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新宮党の一矢  作者: 次郎
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第五十三話.備後の英傑

 石見から南東に進んだ元就一行は、一旦出雲南部を掠め、廃寺で夜露を凌ぎながら、備後国へと進んでいた。

 辛うじて石見は抜けたとはいえ、尼子や一揆衆の追撃がなくなったわけではない。いくつかの散発的な襲撃は主従を脅かし、その心身を疲弊させていた。

「殿、お疲れではございませぬか。今日は朝から歩き詰めでございましょう」

 隣の福原貞俊が元就を気遣う。

「そうも言ってはおられまい。速く行くことができんのならば、止まらぬことだ」

 すでに馬もおらず、徒歩で進む一行に会話はほとんどなかった。 時折こうやって、家臣が元就を気遣うのみであった。

 一行の一番後ろには、うなだれて歩く少輔次郎がいた。

 石見を抜ける直前、運良く元秀とともに元就に合流した少輔次郎は、目を真っ赤に腫らしてうつむいていた。

「殿、元茂殿が……」

 うつむく元秀にすべてを察した元就は、少輔次郎を睨みつける。

「おぬしの勝手が、元茂を殺したのだ。殴る価値もない」

 その元就の言葉に、少輔次郎は肩を落とした。以前は生意気な口を利いていたこの麒麟児も、一言も反論できなかった。

 逃走の足を緩めない一行は再び夜を越え、やがて備後国の恵蘇郡に至った。山内氏の甲山城はすぐ近くである。

「この辺りに、甲山城の西に向ける間道があるはず。それを見つけることができれば、某の知る安芸までの安全な経路がござる。今少しのご辛抱にございます」

 志道通良の先導に希望を見出した一行は、さらに道を急ぐ。

 しかし、運命は無情であった。

 一行は甲山城を抜ける寸前で、山内勢に囲まれたのである。

「毛利元就殿とお見受けする。御同道願いたい」

「父上!」

 隆元が抜刀する。

「……この軍勢の数では、抗うこともできぬ。隆元、刀を収めよ」

 元就は溜息をついて、息子を諌めた。こうなってしまえば、もう運を天にまかせるしかない。

 山内勢に囲まれた一行は、そのまま甲山城まで連れて行かれた。丘陵に築かれた、堅固な山城である。

「どこで首を取るつもりでしょうか?」

「……尼子に引き渡すつもりかも知れんな」

 城門を潜った元就が隆元にそう答えた時、甲冑を付けていない別の一団が姿を現した。

「元就殿。ご無事であられたか」

「おお……、これは直通殿」

 元就の前に姿を現したのは、隠居している先代当主、山内直通であった。今回、興経らとともに裏切った現当主、隆通の外祖父である。

「おぬしら、元就殿をどこに連れて行くつもりじゃ」

 直通は、武装した山内兵を睨みつけた。

「はっ、殿の仰せで……その……」

「尼子に売るつもりか」

「う、売るなどと……」

「元就殿は、儂の大事な客人じゃ。無礼は許さぬぞ。ささ、元就殿、こちらへ」

 直通はそう言って、元就一行を迎える。

「お待ちくだされ、大殿。元就を捕らえよとは、殿の命にござる。いかに大殿と言えども……」

「ならば、儂を斬るか?」

「そ、それは……」

 隆通の家臣は言いよどむ。

「隆通に伝えよ。元就殿を引っ捕らえたくば、まず儂の首を取れ、とな」

 その直通の迫力に、隆通の家臣らも道を譲らざるを得なかった。


 直通の屋敷に案内された元就一行は、まず湯で疲れと汚れを落としたあと、膳部を用意した広間に通された。

 上座には、直通が座っている。

「いや、間に合ってようござった。元就殿が備後から安芸へ逃れることもあろうかと、隆通の動きを見張っておったのでござる。某の推測が、当たり申した」

 備後山内氏は、備後国恵蘇郡甲山城を本拠地とする、備後有数の国人領主であった。

 特にこの先代直通は、毛利との関係が深かった。塩冶興久や渡辺通など、諸国を追われた者を受け入れていた大人物である。

「御推察、痛み入りまする。御領内をお騒がせしたこと、伏してお詫び申し上げる」

「なに、通と通良がおれば、土地勘に頼るのが道理というものでござろう。そう言えば……通の姿が見えませぬが……」

 元就はわずかに目を伏せ、事の次第を説明した。

「そうでござったか、惜しい男を亡くしましたな……しかし、元就殿の身代わりに死ぬるは、あやつも本望にございましょう。儂もようやったと、褒めてやりとうござる」

 直通はそう言って、瞳を潤ませた。

 戦国の習いとはいえ、偏諱を与えるほど可愛がっていた通の死は、直通にとっても深い悲しみであった。その表情を見ると、元就も心が痛い。

「元就殿、あやつの男子はまだ幼い。是非、遺族には目をかけてやってくだされ。女房も妹も、気を落とすことであろうが……」

 通の姉は、今回の出雲攻めにも参陣している国司元相に嫁いでいたが、通らが直通のもとに匿われていた間も毛利にとどまっていた。妻は直通の計らいで備後で娶っており、妻子と妹を連れて、毛利に帰参していたのである。

「それは御案じめさるな。毛利は子々孫々、通の忠義を忘れることはござらぬ。渡辺家は、毛利の宝にござる」

 元就のその言葉に頭を下げた直通は、居住まいを正した。

「元就殿……此度の隆通の裏切り、さぞご立腹であろう。しかも義隆公からは、偏諱までいただいておきながらのこの有様じゃ。しかしお分かりいただきたいのは、この山内家の立場にござる。我らは一度、尼子に武力によって屈服させられておる。隆通はその結果、経久公の肝いりで儂の後継になった。勝手な言い分かもしれぬが……大内か尼子か、隆通にとっても苦渋の決断であったことを、お分かりいただければ、と」

 直通は興久のことや、それによって毛利に接近したことを尼子経久に懸念され、討伐を受けることとなった。直通は強制的に隠居させられ、分家の多賀山氏に生まれていた外孫の隆通が、経久の肝いりで家督を継いだ。その隆通の実父である多賀山通続も、今回の裏切りに加担していたのである。

「直通殿……この元就も、かつて大内を裏切って尼子につき、また時勢をみて尼子を裏切って大内につき申した。大国に挟まれた苦しみは、某もよう分かっておりまする。その上、実父の通続殿の説得があったとすれば、やむを得ぬ仕儀でござろう。今はただ、直通殿の御好意に感謝いたすのみにござる」

 元就は言葉を選んで、そう答えた。いま直通は、危険を冒して元就に手を差し伸べている。その心中と状況を思えば、納得するほかはない。

「お心遣い、感謝いたす」

 直通は、深く頭を下げた。

「しかし、元就殿……。これより西国は荒れまするぞ。大内と尼子の力は逆転し申した。尼子はこれを期に、一気に周辺諸国に出兵してくるでしょう。山陰山陽は、尼子の天下となりますぞ」

 大内が尼子を降し、周辺国に平穏な日々を与えるという希望は潰えた。再び国人領主は、敵味方に分かれて戦わねばならなくなるだろう。ここに至るすべての犠牲は、水泡に帰したのだ。

「これから先、天下の趨勢がどうなるかは、この元就にも分かりませぬ。しかし大内は腐っても鯛、いずれ勢力を立て直すは必定。尼子の野望も、そう簡単にはいきますまい。言うなれば……」

「言うなれば?」

「混沌」

 元就は短く答えた。大いに乱れることは間違いない。

「では元就殿。毛利家の行く末は、この先どうされるおつもりかな?」

「さて、如何いたしますかな。無事に安芸まで帰ることができれば、その時に考える事といたしましょう」

 元就は明言を避けた。状況が落ち着かねば、周囲の国人衆も旗幟を鮮明にはしないだろう。

「御身の安全は、御懸念無用にござる。安芸の国境までは、某の手の者が護衛いたす」

「重ね重ねのご厚意、痛み入る。この元就、この御恩は終生忘れませぬぞ」

 元就は一層深く、頭を下げた。

「礼には及びませぬ。この直通には下心がありますゆえ……」

 直通は正直に答えた。元就を通じて、大内との繋がりも保っておこうという算段であろう。

 それは大国に挟まれた小国の、常識であるともいえるものであった。

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