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地獄送迎

作者: 秋月流弥

 永田栄司ながたえいじの運転はそれはもう酷いものだった。


 自動車教習所で何を学んできたのかと言われるほど。


 栄司の運転する車は蛇行運転もいいところで、車体は右へ揺れ左へ傾き、挙げ句の果てには電柱や標識はまだマシで、住宅のガレージにぶつかることも多々あった。


 最終的には何もないド田舎の田んぼへ単独で突っ込み栄司は静かにこの世を去った。




 だからといって納得出来なかった。


 何故自分が地獄行きなのか。


 目の前で頭をかきながら地獄の主である閻魔は言う。


「だって君の運転でどれだけのものが犠牲になった? 信号機、標識、ガードレールに……」


「生き物は殺してないじゃないか! 全部単独で起こした事故だし、勘弁してくれよ」


 栄司はどれだけ極悪な運転をしても人だけは引かなかった。


 もっと言えば、道を歩くハクビシンを避けて田んぼに突っ込んだくらいだ。自分の運転で命を奪ったことは一度もない。


 しかし栄司のどんな言い訳も閻魔は右から左に受け流すだけ。


「君の運転で被害金額とんでもないことになってるから。銀行強盗が盗む平均金額を上回ってるから。よって重罪」


「そんなぁ」


 栄司が膝を地面につき落ち込んでいると閻魔は言った。


「でも君にチャンスをあげよう」


「チャンス?」


「そう」と閻魔は指を栄司にさしニタリと笑う。


「君には地獄行きの者を地獄へ送る送迎バスの運転手をやってもらう。そこで千人の死者を地獄へ送り届けることが出来たのなら、君を天国行きにしてあげよう」


 こうして栄司は地獄への送迎バスの運転手をすることになった。




***




 そんな閻魔の無茶な要求に答えてはや半年が過ぎた。


「ふんふんふーん」


 栄司は慣れた手つきで地獄行きの死者たちを迎えに行く前にバスをピカピカに磨く。磨かれた皮の座席シートは鈍い光沢を放ち清潔感を保っている。


 続いて窓ガラス。こちらも霧吹きで窓を濡らしてから染み一つない布巾で何往復もする。


「ふぅ。こんなもんかな」


 バス内の清掃を終え一段落する。


 バスの清掃は義務づけられたものではない。


 ただ、少しでも快く地獄へ行ってくれるように乗り心地くらいは良くしないとという自分の考えから出た行動だった。


「今日もたくさん地獄へ送るぞ!」




 綺麗な状態の座席は送迎が開始されて三十分も保たれなかった。


 地獄行きの停留所にて、ドカドカと死者たちが乗っかってくる。


「野郎! 俺は地獄なんてお断りだ」


「そうだ! なんで俺たちが地獄行きなんだよ!」


「降ろさねぇと酷い目に会わせるぞコラァ!!」


 さすが地獄行きのバスに乗る乗員。全員もれなくガラが悪い。


 降ろせだの天国へ連れてけだの地鳴りしそうな怒声でこちらを威圧する。


 終いには全員が天国へ連れてけとバスジャックを始めた。


 バスに乗ったのはこのためか。




 しかし、栄司はこの人たちを地獄へ送り届けないと天国へいけない。


 このくらいの怖さで怯むわけにはいかないのだ。


「運転中は席から立ち上がらないでください」


 栄司はそうアナウンスしてハンドルを大胆に回す。


 あり得ない角度までバスが斜めに傾く。


 そしてバスはアンバランスなまま右へカーブ、左へカーブ。

 猛スピードで爆走しつつドリフトを連発。


 席を立っていたバスジャックの死者たちはバス内でもみくちゃにされ、やがてあまりの運転に一人嘔吐きだすと二人三人と嘔吐きが伝播していき、地獄へ到着する頃には全員大人しくなっていた。




「ご乗車ありがとうございました。足元にお気をつけください」


 ヨロヨロと無抵抗で地獄へ向かう死者たちを見送る。


「もう勘弁してくれ」


「バス怖いよバス」


「地獄よりも地獄だった……」


 ところどころでそんな声が聞こえた。


 自分の運転はそこまで酷いものなのか。


 自分ではよくわからない。


 しかし、運転って楽しいな。


「よし。今日も無事に地獄へ送り届けた」


 今日の分の仕事を終え、心地よい達成感を味わう。


「あともう少しで千人目だな」


 この調子なら天国行きも夢じゃない。


 天国行きの日は近い。そう思うと明日も頑張れる。


栄司はボロボロになった車内の清掃作業に移った。




***




 本日の乗客は一人だった。


 その子は地獄の停留所に一人ぽつんと大人しく立っていた。


「足元お気をつけください」


 ドアを開け、乗車したことを確認。


 バスは地獄に向かって出発する。


「……」


「……」


 静寂が続く車内。


 いつもはバスジャックたちが騒ぎに騒いでうるさいので、この静かさが妙に感じてしまう。


 一人しか乗っていないから静かなのは当たり前なのだが、それにしてもこの少女からは異常な静けさを感じた。




「こんな若いお嬢さんが地獄行きなんて珍しいね」


 別に運転手が話しかける必要はないのだが、あまりの沈黙具合に居たたまれなくなってつい会話をふってしまう。


 栄司に話しかけられた少女は一瞬運転席へ顔を上げたがまた俯く。


「……私も地獄は怖いです」


 消えそうな声で返事をした。


「怖いなら地獄へ落ちることなんかしなきゃいいのに。いったいどんな悪行をしたのさ」


 人のことを言えない栄司だがそんな質問をしてしまう。


 少女は下を向いたまま呟くように答える。


「……自分を殺したの。生きてることが耐えられなくなって。そうしたら地獄行きだって」


「なるほど」


 自殺か。


 どうやら自分に対する殺人でも地獄行きになるらしい。


 生前に苦しんだのにもかかわらず死後も苦しまないといけないのは可哀想なもんだと思ってしまう。




 暗い雰囲気を切り替えるように話題を変える。


「このバスどうだい」


「え?」


「ところどころボロボロだろう。窓ガラスなんかヒビ割れちゃって。ガムテープ補正なんて荒療治もいいところ」


「なんでこんなボロボロなんですか?」


「乗ってくる奴らが乱暴者ばかりでな。天国に連れていけとバスジャックするんだ。奴らも地獄は嫌なんだな。毎日綺麗にしてるんだが期待を裏切らないぐらい毎回汚くしてくれる。ま、最終的には俺の蛇行運転で無抵抗で送迎されるんだけどな」


「……ふふっ。確かに運転手さんの運転酷いもんね」


 笑った。よかった。


「それでも少しでも気持ち良く地獄へ行ってくれるよう車内は綺麗に掃除してるんだ。そういう気持ちって大事だろ」


「わかります。私もこのバスに乗った時、汚いのに綺麗って変な感じしたけれど、温かい気持ちになったもん」


「失礼な感想だな」


少女と栄司はしばらく話をした。


 他愛ないことから栄司の日頃の仕事のこと、そして少女の話になった。


「私、来世は絶対幸せになりたい」


「これから地獄で精一杯頑張ればきっとなれるさ」


 栄司の言葉に少女は黙り込んだ。


 そして、最初に会った時と同じくらいの弱々しい声音で言う。


「地獄は生まれ変わることが出来ないんだって」


「……え」


「閻魔様に言われたの。私、生まれ変わったら今度こそ頑張って生きようと思ったのに……!」


 少女が顔を上げる。


 バックミラーには涙を溢す少女の顔が見えた。




 その涙を見て栄司はバスを真逆の方向へ方向転換させた。


 行き先は決まっている。天国だ。




「運転手さん、どこ行くの?」


「これからすることは誰にも言うなよ」


 栄司はアクセルを全開に踏む。


 猛スピードでバスは空を駆けて行く。




 やがて、暗く灰色だった空は明るく晴れ渡った空に変わっていった。


 天国行きが到着する停留所にバスを停める。


「いいか。自分は天国行きの者だと正々堂々と歩けよ」


 栄司はそう言って少女をバスから降ろし背中を押す。


 少女は戸惑っていたが、俺へ笑顔を向けて言った。


「ありがとう。優しいバスの運転手さん!」




 少女が無事に天国へ行ったことを見届け、栄司は運転席へ戻ろうとバスの階段を上ろうとした。




 その時。




「せっかく千人目の乗客だったのに。馬鹿な人もいたものだ」


 後ろから声がした。肩に手が置かれる。


 添えるだけの優しく置かれた手形だったが、その重さが取り返しのつかない程の重さだと栄司は知っている。


 後ろを振り返ると閻魔がニタリと笑っていた。


「地獄行きの者を勝手に天国へ送るのは重罪だ。罰を受ける覚悟はできているか」


「……ああ」


「あと一人というところで。もったいないことをしたねぇ」


「もったいない、ね」


あと一人で自分は天国へ行ける。


 あと一人だったのに。


 確かにもったいなかったのかもしれない。


 だが、不思議と少女を天国に送り届けたことに後悔はしていなかった。




 例え、代わりに自分が地獄へ落ちるとしても。




「最後に一ついいか」


「なんだい」


「天国に行ったあの子は見逃してくれ」


「……善処しよう」




***




 地獄に落とされて数年が経過した。


 運転手だった頃がいかに恵まれていたか実感する。


 針の山を歩き、血の海に溺れ、釜で茹でられる日が続き、苦しいという表現では生温い感覚を味わった。


 死を切望する毎日を栄司は過ごしていた。


 地獄にいる者は生まれ変われない。永遠に地獄の中を彷徨い続ける。


 死ねないのなら消えてしてしまいたい。何にも生まれ変われなくてもいい。


 ここにもういたくない。この苦しみから解放されたい。


 例え解放される手段が消滅だとしても。


 立っている力も失せ、栄司は横に寝転がる。


 瞼が重い。目を閉じる。このまま消えてしまえたらどんなに楽か。




 しかし、真っ暗に閉じた闇の世界に似合わない軽快な音が鳴った。


「何の音だ……?」


 何かがこちらに向かってくる。




 パーッ!


 軽快で響き渡る大きな音。




 この音は自分が運転していた時に何度も聞いた。クラクションだ。


 クラクションの音はだんだんと近くなり、やがてピタリと止んだ。


 なんだと思って目を開けると、そこには真っ白なバスがあった。


「なんだ……バス……?」


 地獄には似合わない純白のバスに戸惑う栄司。


 自分が運転してきた地獄行きのバスは真っ黒な色をしている。


 このような色のバスは見たことがなかった。


 すると真っ白なバスの運転席からひょこっと顔が覗いた。


「天国行きのバスへようこそ」


 窓から覗いたのは栄司が天国へ送り届けた少女だった。少女はバスと同じく真っ白な運転服を着ている。


「迎えに来ましたよ、運転手さん」


「君は……」


「輪廻転生もいいなって思ったけど、ここでやりたいこともできたので、運転手になっちゃいました」


 そう言って笑う少女に栄司は涙ぐんだ。


「さあ、記念すべき一人目のお客さん、天国にご案内します」


 真っ白なバスはふわりと空を飛び立った。


 慣れない運転なのか、バスは右へ左へと揺れる。


 いつぞやの自分の運転を思い出し栄司は天国までの道のりを懐かしさで胸を満たしながらバスに揺られるのだった。


ありがとうございました!

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