第六十話.天下人義興、謀聖経久
時は遡る。
足利第十代将軍義稙は、管領細川政元と対立して敗れ、京に幽閉されていたが、明応二年(一四九三年)に側近らの手引きで逃亡してから、諸国を転々としていた。
中国最大の戦国大名であり、五ヶ国の守護であった大内義興はこれを周防に庇護して、第十一代将軍に義澄を擁立した政元らと激しく対立した。政元は朝廷に働きかけ義興を「朝敵」とし、西国の守護大名や国人衆に義興討伐を命じた。
しかし、大内の力は強大であった。
豊前に攻め寄せた九州の軍勢を撃退した義興は、調略により中国の国人らを寝返らせ、時には義稙を仲介に使って和睦し、討伐軍の勢力を切り崩していった。次第に戦局は小康状態となり、義興は富国強兵して時勢をうかがった。
永正四年(一五〇七年)、半将軍とも称された細川政元が暗殺されると、義興は義稙の命で中国全土に動員令を発し、上洛を開始した。東進する大軍は途上で政元の養子であった細川高国を勢力に加え、京に迫った。足利義澄のもとにはもう一人の政元の養子、澄元が管領職を継承しており、戦局は将軍職だけでなく、細川宗家である京兆家の後継争いにもなっていた。
永正五年(一五〇八年)、細川高国が京に入ると、大内の大軍を恐れた将軍の義澄と管領の澄元は、近江に逃走した。義澄派の去った京に入った義稙は、念願の将軍職に復帰し、高国を管領、義興を管領代に任じて幕政を開始した。
しかし、それで大勢が決したわけではない。
反義稙勢力と語らって着々と兵を集める義澄と澄元は、虎視眈々と京奪回の機会をうかがっていた。京とその周辺は、再び騒がしくなる気配を見せた。
出雲守護京極氏を補佐しながら、実質的な出雲の国主であった尼子経久が上洛して義稙派に合流したのは、それからしばらくのちのことであった。
将軍義稙に拝謁した経久は、管領細川高国に屋敷を与えられた。その眼前には、応仁の乱以降荒廃した京の町が広がっていた。
「兄上、なんとも酷い有様ではありませんか。応仁の大乱からは、もう三十年以上たっておるというのに」
弟の久幸の言葉に、経久は呆然と京の町に目を向けた。この光景は経久に、少なからず衝撃を与えるものであった。
「……まるで時が止まっておる。このように荒廃したままで……」
経久は応仁の乱の真っただ中に、主君である京極政経の京都屋敷に滞在していた。それから三十年、京都はいまだにその爪痕を大きく残していたのである。
やがて尼子兄弟が滞在する屋敷に、一人の男がやって来た。
「某は大内家家臣、周防守護代陶興房と申す。我が主が是非とも、尼子殿をお招きしたいと申しております。御舎弟殿も是非……」
招きに応じた経久と久幸は、大内義興に謁見した。
「麗しき御尊顔を拝し、恐悦至極に存じまする。尼子経久にござる」
「経久殿、よう参られた。此度の貴殿の参陣、この義興心強う思うておる。将軍様も管領殿も、殊の外お喜びじゃ。貴殿の武勇は、京にも聞こえておるぞ」
「なんの。某の武勇など、御耳汚しにござる」
「謙遜いたすな。月山富田城を僅かな手勢で奪還した話は、儂も耳にしておる。稀に見る軍略よ」
経久はかつて、居城の月山富田城を追われたことがあった。その城を鉢屋衆と共に奪還した話は、語り草となっていたのだ。
「後の者は、弟か?」
「はっ、久幸と申しまする。お見知りおきを」
「そなたの事も、耳にしておる。京極殿を補佐する出雲守護代の治世宜しきは、兄弟の結束によるものであろう。儂のただ一人の弟などは、謀反を起こして豊後へ逃げた。頼る一門もないわ」
そう言った義興の表情は、寂しげであった。
「しかし先頃、男子がお生まれになったとか」
永正四年(一五〇七年)、大内家には待望の男子が生まれていた。のちの義隆である。
経久の言葉に、義興は笑みを浮かべた。
「この歳になって、ようやく一人よ。まったくこのままでは、心許ない。そういえば、貴殿には三人の男子がおるとか。それもまた、羨ましいことよのう」
「なに、管領代殿はまだお若い。諦めるには早うございましょう」
「若い若いと思いながら、ここまで時が過ぎたのだ。なんぞ良い方法はないかの」
「そうですな……、某が聞くところによりますと、あの細川政元に仕えた修験者の司箭院興仙などは、男子生誕の精力薬を調合できるとか。そうじゃ、この修験者、今は愛宕神社などを根城に、方々に出没しては人々を惑わしておるとのこと。これを捉えて、秘薬を求められては?」
「……政元は法術狂いで死んだ。儂にも、そのような怪しげな薬を飲めと申すか」
にわかに義興の顔色が変わった。
「やっ……これは失礼仕った。御無礼の段、平に御容赦を……」
大きく伏した経久の姿に、義興も我に返る。
「いや、面を上げよ。突飛な話だったのでつい、な」
「……無礼ついでに今一つ、願い奉る儀これあり」
顔を上げた経久はそう言って、義興の顔色をうかがう。
「……申してみよ」
「はっ、仰せの通り、某には男子が三人ございまする。その次男に是非、大内殿の一字賜りたく……」
経久の申し入れに、義興は満足げに頷く。
「よくぞ申した。貴殿とは兼ねて、深く誼を通じたいと思うておったのじゃ。儂の興の一字、貴殿の次男に授けよう」
「ありがたき幸せ。天下人より一字賜るは、尼子家末代までの誉れにござる」
「……儂が、天下人じゃと?」
再び、義興の表情が一変した。
「まさに。今や大内の威勢に比肩するものこれなく、それは将軍様も管領殿も、重々御承知のはず。この後は幕府の政、思う通りに差配されては如何か? お望みとあらば、いつでも某をお使いあれ」
「……よいか、経久殿」
かすかに溜息をついた義興は、神妙な面持ちを浮かべた。
「この世にはあるべき形、秩序というものがある。京の御所に帝が御座し、これを武家の棟梁たる将軍が御守りする。その将軍を管領が補佐し、守護がこれを支える。美しい姿じゃと思わぬか。しかし今世は乱れ、京の秩序も乱れておる。天下に将軍はただ一人、管領もまた一人。儂は恐れ多くも上様に管領代の大役を賜り、今はその恩義に報いることしか考えてはおらぬ。天下の差配など、思いもよらぬこと。貴殿もただひたすらに、忠勤に励むがよろしかろうぞ」
義興にとっての理想は、応仁の乱終結に尽力した父、政弘の姿であった。決して幕府と争うことではない。
厳しい義興の口調に、経久は再びひれ伏した。
「なんとも清々しいお言葉。この経久、己が言葉を恥じ入りましてございます。そのお言葉胸に刻み、将軍義稙公への忠勤に励みまする」
平伏する経久を見下ろす義興が、扇子をぱちりと鳴らした。
「……経久殿、先程の話、なかったことにしよう」
「先程の話、とは?」
「儂の一字、次男に授けるという話よ」
「なんと! 気分を害されましたか」
義興は、狼狽する経久を手で制す。
「そうではない。どうやら貴殿は、都での立ち回りを学ばねばならぬようだな。儂の一字は、三男にくれてやる。次男は管領殿より一字、賜るがよかろう。儂から管領殿には取りなしておく。悪いようにはせぬ」
「……ありがたき幸せに存じまする。御配慮、痛み入る」
経久は、再び頭を深く下げた。
経久と久幸の兄弟が去った後、陶興房が進言する。
「お気をつけなされませ。あの男、奸雄の相がござる」
「野望を持つには、もう歳を取りすぎておろう。そなたにはどう見えたのか?」
この時、経久はもう五十を過ぎていた。三十を過ぎたばかりの義興には、沈む夕日のように見えた。
「御屋形様と管領殿を、離間せんと見えましたが」
「考えすぎであろう。世人の評判より凡俗に見えたが……」
「そもそも経久が、何故に月山富田城を追われることになったか。それは段銭を納めず公役を怠り、あらゆる幕命を軽んじたからに他なりませぬ。あの男は将軍にも守護の京極氏に対しても、忠誠心などというものはまるで持ち合わせてはおりますまい。御屋形様を天下人と煽り、何を考えておるのやら……」
「ふむ……」
義興は、再び扇子を何度も鳴らしながら、経久の去った方角をぼんやりと見つめた。
しかしその気配は、もう見えなかった。




