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新宮党の一矢  作者: 次郎
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第六十三話.阿用の宗的

 阿用に着陣した尼子勢は、瞬く間に磨石城を包囲し、直ちに総掛かりを開始した。

 しかしこの日を予見していた宗的は、要害磨石城をさらに堅固にして尼子勢を待ち受けていた。寄せ手は幾度も激しく攻め立てたが、城は容易に落ちず、尼子勢の被害が広がり始めた。

 政久は一旦引いて野戦築城し、遠攻めの構えに戦法を変えた。血気盛んな国久が進言する。

「兄上、大内の援軍が来ては厄介だ。多少の犠牲はやむを得まい。ここは一気果敢に強攻して、城を落とすべきだ。我らは大軍、しかも叔父上から預かった精鋭は強兵ぞろい。あっという間に城は落ちよう。ここは、尼子の武威を天下に示す好機ではないか」

 しかし政久は、あくまで冷静であった。 

「周辺の国人衆が、戦の趨勢を見ている。私の戦に、尼子の先行きを見ようとしているのだ。下手な力攻めで兵を失っては、奴らは再び大内に与するであろう。ここはじっくり攻めるのだ」

「しかし、悠長に構えるは剣呑至極。大内の大軍が援軍に来れば、その国人衆も共に襲い掛かって来るやも知れぬ。そうなれば、磨石城どころではございますまい」

「義興と宿老を京に置く、大内の動きは鈍い。今は御内書に頼って国人衆に我らを攻撃させようとしておるが、利に聡い国人衆に貧乏くじを引こうという者はおらぬ。周辺の国人衆の動きは、鉢屋賀麻党を通じて常に把握しておるのだ」

 鉢屋賀麻党はすでに、次期当主と目される政久のために働いていた。その動きは、国久には分からなかった。

 長期戦の動きを見せる尼子勢の姿を見た磨石城からは、やがて寄せ手に向けての罵詈雑言が聞こえるようになった。桜井勢は、遠攻めを続ける尼子勢を臆病者となじり、京極吉童子丸を傀儡とする経久を天下の極悪人と称した。

 罵声は日に日に酷くなり、聞くに堪えないものとなった。案の定、国久は堪えられなくなった。

「兄上、あのようなことを言わせておいてよいのか。このままでは、天下に面目が立たぬ。直ちに、総掛かりの御下知を」

「国久、そなたは勇猛で良い男だが、それだけでは大将は務まらぬぞ。桜井宗的は父上も認める名将、意味もなくあのような事はするまい。おそらく長期戦は、奴の望むところではないのだろう。つまり我らにとって、長期戦は正しいということだ。挑発に乗ってはならぬ」

 やがて、戦線は膠着し始めた。

 やむを得ず長期戦となった戦局に、政久は兵の無聊を慰めるため、陣中を回って笛を吹いた。長陣で疲れた尼子兵は、その美しい旋律に酔いしれる。

 しかしその旋律に酔いしれたのは、尼子勢だけではなかった。遠くから聞こえるその笛の音に、桜井勢も耳を澄ませていたのである。政久が笛を吹くその時ばかりは、桜井勢の罵声も鳴りを潜めた。

 戦はどちらも決め手を欠き、季節も変わろうとしていた。


 磨石城の桜井宗的にとって、経久の出雲統治が予想以上に人心を掴んでいたことは最大の誤算であった。

 経久を力ずくで排除し、京極氏を復権させようという勢力は、国人衆も含めもはや少数となっており、宗的の呼びかけに応じる出雲の国人はいなかった。頼りの大内も動きは鈍く、大軍で磨石城を包囲された時点で、大勢は決まったと言ってよかった。

 しかし宗的にも意地があった。なんとしてでも経久に一泡吹かせる。包囲する尼子勢を一兵でも多く倒し、経久を歯噛みさせたかったのだ。

 物見櫓で尼子勢の様子をうかがっていた家臣が、宗的のもとに戻ってきた。

「どんなに罵声を浴びせても、尼子勢の動きに変わりはございませぬ。如何いたしましょうか」

「うぬ、大軍でありながら挑発にも乗らぬか。小童こわっぱめ、戦も多少は知っておるとみえる」

 経久が自ら出陣せず政久を派遣してきたことは、宗的の自尊心を大きく傷つけていた。挑発に乗ってこないことは、如何にも小癪である。

 尼子勢が攻めて来るまでの数か月、宗的は磨石城を要塞化してきた。

 寄せ手が総攻めを仕掛けてくれば、それに大損害を与える自信が宗的にはあった。その結果、城を枕に討ち死にしても後悔はない。しかし長期戦に持ち込まれ、このまま飢えて根腐れさせられることは、この上ない無念である。なんとか政久に、強攻をさせなければならない。

「このままでは、儂の面目が立たぬ。何ぞ、良い方法はないものか……」

 剃髪した頭を叩く宗的に、先程の家臣が口を開く。

「お役に立つかは存じませぬが……、殿は夜な夜な聞こえてくる、笛の音のことは御存じで?」

「注進は聞いておる。夜陰に紛れ、なんとも哀し気な調べが聞こえてくるとか。兵どもも聞き惚れて、その間は罵声を浴びせることも忘れておると」

「はっ、それでその笛を吹いているのが、敵勢総大将尼子政久ではないか、という噂がございまして」

「ほう……!」

 宗的は膝を叩いた。政久は一流の教養人として天下に知られており、笛の名手としても知られていた。有り得ない話ではない。

「……これは、使えるかも知れぬぞ」

 宗的は家臣と共に最前線にある曲輪に赴き、尼子が築いた付城を眺めた。その前面には、物見のための櫓が数本建てられている。しばらく腕組みして思案していた宗的は、やがて意を決して家臣に命じた。

「よいか、周辺の村々に噂を流すのだ。磨石城は兵糧は少ないものの意気軒高、城兵は全員討ち死にの覚悟である。しかしこのところの懸念は、城兵が夜ごとかすかに聞こえる美しい笛の音に戦意を削がれ、わずかながら厭戦気分が見え始めていること。これを知った桜井宗的は、死を前にした城兵たちの心変わりを憂慮し、笛の音に耳をすませることを禁じて、破った者を手討ちにしておると。笛の音が宗的を苛立たせていると広めるのだ」

 宗的はさらに、周囲にいる家臣にも命じる。

「皆の者。今宵からは、尼子の笛の音に耳をそばだててはならぬ。破った者は儂自ら手討ちにしてくれるわ。よいな!」

「はっ!」 

 宗的は曲輪の先端部に近づき、脇差を抜いた。木の柵に目印の傷を付けて弓をあて、そこから一番近い櫓に向けて弦を引き絞る。陽の光が照らす今とは違い、月明りがあっても夜間では、とても櫓の様子は見えないだろう。その上、矢が殺傷力を持って届くには、並の弓では厳しい距離でもある。

「ここから射殺すことができるのは、百度に一度の確率であるやも知れぬ。しかし仕損じても失うものなくば、やってみるにくはない。これが経久に対する、神仏の天罰ならば……」

 宗的は独り目を細めながら、自慢の弓をゆっくりと撫でる。杵築大社の主神、須佐之男の神意が宿ると伝わるその弓は、夕陽を浴びて朱く輝いていた。

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