第五草:農具が魔具と呼ばれた日
「はぁへぇ…ぇぇ。」
息切れだかどうか分からない。
ただでさえ、軍手になった裕に呼吸器官があるかどうかも分からない。
だが、確かに裕は疲弊していた。
無我夢中になって無双していた裕は、気がつく。
「あれ?ここ、柚子家じゃあない…。ここ、どこだよ?」
裕は逃げるザッソンすら刈り立てていたらしく、おばあちゃんと一緒に道のど真ん中に居た。
振り返ってみると、村が広がっており、その村の前付近には村人たちがこっちに駆けつけていた。
どうやら村を草毟りしながら横断したらしい。
その光景はきっと、奇異なものであったに違いない。
そう。
裕の頑張りによって、村周囲に雑草ならぬザッソンは一匹…いや、一草も見当たらなくなった。
「これはもしかしたら、オレは英雄になるのではないか!」
裕の脳内は英雄を祭るファンファーレが流れ、たくさんの人たちの笑顔と拍手喝采。
柚子たちから、慕われ、崇められる。
「まさにこの村の守り神!」
村の誰かがそう言い、鼻を天狗にして喜ぶ裕。
「オレ様を今日から『神の手』と呼び、崇めるがいい。」
高笑いする裕に平伏す村人たち。
そのような絵面を期待していた裕だったが、現実はうまくは行かないのが、どの世界でも同じらしい。
気がつけば、おばあちゃんは瀕死の状態。
身体中が痙攣しており、過呼吸に陥る。
目や口から体液が溢れ、弱り果てていた。
おばあちゃんは声を出しているのかさえ分からないほど、荒い息を立てており、返事ができない。
―――と言うよりかは、もう意識があるかさえ危うい様子。
「お、おばあちゃん!大丈夫⁉︎大丈夫、おばあちゃん‼︎」
柚子の声を耳にして、裕は妄想から現実に意識が戻る。
村人たちから、柚子へ大変な事になっていると連絡があったらしい。
急いで駆けつけた柚子の服は所々土埃や傷が目立つ。
「きっと、全力疾走で一目散に村外れの家から村を横断してここまで来たのだろうな…。」
その健気さに歓喜極まるが、裕にその余裕はなかった。
裕の目に前には、栄光ではなく、後悔と罪悪感が広がっていたからだ。
「オレは、ようやく動けれることを知って…調子に乗りすぎた…。ごめんよ…おばあちゃん。ごめんよ、柚子ちゃん。」
それもそのはず。
村では、おばあちゃんが悲鳴を上げながら、草毟りをしながら進行していたからだ。
その様子を見ていた村人たちは、おばあちゃんを心配するに決まっている。
そして、おばあちゃんが瀕死になるまでコキ使った軍手を恐れない者はいないであろう。
この日を境に、裕は『魔具』と呼ばれ始めた。
その由来は、装備すると操られ、オマケに体力の有無に関わらずに暴走する始末…。
それはまさに『魔具』や『呪われし農具』とも呼ばれ、忌み嫌われるものになるのは必然である。
「封印すべき農具。いや『魔具』だね。」
村人の一人がそういうなり、村人たちはおばあちゃんたちにその『魔具』の封印をするように指示する。
丁度その頃、柚子の母親が旦那である柚子の父親の軍手が収納されていた小さい木箱を持って来ていた。
「柚子。この木箱にその『魔具』を入れなさい。お母さんは、おばあちゃんの看病をするから。」
柚子の母親はそう言って、近くの家の中に弱ったおばあちゃんを入れる。
家に入る前に脱ぎ捨てられた軍手。
地面に叩きつけられた衝撃は、さすがに軍手になっても感じるらしい。
「うっ。衝撃波はくるが、痛みは感じないのは幸いかもしれないな…。」
捨てられた軍手を渋々、母親から渡された木箱に入れる柚子。
「おい、待て!待ってくれ!待ってください、柚子様。」
封印として裕は、冷たい木箱に入れられた。
ゆっくりと蓋がしまっていく。
「待てって!俺はまだ冒険もしてないし、チュートリアルすら終えてないぞ!」
裕の声は届かない。
軍手に声帯はなし、空気を振動させる術もなければ、以心伝心のようなものもない。
「せめて、洗って干してから、入れてくれぇぇぇ‼︎」
届かぬとしても、せめてこの異臭と汗まみれの身体は洗って欲しいという願望は、叶うわけもなく。
裕の思いは虚無へ消え去る。
裕は洗われることもなく、木箱の蓋が閉まった。
柚子が歩くたびに揺れる木箱内。
揺れが治まった頃には、農具小屋の奥深くにしまい込まれてしまった。
日が差さない暗闇の中、裕は後悔と罪悪感に打ち呑められそうになっていた。
「 何もできない…何も感じない…いや、汗臭さと土や草の自然の臭さを感じるな…。」
時は経ち、今まで感じていたものに慣れていき、もう臭さを認識できなくなっていた。
そうして彼に残ったものは、ここに入れられた時に犯した罪の重さだけになっていた。
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あれから何日経過したであろうか?裕はもう、自身の存在があやふやになっていた。
「何のためにオレはこの世界へ招かれたのであろうか?」
強制異世界転生をされ、何の説明もなく人ではなく道具へ。
しかも何の因果関係か、まさかの使い古されたぼろぼろの軍手。
その展開に疑問視できない訳がない。
「ああ。こうなるのであれば、こんな世界に招かれなければ良かった。」
強制送還された異世界に少し腹を立てるが、それをぶつける術もなく。
虚しさと絶望が募るだけだった。
ふと、何かが耳に入る。
その音は、どこか遠くから聞こえる。
その音は、単発と言うには程遠く、どこか聞き覚えのあるもの。
人間の声だ。
閉じ込められた場所でも聞こえてくる騒がしい声たち。
「何が起きたのか?」
その頃、農具物置小屋の前に立っている三人の姿がある。
柚子たちは、村の方を見つめ、何か騒ぎが起きているのではないかと、不安の声を募っていた。
その声が裕のところまで聞こえたのだ。
「だが、オレには関係がないことだ。だって、オレはただの軍手なのだから…。」