05
私の私物が以前と変わらぬ配置で置かれた殿下の寮と言う名の邸宅で私は何故か同じ髪色を持つ兄アルトと机をはさんで向かい合わせで座っている。
何故このような状態になったかと言うと、殿下のトンデモ発言に頭をパニックにしながらも状態を確認しなければと急いで自分の部屋に戻った私は、朝までは確かにあった私の荷物が綺麗さっぱり無くなっている室内に愕然とした、そして荷物が全部移動させられた部屋の中に佇む兄と目が合った。
兄とこうして会うのは何年ぶりだろう?なんて暢気な事を考えていたら兄に「話がしたい、ここでは何もないから殿下の寮に行こう」と言われて素直に兄について行って、今現在殿下の寮の私の部屋で兄と差し向かいで座っているというわけです。
私が侯爵家から連れてきた侍女が暖かな紅茶の入ったティーカップを私と兄の前に置くと、兄はその侍女に部屋の外で待つように伝えて私へと視線を向ける。
「人に聞かれたくない話だ、結界を張ってくれるか?」
何故?と素直に思う。
私の魔力量は兄よりも多い、だが結界を張る程度なら兄にだって出来るはずだ、なのに兄は態々私に結界を張れという。
私が疑問を感じたことに気付いたのか兄は小さく息を吐き出した。
「マリーアの魔力で張った結界じゃないと簡単に破られる可能性が高い、だからマリーアに結界を張って欲しい」
どいう意味なのだろうか?理由は分からないが私が結界を張ることは決定事項らしく、兄は優雅にテーカップを持って紅茶を飲みだした。
仕方なしに結界を張った私は、紅茶を飲む兄に視線を向けた。
「こうしてお前と話すのは久しぶりだな」
兄の言葉に私は素直に頷く。
彼の言う通り兄とこうして言葉を交わしたのはいつぶりだろう?領地で母と二人暮らしていた私は王都のタウンハウスに住んでいた兄とは滅多に顔を合わすことはなかった、幼いころから離れて暮らす兄妹だからだろうか兄と兄妹と言う認識は薄い、今だって同じ髪色を持っているから兄だと気づいただけで、顔すら朧気にしか覚えていなかった。
「ところで私が送った本はちゃんと覚えたか?」
兄に本の話題を振られて私は前世の記憶をはっきりと思い出す原因になった分厚い辞書のような本を思い出す。
実は私には前世の記憶が幼いころから微かにあった、食べた事も見た事も無いお菓子を無性に食べたくなったり、知らない事を調べようと思ったときにスマフォなるものを探そうとしたり、不可解な事は小さな頃から幾度もあった、だがそれが前世の記憶なのだと気づいたのは兄から送られてきた本を読んだ時だ。
この学院に入学する半月前に送られてきた本には兄の手紙が添えられていてそこには『ロビン殿下の婚約者ならこれくらいは最低限覚えておけ』と言う命令だけが書かれていた、殿下の婚約者で有る事に興味すらなかった私だが、何故かその時は素直に兄の手紙に従い本を読むことにした。
分厚い本には細かい字が並んでいるだけで挿絵など一切なかった、だがそこに書かれていた内容を読み進めていくうちにこれがこの国の貴族に関して書かれている本だという事が分かった。
個人の名前その横に書かれている貴族としての爵位そして家族構成に属する派閥、個人情報満載の本に初めは戸惑いを感じはしたが、私はこれらを知らなければいけないそんな使命感にも似た感覚を覚えて本を読み進めていった。
はじめは王侯貴族の名前やその役職から始まった本、そして読み進めて行くと何故か聞き覚えのある名前が次々と出てきた。
ロビン=ヴァイゲル、アルノルト=マレク、ヘルムート=ラインケ、テオ=シュタルクその名前を口に出した瞬間私は前世の記憶を一気に思い出しこの名前があの乙女ゲームの攻略対象者の名だと認識した。
前世の親友がドはまりしていた乙女ゲーム、もしこの世界が私の思ったように乙女ゲームの世界なのだとしたらいったい私はどんな立ち位置なのだろうか?そう考えるのは自然な事だと思う。
そして私は自分の名前『マリーア=シュトルツェ』と呟き、自分がこのゲームの中の悪役令嬢なのだと知った。
最悪だと思った、それはそうだろう完全に思い出したと同時に自分の置かれている立場が色々と積んでる状態なのだと認識せざるえなかったのだから。
そこから私は私が悪役令嬢にならないために色々と考えた、必死に前世の記憶を思い出し回避するにはどうするべきかと、だがさして頭の良くない私が考えたところで解決方法など見つかるはずがない、学園に入学しないなんてことも考えたが、私の父親がそれを許すような人でない事は分かり切っている、野心家のあの父が王族と繋がりを持つ道具である私を侯爵家の領地の屋敷に引きこもる事を許すわけがない。
だから私は開き直ることにしたのだ、彼らに関わらなければ何とかなるだろうと、そして今それは何ともならない状態になっている、これがゲームの強制力と言うやつなのか?
「一応は全部読みましたが、覚えたとまでは・・・」
私の答えに兄は不服そうな表情を見せため息を吐き出す。
兄の態度に私はイライラとする、だいたいだあの辞書のように分厚い本を半月で覚えられるはずがない、それとも何か?兄はあれを全部瞬時に覚えられるほどの頭があるというのか?
そこまで考えて目の前の兄に視線を向ける、サラサラのストレートの長めの前髪、そこから除く薄紫色の瞳は彼の整った顔をより美しく見せている、成人前の成長途中の彼の体は華奢ではないが騎士のように鍛えられてといった感じもない、服を脱いだらどうかは分からないがガリガリでもなく整った体をしていると思う。
切れ長の鋭い瞳にすっと高い鼻、一見冷たそうな表情だが知性を感じる、そう、いうなれば兄はインテリ系男子と言った見た目をしている。
兄の見た目を考えるともしかしたら彼はあの分厚い本を一度読んだら覚えられてしまうほどの頭脳を持っているのかもしれない、そうなると半月も期間があったのに全部覚えられていない私に対して失望したとしてもおかしくはないだろう。
だが私の頭は凡人だ、凡人はあの厚みの本を半月で覚えるなんて芸当出来るはずがない、天才はもう少し凡人の能力を理解するべきだと思う。
「まー読んだだけまっしか、お前は王族だけでなく貴族にすら興味がないからな読んですらいないかもと思っていたからな」
失礼ではないだろうか?関係を極々希薄だったが兄妹に対して失礼過ぎないだろうか?だが兄にしたら私と言う妹は彼の野心のための駒程度なのかもしれない、そう考えると彼が私に興味がなかったのも、平気で失礼な事を言うのも普通なのかもしれない。
父は凄い野心家だ、出世のためなら家族など犠牲にしてもいいと思っていると思う、兄を含め父親の事も興味がなかった私には分からないけど、母親を見ているとそう感じる。
そんな父親と暮らしていた兄が父親と同じく野心家である可能性は高い。
「俺は次の王にはロビン殿下がなるべきだと思っている、俺も成人を迎えたし学園ももうすぐ卒業するシュトルツェ侯爵家次期当主としてそろそろ動き出さなければならないだろう、そうなると妹であるお前の立場を確立させておくことが重要になる」
兄の言葉に私の予想は間違いでなかったと確信した。
彼は次期侯爵当主としてゆるぎない地位を欲している、その為に私と言う妹を駒として有効活用したいのだろう、私とロビン殿下が結婚し王家との繋がりを確固たるものにし次の王を殿下にすれば、今よりもシュトルツェ侯爵家は地位を上げることが出来るはずなのだから。
「お前は殿下に興味が無いようだが、殿下がお前に興味を持ってくれてよかったよ、未成年の男女が婚約しているとは言え一つ屋根の下で暮らすのはいかがなものかと思うが、殿下と関わらないでおこうとするお前にはこれくらいが丁度いいのかもしれんな」
丁度いい訳がなかろ、まだ十五歳の男女が一つ屋根の下生活するとか第三者が居たっておかしいだろ?間違えがおきたらどう責任を取るつもりですか?常識ある第三者が止めるのが普通じゃないんですか?
無表情で心の中で突っ込みを入れている私だが、兄はそれに気づく気配はなく優雅な仕草で残っていた紅茶を飲み干すと、立ち上がり部屋を出ていこうと動き出した。
動き出した兄を見送ろうと私も立ち上がりドアの方へと体を向けると、兄がこちらを振り返り私を見つめてくる。
兄の薄紫色の瞳から何かを後悔しているような色が見えた気がする。
「俺は弱くて自分自身を守ることしかできていない、母上にお前はお前の事だけを守ることに集中しないさいと言われたが、マリーアや母上に何も出来ていない現状をどうにかしたいと思っている、それとマリーア、君が人として幸せになりたいのならロビン殿下を選ぶべきだと思う」
野心家で有るはずの兄から意外な言葉を聞き私はその場で立ち止まって何も聞き返すことが出来なかった、その言葉にどんな意味があるのかとか、自分自身を守るとは何から守っていたのかとか、色々と聞きたかったはずなのに。
兄は私に「じゃ、また会いに来るよ」と微笑みながら言うとドアを開けて部屋の外へと出て行ってしまう。
一人部屋に取り残された私はベッドにダイブして今までの事を振り返ることにした。