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新宮党の一矢  作者: 次郎
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第五十九話.大戦の終わりに

 月山富田城の祝宴から、国久と誠久が新宮館に戻ってきた。国久はすぐに、豊久と敬久を呼んだ。

「近いうち、殿は清久を隠居させるおつもりじゃ。跡は子の彦四郎が継ぐことになる」

「ほう……ならば、清久の叛意はやはり事実なのですな」

 豊久の言葉に、国久が大きな溜息をつく。

「吉川興経も、京羅木の大内陣中を訪れた清久を見ておる。残念ながら間違いなかろう」

「しかし、清久が素直に隠居などいたしますかな? 要害山城に籠もって籠城などされれば、厄介なことになりましょう」

「亀井秀綱の手引で、すでに清久の重臣、加藤久通を通じて手筈は整えてある。まずぬかりはなかろう」

「ほう……手筈、とは?」

 豊久の問いに、誠久が不機嫌な声を出す。

「下らぬ策を弄す、ということだ。俺に任せれば、清久の首根っこを捕まえて引きずり出すことなど容易いものを……」

 どうやら誠久は、釘を刺されたようだった。豊久は、月山富田城での様子を頭に思い浮かべた。

「それはつまり、此度は我ら新宮党の出番はないと?」

いくさにはならぬ。以前の興久の謀反は、のちに大きな禍根を残した。此度はいくさは避けねばならぬ。我らの出る幕はない」

 不満げな誠久の顔を見ながら、国久はぴしゃりと言う。

「いや、父上。策がうまくいくとは限るまい。備えはしておくべきだ。清久が要害山城に立てこもれば、強攻するまでよ。一気に踏み潰してくれようぞ」

「おぬしはただ、戦がしたいだけであろうが。此度は殿のお言葉通り、大人しく休め」

 渋々納得した誠久が荒々しく場を去ったあと、国久は二人の息子に言った。

「……誠久にはああ言ったが、おぬしらはいつでも兵を動かせるようにしておけ。努々、警戒は怠るでないぞ」

「兄上は、よろしいので?」

「此度は大人しくさせておけ。あやつは事を無駄に大きくする」

 国久はそう言って笑った。豊久も笑い、敬久もまた、遠慮がちに笑った。


 それから数日後のことである。

 新宮谷の敬久の館に、来訪者があった。中年の男と少年であるという。

 引見して敬久のもとへ報告に来た吉田広国は、その中年の男に見覚えがあった。

「あの男、見たことがございます。確か清久様の家臣の、加藤某とか……」

「なに?」

 驚いた敬久は、広国に二人の様子を尋ねる。

「酷く憔悴しておりました。子供の方は随分と怯えておりまして……国久様にお目通り願いたいと」

 敬久はすぐさま、国久の指示を仰いだ。二人の来訪者は国久のもとに送られ、誠久と豊久もやって来た。

「先程、月山富田城から知らせが届いた。秀綱からだ」

 国久は広間で二人の来訪者をじろりと見つめ、豊久に書状を手渡した。

「亀井の書状にございますか。どれ……」

 豊久は音を立てて書状を開いた。

「……謀反人、清久は隠居を拒み、見苦しくも抵抗したために誅殺に至り候。しかし清久臣加藤久通、騒ぎに乗じて約を違え、清久が嫡男、彦四郎と共に逃走す。ついては御領内にて両名を見つけし折は、直ちに首をはね、月山に首級二つ送らるるべく候……」

 豊久は冒頭の部分だけを読んで、埃だらけの主従を見つめた。誠久は訝しげに、敬久は、驚いてそれにならう。

「……清久の周りをすべて取り仕切る貴様がいながら、何故このような仕儀となったか。ぬかりはないはずではなかったのか?」

 国久は、苦々しい表情で久通を問いただした。そもそも久通は、国久の推挙で興久の塩冶家入りに付き従った宿老であった。その口調には、旧知の久通を非難する様子が見て取れる。

「すべてはこの久通の、思慮の浅さゆえにござる。取り返しのつかぬことに……」

「貴様の後悔など、どうでもよい。何があったかを申せ」

 声を震わす久通に、国久は冷たく言い放つ。久通はゆっくりと、包み隠さず事の顛末を話した。

「……そこで殿は激しくお怒りになり、例の晴久公の出自の話を……」

「なるほどな、それで殿のお怒りをかったというわけか」

 舌打ちする国久を見て、誠久が口を挟む。

「晴久の出自の話、とは?」

「晴久公が、尼子の血を引いておらぬという風聞にござる」

 久通は、反射的に答えた。

「なんだと?」

 驚く誠久の隣で、豊久と敬久も目を見合わせる。

「真に受けるな。謀反を起こした興久の戯言よ」

 そう言った国久が、久通を睨みつける。

「……で、要害山城はどうなったか?」

「抵抗する兵はわずかで、ほぼ無血開城になり申した。ただ晴久公は、殿に関わりのある女をすべて、撫で斬りにしたようにございまする。この久通の娘も、もうこの世にはおらぬでしょう」

 久通は、沈痛な面持ちでそう答えた。話が途切れたところで、それまで黙っていた豊久が口を開く。

「それで、貴殿は何故この新宮谷に? どこぞかに落ち延びればよいものを、わざわざ死地に赴くようなものではないか」

「一度は追手を撒きましたが、先程の書状のように全土に手配されておりまする。もはや、出雲を出ることは容易には叶いますまい。手前勝手は重々承知、彦四郎君をお救いするには、もはや国久様におすがりする他はなく……」

 平伏する久通に続いて、怯えた表情の彦四郎も深く平伏した。薄汚れた主従は、いかにも哀れであった。

「さて、父上……如何なされますか?」

「……如何も何もなかろう。殿の御意に従い、この二人の首を月山富田城に送るまでじゃ。他に何がある?」

 その国久の言葉に、誠久が異を唱えた。

「俺は反対だ。晴久は、約を違えた。君主の器ではない。彦四郎に跡目を継がすべきだ」

「殿とお呼びせぬか、馬鹿者が」

 国久は、苛立たしげに誠久を見る。

「此度の非は、すべて清久にある。裏切り者には過分な殿の計らいを、あやつは無にした。こうなってはもはや、彦四郎を生かし禍根を残すことは尼子のためにならぬ。殿の裁断は正しい」

「しかし兄上の言う通り、殿が約を違えたのも事実でございましょう。敬久、おぬしはどう思う?」

 豊久に水を向けられた敬久は、一度は逡巡したものの、考えたままを素直に口にする。

「……処断して、月山富田城に首を送るのは早計かと存じまする。もちろんこうなってしまった以上、彦四郎の家督相続は叶いますまい。しかし、だからこそ命を守ることだけを考え、しかるべき京の寺において仏門に帰依させ、出家させるのを条件に、助命嘆願をなさるがよろしかろうと存じまするが」

 高名な寺は多くの場合、政治的な中立地であり、不可侵の地域であった。京の寺ともなればなおのこと、地方の干渉は及びづらい。

「甘い。そのような話、晴久が納得するものか。掛け合うだけ無駄よ」

 誠久はそう言って、そっぽを向いた。しかし以前のように、敬久をなじるようなことはなかった。

 国久は敬久の提案には答えずに一息つき、豊久を見つめる。

「……ならば豊久、おぬしはどう考えるのか?」

「匿われませ」

「……正気か。殿の意に反すると?」

 国久は驚いて目を見開いた。豊久には、冷静な意見を期待していたのである。

「無論、一門衆でありながら裏切った清久は言語道断でござる。しかし大殿が清久を助けたように、殿も一度彦四郎を助けると約したならば、これは信義の問題でござる。清久は自業自得でござろうが、彦四郎を殺すとなれば、亡き大殿がお許しにはなりますまい。殿には仁君として、信義は守る君主であっていただきたい」

「それは、建前であろう。おぬし、何を考えておる?」

 国久は訝しげな視線を向ける。

「では、率直に申し上げまする。彦四郎は尼子の一門衆というだけではござらぬ。塩冶家の旗頭でもござる。彦四郎をおさえておけば、塩冶の遺臣はことごとく我らに味方いたしましょう。いざという時、これは役に立ちまする」

「いざという時とは、どういう時のことを言うておる?」

「無論、出雲が他国に侵略された時にござる。我らは新宮党は、尼子の藩屏にございますれば」

 豊久は平然と答えた。

「ならば、殿になんとお知らせするのだ。敬久の言うように、助命嘆願でもいたすつもりか」

「殿は、彦四郎を討てと仰せにござる。それを直ちに翻すは、殿も面目が立ちますまい。しかし彦四郎の命は、そもそも殿も助けるつもりであった命にござる。いずれ時が経てば、怒りが鎮まる日も参りましょう。吉田の地は懐が深く、殿もおいそれと探りを入れることはできませぬ。山奥の寺にでも身を潜めれば、見つかることもありますまい。しばらくは、匿われるが上策かと……」

「確かに、匿うことはできよう。しかし、殿を欺くようなことはできぬ」

「そうは仰るが、父上も彦四郎を殺すことを迷うておられる」

 その豊久の言葉に、国久の顔色が変わる。

「儂が迷うておる、だと」

「お心が決まっておいでならば、我らに諮る必要はありますまい。意見を求めるのは、父上も迷っておられるからでは?」

 豊久の言葉に国久は目を逸らし、厳しい視線で彦四郎を見た。少年は縮こまり、微動だにしない。

「彦四郎、面を上げよ」

 国久の言葉に、彦四郎はゆっくりと顔を上げる。その怯えた瞳は、国久の記憶にあった。

「……おぬしは清久より、興久の幼い頃によう似ておるわ」

 しばらく彦四郎を見つめた国久は、諦めたように穏やかに、そう呟いた。国久の心の内には、弟の謀反を止めることができなかった後悔があったのだ。

 国久は三兄弟に目を向けた。

「よいか……、これは決して、殿を欺く企みに非ず。尼子の行く末のため、彦四郎を匿うのじゃ。今、彦四郎を殺すは容易い。しかしいずれ必ず、殿は誅殺を後悔なさるであろう。これも藩屏、新宮党の努めと心得よ。よいな?」

 国久の言葉に、兄弟は三者三様、頭を下げる。

「匿うとなれば、何があっても彦四郎は隠し通さねばならぬ。吉田の山奥には、余人の目が届かぬ廃れた寺がいくつかある。そこならばまず、見つかることはあるまい。しかし、打てる手はすべて打っておく必要がある。豊久、何ぞ手はあるか?」

「ならば……敬久の申すことを使いましょう。京の寺を頼りに、落ち延びたように見せかけるのがよろしかろうと存じまする。我が手の者を使い、あたかも京に逃げたように見せかけましょう」

 ゆっくりと頷く国久に、久通が床に額を打ち付けて平伏した。

「国久様のご温情、久通感謝の言葉もございませぬ。……そして今一つ、某の願いをお聞き届けいただければ……」

「申せ」

「不躾ながら、軒先をお借りしたく……」

「腹を切ることはならぬ」

「し、しかし……」

「久通、思い違いをいたすな。儂が彦四郎にしてやれるのは、廃れた寺をくれてやることのみじゃ。人は出さぬ。野垂れ死にをさせたくなくば、石にかじりついてでも貴様が守り抜くのだな」

 国久の言葉に、久通は再び床に頭を打ちつけた。

 その肩は、大きく震えていた。


 国久らが去った広間は、豊久と敬久だけになっていた。差し込む夕日に豊久が眉をしかめ、烏の鳴き声が響く。

「父上も老いたか。殿の命に背いてまで情けをかけるとはな」

「情け、ですか……兄上は違うのですか?」

「当たり前だ。我ら新宮党の役に立たねば、彦四郎の命などどうでもよいわ」

 豊久はかすかに笑い、口の端を歪める。

「しかし呆れるのは、殿の度量の狭さよ。大殿のような仁君たらんとするならば、本心はどうであれ約を違えてはなるまい。外面も繕えぬなら、器が知れるというものだ」

 辛辣な豊久の言葉に、敬久は声を潜める。

「兄上はやはり……いざという時には彦四郎を擁して、塩冶の遺臣を?」

「役には立つであろうよ。敵が誰であってもな」

 その敵が誰か、不敵な笑みを浮かべる豊久に、敬久は聞くことができなかった。

 かくして大内の出雲侵攻は、尼子の血族清久の粛清によって幕を閉じた。

 しかしその死はまだ、動乱の序章にすぎない。

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