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新宮党の一矢  作者: 次郎
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第六十二話.経久の三兄弟

 出雲守護代尼子経久には、三人の男子がいる。

 長男は政久、次男は国久、三男は興久という。それぞれ出雲守護京極政経、管領細川高国、管領代大内義興から偏諱を受けている。

「政久兄は、いつも俺の事を馬鹿にする。俺ももう、半人前の子供ではないわ」

 興久は、そうやって政久の事を国久に愚痴ることがよくあった。しかし興久はまだ、少年である。

「そういう愚痴が、子供だと兄上は言っておるのだ。口答えは、六韜を読み終わってからにしろ」

「六韜を読み終わったら、歯向かってもよいのですか」

「……その次は、三略じゃ」

 国久は取り合わなかった。しかし国久に愚痴っていたのは、興久ばかりではない。政久もまた酒を飲むと、興久の事を口にする。

「興久はいつも遊んでばかり、文武どちらも半端者じゃ。父上にはもっと厳しく言っていただかねばならぬ。あやつはいずれ、他家に入って尼子のために働かねばならぬ身、一人立ちしてもらわねば困る」

「興久はまだまだ子供じゃ。父上も長い目で見ておられよう。大器晩成ともいうではありませんか」

 縁側で酒の進んだ政久は、暗鬱な表情を浮かべる。

「……近頃どうも、父上は儂に冷たい。儂を廃嫡せんと思うておいでではないか?」

「まさか!」

 予想だにしない政久の言葉に、国久は目を見開いた。

「世間では、出来の悪い子供ほど可愛いという。興久は父上の、お気に入りじゃ」

「何を馬鹿な。それはつまらぬ嫉妬というものじゃ。知勇兼備を備え、世人に花実相の大将とも賞賛される、兄上の言葉とは思えぬぞ」

「……おぬしは頭が固い。人の心の機微など分からぬか……」

 政久はそう言うと、さらに酒をあおる。

 すでに家中からも世人からも認められている政久の杞憂が、国久には分からなかった。酒の所為だ、と思った。

「……興久め、半人前のくせに度胸だけはある。あの胆力が、父上を惹きつけるのか……」

 ひと通り愚痴を吐いた政久は、懐から笛を取り出し、口にゆっくりと当てた。国久が灯火を吹き消すと、哀しげな旋律が星空に吸い込まれる。

(……文武両道にして風流に通ず。兄上ほど後継に相応しい男などおるまいに)

 国久はその音色に聞き惚れた。国久にとっての政久は、武士の理想像であった。


 船岡山の合戦が終わり、京から出雲に帰国した経久は、徐々に中国支配への野望を露わにしていく。

 永正九年(一五一二年)、経久の命で備後に進出していた出雲の古志為信が大内軍と交戦、これを撃破した。

 この戦いを好機と捉えた経久は次々と備後に諸将を派遣し、大内との対決姿勢は徐々に鮮明となっていった。領袖の義興を京都に置く大内の対応は後手に回り、周辺の国人衆は尼子に鞍替えする者が後を絶たず、経久の野望は大きく中国地方を動揺させた。

 さらに経久は東にも軍勢を進め、派遣された久幸は精鋭部隊を率いて伯耆を蹂躙し、領国支配への橋頭保を築いた。こうした侵攻によって、尼子の勢力は急速に拡大していく。

 しかし京都で対応策を練る義興も、ただ手をこまねいていたわけではない。

 義興は出雲周辺国に書状を遣わし、時には将軍義稙に御内書を発行させ、尼子包囲網を形成しようと目論んだ。初めこそ尼子の猛攻に恐れおののいた諸勢力も、大内の巨大な権威に再びなびく者も増え始め、今度は周辺から尼子を圧迫する力が出始めた。

 西出雲の阿用磨石城城主、桜井宗的もその一人である。

 宗的は弓の達人で、長く経久に仕えてきた名将であった。しかし彼の心底には、

「出雲守護京極氏こそ、我が主君」

 との思いが強かった。経久に従っていたのは、経久がその京極氏を補佐する守護代であったからに過ぎない。

 京極政経の死後、その孫である吉童子丸を傀儡として国政を思うがままに振るう経久を、宗的は忸怩たる思いで見ていた。大内の力を借り、再び出雲を京極氏のものにせんと目論んでいたのである。

 宗的の武勇を惜しんだ経久の再三の降伏勧告に対し、宗的はそのすべてをはねつけた。これに対し経久は遂に、嫡男政久を総大将、次男国久を副将とした磨石城攻めを決意したのである。


 煌びやかな甲冑に身を包んだ政久率いる尼子勢主力第一陣は、晴れ渡る青空のもと、意気揚々と出陣した。白に黒字の四つ目結が、月山富田城の天空にはためく。尼子の後嗣、総大将としての出陣は、政久の心をこの青空のように晴れやかにしていた。

 黒い甲冑を纏う国久率いる第二陣も、第一陣に続いて順次城門を潜っていく。その軍勢は、久幸が編成していた精鋭部隊の別動隊であった。本家とは違う、黒に朱の四つ目結の旗が揺れる。

「政久兄の御出陣か。やっとここも静かになるな」

 悪態をつく興久の頭を、国久は軽く叩く。

「此度、父上の御出馬はない。兄上と俺は、桜井の首を取るまで帰陣せぬつもりだ。もし何か事あらば、貴様が命懸けで父上を御護りせねばならぬ。よいな」

「桜井宗的、強者と言えども所詮は小勢。勝敗はもう決しておりましょう。此度は政久兄に箔をつける総大将と心得ますが、如何に?」

「聞いたことにだけ答えろ。命懸けで御護りできるな?」

「無論にございます。もっとも、父上は子供のお守などいらんでしょうが」

「減らず口を……、覚悟のことを言っている」

 国久は興久の顔を見て、溜息をつく。

「よいか、俺と兄上がいないからといって、遊んでばかりはならぬ。父上は、山陰山陽の王座を求めておられる。そのためには、貴様も心して励まねばならぬぞ」

「そう仰るな、兄上。やっと小うるさい政久兄からしばらく解放されるのだ。鳳も羽を伸ばさねばなりますまい」

「自惚れるな、馬鹿者が」

 国久はそう言って笑った。興久の度胸も政久が嫌うその厚顔な性質たちも、国久には可愛くもあった。

「いいか、興久。兄上も、お前が憎くてうるさくしているわけではない。父上は我々を出雲の名家に養子として送り込み、乗っ取らせて一門衆にするおつもりだ。我々は尼子本家の藩屏にならねばならぬ。そんなお前に期待しているから、うるさく言うのだぞ」

「……そうかな? 政久兄はただ、俺が心底憎いのではありませんか?」

「有り得ぬ。兄上はそのような男ではない」

「……大体、政久兄は暗い。哀愁などと世人は褒めそやすが、あの陰鬱さは笛の音にも表れている。俺に対する物言いも、陰湿この上ない」

「口を慎め、興久」

 国久は眉をしかめ、呆れたように戒める。

「政久兄への不満は、俺だけではないでしょう。兄上だって、政久兄に含むところもあるはずだ。あの公家の娘はどうなったのですか?」

「……どこでそのような話を」

 国久の顔色が変わった。

「政久兄は、後から来てあの娘を国久兄から横取りした。子を孕んだのに側室にしなかったのは、正室の幸の方が怖いからでしょう。あの娘は、どこへいったのですか?」

 興久が言い終わるやいなや、国久は籠手のままその頬を殴りつけた。倒れこんだ興久の鼻から血が流れる。

「出陣前でなかったら、殴り殺しておったわ。兄上の言う通り、父上に厳しくしていただかねばなるまいな」

「兄上も政久兄の味方か!」

 鼻血を拭い立ち上がる興久が、馬に跨った国久に詰め寄る。

「三男坊が、図に乗るな!」

 国久はそう吐き捨て、鐙を踏む。黒馬は勢いよく城門を飛び出した。

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