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新宮党の一矢  作者: 次郎
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第七話.毛利の三矢

 天文十一年(一五四二)一月十一日、大内軍本隊は、深い雪の中、出雲に向けて出陣した。

 その数、一万五千。総大将はもちろん大内義隆で、陶隆房、内藤興盛、杉重矩、冷泉隆豊ら譜代の臣が付き従う、堂々たる進軍となった。

 もっとも、雪の季節の出陣は通常避けられる傾向にあり、深い雪はその進軍速度を落とした。これはある程度想定されていたことで、義隆は道々神社に供物を奉納しながら、ゆっくりと進軍していた。一月十九日には、厳島神社で戦勝祈願をしている。

 軍中には、京から山口に来ていた公家たちも何人か同行していた。義隆は、熱しやすく冷めやすい。戦に飽きた時には、その無聊を慰める工夫が必要であった。雪中の緩やかな進軍は、早速帯同する公家たちを忙しくした。義隆は、雪景色を見ながらの連歌大会や音曲を催したりして、軍中は賑やかであった。

 今回の戦は、勝ち戦である。大内軍の誰もがそう信じていたのだ。


 大内の進軍がもたらされると、郡山城でも出陣の支度が始まった。城内には武具や物資が集められ、人々でごった返す。毛利からすれば、長年苦しめられてきた尼子打倒が今、成ろうとしている。自然にその士気も上がっていた。

「これでは、いつ出雲に入れるかわからんな」

 大内軍の状況を聞いた元就は、苦笑した。もっとも義隆の性格を考えれば、無理からぬことであろう。

「出雲に至るまでの神々を、皆味方につけるつもりでしょう。道々暇をつぶす手段もあるなら、尚のこと遅くなりましょうな」

 元就の隣でそうしわがれた声を出したのは、長年、元就の軍師的役割を果たしてきた志道広良である。この時すでに齢七十六だが、その眼力はいささかも衰えていない。

「しかし、お屋形様が評定の勢いのまま、この雪がとけぬ内に出雲に進軍するとしたら、それはそれで困る。良い方に考えるべきであろうな」

 雪の中の行軍は、当然兵の疲労も増す。寒さも相まって戦どころではなく、そのまま出雲に侵入するのは、自殺行為であった。

「兵は拙速を聞く。そもそも、出陣の時期を間違っておりますな」

 広良からすれば、四十六歳になる初老の元就ですら、子供のようなものである。義隆や陶隆房のやり方は、児戯に等しい。

 もちろん隆房も、雪どけを待つべきであることは、百も承知である。しかし彼にとって重要なのは、義隆が戦をする気になっていることで、その気持ちが冷めぬうちに、出陣してしまうことが必要であった。春を待ち、心変わりしてもらっては困る。

「此度の出征は、お屋形様の熱しやすさから始まっている。それを、陶殿が後押ししているのだ。我々は、その方針に従い力を尽くすほかなかろう」

 毛利家には立場がある。大内の意向には逆らえず、義隆の機嫌を損ねることもできない。国人の小領主の悲しさである。

「それにな、広良。儂は此度の出雲攻めはいい機会だとも思っているのだ。尼子の力は、今までになく低下している。その上、あの気まぐれなお屋形様が、ついに腰を上げて下さったのだ。この大内の総力を使えるうちに、何とか尼子の力を弱めておきたい。毛利にとっても、悪い状況ではないはずだ」

 毛利からは、元就と隆元がともに参陣する手筈になっていた。当主と嫡男がともに大内の軍中に入ることは、その忠誠をも示していた。

「尼子攻めは、よろしいでしょう。しかし、長陣は困りますぞ。大内と違い、我らの兵糧には限りがございます。出雲での戦が長引くようなら、お屋形様に思い切って諫言する必要もあるかも知れませんぞ」

「分かっておる。その時は、儂も覚悟を決める」

「奇襲にも、注意なされよ。特に新宮党の精鋭は、地の利を得て生き生きとしておりましょう」

 郡山城に残る広良は、次から次へと口を酸っぱくして忠告する。尼子を相手にする戦は、やはり心配らしい。

「そう心配するな、広良。此度の出征には、通も連れていく。あやつは、新宮党誠久の天敵じゃからな」

 通とは、渡辺通のことで、毛利家中指折りの猛将である。吉田郡山城の戦いにおいては伏兵となって奇襲をかけ、尼子誠久を撃退した実績を持っていた。心に期するものもあり、頼りになる男であった。

「……殿、今更この広良が言わずとも、戦のことは分かっておいででございましょう。しかし敵が籠城するならば、城攻めはやはり下策でござる。何卒ご油断召されるな」

「分かっておる」

 元就はそう、頷いた。


 元就は出陣前、隆元、少輔次郎、徳寿丸の三兄弟を広間に集めた。元就の隣にはその正室であり、三兄弟の母、美国の方がいる。

「徳寿丸、そなたにこれが折れるか?」

 徳寿丸は、一本の矢を取り出した父を見て、瞳を輝かせた。この少年は、父の話を聞くのが好きであった。それが説教でも、わくわくする。

「もちろん折れます!」

 徳寿丸は受け取った矢の両端を持って、力を込める。目をつぶって眉間にしわを寄せると、矢は次第に弧を描くような形になり、乾いた音を立てて折れた。

「よし、折れたな。次は次郎、これを折ってみよ」

 元就は笑顔になり、今度は二本に束ねた矢を少輔次郎に渡す。徳寿丸は瞳を輝かせたまま、父と兄を交互に見る。

「……参ります」

 少輔次郎はそう両端を掴むと、まったく顔色を変えることなく、息をするように矢を真っ二つにした。それはまるで、細い竹ひごを折るかのごとくであった。

「……簡単に折ったな。よし、今度は隆元じゃ」

 最後に三本に束ねられた矢を受け取った隆元は、無言で握った腕に力を込める。歯を食いしばって折ろうとするも、矢は僅かに曲線を描いただけで、折れる気配はない。何度かそれを繰り返したが、奥歯が軋むばかりである。

「……申し訳ございません。折れませぬ」

「いや、それでよい。それは、儂にも折れまい」

「兄上。私が」

 隆元が床に置こうとした矢を、少輔次郎が取る。この次男が両端を持つと、三本の矢はたちまち悲鳴を上げる。

「次郎、もうよい」

「いえ、もう少しで折れまする」

「折られては困る。儂の語ることがなくなるのだ」

 それでも尚、手を離さない。

「次郎!」

 それまで口を開かなかった美国の方が、鬼のような形相で睨む。次郎は雷に打たれたように、矢から手を放す。この三兄弟にとっては、母の勘気に触れることが一番怖い。おずおずと後ろに下がる。

「……よいか、三人とも。そなたたちは、血を分けた兄弟だ。毛利の家は隆元が継ぐが、弟二人が独立したとしても、兄弟であることに変わりはない。この国は長く戦乱が続き、収まる気配がない。周りも敵だらけだ。もし兄弟でいがみ合うようなことがあれば、あっという間に周囲に付け入られ、毛利は滅ぶだろう。一本の矢を折ることはたやすく、二本もまた折れる。三人の兄弟が力を合わせることで、三本の矢のように折れなくなる。そうすることで、初めて毛利は安泰となるのだ。この事、決して忘れてはならんぞ」

 元就はそう言って、三人を見渡す。

「はい!」

 少輔次郎と徳寿丸はそう言って、元気よく頭を下げる。隣の隆元も、少し遅れて頭を下げた。

 元就ももう、若くはない。父と兄も若死にしており、長生きできる保障もない。生きている間に、その一門の結束を固めておきたかった。

「儂が死んだ後、もし兄弟で争うようなことがあれば、死んでも死にきれん。儂と美国が、化けて出ることのないようにな」

 そう笑う元就の隣で、美国の方も大きく頷く。

「……父上は死にませぬ。不死身にございます」

 隆元が、固い表情でそう呟く。その姿にはどこか、憂いがあった。

「人はいずれ死ぬ。儂のような凡人ならば、尚の事だ。だから生きているうちに何かと余計な心配もしたくなる。次郎、徳寿、儂の心配事を増やしてくれるなよ」

 再び大きな声で答える二人を見て、元就は満足して大きく頷いた。

 

 少輔次郎と徳寿丸が下がった後、広間は夫婦と長男だけとなった。元就は、意を決して口を開いた。

「……隆元、何か心に引っかかることでもあるのか」

「……いえ、何も」

「偽りを申すな。何も今日だけではない。そなたが山口から帰ってきて、もう一年以上経つが、どこか弟たちを避けておるように見える。思うことがあるなら、正直に申してみよ」

 隆元が人質として山口にいたのは、三年足らず。それから帰ってきて一年以上が経っていたが、以前とは、弟たちに対する接し方が違うように元就には見えた。初めは、多感な時期を山口で過ごして元服し、大人になった隆元が、弟たちを子供扱いしているのかとのも思っていたが、どうもそれだけではないらしい。

「……」

 隆元はうつむいたままである。

「……隆元、父上にご迷惑をかけるものではありませんよ。心にあるものは、すべて正直に話しておしまいなさい」

 心配そうに隆元を見詰める美国の方も、やさしくそう促す。

 それがきっかけになったのが、しばらくして隆元はおずおずと語りだした。

「私は……あの弟二人を恐ろしいと思うことがあるのです」

「恐ろしい……何がだ?」

 元就は驚いて美国と顔を見合わせる。

「次郎は、元服前にもかかわらずもうあの膂力です。徳寿丸はあの小さいなりで、もう私が考えつかないような策を弄します。古来より、優れた弟は兄に反逆するものです。私は、弟たちを抑える自信がありません。この先、父上と母上にもしものことがあって兄弟だけになった時、私は怖いのです」

 感情が高ぶった隆元の声が、大きく震える。その姿に、元就は目を丸くした。

「落ち着け、隆元。弟が兄に反逆するとは限らん。むしろ、普通はどこの家も、手を携えて力を合わせることの方が多かろう」

「……では、相合元綱はどうでしょう」

「……何だと?」

 隆元から出てきた意外な名前に、元就の顔色が変わる。

「父上に反逆して、誅殺された弟ではありませんか」

「……元綱、か」

 相合元綱は元就の異母弟だが、謀反を起こそうとして、元就に誅殺された。その出来事は、元就にとって心の傷の一つとなっていた。

「あの謀反は、父上の御器量が叔父を遥かに上回っていたから、大事に至ることはなかったのでしょう。あのようなことがもし、私と次郎の間にあったら?……殺されるのは、私でしょう」

「馬鹿なことを……つまらないことをいうものではありません」

 美国の声は、震えていた。

「母上は、あの二人ばかり見ているから分からないのです。私は山口で、同じくらいの年頃の武士の子弟を沢山見てきましたが、あんな才気走った子供はいませんでした。いうなればあの二人は、化け物のようなものです」

「そのくらいにしておけ、隆元。弟たちを化け物などと……」

 元就は鋭い目をして、隆元をたしなめる。

「よいか、隆元。次郎と徳寿は、いずれはそなたのもっとも頼みとする家臣となる者だ。その家臣が優れた才覚を持っていることを、喜ばなくてどうするか。そなたは、毛利の頭領となる男だ。かつての漢の高祖、劉邦のように、将に将たることが重要なのだ。武勇や策略を誇るのは、家臣のすることだと考えよ」

 漢の高祖、劉邦は、中国大陸を統一したかつての英雄で、彼の業績は史記や漢書などの大陸の書物から、この国にも知れ渡っていた。自身の能力によらず配下の長所を束ねて、百戦百勝の楚の覇王、項羽を滅ぼした人物である。

 そんな例えを出した元就の厳しい口調に、やがて隆元は頬にひとすじの涙を流した。

「……父上、私はくやしいのです。次郎は武勇に優れ、徳寿も将来、智に優れた武将になるでしょう。しかし私には、何もありません。全てを兼ね備えた父上から何も受け継いでいないことが、父上と母上に申し訳ないのです。それが、何よりもくやしいのです」

「……隆元」

 はらはらと涙を流す息子の姿に、美国も瞳に涙を浮かべた。

 元就もまた、息子が不憫になった。元就もまた次男であり、その幼い頃からの長男の重圧が、身に沁みて分かるわけではない。そんな今の隆元に、将に将たることを説いても難しいのかもしれない。

 元就は、しばらく隆元の顔を見ながら思案していたが、やがて優し気な表情をして口を開く。

「隆元、儂はそなたが、次郎や徳寿に劣っているとは思わんぞ」

「……そうでしょうか?」

 隆元は、着物の袖で涙を拭う。

「先程、漢の高祖のことを出したが、高祖には優れた三人の配下がいた。誰か分かるか?」

「……韓信と張良、蕭何でございます」

「そうだ。韓信は武勇に優れ、軍を率いれば必ずといっていいほど勝利した。張良は、謀を帷幄の中で巡らし、勝利を千里の外に決した。この二人は、大きい事を言っていいなら、将来の次郎と徳寿丸だな。これに対して蕭何は、内政をよくして民の心を収攬し、戦においては糧道を確保して勝利に貢献した。隆元、今のそなたに将に将たることは難しいかもしれぬ。まずは、蕭何を目指してみてはどうか。儂のために、大きな仕事を担ってはくれぬか?」

「私が……蕭何のように……」

 隆元は、ゆっくりと呟いた。

「そうだ。さすればあの二人も、そなたの支援なくしては功も立てれまい。そなたには、その才があるように儂は思う」

 将に将たることは、のちのち身に付ければよい。おそらく今の隆元には、具体的な仕事が必要なのだろう。元就はそう思い、ゆっくりと諭した。

 隆元の表情は、何度か繰り返された父の言葉に頷くうちに、少しづつ輝きを取り戻してきた。すでに涙は、乾いていた。

「……父上の御期待に沿えるかはわかりませんが……やってみます」

 少し笑顔を浮かべた隆元は、頭を下げる。

「何、焦ることはない。おおそうだ、志道広良がおる。あの老人からじっくり学ぶのだ。儂も、広良から全てを教わった。間違いはない」

「志道殿には申し訳ないことですが、まだしばらく隠居はできませんわね」

 美国の方も笑顔を見せる。

「何、広良こそ不死身よ。あの歳でも衰えを知らぬ。儂も未だに、頭が上がらぬのだ」

 その元就の言葉に、ようやく三人ともに笑顔になった。

「よいか、隆元。そなた達三兄弟は、この父と母の子だ。もし三人争うことがあれば、何よりもつらい。儂も常々、次郎と徳寿丸には、もっと厳しくせねばならんと思っておったところだ。あの二人にはまず、君臣の別は叩き込んでおかねばなるまい。そなたはその上で、弟を慈しんでやれ。まずは兄としての、仕事をするのだ。よいな」

「はっ!」

 隆元は、はきはきとした声で返事をした。その顔は、輝いて見えた。


 隆元が下がった後、夫婦は顔を見合わせた。

「まさか、隆元があのように考えておったとはのう」

「私は、少し不安になりました。隆元は山口に行く前より、猛々しさがなくなったように思いますが」

「……山口の文化に、染まりすぎたのかもしれんな」

 武士も、教養が高いに越したことはない。しかし大内の子弟たちは、公家のような教育を受けているとも聞く。しかし、それはあくまで大内の力あってのことで、一国人である非力な毛利とは違う。

「しかし此度の話は、よかったのかもしれませんね。雨降って地固まる。隆元の本音が聞けて、ようございました」

 美国の方は昔から、物事を良い方に考えるようにしていた。元就はこの妻の考え方に、度々救われてきた。

「親というのはどうしても、下の子に甘くなる。儂らの子育てにも、見直すべき点があるということであろうな」

 元就もまた、教訓を得たと考えていた。元就は、父、弘元が隠居した時も、側に置いて離さないほど可愛がられていた。その時の兄、興元の気持ちなど、考えた事もない。もしかしたら、隆元のように恐怖を抱いていたのかもしれない。

 元就はまた、弟、元綱のことを思い出した。二人は元々、不仲だったわけではない。兄弟というのも不思議なもので、その一人がいつ欠けるかで運命も変わる。兄興元の死後、二人の関係は跡目争いに変わってしまった。

 元綱の背後には、尼子経久がいたが、それだけを兄弟相克の理由にはできない。だからこそ今回、元就は三本の矢に例えて、兄弟に諭したのである。

「……儂も広良も、まだしばらく隠居はできんな」

「まあ、隠居など考えていたのですか?そんなこと、私はまだ許しませんよ!」

 美国の方はそう言って、笑う。その笑顔は、太陽のようであった。

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