没落令嬢ですが、幽霊よりも堅物騎士の視線が怖いです。助けて。
前作『没落令嬢ですが、心霊詐欺の罪で有名堅物騎士に捕まりそうです。助けて 』の続きとなりますが、これだけでも読めるようになっていると思います。
私はアカリトリン男爵家の長女ブレナン。
転生者……といっても、よくあるチートや女神の祝福なんて一切なし。
ただの貧乏、いや――ど貧乏男爵令嬢である。
目下の悩みは、四歳の弟クリスの貴族学校の入学金。これが払えそうにない。
制服代も教科書代もかかるのに……もう詰んでいる。
そんなある日、ふと出来心で――知り合いの未亡人に、前世でYouTubeをみて習得した催眠術で
「死んだ人に会える」という暗示をかけてみた。
「……あなた、なの?」
亡き夫の幻を見た彼女は、号泣。
以来、私は「死者に会える奇跡の令嬢」と呼ばれ、依頼が舞い込むようになった。
……いや、ただの催眠術なんです。本当にごめんなさい。
けれど小金が稼げるとなれば話は別で。
気づけば半ば詐欺まがいの依頼を何件か受けてしまい…出来心で…。
だが、そんな上手い話が長続きするわけがない。
詐欺の疑いをかけられ、調査にやってきたのは――
王国随一の魔力と剣の腕を誇る、真面目すぎる堅物騎士。
鋼の別名を持つ王都騎士団副団長スミス・ソニアンだった。
ヤケになって、彼にも「死んだ人が視える」催眠術を試したら……。
彼の目に映ったのは、なんと死んだはずの彼の母親。
……あれ? 幽霊って、存在するんですかこの世界!?
おかげで詐欺の嫌疑は晴れた。が、さらに劇作家ジャックの幽霊に「殺された」と訴えられ――泣きそうになりながらも、スミスと一緒に殺人事件の真相を追う羽目になった。
こうして私は望んでもいないのに、世間から「奇跡の令嬢」なんて妙な噂を広められつつあった……。
◇
劇作家ジャックという幽霊の冤罪事件を解決した劇場の一件から数日後。
私の机の上は手紙の山に占領されていた。捺された封蝋は、獅子、鷲、葡萄の蔓……。
「紋章って、こんなに種類あったのねぇ……」
現実逃避しながら手紙を眺めている。内容はきっと、どれも似たような文面だ。
〈亡くなった祖父に会いたい〉〈戦で失った夫の遺志を確かめたい〉〈死んだ娘の笑顔がもう一度見たい〉
……私がやってるのは幻覚を見せる催眠術であって、本当に会わせられるわけじゃないんですよ…。
一方、どうも魔力がべらぼうにある「あの人」は、無自覚にも「本物の幽霊を呼び出す」魔法が使えるようになっているっぽいのだが。
「お姉ちゃーん、ポストまたぎゅうぎゅうだったよ!」
弟のクリスが、両腕いっぱいに手紙を抱えて戻ってきた。その無邪気な笑顔に少し癒される。
けれど更に机の上に積まれた手紙の束を見た瞬間、胃がギュッとなった。
罪悪感と現実(家計)の板挟み。
弟の入学金、制服、教科書、馬車代……。どう考えてもお金が足りない。
でも、この手紙の依頼に応えて“死者に会える詐欺”で稼いでいいのか――。
いや、ダメに決まってる。
その時。
「先生は、ご在宅か?」
玄関から低く重い声が響いた。
我が家には使用人がいないので、ノックをして直接声をかけるしかないことを
彼はすでに学んでいるようだ。
瞬時に、胃が別の形で縮む。
催眠下であれば、「本物の幽霊を呼び出す魔法」が使えるようになってしまったっぽい「あの人」こと、スミス・ソニアン様だ。
しかも、本人はその力を私の力と勘違いしているというおまけ付き。
王国随一の魔力を持ち、剣を振るっても最強という
王都の令嬢の間でも指折りの人気を誇る王立騎士団の副団長なのに、浮いた噂のひとつもないという真面目さ。
そのまっすぐ素直な性格のせいで、私の「死んだ人が視える」という催眠術に正面からかかってしまい、
死者を呼び出す魔法を無自覚に使えるようになったと思しきこの国最高の魔法騎士が、また、我が家にやってきた。
「……在宅ですが、不在ってことにしてくれませんかね?」
のろのろ玄関に出てみれば、やっぱりそこにかの人は立っていた。
黒髪短髪、鋭い目に無表情。直線ばかりで縫われたような、王立騎士団副団長の制服に包まれた長躯。真面目すぎて、制服の布にまで性格が縫い込まれているんじゃないかって思う。
「王宮で“赤いドレスの残像”が観測された」
スミス様は、いきなりそんなことを言い出した。
「……赤いドレス?」
「深夜、西翼廊下でメイドと衛兵が“赤いドレスの女”を視認。
接近したら消えた。音も匂いもなく、温度だけが下がっていたそうだ。
被害はなし。だが、王太子殿下の命で調査をすることになった」
(おおおお!王宮に赤いドレスの女!めっちゃテンプレ幽霊じゃん!?)
心がちょっと踊る。私は前世で怪談やオカルト大好き人間だったのだ。
だが、この世界には「幽霊」という概念はない。死んだら女神様の元に行く。それが常識。だから、死者がこの世に残るなんて発想は、誰も持っていなかった。
「妖精のイタズラとか、魔術の暴走じゃないですか?」
この世界は幽霊はいないが、妖精はいる。魔法もある。怪談を聞いたことはついぞないが、魔法の失敗で食べ物が急に腐ったり、妖精にドレスを盗まれたりと、そんな話はよく聞くのだ。
「初期判断はそうだ。だが殿下が“面白い”と仰せで、
死者の顕現の可能性も考慮することになった」
――“面白い”で国の騎士団が動くのやめてください。
「先生の力を貸してほしい」
「いえ、その……」
スミス様の黒曜石みたいな瞳が、期待にキラキラしている。
ーーその真っ直ぐで素直すぎる性格だからこそ、私の催眠術にどっぷりかかって、結果、自分で本物の幽霊を視ちゃったんだもんね…。
疑いのかけらもない視線に、詐欺師のなけなしの良心がズキズキと痛む。
もうこれ以上関わったら、詐欺がバレるかもしれない。
お金は欲しいけど、砂金の山に登るようなもので――。
「成功報酬は、王立幼年学校の入学金、全額」
「行きます!全力で!」
……弟の幸せを前に、私の危機管理能力は秒で沈没した。
◇
王宮はいつ来ても、現実感がない。
磨きすぎて反射する白い壁。波のような模様の大理石の床。
廊下の窓は外庭につながっていて、その向こうには針葉樹が幾何学的に並ぶ。
建物も庭も左右対称、左右対称、左右対称。
(左右対称のためにお金かけられるって、最高に贅沢よね……)
貧乏令嬢の感想なんて、そんなものだ。
「ここが、王太子の執務室だ」
隣町に行くくらい歩かされた末に、ようやく目的地に到着。スミス様は迷いなく扉を開ける。
「よく来たね!君が“奇跡の術士”か!」
出迎えたのは、金髪碧眼の青年。笑うと子犬みたいに目尻が下がる――王太子アルフォンス殿下だ。
「初めてお目にかかります。アカリトリン男爵家の長女、ブレナンと申します」
慌ててカーテシーをする私に、殿下はニコニコ笑って言った。
「楽にしてほしい。君には聞きたいことがたくさんあるんだ」
その目は、完全に“面白いおもちゃを見つけた少年”のようにキラキラと輝いていた。
「“赤”は死者だろうか? 私も見れるだろうか」
……いやいやいや、王位継承順位トップがそんな未知の存在に突っ込んじゃダメでしょう!?
しかしワクワク顔の王太子を無碍にあしらうわけにもいかず、
私は、ここに来るまでに考えていたことを元に慎重に言葉を選らんで話はじめた。
まずは今までも、王宮ではこういった不可思議な事件はあったのではないか?という疑問だ。
おそらくそれらは、「妖精のいたずら」「魔法の残滓」などで処理されてきたはずで、実際ほとんどの不思議はそれらの原因だと思う。
しかし、先日の事件で「死者が視える」ことがあるという可能性が多くの人に刷り込まれてしまった。
「そういえば、ここで死んだ人がいたな」
とふと思ってしまい、以前と同じような妖精のいたずらが起こっただけなのに
「死者が出たのでは!?」と思ってしまった可能性の方が高いと思う。
心霊スポットで「霊がみえた」と言う人が多いのと一緒の理論で、いるかもという先入観を持ってみると、枯れ葉でも幽霊に見えるというアレだ。
なので、まずはその「赤いドレスの女」が妖精か魔法のせいではないか?ということを、アルフォンス殿下にお伺いしてみる。
「それが王宮の魔術師にも調べさせたが、妖精の気配も魔法の残滓もないというのだ」
――あ、これガチで幽霊案件かもしれない。
オカルトマニアの血がざわつく。
「目撃したメイドと衛兵から、直接話を聞きたいです」
「いいね」
殿下が軽く目配せすると、控えていた侍従が足早に部屋を出て行った。
「待っている間に、劇場の事件について詳しく聞かせてくれないかい?スミスは事実しか話してくれなくてね」
「知り得たことは、全てお伝えしたはずですが」
「事実だけじゃなく、君がどう思ったかとか死者の思いが知りたいのだよ、私は」
……この二人、正反対すぎる。
堅物のスミス様と、子犬みたいに好奇心旺盛な殿下。
でもスミス様がこれだけ気を許しているなら、殿下は悪い人ではないのだろう。
「私が一番感動しましたのは、劇作家の手紙を発見したスミス様のスコップさばきでございます」
「なにそれ! 詳しく!」
……うっかり与太話を始めてしまった。殿下が楽しそうに笑い、スミス様が露骨に不機嫌そうにしていると、ちょうど侍従が戻ってきた。
「連れて参りました」
入ってきたのは、顔色の悪いメイドと緊張で固まった衛兵。突然王太子の執務室に呼ばれたのだから、そりゃあガチガチにもなるだろう。
「さあ、ブレナン嬢。望み通り、目撃者を連れてきたよ」
「ありがとうございます。では早速、<赤いドレスの女>を見た日のことを伺っても?」
おずおずと口を開いた衛兵が語る。
「あの日は、いつも通りに西翼4地区の3階の警備をしていたところ、メイドの悲鳴が聞こえたので急行し、階段の側で座り込んでいる彼女を発見しました。視線を追うと、階段の踊り場に赤いドレスを着た女が浮かんでいました」
ふむふむ。第一発見者は、メイドの方ということね。
「踊り場には絵画が飾ってありましたので、また魔法使いが絵画から絵を出す魔法でも試したのかと思ったのですが、彼女があまりにも怖がるので、一応報告をあげた次第です」
衛兵としては、こんなことで王太子を煩わすことになって恐縮っぽい雰囲気だ。
私はそれに頷くと、
「歴史の長い王宮ですもの。棲まう妖精も、研究熱心な魔法使いの方も多くいらっしゃるので、こういった不思議なことは度々あるのですね?」
「はい、絵画がひとりでに移動していることや、ランプの光が5色にいきなり光るなど様々な異変が報告されることがありますが、人の気配がなければ、気にしておりません。
人がいればそれは不審者や盗難ですが、人がいなければ妖精か魔術です。
しかし今回は、このメイドが不自然に怯えていたので念の為に」
その言葉に、メイドはガバッと頭を下げた。
「大袈裟に騒いでしまい、申し訳ございません……!」
涙声でメイドは震えている。
資料にある彼女の経歴に目を落とすと――勤続十八年のベテランだ。
衛兵が「たまにある」と言っていたということは、ベテランの彼女が
今までそういった不思議な出来事を全く体験していないわけがない。
なのに、今回にかぎってこんなにも怯えている。
ーーつまり。
「あなた、“赤い女”について知っているのではなくて?」
「違います!」
――“知らない”じゃなく“違います”。
私は確信した。この人が“赤い女”のトリガーだ。
私は踊り出す心をグッと堪えて、神妙な顔をして彼女に近づきソッと手を握る。
「ずっと一人で抱えてきて、つらかったでしょう?」
できるだけ優しく聞こえるように、声をかける。
「大丈夫。この方は“鋼の騎士”スミス様。必ず守ってくださいます」
チラリとスミス様を見ると、力強く頷いてくれた。
「ああ。王立騎士団の名誉にかけて」
その瞬間、メイドの目から涙が溢れた。
「……あの方は、きっとここで死んだ。無念だったろうと……。
劇場の件を聞いて、もし死者が現れるなら“あの方”こそと思っていたら……。
そしたら、本当に赤いドレス姿の女性が現れて」
――これ、本当に幽霊案件じゃない!?
泣きじゃくるメイドを椅子に座らせ落ち着かせる。
呼吸を整えた彼女は、震える声でゆっくりと思い出すように語り出した。
「……十八年前のあの日も、西翼を掃除していたんです。新人で要領が悪くて、夕方までかかってしまって……。ほとんどの方は帰っていて、西翼に残っていたのは私くらいでした」
彼女の声は細く、しかし確かに当時を思い出している。
「片付けを終えて部屋を出た時でした。『あんたが設計図の在処を言わないから、あの人が婚約破棄できないのよ!』そんな女の人の声が聞こえて……」
彼女の肩が震える。
「その直後、言い争う声と悲鳴。そして……大きな“ドン”という音がして……」
――落下音。
私は息を呑む。
「私は怖くて部屋に戻ってしまいました。新人で、せっかく入った王宮勤めを失いたくなくて……。しばらくして様子を見に行ったら、そこには……大きな血溜まりだけがありました」
「すでに誰もいなかったと……?」
スミス様が低く問うと、メイドはうなずいた。
「翌日、衛兵の方に『血が見つかったが何か知らないか』と聞かれた時も……私は“知らない”と……」
彼女は嗚咽を堪えきれず、顔を覆った。
「死んでしまうような量の血が残っているのに、怪我人もいないし
事故の届出もないので不思議だって衛兵の方が言ってるのを聞いて…」
長年抱えてきた罪の意識と、それを口に出すことができた解放感で乱れた感情に彼女はずっと震えている。
「よく話してくださったわね…。別室で休ませてあげるのが良いと思いますが、よろしいでしょうか?」
私の提案にアルフォンス殿下が頷くと、メイドと衛兵は退出していった。
一気に開示された情報に、スミス様とアルフォンス殿下は同時に大きく息をついた。
「血溜まりだけ残って…か。死体がなかったので、事件化はされなかったのかな?」
「どうだろう。その時の騎士団の記録も見てみんと何とも言えんな」
「あ、ではその時期に、失踪した令嬢がいないかも一緒に調べてくださいません?」
私がそう付け加えると、スミスは少し苦い顔をする。
「失踪…もしくは急死、だな」
――血溜まりだけ残り、人は消えた。
それこそが“赤い女”の正体に繋がっている気がした。
◇
それから数日後。
再び王太子殿下の執務室に呼ばれた私は、スミス様と共に書類を覗き込んでいた。机の上には、当時の騎士団記録や死亡届がずらりと並んでいる。
「……これが該当の事件の記録だ」
スミス様の低い声。記録には、太い線が引かれていた。
「……誰かが後から記録を消した跡ですね」
「“事故として処理せよ”との圧力がかかったらしい」
スミス様が指で机をトントンと二度叩く。考える時の癖だ。
殿下は逆に楽しそうに目を細めていた。
「本当に事件はあったね。当時の揉め事の“残像”が、今になって王宮に浮いてたのか」
さらに書類をめくり、スミス様は一枚の書類を殿下に差し出した。
「……フィエ家の長女、ミシェル嬢の死亡届です。
メイドの聞いた18年前の日付のすぐ後に出されたもので、急な体調不良で自宅にて死去、と記載があります」
「詳しい死因は書かれていないね。しかも――」
アルフォンス殿下が指で示した。
「“当該家の名誉のため詳細を削除”とある。ふむ……担当官はリングライト・グストン。ああ、グストン家はカリトリーヌ侯爵家の寄子だね」
殿下は顎に指を当て、ニヤリと笑う。
「当時、ミシェル嬢はカリトリーヌ侯爵家の次男と婚約していたはずだ。だが彼女が急死した後、次男はすぐに別の令嬢と結婚したと母から聞いたことがある」
母って、側妃様のことですね。王太子の話に出てくる登場人物が豪華すぎる件。
「亡くなったミシェル嬢は、母が暮らしてる外宮の設計をしてくれたフェイ家の娘さんだったので、よく覚えているようだった」
「ああ、あのカラクリ屋敷か…」
スミス様がちょっと遠い目をしている。
「楽しい家だろう? 陛下に、絶対に誰も不審者を入れないような外宮を建ててくれと言われて、代々王宮の設計を担うフィエ家の当主が技術の全てを以て作ったらしいからね」
「家人の案内がないと、本当に命が危ないようなトラップだらけだからな…あの屋敷」
「父の、母への愛という名の執着の成れの果てだよ。おかげで私は無事に育ったし、母が今でも生きている」
私もチラッと聞いたことがある。
今の王様は、王妃よりもアルフォンス殿下の母君でいらっしゃる側妃様を明らかに寵愛している。
そして王妃様を疎かに扱われることはないが、お子様も未だ側妃様にしかいらっしゃらない。
名門侯爵家の出の王妃様と、他国の伯爵令嬢だった側妃様の身分差は大きく
王宮内で軋轢を生んでいるのが、今の賢帝唯一の瑕疵だというのがもっぱらの評判だ。
ーーおお、くわばらくわばら。
こういった話は、聞いていないことにするのが1番なので私はさっさと話題を変えた。
「では、赤い女はその急死されたミシェル様かもしれません。その方と仮定して、儀式をしてみましょうか」
殿下の目が、完全に子供のように輝いた。
王位継承者が胡散臭い儀式にそんなワクワク顔しないでほしい。
「では、当時の場所と時間に合わせて……」
こうして、私たちは“赤い女”を呼び出す準備を始めることになった。
◇
王宮・西翼の階段踊り場。
夕陽が落ち、あたりは薄暗く人払いがされ、冷たい空気が満ちていた。
ここが――十八年前、「誰か」が突き落とされた場所だ。
私は階段の踊り場に丸テーブルを持ち込み、儀式の準備を整えていた。
準備といっても、たいそうなことはない。
前世の「コックリさん」をこちらに合わせてリメイクしたものなので、紙とコインがあればいいだけ。
用意した紙に鳥居の代わりに、中央に女神の紋を描きその脇に、YESとNoという文字を記す。その下にこちらの世界のアルファベットのようなものを書き足して、コインを上に置く。
机の上には蝋燭を一本だけ置いてもらった。これは、雰囲気作りのためだけだけど。
ーー王太子直々の案件で失敗したら、自分が幽霊になることになりかねん。
成功率を上げるために、時間と場所も揃え雰囲気作りを完璧にし、当時の目撃者であるメイドにも参加してもらうことにした。
事件のあった時間、18年熟成してきたトラウマがある場所にいなきゃいけない彼女は本当に気の毒である。
「儀式は、この紙の上のコインに指を置いて行います。儀式の間は決して指を離さないようにしてくださいませ。終わりは、コインが女神の紋に戻った時です」
私の声が、静かな踊り場に響く。
テーブルについているのは、私とスミス様、震えるメイド。そして――当然のように殿下本人までちゃっかり参加していた。後ろには、眉間にしわを寄せた侍従さんが控えている。
(……ええ、私も気持ちはわかります。怪しげな儀式への参加なんて、止めたいに決まってる。私もです。)
儀式を始める前に、私は参加者へ「死者がみえる」という催眠をかけた。
手を温石で温めながら、退屈な話を30分。眠気がきて頭が働かなくなったところに、お決まりのフレーズを告げる。
「あなたはいま、高い塔の上にいます。下に降りる階段がずっと下まで続いています。覗くと、底が見えないくらいの高さです。
階段を下って下の階に降りてください。どんどんどんどん、下ってください。
1階下がって、2階下がってまだまだ下がります。3階、4階、5階、どんどん下に行きますーーー」
要はどんどん深く潜っていくイメージができればOKなので、今回はシチュエーションに合わせて塔の階段を下る設定にしてみる。
メイドは、赤い女を見たくないと思う気持ちと緊張のせいで、そもそも眠気がきてる気配がなく催眠にはおそらくかかってない。
スミス様は素直なので、すぐにかかる。その証拠に、わかりにくいが目がトロンとしている。
ーースミス様はいつだって最高だわ。
1度催眠にかかった人は警戒心がなくなるので、2度目3度目はもっとすんなりかかりやすくなる。私はスミス様だけはかかるだろという自信があった。
(スミス様は催眠にかかった。
「死者が見える」という催眠を実現するために、彼が「死者を呼びだす魔法」を無意識に編み出したという私の仮説が本当ならーー死者は出る)
殿下? ……殿下は、ダメだ。この人、好奇心が強すぎて催眠にかからないタイプだ。催眠をかけている最中に「なんでこう言うの?どうしてこうするの?」と考えちゃう人は、催眠状態に絶対に入らないのだ。
(王族絡みの案件で検証なんて、本当はやりたくないんだけど……)
私は深呼吸し、コインに指を置いた。
◇
「ミシェル・フェイ様、こちらにいらっしゃいますでしょうか」
人払いをした西翼は、シンとした静けさと暗闇が支配していて私の声がよく響いた。
「なにか伝えたいことがあって、出ていらしたのではないでしょうか?
ぜひ、お気持ちをお伝えください」
二度、三度と呼びかけたとき。
――「フーッ」
誰かのため息が、確かに聞こえた。
蝋燭の火が、不自然に揺らめく。風なんて吹いていないのに。
「ひっ……!」
メイドが振り返りかけたので、私は慌てて声をかける。
「指を離さないで! 大丈夫、うまくいってる証拠です」
――うそ、私も内心はバクバクだ。
でも、顔だけは余裕の笑みを作る。
「さあ、無念を晴らす機会がきました。おいでください」
その瞬間、背筋にゾワッと寒気が走る。
メイドが震える背後に――ぼんやりと赤いドレスの女が浮かび上がった。
「……!」
スミス様の目が大きく見開かれ、殿下は子犬みたいにキラキラした顔で前のめりになる。
「そこにいらっしゃるのは、ミシェル様ですか?」
問いかけると、コインがゆっくりと「YES」に動いた。
――呼び出せてしまった。
やっぱりスミス様、すごい。無自覚とはいえ、この人完全に本物の霊能者だ。
けれど、彼の視線は尊敬のきらめきと共に、私へ向けられていた。
(ち、違うんです……これはあなたの力であって……私はただの詐欺師です……)
胸の奥で罪悪感がズキリと疼く。
「なにか、伝えたいことがあるのですね?」
私の問いかけに、コインが滑るように動く。
<み><つ><け><て>
「何をでしょう? 教えてください」
<か><が><み>
「鏡……?」
続けざまに、コインが文字を紡ぐ。
<ろ><つ><ぴ><き><の><よ><な><か>
「“六匹の夜中”……童謡のことか」
殿下が不思議そうにつぶやく。この国で子供たちに歌われる、子守唄だ。
「それよりも、そなたは殺されたのだろう? 犯人は誰だ?」
殿下は興味を抑えきれないといったふうに質問をする。
ーーあ、やばいかも。
そう思った時には、コインがそれまでの勢いとはまったく異なった速さで動き始めた。
<こ><わ><い><く><ら><い><こ><わ><い><く><ら><い><こ><わ><い>
コインが狂ったように動き回り、紙を破らんばかりの速さで同じ文字を繰り返す。
蝋燭の炎も轟々と燃え上がり、揺れ動いている。
「っ……!?」
「スミス様! コインを女神の紋へ!」
暴走を止められるのは、彼しかいない。
スミス様が力任せにコインを中央へ引き戻すと、蝋燭の火は一瞬で消え、廊下に静寂だけが戻った。
◇
私は――心臓が破裂しそうな鼓動を必死で抑えていた。
(いやいやいや……本当に幽霊いるじゃん、この世界!)
「……いや、すごいものを見た」
殿下がフッと息を漏らす。とたんに周囲が慌ただしく動き出した。
「殿下、こちらから移動を。アカリトリン男爵家のブレナンといったか、
その方には後で、事情を聞かせてもらう」
殿下の侍従はこちらを睨みながら、アルフォンス殿下を促す。
(そりゃ、こんな変な儀式で殿下を危険にさらしたんだもん。そうなるよねぇ…!)
ここまで上手くいくとは思っていなかったし、最後は殿下のせいで暴走して危なくなったんだけど!とは思うが、こちら底辺貧乏貴族なのでお言葉に従うしかない。サッとたちがると、頭を下げる。
「申し訳ございませんでした」
「よい、やめよ。これは私が望んだことだ」
「しかし!」
下げ続ける頭の上で主従が言い争う声に、もう一つの声が割って入った。
「殿下はやめよ、と言った。その耳は飾りか?」
(今の、スミス様の声!?)
聞いたことないくらい、冷たく低い声だった。言い争いがピタリと止まる。
「ブレナン嬢、私の侍従が乱暴な物言いをしてすまなかった。顔を上げてもらえるか?」
恐る恐る顔をあげると、いつもの変わらないニコニコ顔の殿下がいる。
そして、いつの間にかスミス様が私の前を塞ぐようにして立っていた。
「私は命を狙われることが昔から多いので、周りはみんな心配性なんだ。
許してくれるかい?」
「大変申し訳ございませんでした」
侍従の方が、私に頭を下げているのを見て慌ててしまう。
「ご心配も当然かと思いますので、何とも思っておりません」
「スミスも、いいかい?」
「先生が許したなら。しかし、礼節をもって接して欲しい」
ギロリと侍従の方を睨むと、スミス様も下がる。緊迫した空気に、メイドは顔の色を無くしていた。
「それにしても、鏡とはなんだろうね?」
空気を変えるように殿下がいうと、メイドが恐る恐るという様子で口を挟んだ。
「恐れながら……この踊り場にも鏡がございます。ですが、事件の後……雰囲気を変えるために、その上から絵画が掛けられて……」
「絵画の裏か!」
殿下がぱっと顔を輝かせる。指示を受けた使用人たちが慌ただしく動き、絵画を外すと――そこには確かに姿見が隠されていた。
現れた姿見を、殿下と2人でしげしげと確認する。
「鏡のレリーフにある、この子犬の彫り物可愛いですねぇ。 弟が見たら喜びそう」
うちの弟は、大の動物好きなのだ。 貧乏だから飼ってあげられないけど。
「ふむ。ミシェル嬢の言ってた鏡は、確かにこれかもしれないね。
六匹の夜中に出てくる動物が、全てレリーフに掘られているようだ」
そう言われて、初めて気が付く。六匹の夜中の歌詞はこうだ。
♪ねずみは ろうそく かじってた うさぎは かげへと とびこんだ
きつねは こえなく ほほえんで こいぬは ほねまで ほりあてた
ことりは まよなか うたをやめ こやぎは まくらで なみだした
ろっぴき ならんで しずかなよる とけいが とまれば めをひらく
ゆめかと おもえば まぼろしか そっと そっと だれかよぶ ♪
周囲のレリーフには、六匹の動物の彫刻が彫られていた。童謡《六匹の夜中》の歌詞に登場するネズミ、うさぎ、きつね、子犬、小鳥、子山羊、そして時計も。
「……やっぱり、この鏡だな」
殿下が嬉々としてレリーフを探り始める。
「外宮と似た仕掛けなら……ここを、こうすれば――」
「殿下! お待ちください!」
殿下が鏡のレリーフになにかしようとしたところで、侍従が慌てた声で止める。
「メイドは、もう必要ありませんね? あなたは持ち場に戻るように。
スミス様とアカトリン男爵令嬢は、申し訳ありませんが後ろを向いてください」
「スミスはさんざん、外宮で仕掛けを見てるから意味ないと思うけど」
「で、ん、か?」
「はいはい、わかりました。2人とも、ちょっと後ろ向いててね」
私だって、王宮の仕掛けの解き方なんて知りたくもない。
勢いよく後ろを向くと、ついでに両手で目も覆ってしまう。そうしてしばらく待つと、背後でカチリという音がした。
「もう振り向いて構わないよ。どうやら、この鏡は、扉のようだね」
その声に振り向いて再び姿見を見ると、レリーフにあった時計の彫刻部分が飛び出して取手のようになっていた。
「殿下と先生は、お下がりなってください」
スミス様が姿見の前に行き取手を引くと、殿下がいった通り姿見が扉のように開いた。私のいる位置からは中は暗くて伺えない。
「灯りを」
ランプを受け取ったスミス様は、剣に手をかけながら姿見の中に入っていき、しばらくして無事に出てきた。
中がどうなっているかわからなかったので、その姿を見てホッと息が漏れる。
「中は小さな空間のみ。 敵は、いませんでした。」
ーー敵は、いなかった。 では、それ以外はいたということ?
スミス様が引いたので、代わりに私がそっと中を覗き込む。
そこには前世でいう、ウォーキングクローゼットのような小さな空間があった。
あかりの全くない暗闇でただ一つ目に入ったのは、白く発光するようなまろやさの、骨。
血が酸化したのだろろう、黒に染まったドレスをまとった…女性の白骨化した遺体だった。
「見つけて欲しいというのは、あなたご自身のことだったのね…」
ミシェル・フェイの死体だ。
スミス様がそっと、彼女の死体を外へ運び出す。
「頭蓋に挫傷の痕がある。 メイドの証言の通り、おそらく階段から落ちて
頭を打ったことによる失血死だろう」
死体を改めていると、その手に一冊の本をしっかりと抱え込んでいるのが見えた。
スミス様はそれを取り中身をサッと確かめ、少し考えた後にそれを殿下に渡す。
謎の死を迎えた令嬢が持っていた本がなんなのか、殿下は興味を抑えきれない様子でそれを受け取り中身を改めると、その顔から一切の表情をなくした。
ーーなに!? なんなの!??
急な変化に私が内心慌てていると、殿下は彼女の亡骸のそばに、膝を折った。
「殿下!おやめください!!」
それはそうだ。王族は、滅多なことで膝を折ってはならない。
侍従が止めるが、殿下まったく耳に入っていない様子だった。
「あなたが、わたしを守ってくれたんだね」
膝をついたアルフォンスは、彼女の手をとって額に推し戴く。
「私は無事に立太子し、母もあの外宮で元気に過ごしている。あなたに、最大の感謝を」
その瞬間、廊下の窓から月明かりが一筋差し込んだ。
まるで、女神の御使が彼女を迎えにきてくれたようだと、不謹慎な私を以てして思わせるくらい、その姿は美しいものだった。
◇◇◆◆
――十八年前。
「……こうするしかない」
女官の仕事を終え、王宮の廊下を歩きながらミシェルは胸に抱え込んだ本をギュッと握り締める。
ここには、代々のフェイ家の当主が作り上げた設計の全てと、父が作りだし遺した技術の全てが書きこまれている。
もちろん、父の最後の設計となった側妃様の暮らす外宮の設計図も。
外宮を建ててしばらくして、父母が馬車の事故で帰らぬ人となり、領地で暮らしていた叔父がフェイ家の新しい当主となった。
叔父夫婦は息子に家を継がるため、私は嫁にいくことになるとう。
女には継承権がない。だから、嫁に出されるのに不満はない。
しかし、叔父が持ってきた縁談はどう考えても奇妙だった。
私の婚約者は、カリトリーヌ侯爵家の次男。
カリトリーヌ侯爵家は、現王妃様のご実家ということで大層な権勢を誇っている名家。伯爵家の厄介払いの娘を、侯爵家が引き受けるメリットがまったくない。
理由は、ひとつ。
ーーこの本。
叔父からも、婚約者からも「父の遺した設計図はないのか?」と何度も聞かれるし、実家の部屋も王宮の仕事で留守をしている間に全て調べられた形跡があった。
ーー彼らは、父が最後に設計した側妃様の外宮の設計図を手にいれるために密約を交わしている。
私は確信していた。
叔父は父の遺した設計図を全て渡す代わりに、私を嫁がせカリトリーヌ家と縁を結ぶことを願い、カリトリーヌ侯爵家は、父の遺した設計図を手に入れて外宮に忍び、側妃様を亡き者にしたいのだ。
しかし、叔父が渡した父の資料の中には肝心の外宮のものがなかった。
だから、私が持っているのではないかと彼らは疑っている。そしてそれは正しい推論だ。
カリトリーヌ侯爵家の令嬢だった王妃は、子供がいない。
そして、側妃様はいま身籠っているという噂がある。
父が王の命を受けて、決して側妃を害されないようにと作った外宮は難攻不落と言われていて、カリトリーヌ家は手をこまねいているのだろう。
(それはそうよ。父様が、いままでの当主の技術の全てと、父様が編み出したカラクリの全てを注ぎ込んだんだから)
金に糸目はつけぬという王の言葉によって、全て盛り込むことができると喜んでいた父の顔を思い出す。
「設計図など知らない」で通しているが、側妃の産月が迫るのか彼らも焦ってきているのがわかる。
設計図を記したこの本は、実家には置いておけないので常に持ち歩いている。
燃やしてしまえばいい、何度かそう思ったが、これは我が一族の全てでもある。そう思うと、躊躇われた。
むろん、婚家にも持っていけはしない。
ーー王宮の西翼の端、普段は使われていない資料室にしばらく隠そう。
そう思って、仕事終わりに資料室に急いでいた時だ。私の婚約者と親しくしているという令嬢に呼び止められてしまった。
『あんたが設計図の在処を言わないから、婚約が破棄できないのよ!』
怒鳴り声。 次の瞬間、私の身体は階段から突き落とされていた。
背中と頭に走る衝撃。 目の前が真っ赤に染まる。
血が流れ続けるのを、私は冷たく感じていた。 意識は薄れていく。だが――気づいた。
(このまま死ねば、この本が見つかってしまう……!)
手に入れたら、迷わず彼らは側妃様を殺すだろう。
『この屋敷は迷路みたいね、お父様』
『そうだね。カラクリ屋敷は作り方にコツがあって、むやみやたらに作ればいいってモノでもないんだ』
男しか継げない家業だったが、父は私にもいろいろなことを教えてくれていた。
屋敷の設計から、使用人用の隠し通路の上手な動線の引き方、どんてんの扉の作り方、侵略者を通さない踏み抜き式のトラップ…懐かしい記憶が、次々に蘇ってくる。
『あとは、変な場所に鏡があったら疑うといいよ。仕掛けがあることが多いからね』
父の楽しげな声が聞こえた気がした。
「女神様は、まだ私を見捨ててはなかったのね」
私はなんとか這って、階段の踊り場にあった姿見の前に辿り着く。
母がよく歌ってくれた子守唄を、歌う。 たぶん、声にはなっていなかった。
父が教えてくれた方法で、それぞれの動物を押すと、取手が現れて姿見が開き小部屋が現れた。
そこに身を隠し、内側から扉を閉める。そうすると、表からはまたただの姿見にしか見えなくなる仕掛けだ。
限界にきた身体を横たえると、目の前は真っ暗だったが、それが失血によるものか、ここが真っ暗なせいなのか、もうわからない。 ただ、ここはシンっと静かだ。
「これを正しく継いでくれる方に見つけてもらえればいい」
もう一度、本をギュッと握りしめる。我が家が紡いできた、技術の全て。
「おとう様、おかあ様。ごめんなさい…」
目からこぼれたのが涙なのか、血なのかもうわからない。
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「彼女が守ってた本は、側妃様の外宮の設計図だったんですね」
ある天気のいい日。 私とスミス様は郊外にある森を散策していた。
気持ちい木漏れ日の中、2人でのんびりと歩く。
「ああ。カリトリーヌ侯爵家は、側妃様の暗殺を何度も試みていた。
しかし証拠を掴めず、カリトリーヌ侯爵家の権勢もあり手を打てずにいた王は、
フェイ家当主に依頼し側妃のために鉄壁の外宮を作り、そこでアルフォンス殿下も無事に生まれて育った」
「殿下曰く、王様の偏愛の果ての家ですね」
私がクスリと笑うと、スミス様の雰囲気も多少和らいだ。
ここのところ、スミス様は気を張る調査が続いているので少し雰囲気がピリピリしていた。
「先代のフェイ家の当主は、歴代の中でも突出した技術を次々編み出していたと聞く。彼でなくは作れないと言われる技巧の数々を施された家は、今ではもう買いたくても買えない芸術品とまで言われている」
どうやらミシェル様のお父様の技術は、本当に門外不出だったらしい。
「特に外宮は、ほんとうに謎の機構だらけで…。全てのカラクリを知っているのは設計者と側妃、あと殿下のみと言われている」
そういって、スミス様は本当に嫌そうな顔をした。
「あの家、毎回、玄関の位置が微妙に変わるんだ…。気持ち悪い…」
殿下の警護もする身としては、全容のしれない外宮はあまり気持ちのいいものではないらしい。
「何度も死ぬ目に遭っていた側妃だったが、あの家に行ってからは毒殺に気をつけるだけで良くなったと笑っていらした」
「カリトリーヌ侯爵家は、結局あの外宮からめったに出てこない側妃を殺し損ねて、まんまと王太子を無事に産み育てられてしまったってわけなんですねぇ」
まだ王妃派は力が強いけど、聡く朗らかに育ったアルフォンス殿下は今は王妃派と同じくらい力をつけ始めている。
そういえば殿下は、ミシェル様の遺体が見つかったことは、しばらく公にはしないと仰っていた。
「ミシェル様の婚約者だったカリトリーヌの次男って、彼女が死んだ後にすぐに結婚したって殿下が仰ってましたよね?なら、その次男の嫁が犯人なのはハッキリしてるのに何故なんでしょうか?」
不思議に思って私が聞くと
「そいつだけを捕らえても意味がない。死体がないのに、死亡届を偽装したフェイ家の罪も追求せねばならんし、
今は当時の捜査記録を繋ぎあわせて、血溜まりの件を捜査をしようとしていた騎士団に、「事故として処理せよ」という不当な圧力がかかったという件の証拠を取りまとめているところだ」
ミシェル様を突き落としたというのに、死体がなくなっていたのでフェイ家もカリトリーヌ家も当時はさぞ焦ったことだろう。
騎士団の「致死量の出血がある」という調査結果を見て、ならばと病気で死んだことにして全てをなかったことにした。
そしてフェイ家が死体がないまま虚偽の死亡届を出したことで、ミシェル様はあの暗い小部屋に18年も閉じ込められることになってしまった。しかし、そのおかげで外宮の資料は守られたとも言える。
目的地についた私たちは足を止めた。
フェイ家の墓所の前。先日、ようやくここにミシェル様の亡骸を納めることができたのだ。スミス様が、抱えていた白い大きな花束をソッと墓所の前に置く。
「ーー大変遅くなったが、騎士団の代表として捜査の遅れをお詫び申し上げる。あなたの勇気を無駄にはしない。 もうしばらく、時間をくれ」
カリトリーヌ家の不当を許さず、側妃様を命がけで守ったミシェル様。
彼女が真実、そういった意味であの本を隠したのかは今はもうわからないが、側妃様とアルフォンス殿下の命は彼女のおかげで救われたと言っても過言ではない。
私はその花束に、持参した薄いラベンダー色のリボンを結ぶ。
調査の過程で、彼女の実家の物置に唯一残されていたミシェル様とご両親の肖像画を見て、その時のドレスと同じ色にした。
そもそも<赤いドレスの女>と言われていたが、それはドレスに彼女の血が流れたためで、亡くなった時のドレスも薄いラベンダーの色だった。だからきっと、彼女の好きな色だったんだろうと思ったのだ。
ちなみに、今その肖像画は外宮のエントランスに飾られていて、側妃様が手ずから花を毎日飾っていると聞く。
墓所の前に2人並んで、女神の印を切って彼女の安寧を願う。
(女神の御許で、どうぞ憩わんことを)
すると、ふとどこかから笑い声が聞こえた。
顔をあげると、そこには綺麗なラベンダー色のドレスと同じ色のリボンで髪を結ったミシェル様と、肖像画でみたフェイ家のご両親がしずかに佇んでいた。
『ありがとう』
声は聞こえないが、彼女の唇がそう動いたのが見えた。
突然、強い風が吹いてきて慌てて目を瞑る。目を開けたその後には……誰もいなかった。
(呼んでないのに、視えた…。この世界、野良でも幽霊でるんじゃん!)
テンションがあがりかけた私に、スミス様が冷や水をぶっかける。
「先生は、やっぱり素晴らしい能力の持ち主ですね!」
スミス様もしっかりミシェル様がみえたらしい、尊敬の眼差しがさらに強烈になる。きっと弟だって、私がヘラクレスオオカブトくらい大物を捕まえてこない限り、こんな目で見てくれることはない。
ちんけな詐欺師に残った、なけなしの良心がズキズキと痛む午後だった。
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事は、静かに進んだ。
カリトリーヌ侯爵は、その日のうちに“健康上の理由”で辞表を出し、王宮から下がっていった。
詳細は誰も口にしない。噂はある。正しい噂も、間違った噂も。
それでも王宮は、夕刻の鐘をいつも通りの刻で打ち、厨房はいつも通りの匂いで満ち、侍女はいつも通りの足取りで廊下を渡る。
何も起きていないように、全部が進む。そういう場所だ。
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スミス様は、家まで私を送ると、仕事が残っているらしくお茶も飲まずに王宮へと帰っていった。
春がきているからだろう、空気が柔らかかった。
我が家のある王都の端は、匂いが違う。焼いた穀粉、干した魚、洗濯物、土の湯気。王宮をはじめ、王都の中央は雰囲気が“綺麗すぎる”のだと、いつも帰ってから気づく。
「ただいまー!」
門扉を開けると、庭でクリスがしゃがみこんでいた。手のひらに白い花びらを乗せて、真剣な顔。
「見て! 木いちごの花、こんなにちいさいよ」
「ほんとだ。かわいいね」
「さっきね、庭に“きれいなひと”がいたよ。お花を、こうやって――ぱぁってやって消えちゃった」
クリスは、両手から花びらを放って見せる。ひらり。ひらり。花びらは地面に落ちる前に、ふっと消えた。
「……ひと?」
「うん。風みたいだった」
4歳児の言語力。
私は庭を振り返る。夕暮れの木陰、白いものが一瞬、揺れた気がした。
輪郭はあるようで、ない。目には――見えない。けれど、見られている気がした。
(やめて。新章の予告編みたいな出方、やめて)
深呼吸。空に息を放り投げる。とりあえず、いまやらなきゃいけないことは。
「クリス。晩ごはんは特盛にしよう。人生、体力!」
「わーい! パン二つ!」
「三ついこ」
「やったー!」
台所に向かいながら、私は心の中でだけ、言葉を口にした。
幽霊。――この世界にはない言葉。名を与えれば、形になる。だから、まだ言わない。
でも、確かに、在る。ここに。
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