7 エルフ、見参。
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この青の森キャンプ場は、通り抜け禁止だが東西二か所の入り口がある。異世界に繋がっているのは、西の入り口である。
そして西側の草原向こうには巨大な森が広がっている。冒険者達によると、やはりこの青き深淵の森は恐ろしい魔獣が一杯いる魔境らしい。ウン、だと思った。行かなかった俺っちを褒めてやりたい。
冒険者の皆によると、カルロヴィの町に近い森の入口付近はともかく、10キロも入ると魔獣のレベルも上がりかなりの腕が立つ者でないと移動も出来ないそうだ。
ましてオークの群れに遭遇すると逃げるしかない。つまり逃げ回って遺跡の転移門に飛び込まなければ、ダメだったかもしれないと言っていた。
そんな怖い話を聞いたので西の入り口を見るのは、癖になってしまった。エ、何故って。魔獣が来たら即逃げようと思っているからね。可能性も高そうだし。
この前、双眼鏡を覗いていたらチラチラと影みたいのがかすめたんだ。普通に居るんだよ。魔獣がね。マ、いずれにせよ俺っちは森の方には、近づかないつもりだ。俺っちは、何を隠そう慎重派なのだよ。
そんな事を考えていたら、森から突然人影が現れて、こっちにズンズンとやって来る。あれって、魔獣じゃないし、少し似ているがオランウータンやゴリラじゃない。
雰囲気から言えば森の人か! あの森は異世界だもんな。アジアの熱帯じゃない、森の人の意味が違うか。
近づくにつれて女の人の様だと思えたが……、ずいぶんと大柄ではあるが遠目に見ても美人さんである。となると、あの人はお話に出て来るエルフなのかな? 指輪の話がどうたらと言う映画で見た感じに似ているけど……。お約束通り、ちらりと見えた耳も長いようだしな。
でも、プンプン、怒っている。それともエルフというのはいつも怒っているものかなー? と思っているうちに目の前にやって来た。
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アネットによるとエルフさんで間違いないそうだ。アァ、あれからね。怒っているエルフさんを事務所前の広場にお招きして、ジュースによるおもてなしをしたんだ。エルフさんは怒り過ぎていて、話なんかできないぐらいだったんだよ。
そこで冷静になるようにお茶会に誘ったのである。その後に、俺っちの後ろに隠れていたアネットに弁解の機会を与えてやったのだ。これで俺っちが博愛主義者だという事が分かるだろう。
妖精は、正座なんかした事が無いと思ったのだが、アネットは慣れているのか平気で座っている? ひょっとして? こいつ慣れっこになっているじゃないのか?
イヤ、それより何故、俺っちがアネットの横で正座させられているんだろう? それに、訳も分からないまま一緒になって横で反省しているのに、話しかけてくるなよ。俺っちは被害者枠じゃないのか?
「どうした、アネット? 痺れたのか」
「そんなにはね。慣れっこだし、でもお師匠に、知られると拙いのー」
「何が知られると? 拙いと言うんだ?」
「もちろん、マジックアイテムの豆の事よ。あれ、お師匠、とっても大事にしてたから。持ち出したことが知れたら」
「そんな大事な物を、俺っちに使ったというのか?」
「まあ、そういう事になるわね」
「どうしてそんな大事な物を持っていたんだ?」
「偶然かな?」
「なんて事をサラリと言いやがるんだ。やっぱり、俺っちは巻き込まれたんじゃねえのか」
「エーン。私、まだ正座させられるの? 逃げたいわ!」
「ちゃんと、座ってろ!」
「部屋で掃除もせずにウロウロしていると思ったら、お前だったか」
「さすが、お師匠。良くお分かりになりましたねー」
「与えた課題をしにどこへ行ったかと思えば、こんな所で何をしているか! しかも失敗した上に次元の壁をぶち破って! そんな不可視の頭巾ごときで、私の目がごまかされると思うのか? バカモン!」
「……」
「黙っておっても分からんと言うのに! お前が持ち出したのは、私の嫁入り道具の一つになる大事な物だぞ。二粒あったはずだが、二粒とも無いではないか。アネット、あれは一生の愛を誓う時に、互いの頭の上に置いて使う物だ。そうすれば、お互いがいつ如何なる時も、例え遠く離れていても何をしていても分かるという、もういい。サァ、早く出せ」
「……」
「あれは貴重なマジックアイテムなのだぞ。位置特定魔法ぐらい付けてあるわ!」
「そうかー、ぬかった」
「ヒ! 突然、反応が消えたと思ったら……まさか、使ったのか」
「エーと、そうかも」
「あれを、二粒とも使ったとは。あれは、豆と言っているが、世界樹の理の実なんだぞ。そん所そこらに、有る物では無いのだぞ!」
「……」
「それでこやつが、飲み込んだ異人か? 全く、どこのゴブリンともオークの骨か分からん者に、使うとは!」
「……すいません」
「嫁入り道具の世界樹の理の実。あの娘想いの父上に、どう説明したらよいものか? やっと一人暮らしになったと思ったら、弟子のお前が来て悪戯ばかり。ウー、頭が痛いわ!」
※ ※ ※ ※ ※
「フグゥフグゥ。首が、首が……。不肖の弟子で、す、すみま……ク、クルシイ」
「うるさい! 今度という今度は」
「グゥゲ。お師匠、お師匠。皆が見ているから」
「ハ!」
「リョーターもお師匠も、可愛い妖精の首を掴むんだから」
「人聞きの悪い事を言うな。私は肩だぞ」
「ネェ、ネェー。お師匠。もう良いでしょー」
「ダメだ、反省が足りん。正座してろ」
「お師匠、お師匠様! 全部、声が聞こえてます」
「ここに居る者にはフプラハ語など分かるまい」
「リョウターには分かるんですよー」
「あのー。お取り込み中のようですが、どちら様でしょうか?」
「あぁ、そうだった。申し遅れた。すまんな。この少し足りない妖精の師匠をやってる。ミレナ・ミカエラ・バリエンフェルト・セーデン・ヴォルデ・ファートと言う、青き深淵の森のエルフの一人だ」
正座から解放された俺っちだが、まだ頭に血が上っているんだろうなー。ミレナさんはアネットの師匠だそうだ。なぜか、勢いで真名を聞いてしまった感じだが、良かったんだろうか?
よく物語で、魔法使いの真命を知っちゃいけない事ってあるじゃないか。悪魔とか、例のあの人とか。そう、確か闇の魔法使いヴォルデモー●さんとか言ったっけ。
「森良太です。よろしくです。で、後ろで見ているのが、クラドノ国の冒険者のシモナ、ディアナ、アリーヌ、ロザーリア、イレナさんです」
「皆さん、よろしく。ミレナです。いささか、気が立ってますので、ご挨拶はのちほどという事で」
「エ! エルフ」
「エルフだよなぁ」
「目にするのは久しぶりだな」
「私は、王都で2回です」
「私は初めてです。奇麗な方ですね」
「エルフと言うのは怒りっぽいのか?」
「そんなはずは無いですよ。悠久の時間、自然と共に生きる者と言われ、感情はあまり出さないと聞いてますが」
「エルフ。怒らすと怖いですねー」
「怒っていても美人は様になりますよねー」
「美人さんは得ですよね」
「ホンに」
「お腹が空いた」
さすが、大いなる知恵のエルフ。ここにいる皆に解るようにか、すぐにクラドノ東方語に変えて挨拶している。結構、冷静だし礼儀正しいじゃないか。でも、前言取り消し。アネットへのお調べと言う尋問はまだ続いているんだ。
「で、お前は極大魔法をミスって、次元の壁をぶち抜いたという事だな」
「はい、そうです。でも、もともと薄くなっていたんじゃないかな。なんとなくだけど、次元の壁が薄くなっているような気はしたの。けど、私ごときの極大魔法では壁をぶち破るのはできないと思ったの」
「フーム、それはともかく結果は、どうなるか分かっていたのか?」
「少し」
「少しだと? グググ……フゥフゥ。まぁ、今それは置いといて、いつ元の状態に戻るんだ?」
「サァー?」
「サァーだと。なんて、無責任な事を。よくも能天気にそんな事を言えるな。ウー、こんなのが弟子だとは……ホント頭が痛いわー!」
※ ※ ※ ※ ※
さすがはエルフのお師匠である。アネットの居場所などすぐに分かかるようだ。そこで冒頭の怒れるエルフと言うシーンとなる訳だ。尚、アネットの赤い頭巾は、被ると姿が見えなくなる妖精のマントらしい。この前、目の前から突然いなくなったのはこれのおかげなのか。
「本当に、強くて大きいのよ。お師匠様」
「アァ、実感した」
マァ、アネットは120センチ弱、そのぐらいだと6才児の平均値位だなー。アネットにすれば、みんな大きく見えるだろう。と思っていました。だってミレナさんは2メートルはあるし、見るからに筋肉質だな。俺っちの思っていたエルフのイメージからは遠く離れた感じなんだ。
アネットならいつも見上げている事になるな。と、変な所で感心していた。エ、俺っち。俺っちは、平均だと思うよ173.7センチ。67キロだし。
「オイ、念の為に聞いておくがお師匠と言う人は落ち着いて話せば、話の分かる人なんだよな?」
「たぶんーかなぁ? エルフだし」
「そこ。何故、疑問形なんだ! 俺っちは無実だ。むしろ、お前のせいで被害者になったんだぞ」
「たしかに、無実かも知れないけど被害者は大げさね」
「ちょっと待った。師匠のエルフは強いのか?」
「ウン、森のエルフ。チョー強い魔法使いなの。思い込みも激しいし、チョッとミスっても直ぐに怒るし、あんなんじゃ、彼氏なんかできないわ」
「ゲ……! アネット、声が大きい。聞こえるぞ」
「聞こえておるわー! お前ら、反省が足りんー!」
フム、俺っちは、ごく普通の中肉中背の男。指名手配されたらそう書かれるな。いかん、被害妄想になって来たぞ。俺っちは罪人じゃないのに、手配書が頭に浮かぶなんて。
「オイ、アネット。エルフの女の人って、痩せてて気弱そうなイメージがあるんだが」
「ナイ、ナイ。弱いなんてとんでも無いよー」
「あの、筋肉すごいいな! ひょっとしてお前のお師匠。物理的に強いんじゃないのか?」
「自然の中で生き抜く事が出来るのは、強い個体でないと無理。まして、魔獣がわんさかと居る青き深淵の森のエルフなんだよ。当然、強大な筋力と大いなる知恵を持っているわけよ。強力な魔法も使えるしね」
「アネット、それ褒めているんだよね。目の前でプンスカ怒っている、エルフに説教されながら」
やっぱり、こいつには正座なんて、全然効いてないんじゃないかな。ウー、俺っちも頭が痛いわ!
※ ※ ※ ※ ※
さて、時は流れて、それほどでも無いが……。それはともかく事務所前のテーブルに座って楽しい夕食の時分だから、おもてなしをしないとね。事務所の前の広場は屋根に覆われてアケード状になっている。柱だけなので解放感がある。プラスチックのテーブルとイスのセットも置いてあるし、料理を並べるのに都合が良いんだ。
俺っちはジェントルマンなので優しく微笑んで皿を並べ始めた。型抜きされた白い食器がテーブルの上に並べられていく。食器は食堂まで取りに行けば、山ほど置いてあるからな。
もっとも皆の視線は煌々と輝く蛍光灯に向けられていたけど。物の名前を尋ねられて答えるのは吝かではないのだが、残念ながら発電の事や蛍光灯の原理や構造など聞かれても知らんがな……。
尚、バックグランドミュージックはクラシック一択で、事務所に置いてある場内放送用の音源CDである。俺っちは聞き飽きたが、初めて聞く分には良い選択だろう。
「ロザーリア、これって?」
「かなりの物ですね。私の家は貴族の端くれだけど、これだけの物は見たことないわ」
「白磁の皿でしょうかね? 軽いです。そして同じ形で造形されています。さぞや名の有る工房の物かと」
「シモナ、これ何枚もあるようだな」
「昨夜のサンドイッチの大皿もそうでしたね」
次に、型抜きされたガラスのコップが並べられていく。中身は町営水道の美味しい水である。テーブルに、よく喫茶店に有る調味料セットを置いておく。砂糖・塩・コショウ・ソース・しょう油・唐辛子+つまようじのセットである。ちなみに砂糖はステックタイプでは無く、ガラス瓶タイプで昔の喫茶店に有ったようなのである。
「昨夜は、紙で出来た? コップだったが」
「これはガラス製ですね。これだけの食器を出してくるとは、大商人か王侯貴族でも難しいかと思います」
「おそらく、富を見せつけているのでしょう」
ブツブツ言ってないで、冷めちゃうよと声掛けして席に座らす。食事は今まで俺っち一人だったので買い置きしかない。それも、急な事で量も少ない気がする。でもまぁ、有るだけましと思ってもらおう。
メインは、俺っちのお気に入りのレトルトのお惣菜、やわらかハンバーク・チーズ入りだ。スープはインスタントカップスープのコンソメ味である。
「夕食ですね。お世話になります。では、天にお見えになる、我らが全能の……」
「リョウター様、これ美味しいな」
「あぁ、この肉、口の中でとろける。ソースも美味しいな」
「スープも、良いお味」
「そうですか。有難う。お口に合ったようで」
「お前は、ハンバーグ4の1刑だ。私が食べてやる。パク」
「お師匠ー、私の分取らないでー。美味しんだからー」
「泣くな、アネット。仕方ないな。ホラ、俺っちのをこれだけやるから我慢しろ」
ロザーリアは意外と行儀良いな。ちゃんと食前のお祈りを上げているし。夕食は冒険者5人に俺っちとアネットとお師匠ミレナを加えた8人である。食パンの2パックは8枚切りでサンドイッチ用なんだ。6枚切りの方が良かったんだが、冷凍庫に残っていたのはこれだけだったんだ。
オーブントースターで少し焼いて、ソフトバターを塗った物である。アネットのパンは無しだ。お前の体格の良い師匠が4枚食うから無いんだよ。罰だ、罰。罰を与えてやるって言っているんだ。協力しないと、どんなめにあわされるか分からんじゃないか。
それに120センチ弱の妖精が、おかずも有るんだ2枚食えるのかー? だいたい妖精は花の蜜が主食じゃなかったのか? 変な物とは言わないが人間用だからな。食べ過ぎるとお腹を壊すぞー。マァ、俺っちの分を少しやっておいたが。
食パンは、これで全部使ってしまった。冒険者達は体を使う為か量的に足りない感じなので、俺っちの非常用特別食を出す事にした。そう、お替りはカップ焼きそばである。お湯を沸かしてと。尚、エルフはビーガンではないそうで、普通にハンバーグを食べていたのが印象的だった。
ウーン、明日の朝ご飯を足りるかな……。市売品のパックご飯は結構するからね。倹約の為に、多めに炊いて冷凍しているんだ。食堂に有るのは大型でガス用なんだが、事務所のは電気釜だから助かったよ。と言っても、朝ご飯で買い置き分も切れてしまうだろう。こんな事なら、お米をもっと買っておくんだった。
「カップ焼きそば。好き」
「私も、モグモグ」
「ソースって言うのが。不思議な味ですが、これはこれでチュルチュル」
「あんたたち。モグモグだのチュルチュルだの、なんなの!」
「リョウター様が言っているので、てっきり褒め言葉だと」
「ごちそうさまでした」
「天にお見えになる、モグモグ。我らが全能の……今日の糧を……ありがとうございました」
「おー美味かった」
「味もハッキリして、最高の夕食だった」
「白パンも良いな。ショツパン? だったか。やわらかくて」
「食パンな」
皆が食事を終えてまったり気分である。汚れたサラを食洗器まで運び終わり、後はコーヒータイムだ。俺っちはティーの方が良いんだがインスタントのコヒーが残っていたのでね。
「この壺が砂糖。要るようだったら好きなだけ使って」
テーブルの横に置かれた調味料セットの事を忘れていた。味に不満は無いようだったから良いだろう。で、前に出して説明する。説明中、砂糖で手が止まり、塩で口が動かなくなり、コショウでむせていた。暫くして普通に再開したが、コーヒーを出したら、何食わぬ顔で冒険者達が砂糖を5杯も6杯も入れていた。
「このコーヒー? というの、甘くて苦くて複雑」
「普通は、甘党でもそんなにドロドロに砂糖入れないよ。糖分の摂り過ぎだ。夜のお茶うけはいらないな」
「ガーン」
ガーンって、久しぶりに聞いたわ。おそらくクラドノでも言わないよな、これ空耳だよなー。