オブジェクト・セクシャリティ
初夏、僕はあなたに恋をする。
月に一度、遊具一つ存在しない広場のような公園に訪れる。あるのは、グリーンカーテンがかかる四つのベンチと中央の欅のみ。
少年達の甲高い声とボールを蹴る音は、草木を揺すらす風よりも心地が良かった。
ベンチに座って本を読んでいると、足元にサッカーボールが転がってきた。
「すみません! 本当にごめんなさい!」
「いや、いいよ。気にしないで」
サッカーをしている少年達の中の一人が、お辞儀をすると皆揃って、お辞儀をした。程なくして、またボールの蹴る音が鳴り始めた。
本の内容よりも、暑さが気になり始めてしまい、集中がもたない。
足元に置いてあったバッグの中にそっと本をしまう。その一瞬の内に、ベンチの横に居た彼女が目に入った。
彼女の名前は、「金襴紫蘇」別名、コリウス。赤や黄色、緑の葉を持つ彼女に、僕は一目惚れしてしまった。
彼女の風に体を任せ、踊っている姿はとても愛くるしかった。
それが僕と彼女の初めての出会いだ。
仕事の都合上、毎日は来れない事は明白である。来れても三週間に一度くらいの頻度でしか会えない。
遠距離恋愛のようなもどかしさと共に、21日間頑張れば、彼女に会えるという嬉しさを胸に毎日パソコンと向かい合う。
初めてあった日から三週間後。今日は、少し早めに家を出た。多くの雀が鳴いている中、笑顔が零れ鼻歌を歌う。
歩いてからどれくらい経っただろうか。雀は鳴き止み、公園には休憩中と思われる老人のペアが二組。それと、少し元気の無い彼女。
「今日は、元気無いね。どうしたの?」
返事など返ってくるはずもなく、葉の具合を見て、水を少しあげた。
「これで元気になるといいね! 今日も可愛いよ」
水を弾く葉を指で撫でると、体を揺らし徐ろに喜ぶ彼女。
彼女を横目で見ながら、この前の本の続きを読む。
「あ、この前のお兄さんだ! 今日はいるんだね」
聞き覚えのある男の子の声が聞こえてきた。
「君は、あの時のサッカー少年か!」
足にボールが当たった時、ボールを受け取りに来た少年だった。彼は、少し髪を切り夏仕様の髪型になっていて、それもまた青春を感じた。
「お兄さん、こんな所で何してるの?」
「好きな人と時間を共有してるのさ。デートってやつだね」
彼は首を傾げて、何か言いたそうにしている事が見てわかった。きっと好きな人が誰かというものを問いたいのだろう。そう思っていると。
「え? 好きな人って? だれもいないよ」
「好きな人って言ってもね、人じゃないんだ!」
もっと何か言いたそうになる。彼の顔が、引きつって頭のおかしい物を見るかのような目でこちらを見てくる。
「分からなくていいのさ。子供の君にはまだ早いよ」
そっかと言わんばかりの頷きをすると、彼は手に持っていたボールを背の方に投げ、リフティングをし始めた。
気づくと、お昼手前まで時間が経っていた。彼女は、元気を取り戻し体をぐっと起こしている。
その姿に安心した僕は、鞄から本を取りだし、再び読み始める。
時間泥棒とはこの事だ。
本を読み終わる頃には彼女以外誰もいなかった。 時計を見るとお昼を過ぎて、夕方と言われる時間まで突入していた。
正直、少し焦っていた。こんなに遅くまで居た事が無かったからだ。
「ごめんね……。僕はもう帰らないといけないんだ。また来るね」
彼女は、また踊っていた。
それからというもの時間があると、その公園に行ってはサッカー少年と世間話をして彼女との時間を過ごした。
仕事で悩んでいる時は、葉を動かし励ましなどしてくれるまで仲良くなった。
そんな肌寒くなり蝉の声も聞こえなくなっていたある日の事。今日は四回目のデートだった。
彼女が何処にも見当たらなかった。隠れているんじゃないかと探し回ったが、彼女が入っていた植木鉢のみがベンチの傍に置いてあるだけで本命の彼女は何処にもいなかった。
焦りと悲しみが募ると、目から一滴の涙が零れる。
「お兄さんどうしたの? 悲しい事でもあった?」
いつも通りサッカー少年が駆け寄ってきた。
「実は、好きな人が消えてしまったんだ」
彼は、唖然とした顔でこちらを見ている。
「それは辛いね……。何か手掛かりはないの?」
「それがないんだよ」
探偵並の力が彼にあったらなと考える。そうすると彼が、ハッと大きな声を上げ、しゃがみ込んだ。
「これって、あの子のじゃない?」
彼の手にあったのは、中心が赤黒い黄色の葉だった。
「それは! 彼女のだ!」
間違いない。彼女は、特徴的な葉をしている。一目で分かるものだ。好きな人なら尚更。
「お兄さん悲しい事言ってしまうかもだけど……」
「うん。どうしたんだい?」
「もしかしたら、枯れてしまったのかも」
彼が言うには生物としての生命が終えてしまったらしい。信じられないし、信じたくもない。
だが、冷静に考えれば僕が愛していたのは植物ではあり、亀や鶴、人間などの長寿ではない。僕にとっては大切なものであったけど、短命なのだ。
「そうか、そうだよね。ありがとう」
彼女を失った事による心の穴は、大きい。
来年来る時に、生まれてきた彼女は全くの別の誰かで僕が好きになった人ではない。
次の日、彼女の事を考えながらパソコンと向き合う。
「先輩今日どうかしました? 元気なさそうですけど」
話しかけてきたのは、入社一年目の部下の子。
「いやまぁ、気にしない方が得だよ」
「先輩らしくないですよ! 何かあれば愚痴でもなんでも聞きますから!」
無言の頷きを肯定と捉えさせ、再び仕事に取り掛かる。
「花恋くん、ちょっと来てくれるか?」
課長の声がオフィスの中に響く。
「はーい! 今行きます!」
うちの部下は、何処かあの花に似ている。