第10話 世の仕組みに怒れる男
第一章あらすじ
女が強く、男は“欲”で弱体化する世界。
ラスボスが女に対して無敵であり、原作主人公が女体化した今、俺ことモブ・アイカータは禁欲と知恵で主人公の代わりに世界を救う決意をした。
入学早々、俺は即席パーティで レベル5〈激怒の兎〉を討ち取り学友を救う。
その甲斐あってレベルが1からレベル3まで一気に上がるも、翌朝には欲が暴発してレベルが転落。
あらためて俺はこの世界の男のつらさを痛感するのであった。
春シーズン第一週の四日目、早朝。
「女神いぃいいいいいいい!!」
俺は激怒した。
必ずやかの邪知暴虐な女神をしつけねばならぬと決意した。
俺――モブには女神の差配などわからぬ。
俺は、異世界からの転生者である。
「ふぅっ……!! ふうぅっ……!!」
ひとしきり枕に顔を押し付けて暴れ散らかした後、俺はベッドから降りた。
兎の毛皮スリッパを履く。ベット近くの執務机の前に座る。
力任せにペンを握り、インクに浸した。
革張りのメモ帳に想いをつづる。
そして、我に返り、念入りに斜線を引いた。
背もたれに身体を預ける。天井を仰いだ。
鼻を刺すのは、冷えた木床の匂いだけ。
夜明けの陽がカーテンの隙間を走り、金糸のような光が室内を満たす。
「あああああああっ!!」
両手で顔を覆う。性欲旺盛な自分の体が憎い――もう一度俺は叫んだ。
この世界の女子のなんたる無防備なことか。
距離は近いしいいにおいはするし着こなしも緩い。
少し前まで自家発電を日課とし、エロ本集めを趣味とするような猿が禁欲するには厳しい環境である。
もし俺が原作主人公なら――いや淫魔王討伐を目指していなかったなら、よりどりみどりに女の子たちとあんなことやこんなことをしたに違いない。
というよりやっておけばよかった。
「俺はなぜ律儀に……! うおぉおおおおおっ!」
原作に合わせて純潔を守った結果がこれ。
言いよる女性たちを鉄の意志で跳ねのけた――無理やり迫る人間は母や長姉の威光に頼って逃げた――のも、今となっては後悔が募る。
「飯食お……」
叫ぶだけ叫んで、俺は冷静さを取り返す。
俺は寝室を出て、ダイニングルームに向かった。
◆□◆
春シーズン第一週の四日目、朝。
俺が教室につくとほとんどの生徒が揃っていた。
「モブっちおはよー♪」
「お、おはようございますっ」
「おはよーっス!」
「うぃー。おはよー。今日もいいにお……せぇいっ!!」
「!?」
教室中の手が止まった気がする。みなの視線が一身に集まるのを感じた。
それもそうだ。自分の顔をいきなりビンタする男がいたら誰しも仰天するだろう。
「も、モブっちどうしたの!?」
「ああ、季節外れの蚊がいてさ。とっちめてやった」
「そ、そう?」
「そうそう」
危ない危ないと、内心で胸を撫でおろす。また無意識に変なことを口走りそうになった。
近寄ってくるマールをいなし、何食わぬ顔で俺は自席を目指す。
俺を見る熱い視線のなかに、突き刺すような鋭いまなざしがあった。
翡翠色のショートヘアーの少年と長髪を首後ろで束ねた糸目の青年が、俺の顔を見つめている。
「……」
レン・リーダと、シモン・アウクシル。
風の王国出身らしい緑基調の髪色の男子二人。
レンの険しい目つきに眠るものは何か?
俺は目を合わせる気になれず、さっさと視線を切った。
男子二人の隣を通りすがり、自席に着く。
「おはようモブ。どうかしたか?」
「おはよう。……なんでもないさ」
藍の瞳が爛と輝いている。カナメの問いに俺は生返事する。
ホームルーム後に待つ出来事を考えると、気が重いのは事実であった。
□
ホームルームが終わり、担任のメイリーナが教壇の上から呼びかけた。
「それでは、本日のレベル申告はあるか?」
メイリーナがマジックアイテム〈偉業と経験の写し鏡〉を片手で掲げる。
「……」
俺は呼気を呑んだ。
一瞬目を伏せて、脈を落ち着かせる。
俺がゆっくり手を挙げると、どよめきが教室中に広がった。
「も、モブ?」
背後からの柔らかな声。
そして、前方の男子二人が――いや教室中の人間が、目を見開いては、俺のほうを見ている。
「……レベル3から、レベル2へダウンを申告します」
「――わかった」
教壇からメイリーナが降りる。
そばに近寄り、メイリーナは鏡に俺の顔を映した。
顔の横の中空に白文字で〈レベル 2〉が浮かぶ。
「他にいないな? では、授業の準備に移れ」
笑いを堪えるような目ではなく、哀れみをそっと塗りつける視線が肌をなでる。
前の席の男子二人だけが、俺のことを眩しげに見ていた。
(レベルは冒険者学校にとっては、重要な指標だ……。全員に共有すべきことだと、わかってはいる……)
それにしても、と俺は思う。
周りから「ってことは暴発……」「ごくり」「あーあ」「結局、男は……」といった声が聞こえて来る。
俺は机の上に置いた両手を、固く握り締めた。
□
「お、おいモブ。なにかあったではないか」
ホームルームが終わって、すぐにカナメが背を叩いてきた。
俺は肩をすくめては、微笑を見せた。
「いつものことだ、いちいち気にしてもしゃあないよ」
嘘である。
また経験値を稼ぐ必要があり、内心はらわた煮えくり返っている。
母親からの薫陶で辛うじて怒りを表情に出さないまでで、俺は奥歯を強く噛み締めていた。
「昨日は我慢できなかったか? 和国の鎮魂の御業、教えるぞ?」
俺は絶句した。『んだてめぇ』と手が出そうになった。
指先が白む。心臓がわしづかみにされた感覚に陥る。
その一方――原作ゲームでもあった和国のスキル〈瞑想〉を取得できる道が開き、複雑な心境であった。
周囲がざわつく中、俺は大仰に手を叩く。
場をこれ以上壊さないため、先んじて発言した。
「まじ!? 助かるわー、ありがとな!」
「うむ! では、放課後買い物に付き合ったら教えてやる! 刀を見に行く予定でな。我の教えは厳しいぞ?」
「わかった、放課後ね! いやー、楽しみだなー!」
周りの女子たちは男の俺が気にしないそぶりを見せたことで、落ち着いたようであった。
俺はちらと肩越しに背後を見る。
椅子を引いて立ち上がるレンの姿がそこにあった。
青緑の瞳が俺とカナメを見下ろしている。
──同じ痛みを知っている目だ、と俺は直感した。
「気楽者が」
ぼそりと呟く。まるで、俺だけに聞こえるようにか細い声だった。
レンは椅子を乱暴に机に押し込み、移動する。
従者のシモンが慌てて席を立って、声をかけていた。
「れ、レン様! お待ちくださいっ」
レンは返事もせず、教室を出ていく。
その後ろを、深緑の髪色のシモンが追いすがっていた。
「なんだ? 座学はこの教室でなかったか?」
「まあ、そうだけど……」
「?」
カナメの呑気な発言に、少しばかり呆れる。
俺は二人が出て行った戸を、じっと見つめた。
(まあいい。……とにかく、カナメの戦力が落ちるのは、今後のレベル上げにも響く。ついでに、レベル低下抑制の手段を教えてもらおう)
武器調達とカナメからのスキル伝授を兼ねて、俺は放課後の買い物に付き合うことにした。
◆□◆
春シーズン第一週の四日目、放課後。
交易都市ミカの〈鋼爪武具店〉に俺とカナメは訪れた。
「な、なにぃー!? 一金ーっ!? こ、これがか!?」
「ええ、和国の品は取り扱い少ないですから……」
展示の刀の値札を見てカナメは腰を抜かす。
膝が抜けたらしい。その場にへたりこみ「バカな」と力なく呟いた。




