第六話 閑職
同時刻。
東京都練馬区に位置する陸上自衛隊の朝霞駐屯地の一角に存在するこじんまりとしたプレハブの中で、一人の女性がうらぶれていた。そこは彼女が在籍している部署であり、国際条約機構東アジア支部への、陸上自衛隊における窓口だ。
ただ、在籍者は彼女のみ。というのも、組織としての自衛隊と国際条約機構との連絡は政府を通して行われるため、ここは一般から寄せられた情報や要望を上に伝えるための受け付け窓口という扱いであった。なお、今どきは手持ちのスマホや携帯端末を用いるのが普通で、わざわざ窓口に赴く一般の方々など居ない。おまけにそう言う窓口がここにあること自体、おおっぴらに広報されているわけではないため誰も来ない、まさに閑職オブ閑職と言って過言ではない部署であった。
その一室で、彼女はメールに添付されて送られてきた速報の報告書を官給品のデータパッドで開いて目を通しながら、ため息を吐いていた。
「東富士に出現した生体兵器は、通りすがりの民間軍事会社関係者と思われる人物により排除、ね」
自身の職種とも違い、任地からも離れた場所で起こった事とは言え、同じ組織に属するものとして、その内容には何という体たらくなのかと憤りを覚えるしかない。
実に生真面目な自衛官然とした事を考えているが、実を言うと彼女は学費の都合で防衛大学校に入り、卒業時には任官辞退するつもり満々だったという、特に自衛隊に思い入れがある人物ではなかった。
のであるが、施設発生により彼女の人生設計は大幅に狂わされた。国際条約機構設立に伴う対策法の特例により、任官辞退が認められず防衛大を卒業、そのまま流されるように幹部候補生学校へと進み3尉に任官、以降今までズルズルと勤めてきたのである。
惰性で勤めることになったとはいえ、彼女は生来の生真面目さを発揮して順調にキャリアを積んでいたのであるが、その生真面目さが裏目に出てしまい、現在女性陸上自衛官の出世コースからは大幅に外れてしまっていた。
「あー、もう! アラサーにリーチかかってるって言うのに男っ気はないし! 今の仕事はやり甲斐無いし! もう、辞めちゃおうかなぁ……でもまだ償還金が徴収されちゃうしなぁ……」
見目麗しく、理知的で、隊内でも当然のことながら人気であり、一時は広報の華として自衛隊が編集協力している雑誌の表紙を飾ったりもした彼女であったが――
「どう考えても采配ミスとしか思えない国際条約機構からの指示を、そのまま垂れ流してたらよかったのかしら……でもそしたらあの部隊、絶対全滅してたわよねぇ」
国際条約機構東アジア支部に一時期出向していた彼女は、出された生体兵器出現情報をただそのまま各部隊へと通達するだけの簡単なお仕事に従事していた。
世界中の『施設』の動向をリアルタイムで掌握し、国家の枠にとらわれることなく戦力を抽出し対応させる、それが国際条約機構の役割であったから。
「だってどう考えても死亡フラグじゃない…『施設』から溢れた小型生体兵器の群れに対大型生体兵器用の機甲科の部隊差し向けたり、その逆に大型生体兵器に普通科の部隊充てがったり。その情報の行く先が間違ってるって思うじゃない、普通。実際差し替えて送ったら被害皆無で万々歳だったのに、さ……」
そう。装甲戦闘車両を主体に構成された部隊を、小型生体兵器の群れに向かわせる、その逆に歩兵を中心とした部隊を大型生体兵器に向かわせる。本来ならば、どちらもありえない命令だ。
戦闘車両の攻撃は小型生体兵器に当てることは難しく、当てることが出来たとしても威力過多だし、大型生体兵器に歩兵を差し向けるなど、それこそ今回の富士での一件のように厳しい戦いとなるだろう。殲滅できずに被害だけが広がったり、蹂躙され全滅していたとしても驚かない。
たとえ装備が充実していたとしても、だ。
「今回の件も、そもそもの生体兵器出現の情報自体が通達されてないし、あの噂話、やっぱり本当なのかしらね」
誰はばかることなく、机に突っ伏し顔を伏せる。
噂話……とは言うものの、かなり信憑性が高い内容だ。
国際条約機構からの指示が、部隊の損耗を目的としているのではないか、と思うほどの失策が含まれているという。大抵は部隊名の誤記や、改変された組織の更新が遅れていたというもっともらしい理由で撤回されるのだが――時に、その撤回が遅れる事がままあり、結果――。
「――部隊の損耗率とか考えると怪しさ大爆発ってレベルじゃないんだけど、それならそれで、どうして私が指示をイジったときはキッチリ叱責されるのよ……って話なんですけど!」
それはそれで立派な命令違反であり、こうなることも加味していたとはいえ、だ。
「……わかっちゃいるのよ、今なら。どうせやるならちゃんと足がつかないように隠蔽位して当然だって。あの頃はまだ青かったのよね……」
突っ伏した机の上で、誰に言うともなく呟く姿は情けないの一言に尽きるが、だがしかし憂いを秘めたその表情を見る者がいれば、何を犠牲にしてでも手を差し伸べてやりたいと思わずにいられない、そんな容姿を持つのが彼女、瑠久院あすらだった。
「あら、もうそんな時間?」
そんな彼女の耳に届いたのは、課業終了を告げるラッパの音色であった。
「あー、今日も一日お疲れ様! 疲れるようなこと一切してないけど!」
誰もいないプレハブの中でそう声を上げたあすらは、事務所の戸締まりを終えるとそのまま基地をでて自宅へと足を向けたのである。