序章 悪女になるまで 崩れゆく希望
愛人として男爵家へほとんど売られると思っていたアルビラは思いもよらない男爵の息子の正妻としての生活が始まる。
「アルビラ。
今日はアフェルキア茶を各店舗に入荷日だ。
販売店への納品は例の通り出来ているな」
「はい大旦那様。
つつがなく。
良質な茶葉だと支店長も太鼓判を押していました。
朝から貴族の使用人達が列をなして店を訪れていると聞いております。
それとシャハルバードからの鉱物輸入の件で現地の支部長が7日後伺いたいと連絡がありました」
「そうか。
それと特別顧客の高位貴族には前もって納品しているが。
全ての貴族には無理があるからな。
まあ~最高級品には劣るがそれでも高級茶葉だ。
じゃあ支部長の件はスケジュールの管理をしておけ。」
「はい大旦那様
今年は天候不順で全体的に価格が高騰しています。
しかも良質な茶葉を生産出来た農場は限られておりましたので」
「お前が高値でオークションで落札した時はひやりとしたが。
今やその倍の価格で取引されている。
うちはその半値で手に入れられた。
市場はその倍になっている。
本当に私が見込んだ以上の実力だ」
「お褒めに預かり光栄でございます大旦那様」
アルビラの結婚生活はある意味異常な状態ではあったが、それなりに充実はしていた。
夫は病弱の割に夜の営みは正常で、アルビラは半年で妊娠が判明した。
但し時折舅の相手もする為に正直どちらの種かは現状わからない。
いや誕生しても祖父に似ても夫に似ていても二人はそっくりなのでアルビラ自身もわからないだろう。
それでも夫リチャードはアルビラの妊娠後の体調を気にかける言葉を口にする。
「食事は出来ているか?
気分の悪い時は仕事をセーブして」
自分の事の様に心配するが、アルビラには響かない。
この人はそういう事でしか自分の存在価値を見出せないのよ。
善人ぶった一番たちの悪いタイプの人。
そういう認識ですら夫を見れないのだからどうしようもない。
現実を影では知る夫は何も言わなければ不満も言わない。
姑は舅とアルビラの関係を薄々感じてはいるが、表立って行動や言動にする事はない。
ただアルビラに対して冷たい軽蔑と憎悪を隠す事はしなかった。
しかしアルビラはそんな事には興味がないとばかりに舅の仕事を補佐し昼夜なく働いた。
今や大きなお腹をかかえながらも商売に扮そうするのが楽しくて仕方がないと言わんばかりに精力的に動いていた。
そんな姿を舅はまじかで見、自分の選択が間違いなかったと確信している。
我が家に相応しい嫁だと。
大きな利益を男爵家にもたらしたアルビラは少しずつ男爵家になくてはならない地位を得ていった。
執事長もアルビラに敬意を示し、姑以外はアルビラを非難する人物は男爵家にはいない。
あの実家暮らしの生活とは雲泥の差だ。
充実した生活にある程度満足していた。
但しある程度だ。
そして初めての息子ベルナードを出産した。
けれど抱いた我が子に不思議なくらい愛情を懐くことが出来ない。
妊娠中にすでに乳母と子守役、教育係は姑によって手配されていた。
アルビラは自分の手で養育できない事を不満も愚痴も言う事もなかった。
専門家に息子の養育を任せたのはしんそこ愛情を持てない事も原因があったのかもしれない。
頬をなでても母性が沸いて出ない。
自分でも不思議だった。
私がおかしいのか?
自分を見て微笑んでいるような顔をする息子を不思議そうに見つまるだけだった。
夫は私と息子を見ながら安心したような表情をして呟いた。
「健康な跡継ぎが……出来てよかった。
無理かもしれないと……おもった………んだ」と。
そう言う夫を見ても何も感じなかった。
実父と嫁を共有しているのを知っているであろうに。
なに一つ文句を言わない夫に愛情は湧かない。
いや感じたとしたら軽蔑の感情だ。
自分で這い上がろうともしないで現状をただ憂う夫に。
ある意味舅には愛とは全く違う感情が生まれていた。
それは愛ではなくどちらかというと尊敬に近いかもしれないと。
こうして商売と妊娠と出産はアルビラの生活は瞬く間に過ぎ去らせてしまう。
自分の可能性を高めてくれる仕事だけが全てだ。
成功した時の高揚感と自尊心の高さで自分を高めてくれる。
そのなんともいえない興奮は絶え間ない欲望を掻き立てたのだった。
そう毎日をリピートしていく事が当たり前になっていた7年後それは突然訪れた。
その日男爵はシャハルバードへ貿易の取引の為に出国していた。
アルビラは丁度散らかった書類の整理に追われ書斎に籠もっていた時だった。
机の上に高く積まれた書類を一つ一つ保管用と破棄用に分けてファイルに綴っていく。
自分の功績の証である数々の書類が誇らしかった。
その当時の業績が。
手ごたえが今も記憶に蘇ってくる。
その時だ。
バッン!!
激しく開かれた扉に反射的に視線を向ける。
飛び込んで来たのは執事のフランツだ。
叱責しようとしたその時に信じられない一言を言い放った。
「若奥様!
大旦那様の乗った帆船が転覆したと連絡が!!」
執事の言った言葉を理解出来ずに思考回路は完全にフリーズした。
茫然と青ざめた執事の顔から目が離せない。
「若奥様!!」
執事長の声が脳の中に突然飛び込んできて、電流が流れたかのようにようやく現実に戻された感覚が戻る。
「……。とにかく情報を……。
シャハルバード支社に詳細の確認を……。
大旦那様が乗船していない可能性もあるわ。
とにかく!確認しなさい!」
冗談じゃない。
何も今男爵を失ってはこの家はおしまいよ。
夫は役に立たないし、姑は家柄だけが立派なだけな人だし。
会社は大旦那様だけで廻していたに過ぎない。
関連会社も取引先も絶対に掌を返すわ。
…でも……。もしかしたら…。
とにかく情報を。
それと最悪の場合を考えて、資金を現金化しておこう。
そう今のうちに銀行にいかないと。
まだ間に合うわ。
まだ……。
順調に思われた豊かな充実した生活が一転またも人生が大きく変わる。