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新宮党の一矢  作者: 次郎
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第六十一話.船岡山合戦

 応仁の乱以降、京は昔ながらの権力者が多く立ち、その均衡でもって秩序を保っていた。それは将軍に復帰した義稙も例外ではなく、絶対者としての権力はなかった。上は朝廷、下は高国や義興らの均衡のもとに成り立ち、幕政は容易ではない。

 その中でも最大の軍事力を誇る大内義興は、その軍功によって京の守護者たる山城守護に任じられた。しかし義稙の将軍復帰によって秩序を取り戻したとする義興は、早くから山口への帰国を望んでいた。

 この帰国の要望を、朝廷や幕府は測りかねた。義澄派は虎視眈々と京奪還を狙っており、義興なくして京の防衛はおぼつかない。朝廷は義興の真意が恩賞にあると考え、従四位上に昇叙させた。

 しかし、義興の真意は恩賞ばかりではなかった。この頃になると朝廷や幕府だけでなく、寺社勢力との関係も義興の悩みの種となっていたのである。

「京で生きるは複雑怪奇よ。しきたりもうるさい。近頃は、周防が恋しいわ」

 さしもの義興も、興房に愚痴をこぼした。有職故実になれないこともまた、気苦労のひとつであった。しかしこの時得た公家衆との関わりは、のちの大内家の命運を大きく変えることになる。

 永正六年(一五〇九年)六月、京周辺で機会をうかがっていた細川澄元が決起し、京の東、如意ヶ嶽へ布陣した。

 しかし、この決起は時期尚早であった。

 兵力の集まらない澄元勢は、義興ら幕府勢に散々に打ち負かされ、澄元は本拠地である阿波にまで逃走した。この澄元の敗北を受けた前将軍義澄は、戦によって義稙を倒すことは不可能と判断、ついに義稙に刺客を送るに至る。

 からくも刺客を撃退した義稙も、事ここに至っては義澄を生かしてはおけなかった。義稙は近江にいた義澄討伐を決意し、高国に命じて出陣させたが、義興は出陣させなかった。高国に手柄を立てさせ、家臣の力の均衡を図ろうとしたのだ。如意ヶ嶽での澄元勢の弱さを受けての、敵勢への侮りもあった。

 しかしその結果、高国勢はまさかの大惨敗を喫した。

 これを受けて義澄派は再び息を吹き返した。阿波から軍勢を率いて戻って来た澄元だけでなく、様子をうかがっていた畿内周辺の大名らも参集し、大軍となった義澄勢は防衛する高国勢を再び撃破、ついに京を包囲した。

 義稙は軍議を開き、諸将に今後の戦略をはかった。義稙が高国より義興に頼ったのは、いうまでもない。

「戦は、勢いが肝心にござる。そして今、敵軍は大軍にしてその勢いがあり、これとまともに当たるは得策とは申せませぬ。ここは一旦兵を引き、その勢いを削ぐ必要がございます」

「京を落ちよ、と申すか」

 義稙は苦々しく呟く。

「上様はかつて京を落ちて苦難に耐え、周防から復権なさったではありませぬか。明日の勝利のため、今一度御決断を」

「……わかっておるわ」

 義稙は義興の進言を聞き入れ、全軍を率いて丹波に撤退した。替わって入京した義澄勢に対し、今度は義稙勢が形勢をうかがう構図に変わったのである。


 そんな状況の中、丹波に結集する義稙勢に驚くべき情報がもたらされた。

「義澄が、死んだだと!」

 義稙は、六角高頼からの書状に目を通して叫び、絶句した。

 六角氏は近江の守護で、名門中の名門である。その当主高頼は戦には参加していなかったが、京から落ちた義澄を保護しており、義澄派の大物であった。書状にはその義澄がすでに病死し、それが故に、義稙のもとに与したい旨がつづられていた。

「……事実であろうか。計略ではあるまいな?」

 義稙は半信半疑であった。その義稙に、末席から声を掛けた者がいる。

「恐れながら……」

「経久か。申してみよ」

「はっ……、某、四方に間者を放ち、近江にも探りを入れておりましたが、その筋からも義澄公死去につき、六角にて内紛ありとの知らせございました。おそらく、間違いないかと……」

 その言葉に反応したのは、細川高国である。

「経久殿、確固たる証拠はあるのか?」

「間違いはござらぬ。某の首、かけてもよろしゅうござる」

 経久は、己に属する鉢屋衆の能力を疑ってはいなかった。

「貴殿の首などどうでもよい。証拠があるのかと聞いておる!」

「よろしいではありませんか、管領殿」

 義興が割って入る。

「経久殿ほどの男が首をかけるというならば、間違いはございますまい。上様、この勝機逃してはなりませぬぞ」

 義興がそう言えば、もう反論はない。義稙は大きく頷いた。


 京へ進撃を開始した義稙勢に対し、迎撃に出た義澄勢は船岡山に布陣した。義稙勢も北山に布陣して、総攻撃の構えをみせる。

 尼子勢も先鋒の大内勢の後方に布陣し、その時を待つ。その馬上で後ろ向きに座り、器用にも胡坐をかく尼子久幸は、涼しげな瞳で大内の後備を見つめた。

「残念ですな。先鋒を賜れば、我が郎党の力を試す良い機会でありましたのに……」

 久幸は、尼子家臣団の中でも屈強な次男以下の男子を集めて、遊撃隊を編成していた。京での実戦は良い機会だったのである。

「どうも儂は、大内殿に警戒されているようだ」

 前日に開かれた評定で、経久は先鋒を申し出たが、それに異を唱えたのは義興であった。経久も引かなかったが、最後は細川高国が裁断し、大内の先鋒が決まったのである。

「ほう、何故そう思われるのですか? 大内殿は義澄公が死んだという、兄上の言葉を信じてくれたではありませんか」

「おそらく大内殿も、義澄公の死は掴んでいたのだろう。儂の言葉で裏を取り、確信したといったところか」

 経久は睨むように大内の軍勢を眺める。その調律された陣形は、高い練度を示していた。

「取りあえずは、お手並み拝見といこうではないか。忠義者の、管領代殿の戦をな」

 そう言いつつも、経久は不機嫌であった。この男の眼には、大内の大功が明らかに見えていたのである。


 朝方から始まったこの天下分け目の大戦は、わずか半日で決着がついた。

 義澄方の重臣はその多くが討ち取られ、数千の首級が挙げられた。総大将であった細川澄元は再び摂津へ逃走し、京は再び義稙の支配下となった。。

 中でも先鋒の大内勢の働きは抜群で、義興は翌年に従三位に昇進して公卿に列した。経久は忸怩たる思いでこれを見る他なかった。

 しかし政権は、盤石ではない。

 京で鬱々としていた経久が、喜々として久幸の肩を揺さぶる。

「六角高頼が誘いをかけてきた。領国出雲に戻り、大内の領内を攪乱されたし、とな」

「寝返って義稙公に従ったものの、幕政を思うがままにする大内殿が目障りというわけですか。そのような勝手な話、乗る必要はございますまい」

「いや……帰国の準備をせよ、久幸」

 経久の瞳がぎらりと光る。

「京に来て分かった。ここにはぬえがおる。それも一匹や二匹ではない。そのぬえが、応仁の後も都を食い尽くしているのだ。大内義興は今でこそ天下にもっとも近い男だが、さほどの人物ではない。あのぬえどもをすべて駆逐して、天下を静めることなど到底できぬ。我らが心血を降り注いで盛り立てても、報われることはなかろう。ならば儂の道も決まった。義興の居ぬ間に、中国を侵食してくれよう。六角の誘いは、渡りに船よ。それに……」

「それに?」

「京の女はつまらん。やはり女は、出雲の女がいい」

 かくして尼子は、領国の不安を理由に出雲への帰路についた。しかし、京での戦に限界を感じていたのは経久だけではない。

 帰国し周辺国への圧迫を強める尼子の姿を見て、義興に従って上洛した吉川国経、毛利興元ら安芸国人衆も、各々勝手に帰国し始めた。国人衆にとっても、雇われ戦はなんの利益もなかったのだ。彼らは帰国後独自に連盟を結び、大内と尼子に対抗していくことになる。

 すでに大内の中国支配は、揺らいでいた。

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