の呪いについては、同じ大霊の金毛白狐様が解呪したと和国の昔語りにあるが、男神は……」
「男神アラオン※1にも、対となる存在がいる。女神エアラ※2なら、あるいは」
呪いを解除するには女神エアラを頼るのが一番の近道だと、俺は感じた。
淫魔王復活の兆しがある以上、女神エアラはカナメに協力してくれる可能性は高い。
だが、と一方で俺は思う。
(男神が呪った結果、カナメが女体化した……? 原作ではモブ・アイカータが身代わりになったけど、どうやったんだ……? 同じ部屋にいただけだったはずだ……。俺が、何かを見落としてるのか……?)
なぜこの世界では呪いは成功したのか。
原作で主人公の女体化に失敗をしても、その後に男神の介入はなかった。原作では男神起因の呪いじゃない?
この世界では何かが起きた結果、男神が〈女神の祝福〉持ちの存在を知り、介入したのか?
淫魔族を勝たせ、男神の主目的である『定期的な人口の整理』を遂げるために。
(……俺、なのか?)
原作との決定的な違い。
モブ・アイカータの中に巣くう転生者の俺の存在。
そのことが起因していないかと、俺は勘繰ってしまう。
完全にモブ・アイカータの生涯をトレースして生きてきたとは言いづらい。
なにがしかの落ち度があって男神の介入を許したのではないかと、俺は疑う。
(わからない……。もしそうであるなら、俺は……)
原作の始まりがそうであったからと思考停止していたが、考えれば考えるほどわからなくなる。
あのカナメが呪われた現場──男子寮の一室に手がかりが残されているのか、確かめるべきだろうか。
「ふふっ……神の、呪いか……」
「……カナメ?」
俺ははっとして、カナメに視線を向ける。
自嘲のような声を彼女は上げた。
柄に触れた指先をわずかに強ばらせ、彼女は視線を落としている。
「何ゆえ、我は呪われたのだろうな。神に見放され……。これが天命だと、言うのか……? 神と見えることが、容易だとは到底思えぬ……」
「……それは」
「モブよ、お前は──」
カナメが顔を上げる。
俺を見上げる瞳には、黄昏色を映した憂いがたゆたっている。
濃い藍の虹彩が光を孕み、川面へ落ちた夕映えと溶け合った。
澄んだ声が、水鏡を震わせる。
「……お前は、我に男に戻ってほしいか?」
川下から湿った風が吹き上がり、俺たちの間の草をそっと撫でた。
言葉が出ない。頭ではどう答えるのが最善かを探すのに、胸はただ熱い。
呼吸が止まる。
心臓がひときわ深く鳴り、喉の奥に熱い拍動がせり上がる。
カナメの弱音のような問いを聞き、俺は息継ぎを忘れた。
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〈用語解説〉
※1 男神アラオン=
男神教で崇拝される神。創造神二柱のうちの一柱。
月の化身。死の領域を管理する。
中庸と挑戦を重んじる。
この世界のダンジョンシステムや魂の循環システムを確立した。
時折下界に正体を隠して現れては人々に干渉する。
※2 女神エアラ=
女神教で崇拝される神。創造神二柱のうちの一柱。
太陽の化身。生命を司る存在。
性差をなくすために才能システムと〈女神の呪い〉を導入。
聖素濃度100パーセントの神級ダンジョン〈天界〉で永い時を過ごす。
穢れを嫌うため、アラオンと違い下界に直接出向くことはない。




