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新宮党の一矢  作者: 次郎
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第五十一話.七騎坂

 尼子の激しい追撃にさらされた続ける元就は、苦戦に苦戦を重ねながらも出雲を抜け、石見に入った。

 しかし石見に入ってからも追撃は衰えず、むしろ激しくなる一方であった。追撃の尼子勢も石見に入り、土着の一揆衆は常に敗残兵を脅かす。

 そしてここにきて、新宮党豊久の策略によって石見の国人衆も、毛利勢の行軍を四方から遮断する動きに出た。

 中でも特に、山吹城からの追撃部隊は強力であった。北上して石見路に展開して、毛利勢を待ち伏せる気配を見せる。

 状況は元就にとって、刻一刻と絶望的になりつつあった。

「どうやら新宮党も、国境を越えたようでござる。近くにも、黒朱の旗が迫っておりまする」

 周囲を探っていた弥山が戻ってきた。足軽以下はすでに散り散りになり、元就の周辺も少数の重臣のみになっている。

 ここに至るまで、何度伏兵に遭ったか分からない。その度に家臣は奮戦し、はぐれ、また討ち取られていた。

「四面楚歌というわけか。やれやれ、出雲を抜けても状況は変わらぬな」

 珍しく落胆を隠さない元就に、隆元が進言する。

「父上、このまま石見路を行くのは危険ではありませんか? 西には山吹城からの敵勢が待ち受けておるとの事。南に抜けて、備後から吉田に帰還なされた方がよろしいのでは?」

 元就は、泥と埃にまみれた息子の顔を見つめる。

 その汚れた姿は、すなわち元就の姿でもあった。体中の細かな傷に、泥水がしみる。周りを堅める家臣の姿は、なお悲惨であった。

 元就らは、大内本隊の後ろについて石見路を抜け、西回りで安芸に帰陣するつもりであった。

 しかし、しんがりであった毛利勢が大内本隊に追いつくのは、至難の業であった。今や西への撤退は、無謀と言っていい。

 続けて、渡辺通が進言する。

「若殿の仰せ、ごもっともかと存じます。このまま西へ行っても、益田殿の勢力圏内まで逃げ果せることは難しいでしょう。幸い某は、備後の地勢に詳しゅうござる。ここは若殿の仰せの通り南下して、備後甲山城の付近を南西に抜け、吉田に至るが良策かと……」

 かつて通は、備後山内氏のもとに十年余に渡って亡命していた時期があった。土地勘があるのは間違いない。

「しかし……その甲山城の山内隆通も再び尼子に寝返った。すでに甲山城の周囲にも敵兵が繰り出しておろう。通り抜けられるとは思えんが」

 元就と交流があった頃の当主、直通は尼子経久によって強制的に隠居させられ、現当主の隆通はその経久の肝いりであった。

 しかも今回は、興経らと共に大内を裏切っている。黙って元就らを通すとは思えない。

「どちらにしても、このままでは逃げ切れませぬ。備後に入れば少なくとも石見勢の懸念はなくなり、道に迷うこともないと心得ますが」

 通の言葉に、志道通良も口を開く。

「殿、通殿の申すこと、もっともかと存じまする。某も吉田から甲山城までは、己の道のように覚えております。甲山城の周辺まで至れば、後は何とでもなりましょう。是非、某に先導を賜わりたい」

 志道通良は、毛利家執政、志道広良の子で、かつては山内氏との外交を担当していた。当時の当主、直通から通の偏諱を与えられるほどに、繋がりは深かった。

「……そなたらが言うのなら、間違いなかろう。よし、分かった。隆元に従おう」

「従おうなどとは仰られますな、父上」

「いや、良い。それで良いのだ」

 そう答えた元就は、夜空を見上げた。月明かりが、元就と隆元の顔を照らしている。

「……貞俊、ここは何という所か?」

「はっ、確か……大江坂とか」

 隣りにいた福原貞俊が答えた。

「大江、だと?」

 元就の背中に、ぞくりとしたものが駆け抜けた。

 毛利の本姓は、大江である。異国で不意に聞いたこの音に、己の本質、肝を何者かに握られた気がしたのだ。

 そんな月明かりにぼんやりする元就の横を、鋭い矢音が走る。その頬に、赤い線が浮かんだ。

「っ!」

 元就のわずかな感慨は、激しい鬨の声にかき消された。

「殿、お逃げを!」

 暗闇から突き出された槍を、通が斬り落とした。次から次へと現れる敵兵の刃と毛利勢の刃が交錯し、闇に火花を散らす。

「ぬう!」

 刀を抜いた元就も無数の刃に応戦するが、ぬかるむ土に足を取られ、膝をついた。槍を構えた敵兵が突っ込んでくる。

「源左衛門!」

 既の所で、家臣の井上源左衛門が元就を庇う。胸を貫かれた源左衛門は、口から血を吐いて絶命した。

「父上、このままでは……」

 源左衛門を突き殺した敵兵の首が、桂元澄の斬撃で宙に舞う。隆元と弥山が元就を引きずりながら、草むらに入った。

「どうやら、囲まれたようですな」

「弥山、なんぞ手はないか?」

「残念ながら……」

 元就は何度か頷いた。

「よし……ならば、もうこの辺りでよかろう」

「この辺り、とは?」

「腹を切る。通、介錯せよ」

「な、何を仰せになる!」

 貞俊が叫ぶ

「皆、散れ。一人でも多く生き残るのじゃ」

「ち、父上!」

 隆元が元就にすがりつく。通は無言で、元就を見つめている。

「どうした、通。早くせよ」

「……御免!」

 そう言った通は、元就の兜に手をかけた。

「何をする、通!」

「通良殿、備後の道案内を頼む。殿を必ず、吉田へ」

 元就の兜をかぶった通は、志道通良に念を押した。

「通、まさか、父上の身代わりを……」

「この通、吉田への帰還を許された時から、いつかは父の汚名をそそがんと願っておりました。殿の代わりに死ねる通は、果報者でござる。これより極楽に至っては殿の御到着を末永く待ち、地獄に至っては父を叱りつけまする。殿……御達者で」

「待て、通!」

 元就と通の目が合う。その瞳に不退転の覚悟を浮かべ、笑みを見せた通は、刀を振り上げ敵兵の前に躍り出た。通はもう、振り向かない。

「どこを見ておる、匹夫どもめ! 元就はここにおるぞ!」

 その通に、波多野源兵衛、井上与三右衛門、三戸与五郎、三戸小三郎らが続く。敵勢の怒号が響き、辺りは騒然となった。

「父上……通が、皆が!」

 立ち上がった隆元を、元就が制する。

「振り向くな、隆元!」

 走り出した元就に、隆元を抱える元澄と貞俊が続く。

「父上!」

「そなたは跡継ぎであろう。通の思い、無駄にするな」

 隆元の瞳に、元就の背中がにじんで見える。

「走れ!……走れ、隆元!」

 元就のその言葉は、自らに言い聞かせる言葉でもあった。


 石見に入った新宮党誠久は馬に跨り、一人山道を悠然と進んでいる。

 当然のことながら、大将である誠久が一人でうろつくことは、危険極まりない行為であった。周囲の敵は敗走した大内勢だけではなく、一揆衆や落ち武者狩りも闊歩している。彼らは討ち取れるものは全て討ち取り、奪えるものは全て奪う。徹底的にはぐれた者を狙うのだ。

 しかしこの男は、こうやっていくつもの戦場を歩いてきた。進むも引くも、一人ならどうとでもなるからだ。

 危険な状況に身を置き、ひりひりとした感覚に身を委ねる時こそ、生きる意味があると誠久は思っている。そして彼の家臣も、それがよく分かっていた。

 久々に枷のない戦に、誠久の心は躍っていた。

 今回、彼に命令する者はどこにもいない。誠久の戦には細かい作戦などはなく、大まかな方針に従って、誠久本人もただひたすら槍働きに専念するのみである。

 この男がそうするのは、それで勝てるからであった。

 変にまどろっこしい策は、誠久の戦にはそぐわなかった。弱いから策に走る、と誠久は思っている。現に新宮党のみの戦であれば、彼の覚えている限り無敗であった。

(豊久の策が、やっと動き出したか。しかし、遅い。あやつが小手先の策などに頼らずに陣中におれば、敬久を使う必要もなかったのだ)

 誠久にとって、豊久ほど頼れる男はいない。しかし謀略で新宮党を拡大しようという手法を、誠久は好まなかった。

(新宮党に臆病者はいらぬ。策に頼るようになれば、そうもなろう。敬久め、大将首でなければ許さぬぞ)

 弟たちの顔を思い浮かべる誠久が、ふと視線を上げた。殺気でもない、形容しがたい視線を感じたのだ。

 視線の先には、樟の巨木があった。その枝の間に、一人の少年が座っている。

「……おい、小僧」

 しばらく目を合わせた誠久が、語りかけた。

「大人しく降りてこい。心配せんでも、取って喰いはせぬ。大方、親とはぐれたのであろう。どこへなりとも去るがよい」

 農民の落ち武者狩りには、子供が手子に使われることもあった。身内とはぐれたであろうと推測した誠久は、声を荒げることなく少年を促す。

「……待っていたのだ」

「なに?」

「不意討ちで勝っても面白くない。俺に気づいて顔を上げるのを待っていたのだ」

 薄暗い中、月明かりにわずかに照らし出される少年は、軽装ながら鎧を着ていた。すでに刀を抜き、肩に担いでいる。

 誠久は、うっすらと笑う。

「ならば四の五の言わずにかかってこい。その胆力があればな」

 その誠久の言葉に、少年は躊躇しなかった。飛び降りるのと同時に、強烈な斬撃を振り下ろす。

 一瞬で刀を抜いた誠久は、そのまま斬撃を受け止めた。暗闇に激しい刃の交わる金属音が響き、火花が散る。

「ぬう!」

 その衝撃は、誠久の予想を超えていた。体勢を崩した誠久は馬上から落ちたが、体を捻り立ち上がる。目の前に正対した少年は、幼さの残る顔とは裏腹に、堂々とした体躯であった。

「名を聞いておこうか、小僧」

「貴様から名乗れ。大将首なら、名乗ってやろう」

 そう生意気な口を聞く少年に、誠久は昔の自分を思い出していた。

「新宮党誠久だ。この上ない大将首であろうが」

「安芸吉田の毛利元就が次男、少輔次郎。相手にとって不足はない、参る!」

 上段に構えた少輔次郎が、気合の声とともに再び斬撃を打ちこむ。その斬撃は一撃に留まらず、鋭く踏み込みながら、上中下と打ち分けていく。

 しかし先程の馬上とは違い、誠久はまったくよろけなかった。わずかに後退しながら刀の角度を変え、次から次へとくる斬撃を時には鎬、時には棟で様々にいなす。

 少輔次郎は、不思議な感覚にとらわれた。

 まるで巨大な闇に打ちこんでいるような虚しさは、心胆を冷まし、永遠の徒労を思わせるような白々しさがあった。打ちこんだ刀に手応えがなく、誠久の作る円をなぞるしかない自らの斬撃に、初めて感じるいらだちを覚える。

「小僧、所詮はその程度か。そんな一本調子の刃では……」

 誠久のその言葉に、少輔次郎は一旦引いて目を閉じた。呼吸を整え、再び目を見開いて上段に打ちこむ。

「イヤァ!」

 少輔次郎の刀が唸りを上げ、激しさを増した。誠久は目を輝かせ、反撃に転じる。

 常に全力で打ちこむ少輔次郎の刀とは違い、誠久の刀には強弱の妙があった。さらに緩急も交え、その太刀筋は手足のように自在である。

 さしもの神童も、誠久相手には分が悪かった。早い太刀筋から軽い一撃がきて、遅い太刀筋から重い一撃がくる。

 散々翻弄された少輔次郎の刀は、ついに真ん中から折れた。

 腰を落とした少輔次郎の前に、誠久が仁王立ちする。

「逃して成長を待とうなどと、酔狂は思わぬ。なに、すぐに冥府で父親にも会えるだろう。さらばだ」

 そう言った誠久が刀を振り上げた。月明かりに、銀色の鈍い輝きが少輔次郎を照らす。

「若!!」

 その時、不意に発せられた叫び声とともに、馬に乗った人物が躍り出た。

「元茂!」

「若、お引きなされ!」

 躍り出た内藤元茂が馬を降り、誠久の前に立つ。元茂はもう覚悟を決めていた。

「元茂殿!」

 その後ろから、赤川元秀も姿を現した。

「元秀殿、若を頼む」

「しかし!」

「三人でも、勝てぬ」

 その元茂の言葉に、元秀は唇を噛み締めた。元茂が抱え上げた少輔次郎を、馬上に引き上げる。

「元秀、何をする!」

「行け、元秀殿!」

 そう叫んだ元茂が馬の尻を叩く。馬は前足を上げていななき、猛烈に走り出した。

「勝負の邪魔をするか、下郎」

 様子をうかがっていた誠久が、怒気をはらんで吼えた。

 しかし言葉とは裏腹に、その怒りの矛先は勝負に水を差されたことにではなかった。三人でかかってこなかったことに、この男は怒ったのだ。

「離せ、元秀!」

 馬上で叫ぶ少輔次郎を、元秀が抑える。

「いいえ、放しませぬ。若君には、この業を背負っていただく」

「業、だと」

「元茂殿のこと、決してお忘れにならぬよう……」

「当たり前じゃ!」

 少輔次郎の目に映る元茂が、急速に小さくなってゆく。

 元茂はゆっくり刀を抜いた。

「覚悟はよいか、下郎」

 にやりと笑った元茂は、その誠久の言葉にも動かなかった。時間は稼げるだけ稼いだ方が良い。

 誠久の刀が、流れるように右回りの弧を描いた。三日月のようなその下段からの軌道を、元茂は避けなかった。

「!」

 己の腹に食い込んだ刃を抱え込み、元茂は刀を突き出した。誠久は体を捻りながら、刀を強引に振り抜く。

 間一髪、元茂の刀は空を斬り、その腹部からは血が吹き出した。

「かっ……」

 元茂はかすかに笑みを浮かべ、そのまま前のめりに倒れた。

 返り血を浴びた誠久は、そのまま刀を放り投げた。その切れ味がまた、気に入らなかったのだ。

 しばらくのあと、蹄の音を響かせて吉田忠国が現れた。

「殿、ご無事で」

「当たり前だ」

 そう言った誠久の顔を、忠国が驚いた表情で見つめる。その左頬に、わずかなかすり傷があったのだ。

 馬を降りた忠国が、元茂の骸を見下ろす。

「こやつは……」

「忠義の士よ」

 誠久は左頬のかすり傷を触りながら、短く答えた。

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