episode4 ジンジャーエール
こんな形の店だから、常連はできにくい。
絶対に常連の出来ない形の店だと名無しは思う。
それでも一人だけ常連がいるのだから、驚きだ。
カウンター越しに常連である青年ははふはふと料理を食べて、酒を飲んでいる。
どこかとろんとした眼差しで微笑んでくるので、笑みを返す。
毎回この人は、料理を焼き鳥を頼んで食べては帰るのだ。
何度も現世を選んでいる不思議な人だと感じる。
「美味しかった、帰るよ」
「あんたも大変だね、毎回死にかけてる」
「そうだね。でもいつかはまずくなるんだろうね、名無しくんの焼き鳥美味しいのにな」
常連故にルールも知っている。
何度も消えていく客を見るし、毎回来るのだから説明せずに済まない。
初めて説明したときも特別驚いた様子もなく、笑っていた昔を思い出す。
目の前のカウンター越しに腰掛けていた常連は、あの頃説明したときのように笑うと消えていく。
またすぐ会いそうな気がしてきた名無しは哀れむと皿を片付けた。
二階からガオが降りてくる。ガオは匂いを嗅ぐと、しゅんと項垂れた。
「また大好きな匂いがする」
「ああ、越野さんきていたよ」
「また? あの人いつも俺がいないときにくる! 会ってみたいのに!」
ガオがむうと膨れると、すんすん匂いを嗅いでから越野さんが座っていた席へと座る。
名無しは作って余った焼き鳥を目の前に出すと、ガオは大喜びして食べた。
毎回ガオは越野がくると匂いで分かり、越野に会えないことを悔しがり。
会えたりしたアップルはそれはもう大手を振ってガオを虐めて、ルドルフに窘められるのだ。
「なんでそんなにあの人の匂いと相性いいんだろうな」
「わかんないんだ、いただきまーす。塩だー、塩すきい」
「チョコもあるぞ」
「越野さんきたあとだと、これらをくれるから越野さんの日大好き。大サービスじゃあん!」
「越野さん毎回多めに頼むけど残しちゃうんでな」
「不思議な人だね」
「そうだなあ、もう少ししたらガオお風呂いれてやるよ。入浴剤何がいい?」
「らべんだーのやつ!」
ガオは人とのふれあいがないとたまに病んでしまうので、こうして時折メンタルチェックの代わりに風呂や散歩を提案している名無し。
ガオ曰く名無しだけとの交流らしい。ルドルフとアップルは変なさわり方をするから嫌だというのだ。
名無しはこんな子供みたいないたいけな少年にあの二人は何故劣情を抱えるのか理解できない。
自分としての好みはもっとこう……。
「おや、お風呂に入るんですかガオ」
「ルドルフ」
「口元べたべたですよ、鳥の脂で」
ルドルフがやってきてガオの隣に座れば、ガオの口元を綺麗にハンカチで拭く。
拭かれたガオは目を瞑り、拭かれた後にふるふると首を左右に振った。
本当にわんこのような動作だから愛らしいと名無しは笑った。
「どうしました、こちらを見て」
「いや、何にも。和食希望の客がいたら、待たせておいてな」
「はい、心得ました。アヒルの玩具もっていってください、この前買ったんです」
「すぐそうやってガオに甘い」
「おや、貴方もああいうのお好きでしょう?」
名無しは、好きかどうかと言われ、唸る。
好き、遙か昔の感情だ。最近の物に触れて知らない文化だった頃はとうに昔。
今でこそハンバーグだのオムライスだの慣れて作れるようになった。
得意料理はナポリタンだ。和食担当だというのに、アップルの戦略のせいだ。
名無しはぼうっと考え込んでから、そうだな、と頷き。
ガオの頭を撫でる。
「散歩と風呂の準備しておくよ」
「はあい! 今日のおやつなあに」
「もう食ってるだろ」
「やあだあ! またおやつたべるう!」
「わかったわかった、こんぺいとうだ」
「わあい。あれ名無しすごい好きだよね」
「馴染むんだ、とても、口に」
昔から唯一味が変わらないものだからかもしれないな、と名無しは思案しながら散歩の準備をしにいく。
いつもガオとは散歩してからお風呂だったから。
「ガオ、僕からもお土産に月餅渡しますね」
「うん!」
兄弟のように軽いじゃれあいをしているルドルフとガオ。
ルドルフの眼差しの下に、微かな熱が籠もっているのは知っている。
そしてその熱の奥には、酷薄さが隠れているのだというのも。
(それを知りながら。俺も趣味が悪い)
名無しは二階へあがって、着替え始めた。
*
着替え終わると名無しとガオは久しぶりに下界に出かける。
ガオは尻尾と耳を隠すように衣服をだぼっとしたものにし。名無しは衣服を黒いシャツに青いジーンズのものを選んだ。
下界に降りるときはいつの時代かを選べる。今回は2000年代を選んだ二人。
二千年代の付近には大型の国営公園が日本にはあり、そこがいつもガオのお気に入りの散歩コースなのだ。
文明が発展していて便利は便利だが、便利すぎると今度は使い方が分からなくなるので、ほどほど便利な時代を選んでいる。
公営公園で大きなドーム状のトランポリンにぽよぽよとジャンプし続けているガオを眺めて、名無しは自販機で買ったジンジャーエールを呷った。
(自分でも思うよ、なんであんなのに。趣味悪すぎるって)
脳裏に過った顔に嘆息をつけば、ガオが此方に手を振っている。
手を振った間に子供たちに交じり大はしゃぎで遊んでいた。
子供たちに大人気のガオは相変わらずだと感じる。
(アップルとかルドルフが正常なんだろうか。ガオは可愛いし、素直だし。愛くるしい。
でも、愛くるしさの一切ないあいつが……)
名無しはつまみにさきいかを囓ると、はーと深くまたため息をついた。
幸せが間違いなくダッシュで逃げている。
「お前が側にいたら、またなんか違っていたのかな、蘭ちゃん……」
やれやれ、と頭を掻きながらレジャーシートに横になる。
空は陽気で、春の心地がする。爽やかな風の香りから五月だろうと判断する。
いつも年代は選べても季節は選べないから、今日は当たりの日かもしれないと名無しは目を閉じた。
子供の笑い声、遠くで鳥の声。どたどたと走る音。
すべてが愛しく、自分の生きていた時代にないものだ。
どったんばったん賑やかな足音がしたと思えば、寝そべる自分に抱きつく重み。
ガオだ。戻ってきたのだろう。にこにこと嬉しそうだった。
「たくさん友達できた!」
「うん、でも今日だけの友達にするんだぞ」
「うん。ねえ、名無しはさ。なんで天国に行けないの?」
「気になる奴が二人いるからかな。一人は行方不明でさ」
「そっかー。そのうちのひとりって、もしかしてルドルフ?」
「ぶっふ!!!」
飲みかけのジンジャーエールが台無しだしひどく咳き込んで、肺に入って痛い。
ガオが背中をさすってあわあわする。
名無しは咳で顔を歪ませ、ガオを見やる。
「なんで」
「見てればわかるよ! 俺そういうの聡いんだあ!」
「…………俺ちゃんそんなに分かりやすい?」
「ううん、多分ルドルフは気づいてないよ」
「そ、そうか」
安堵で名無しはジンジャーエールを飲み直したのに、苦い顔をしている。
照れてる様子でもなく、まずったしくったという顔だ。
ばれたくない思いだったのだと、名無しは指摘されて気づいた。
「アップルもか」
「うん、アップルも気づいてない」
「そうか……じゃあ内緒な」
「うん! ねえねえ、どうしてルドルフが気になるの」
「……あいつを拾ったとき。深い絶望の目をしていたからかな。いつの間にか、それはなくなって、お前に懐いていた」
「うん、仲良くして貰った」
「……あいつを見てると。自分を大事にしないことへの苛立ちがすげえんだよな……」
名無しのしみじみ呟いた話にガオは、あーと頷いて項垂れた。
同調しているのだろう。ガオはしょんぼりとしながら、おやつにこんぺいとうをもらう。
名無しと向き合う形で月餅も貰ってもっちゃもっちゃと食べ始める。
「アップルから聞いたんだけどさ」
「おう」
「名無しちゃんもアップルも、ルドルフも共通点があるって」
「あいつ……」
「共通点ってなあに」
「いずれ分かるよ……」
この無垢な少年には、大量殺人をした覚えがある仲間同士などと、覚えられたくない。
せめてまだその覚悟を作る時間くらいは欲しいと、名無しはあがいた。
その足掻きをガオは不満ながら許す。
こういうところは本当に気の良い少年だ。
思わず撫でてやる。
「ガオ、みんなそれぞれ事情があるんだ。お前のように、俺も待ち人がいる」
「うん……。その人が居酒屋にくるのを待ってるの?」
「ああ、そいつがきたら。俺は、きっと幸せだろうなあ。ずっと待ってるんだ……どこに行ったか、分からないから」
天国に行かなくてもいいくらいには幸せ、と名無しの顔が緩む。
色恋に滲んだ欲の顔ではないのに、家族のように語るその人物に拘る理由はガオには分からない。
ただ、ガオも同じくずっと会いたい人がいるのだから、待ち焦がれているのだけは分かる。
「くるといいね」
「ああ。それで、まずい料理であってほしい」
「なんで?」
「あんな時代は。あいつには相応しくないからだ」
「どの時代の人なの?」
「戦国時代だ」
それはまた。随分と生きづらそうな時代だな、とガオは空を見上げた。
風が吹き、新緑が揺れている。緑の匂いは青臭かった。