第八話.王の血脈
大内軍の陣中は、連日、連歌や和歌、音曲で賑わっている。
大内義隆は、当代きっての文化人であった。連歌はこの時代、武家にも浸透していた教養の一つであったが、義隆はそんな連歌だけでなく、和歌や漢詩、音楽など芸能全般に精通していた。その教養は、京から山口にやってきた公家たちが驚くほど洗練されたもので、義隆が歌を詠む度に、陣中には感嘆の声が響く。
「流石は義隆殿、なんと美しい句であろうか」
「まったくその通り。この平凡な雪景色から、京の山々が浮かび上がってくるようですな」
公家たちは、軍容の中で形成されたその異様な陣中の一角で、義隆を盛んに誉めそやす。
通常、戦に赴くことのない彼らを帯同していることからも、この出征の特殊なことがわかるだろう。この戦は、義隆にとって負けることのない戦であり、公家たちにとっては、物見遊山のようなものであった。隆房らに言いくるめられた彼らの頭の中には、実戦があることすら想定されていない。
(そもそもこやつらは、何もわかっていない)
隆房は女のような美しい眉をしかめて、義隆を誉めそやす公家たちに冷たい視線を向ける。
隆房にとって、義隆の文化人としての美しさは、その一面にすぎない。その根底にあるのは、武家としての義隆の力であった。この公家たちは、義隆の奥底に眠る猛々しさを知らない。隆房はそれを、誰よりもよく知っている。
大内氏は他の武家とは違い、百済の聖王の第三王子、琳聖太子の後裔を称していた。その異国の王族の血統は、大内家をどこか他家とは違う特別な存在に見せていた。
その王族の神秘的な血の上に、武士であり公卿である義隆が存在している。それは隆房にとって、奇跡のように思えた。その義隆を、自分たちと同じ存在だと思っているこの公家たちの姿は、時に隆房の目に不快にも映る。もともと隆房は、戦乱を避けて京から逃れてきたこの公家たちを、快く思ってはいない。
何よりこの連中は、文無しであった。その困窮した連中が、大内の経済力をあてにして山口にやってきては、偉そうに京のことを指南する。隆房だけでなく武断派の人間には、そんな公家に辟易する者も多かった。
もちろんそんな人間が何十人いようと、山口の経済はいささかも揺るがない。
寧波の乱と呼ばれた事件で、実質的に日明貿易の競合者であった細川氏を排除してからは、明との貿易は、大内氏の独占するところとなった。朝鮮との交易も合わせて、その利益は莫大であった。その経済力は、戦国大名随一といっても過言ではない。山口の繁栄は、戦乱の続く京をも凌いでいたのだ。
もちろん隆房も、公家との交流が、まったくの無駄であると思っているわけではない。この時代、実力のある戦国大名は、官位を朝廷から賜ることなく、勝手に自称していたが、大内家は義隆だけでなく、その家臣に至るまで朝廷から本当の官位を賜っていた。この背景に、山口に下向していた公家たちの働きかけがあったことは、間違いない。それが、大内家の名声を上げているのも事実であった。
しかし、大内は武家である。特に、尼子との戦いの最前線にいる武断派の家臣からすれば、義隆の周りに侍り、美辞麗句を並べるだけに見える公家たちに反感を抱くことも、無理からぬことであろう。若い隆房も、その一人であったのだ。
そんな公家たちを帯同するのも、今回はやむを得ない。実のところ隆房は、この戦が長期戦になることを、ある程度想定していた。出雲の懐は深く、奇襲を警戒した進軍は、自然とゆっくりしたものになるだろう。尼子十旗と呼ばれる出雲の支城も堅固であり、何よりその中心に位置する月山戸田城は、天空の城と呼ばれる堅城であった。ある程度の長陣は、やむを得ない。
そんな長陣の中に義隆を置き、その武将の血をたぎらせること。
それも、隆房の狙いの一つであった。最近の義隆は文化に傾倒して、武士の血を眠らせていた。それが前回の吉田郡山城の戦いで、隆房の後詰として安芸に布陣した際に、目覚める兆しを見せていた。これを逃す手はない。
そのためにわざわざ隆房が説得して、公家を帯同させている。まずは長く戦場に義隆を置くことが、必要であった。
これは、隆房だけの考えではない。そこには大内家重臣で武断派の一人、内藤興盛の助言があった。長く重臣として仕える興盛は、義隆の扱い方を心得ており、孫娘が隆房に嫁いでいる関係もあって、若い隆房を後援する立場にあった。隆房もそんな興盛を信頼し、度々助言を求めていた。大内家文武の要として、この出雲攻めにも出陣している。
やがて、昼から始まった連歌会は盛況の内に幕を閉じ、傾きかけた陽を背に公家たちは退出した。それを見て、満足気な表情で下がる義隆を見送った隆房は、興盛のもとへやってきた。
「公家の美辞麗句ばかり聞いておると、耳が腐りますな」
開口一番の隆房の言葉に、興盛は苦笑した。
「まあ、そう言うな。此度はじっくりと腰を据える戦でもある。彼らにも、長く働いて貰わねばならんのだぞ」
今回の戦は、負けることのない戦であると同時に、負けられない戦でもある。この戦に敗れれば、主導した武断派の威信は地に落ちる。用心を重ねて、事に臨まねばならない。
「隆房殿、この戦、辛抱が肝心ぞ。もしも敗れることあらば、この後、山口の政は相良武任ら文治派の思うがままになろう。宿敵尼子を打倒するためには、使えるものは何でも使うべきだ。くれぐれも、御公家殿の扱いは丁重にな」
「心得ております」
かつて先代大内義興は、足利第十代将軍義稙を奉じて上洛し、天下を采配する立場にまでなったが、その義興が、京から帰国せざるを得なくなったもっとも大きなきっかけが、尼子経久の勢力拡大であった。その因縁の尼子を打倒し、義隆の上洛を実現するのが隆房の望みであり、義隆自身の目標でもあった。
この一戦は、そのための布石だったのである。
明くる日、連歌の会が催されていた陣中では、一人の若者が義隆の前で、笛を吹いていた。
その若者の名は、大内晴持という。土佐中村に勢力を張る、土佐一条氏の当主であった一条房冬の息子で、母は義隆の姉にあたる。つまりは、義隆の甥であった。
義隆はこの歳まで、男子に恵まれていない。男色が過ぎたため、と噂する者もいたが、館には側室が何人もおり、身分の高くない女も多数住まわせていた。荒淫でありながら実子は幼い女子一人で、男子はいない。晴持は、そんな義隆に養嗣子として迎えられた男子であった。つまりいずれは、戦国大名大内家のすべてを継ぐ人物である。
晴持の実家である土佐一条家は、五摂家の一条家の分家であり、その血筋は、公家の中でも超一流と言っていい。また晴持は容姿に優れ、歌や芸能といった教養に明るく、義隆に可愛がられていた。実子でなくとも、大内の後継ぎとして申し分ない若者であった。
晴持の笛から奏でられる音色は、若き生気に満ちた力強い音色で、その陣中に響き渡る。目をつぶって聞いていた義隆は、その演奏が終わると何度も頷いた。
「……よい。よいぞ、晴持。音色に雄々しさがある。この冷気を割く猛々しさがある。若い頃は、それでよい」
「はい、父上」
笛を下ろす晴持は、端正な顔に笑顔を浮かべる。
「そなたは本当に、飲み込みが早いのう。雅なことにかけては、余の若い頃を遥かに凌いでおるわ。実に、将来が楽しみであるな」
晴持は、将軍足利義晴から晴の字を賜っていた。最高権力者である将軍義晴から偏諱を賜ることは、当時一番の名誉である。その事実からも、義隆の晴持に対する期待が見て取れる。
「よいか、晴持。大内家の当主は芸能だけでは務まらぬ。政も戦の采配も、身に付けていかねばなるまい。今ここにいる者どもは皆、余の信頼する家臣じゃ。この者どもの話をよく聞いて、よい王を目指さねばならぬぞ」
陣中には、陶隆房、内藤興盛、杉重矩、冷泉隆豊の四人の重臣がいた。この四人が、現在の大内の軍事の要といっていい。
義隆は事あるごとに、王という名称に拘ることがあった。そこにあるのは、異国の王族の血が流れる大内家は、他の大名とは根本的に異なる、稀有な存在であるという自負であった。
「尼子との戦も近い。今日はこの後、隆房や興盛に戦のことを聞き、学ぶがよかろう」
「はい!」
義隆は晴持の快活な返事を聞いて、満足気に頷く。
「よしよし……さて、余は疲れた。少し休むぞ。隆房、晴持をよく指南せよ。よいな」
首を垂れる隆房を確認した義隆は、ゆっくりと帷幕を出ていった。
去っていく義隆の姿をうかがっていた晴持は、しばらくして笛を投げ出し、大きく背伸びをした。
「……隆房」
「はっ」
「喉が渇いたぞ」
命じられた隆房は、帷幕の裏に控える家臣に白湯を持ってこさせる。
「隆房、菓子も持て」
「……はっ」
隆房は再び、家臣に命じる。
「隆房、余はもう飽きたぞ。一体、いつ出雲に着くのか?」
晴持は家臣が持ってきた菓子を頬張りながら、尋ねる。
「今は、雪どけを待ちながら進軍しておりますれば……もうしばらくかかりましょう」
「ならば、雪どけを待って出陣すればよかったではないか。この寒さの中、馬鹿らしいにも程があるわ。おい、火桶をもっと近づけよ」
晴持は家臣に、重い火鉢を手元まで持ってこさせた。
「まあそう仰るな、若君。もうすぐ安芸国分寺でござる。あの荘厳な寺を見れば、気持ちも変わりましょうぞ」
そう言ってなだめたのは、冷泉隆豊であった。重臣四人の中では、隆房に次いで若い。
「国分寺には、毛利の救援に赴く際にもう行った。新しい歌など、もう詠めぬわ」
吐き捨てるように言う晴持を、隆豊が笑う。
「これは異なことを。この世に時の流れる限り、同じ情景は一度としてございませぬ。それを詠めねば、お屋形様は若君をお認めになりませんぞ」
「なんじゃと!」
晴持は一瞬で気色ばむが、隆豊は平然とした顔で受け流す。隆豊は、義隆にすら遠慮なく諫言することがあり、その肝の据わり方は尋常ではない。
「……もう、よいわ。余も休むぞ」
隆豊の眼力に押された晴持は、帷幕を出て行こうとする。
「若君、まだ戦の指南は始まってもおりませんぞ」
「……何やら、頭が痛いのだ。また次の機会でよい」
晴持はそう言って隆豊の制止を振り切り、逃げるように帷幕を去っていった。
「やれやれ、困ったお方だ。少し、不安になるのう」
興盛は、そう言って軽く首を振った。
晴持は、義隆の前では従順な甥であり息子であったが、それ以外では少し横暴な態度が出ることがあった。機嫌が悪い時は尚更で、すでに大内家の当主になったような振る舞いをすることがあったのだ。
「興盛殿、若君はまだお若い。これから、我らが万事お支えしていけばよいだけのことでありましょう。のう、隆房殿」
隆豊はそう言って、笑顔を見せた。この男の諫言は、晴持を思う忠義から出ているのだ。
(この男は、悪くない)
隆房は、平素そう思っている。他の三人のように守護代ではないものの、重要拠点である銀山城を任される家中でも有数の剛の者であり、戦の采配も巧みである隆豊は、義隆にも武断派にも信頼されていた。ただ、相良武任とも親しい間柄であることが、隆房にとっての懸念であった。
(それに対して、この男は……)
隆房は、先程から一言も発することのない杉重矩に視線を向けた。
重矩は、豊前の守護代に任じられていた重臣で、周防守護代である隆房、長門守護代である興盛と並ぶ存在であった。その上、かつて義隆の守役を務めていたとなれば、その発言力は大きい。
しかし、どうも隆房はこの男と反りが合わない。今回の出征に関して重矩は、賛成もしなければ反対もしなかった。特に最近の重矩は万事につけてそうで、はっきりした意見も述べず、日和見な態度に終始していた。義隆に対しても同じで、その言葉にただ頷くばかりであったのだ。
隆房にはその姿が、保身のために汲々としているように見えた。これならまだ相良武任の方が、はっきりと意見を言うだけましとさえ思える。とても、義隆の守役をしていたとは思えない。
「しかし若君には、この程度は耐えてもらわねばならぬ。食料に困らぬ我ら大内の長陣は、間違いなく他の大名の戦より甘いのだからな」
大内の経済力からすれば、数年に渡る長期戦すら容易いであろう。飢えることのない出陣は、贅沢の極みとも言えた。
「その辺りは、武任殿に抜かりはございますまい」
隆豊は、隆房の前でも遠慮なく武任の名を出した。
糧道の確保は、留守部隊の武任の役目でもあった。その能力に関しては隆房も、認めざるを得ない。
「……さて儂も、休みますかな」
ようやく口を開いた重矩の言葉は、それであった。さすがの隆房も、あきれるしかない。
その数日後、大内軍はようやく安芸に入った。