第三草:誘惑の森で
森の中は静けさで満ち溢れていた。
小鳥のさえずりすらも聞こえてこない。
どんよりした空気が漂う。
異様に静かな空間は、まるで音を立ててはいけない。
暗黙のルールがあるみたいだ。
神秘的な森というよりかは、恐怖で塗り固められた森と表記した方が正しい。
「慎重に行かないといけ。森が奴らの縄張りじゃけ。」
いち早くに異変を察知したのは、元ファーマーズでも名高いファンおばあちゃんだった。
ファンは、周囲に警戒をしながら味方に注意を促す。
「ここに奴の痕跡があるけ。」
ファンの指差すところには、何かを引き摺ったであろう跡があった。
その跡は森の奥の方へ伸びている。
「この奥には、石碑があるでぇ。まさか、あの辺を根白にしているかもでぇ。」
ファーマーズではないが、博識のおばあちゃん。
「石碑と言えば、最近よくこの辺りで妙な噂を聞くかの。」
なんじゃったか?と言わんばかりに頭を傾げる花梨。
上手く思い出せず、眉間のしわが深くなる。
「これ、これを見んけ。」
「なんじゃあ、なんじゃあ、これは⁉︎。」
「見たことがないの〜。」
「これは、お隣さんのボンがいつもしていたハチマキじゃけ。」
「「「何⁉︎」」」
残りの三人が声を上げる。
「「「今、
(なんて、)なんて言ったか(けん)
(の〜)
(でぇ)?」」」
ただ、難聴で聞き取れなかっただけであった。
「じゃから、これはお隣さんのボンがいつも頭にしてたハチマキじゃけ!」
大きな声で久しぶりに発声したせいか、息が荒くなるファン。
「「「おお。そうかえ、そうかえ。」」」
納得している一行。
ボンとは、ファンのお隣さんの青年のこと。
ボンは、魔王討伐戦に駆り出された男性の一人であった。
「じゃあ、ここを通ってお国のところへ向かったかの。」
懐かしいように微笑む花梨。
いないはずの息子の姿が見えたのであろうか。
目元にわずかに滴が漏れていた。
ガサッ。
不意に近くの茂みが揺れ、全員が臨界態勢に入る。
一行が音のした茂みを凝視する。
そこから葉をかき分けて覗き込むように現れたのは、ウサギの顔だった。
この世界のウサギは『うさうっさ』と呼ばれ、特徴的な長い耳と雪景色のような毛並み、赤みがかった前脚を持つ。
危険察知をすると、すぐさま全身の毛を逆立てて、身を大きく魅せるのも特徴だ。
うさうっさの毛はもふもふしており、肌触りが良い。
その品質から高価に売買され、防具や毛皮などに使われる。
またそれは、ファーマーズにとっての収入源の一つでもある。
その性は元ファーマーズも継続される。
茂みから出てきたうさうっさは、二人のおばあちゃんたち元ファーマーズとって格好の獲物である。
「これは、見事なうさうっさじゃの〜。」
おばあちゃんたちに見つかったうさうっさは、危険を察知したらしく、一瞬に毛が逆立ち、真白な雪玉のようになった。
大きくなったうさうっさは草むらから、その身を出す。
通常の野生動物ならば、急に大きくなる動物に対して警戒や逃避を行う者だが、元ファーマーズであるおばあちゃんたちは例外である。
「おお。このうさうっさは良い毛並みじゃけ。捕まえるけ。」
「捕獲じゃ、捕獲じゃ。」
獲物を見つけるなり、元ファーマーズのおばあちゃんたちは、うさうっさに飛びかかった。
うさうっさは、身を大きく魅せているのにも関わらず、全く動じないおばあちゃんたちがただの恐怖でしかなかった。
「ミュ、ミュゥゥイィィ。」
うさうっさは小さい悲鳴を上げて、草むらの奥へ身を潜めようとする。
しかし、自身で身を大きくしたせいで、毛が枝葉に引っかかり身動きが取れないでいた。
「ミュウゥゥ。」
悲しげに鳴くうさうっさは悟った。
ガアァッサ。
周囲を包囲されたうさうっさは捕獲された。
「いいものが捕獲できたの〜。」
「いい手土産じゃけ。」
捕獲したはいいものの、本来の目的ではないため、持ち運び用のアイテムを持ち合わせていない。
そのため、各自で見つけた拘束アイテムを使う。
「これなんか、どうじゃろうかの?」
花梨はうさうっさを抱えたまま近くにあった枝を。
「これじゃあ、これじゃあ。これがいいけん。」
「いや、こっちの方が良いけ。」
ファンたち、元ファーマーズは近くにあったのか?先程まで見当たらなかったオカワカメを持ってきた。
オカワカメ。
蔓は3m以上に長く伸び、光沢のある厚い葉は夏の高温に強く、太陽の光に反射して輝く。
また、百薬と呼ばれるほど栄養価が高く、健康野菜として注目されている植物。
球根から茎、葉も食べることができ、茎葉は加熱すると、ワカメのようになって美味しいらしい。
まあ、要するにこの蔓状の植物で拘束する手筈というわけだ。
元ファーマーズの二人は、花梨が抑えている間にうさうっさの手足を縛り上げる。
「これならついでに非常食にもなって、一件落着じゃけ。」
「そうじゃ、そうじゃ。一件落着じゃけん。」
元ファーマーズ組が笑い合っていると…
「そんな拘束だけで大丈夫だと思っとるでぇ?」
ファンたちの背後から、博識のおばあちゃんが顔を覗かせていた。
その手に握った植物を全員に見せつける。
「なんじゃあい、その植物は?」
「おお、おお。それがここにあったけん?」
「おお、さすがじゃけ!」
花梨以外のおばあちゃんたちはその植物に見覚えがある様子。
握られた植物は、真白なウェディングドレスのように何層も積み重ねられた花弁を咲かせる。
なんとも綺麗な花に思わず見惚れてしまうほど。
「ガーデニアの花じゃでぇ。」
ガーデニアとは、大まかに言うと、少し日当たりが良く、日陰気味の場所に育つ植物。
植物や動物、そして人間の体内にも広く存在する天然アミノ酸の一つであるGABAと言う成分を持っている。
その成分は主に脳や脊髄の中枢神経を抑制し、興奮を鎮める役割を果たす。
そのため、リラックス効果のあるサプリメントにも広く活用されている。
博識のおばあちゃんは、その作用を用いて、うさうっさを眠らせて持ち運ぼうと考えたのだ。
「これで安全に村まで持って帰れるでぇ。」
しかし、それはガーデニアの精油を入手したらの話である。
実際は、香水にするにも冷浸法を二十四時間から四十八時間を何回も繰り返す長期期間の抽出法をやらなくてはいけない。
それ以外にも方法があるが、溶解抽出法は大きな窯や有機溶剤を準備しないといけない。
中世時代にそこまで凝った方法を取れるほど、村は豊かではない。
博識のおばあちゃんが、背負っていたリュックからガラス版に挟まった油脂を出す。
「これは、村で地道に取れたガーデニアを長期間に重ねて作った油脂でぇ。」
さらにリュックからエタノールと水の入った二つの小瓶、大きなストロークを出す。
「お前さん、それをどこで手に入れたけ?」
ストロークとは、この世界における魔法を封印した巻物。
普通は、その辺の村…ましては、辺境の村にあるべきではない代物である。
その多くは、国が厳重に保管しており、魔王討伐戦でその殆どがなくなった。
現在では存在していたかどうかさえ危うい認知度を誇るSS級マジックアイテムである。
「ああ、これかでぇ?これは流れ商人が村に立ち寄った際に、『穴蔵の洞窟』がどこにあるか情報提供した際に貰ったでぇ。」
「「「『穴蔵の洞窟』⁉︎」」」
三人は驚いた顔つきをした。
『穴蔵の洞窟』とは、この村にお住まいの御老人たちしか知らない緊急支援物資や備蓄金貨のある場所を指す。
すなわち、このおばあちゃんは他人に村の重大事項を教えてしまったのだ。
「お前さん、頭は良かったと思っていたが…やりおったけ…。」
もう、お通夜状態は間逃れないであろう。
「落ち着けっでぇ。『穴蔵の洞窟』の中はその時には移動してあるっでぇ。」
その言葉はもう、周りにいるおばあちゃんたちには届かなかった。
だんまりしているところ、博識のおばあちゃんは無視して作業を進める。
「ストローク、調合窯!」
ストロークから白い煙が黙々と出てきたと思えば、光る粉を散らし、大窯が姿を現した。
その大釜に油脂と先程採取したガーデニアの花を入れて蓋をする。
「全ての物体を、総ての理を合わせん。調合抽出法:アン・フルラージュ ‼︎」
博識のおばあちゃんは魔法の大釜を使って、油脂に先程採取したガーデニアに精油を加える。
今までの冷浸法で培った分に上乗せしてガーデニアの油脂が完成した。
完成した油脂に出した二つの小瓶でガーデニアの香りを千倍に薄める。
そうすることで、ガーデニアのリアルな花の香りがしやすくなる。
「これでガーデニアの香水『クチナシ』の完成でぇ。あとはうさうっさの鼻の近くで嗅がせて、睡魔に襲わせて終わりじゃでぇ。」
出来上がった香水をうさうっさの鼻付近に吹きかける。
辺りは甘く濃厚なグリーンフローラルの香りが漂う。
リラックス効果のあるガーデニアの香水『クチナシ』は、その効力を満面に発揮した。
もちろん、周囲にいたおばあちゃんたちも例外ではない。
「おっほほほ。癒されるの〜。」
「ああ、ああ。お花畑が見えるけん。」
「気分が落ち着いて…あれ?先まで何に絶望してたっけ?」
「おほほ。これが『クチナシ』の力じゃでぇ。」
バタッ。
各々が最後に残した台詞だった。




