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新宮党の一矢  作者: 次郎
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第五十話.君たるべし

 誠久率いる新宮党本隊と合流した敬久は、刑場に引っ立てられた罪人の心持で、誠久の前にひれ伏した。

 誠久は無言で、弟を見つめている。

「……あ、兄上にあらせられましては、早々に沼田小早川の首級をお挙げになり、恐悦至極に存じまする。それに引き換えこの敬久、未熟者ゆえに兄上のお言いつけを守れず、清久にいいように使われ申した。この失態、申し開きのしようもございませぬ。この上は、如何なる処罰も喜んでお受けいたしまする。何とぞ、厳しい御処断を」

 平伏する敬久につまらなそうな視線を向けた誠久は、忠国に目を向けた。しかし当の忠国は、視線を真っすぐに上げたまま微動だにしない。

 舌打ちした誠久は立ち上がり、ゆっくりと敬久の前に立った。

「お待ち下され、誠久様」

 誠久の怒気に、広国が進み出て平伏した。

「敬久様に、清久様をお通しなされと進言申し上げたのは、某にござる。清久様はどうにも怪しい御仁ゆえ、主から遠ざけたかったのでございます。此度の責は、かかりてこの広国にあり」

 しかし誠久は広国を全く意に介さず、敬久に言葉を投げる。

「立て、敬久」

「はっ」

「い、いやいや、誠久様」

 広国は自らに矛を向けようと、命知らずに誠久を呼び止めた。膝が大きく震える。

「よい、広国」

 敬久が立ち上がりながら広国を制した。

 敬久がもっとも恐れているのは、この失態で前線を外され、戦功を立てる機会を失うことであった。殴られることは問題ではない。

 立ち上がった敬久が覚悟を決めた時、それまで動かなかった忠国が広国の前に立ち、胸ぐらを掴み上げた。

「この、馬鹿者め!」

 忠国は怒声を上げて、弟を殴りつけた。そのまま崩れ落ちた広国を、兄はなおも殴り続ける。殴る度に、広国の顔が大きく揺れた。

「たわけが! 力不足で主の判断を誤らせ、あまつさえ誠久様に口答えなど、言語道断。このまま殴り殺してくれるわ!」

「た、忠国、そのくらいで……」

 あまりに忠国が殴り続けるので、敬久が割って入ろうとした。見る見るうちに広国の顔がはれ上がり、血が飛び散る。

 止まらない忠国は、屈んだ弟をそのまま蹴り始めた。その勢いに、周りの家臣も固唾を飲んで見守る。

「もうよい、忠国」

 そう言ったのは、誠久であった。呆れた表情で忠国を下がらせる。

 その場に崩れ落ちた広国は、動かなくなった。

 怒りを削がれた誠久は、平手で軽く敬久の頬を叩く。

「すぐに出陣しろ。二度と後れは取るな」

 誠久は広国を一瞥したが何も言わず、敬久にそう言い捨てた。

「はっ!」

 敬久は一礼すると広国を抱え、引きずるようにして誠久の前を辞した。

「広国、しっかりしろ。大事ないか」

「いやいや、心配御無用。蚊に刺されたようなものでござる」

「とてもそうは見えんが……」

 強がる広国に、敬久が顔をしかめる。

「見た目ほどひどくはござらんよ。兄は某の丈夫な所を知り尽くしておりますからな。半分は演技でござる」

「しかし……私が不甲斐ないばかりにこのような……」

「お気に召さるな。これも某の役目にござる」

 腫らした顔で笑う広国の肩を、敬久は握りしめた。

「その様子だと、もう二、三発殴っても良かったな」

「げぇ、兄上」

 いつの間にか背後にいた忠国が、広国の頭を叩く。

「広国、先に出陣の手筈を整えておけ。手当はそのあとにしろ」

「……へいへい」

 広国は軽い返事を返しながらすっくと立ち上がり、頬を押さえながら出ていった。

「忠国、すまなかった。おぬしにも手間をかけさせたな。おかげで、前線を外されずに済んだぞ。礼を言わねばならぬ」

「何、半分は本気でござる。責はあやつにこそございますからな」

 忠国はそう言って笑った。

「広国には、いつも貧乏くじを引かせている。私の直臣になったばかりにな」

「あの広国の姿を憐れとお思いならば、良い主君にお成り下され。家臣の誉れは、主君の勇名でございますれば」

 その言葉を聞いた敬久は、自ら頬を叩き気合を入れた。

「御武運を。敵勢のしんがりは、毛利と小早川と思われまする。敗走した毛利元就もまた、山中を彷徨っておりましょう」

「分かった、行ってくる。必ず元就の首、取ってくれようぞ」

 忠国に見送られた敬久は、軍勢を率い西へ出陣した。

 日は沈み、再び夜が来ようとしていた。


 晴持の亡骸を伴った冷泉隆豊が大内本隊に合流した頃、すでにその周辺にも尼子勢が迫っていた。

 やはり、しんがりや国人衆を犠牲にしてもなお、撤退は厳しい。

「待っていたぞ、冷泉殿」

 隆豊を迎え入れた隆房は、笑みを浮かべていた。その隣には、内藤興盛と杉重矩もいる。

「……若君は勇敢に戦い、御討死になされた。御遺体は某がお守りして戻り申した」

 隆豊は努めて感情を抑え、冷静に報告した。それでもわずかに、声が震える。

「御役目、大儀。某からも御礼申し上げよう。尼子に首を取られなかっただけでも、若君はお喜びであろう」

「若君は決して敵に背を向けることなく、前のめりに御討死にされた。その死に様は、大内の後継ぎに恥じることのない、御立派な最後でござった」

「分かっている」

 隆房は、晴持の勇敢さを何度も念押しする隆豊から目を逸らした。

「冷泉殿……若君のこと、お屋形様にはまだ内密に願いたい。ここで自暴自棄になられては困るからな。晴持公の喪を発するのは、山口に戻ってからとする。よろしいな?」

「……承知している」

 隆豊も元よりそのつもりであった。愛する養子の死を知れば、義隆の気力が失われるのは間違いない。

「冷泉殿、ここから山口までは、お屋形様の護衛をお願いしたい。おぬしの武勇なくして、この窮地を脱することはできぬ」

「それは望むところだが……撤退路はどうされるのか?」

 隆豊は奥歯を噛み、拳を握りしめた。結局こうして尼子を振り切れていないのならば、晴持は無駄死にではないか。

「船を用意しておる。ここからは再び、軍勢を二つに分けるつもりだ」

「船を?」

「敵の目は陸路に向いておる。よもや一度失敗した海路に、お屋形様がいるとは思うまい。おぬしにはお屋形様をお守りして、共に海路で撤退してもらいたいのだ。よろしいか?」

(……そううまくいくものか)

 しかし隆豊にも手があるわけではない。隆豊の武勇にかかっていると言うなら、それはこの男の望むところではあった。 

「心得た。お屋形様は、某が天地神明に誓ってお守りいたす」

「頼んだぞ、冷泉殿」

 そう言った隆房は、踵を返した。

「待て、陶殿」

「何か?」

「若君の死に顔を見てゆかれよ」

「……」

 隆房は足を止めたが、振り返ることはない。

「軍の編成を急がねばならぬ。山口に帰ることができたら、お目にかかろう」

 一瞬の沈黙のあと、そう言って歩き出した。

「それでは、塩漬けでも腐る」

 地の底から響くような声で、隆豊が言う。しかし隆房は振り返らず、幕営の外に消えた。

「死に顔をみるのが、怖いのか!」

 隆豊は隆房をわずかに追い、それまで抑えていた感情を吐き出した。しかし声はただ空しく、陣幕を揺らす。

 振り返った隆豊は興盛を睨みつけ、問う。

「君君たらずとも、臣臣たらざるべからず。某は間違っておりますかな?」

「間違ってはおらぬ。貴殿は武士の鑑のような男だ」

 興盛の耳に、自らの声が白々しく聞こえる。

 隆豊はにやりと笑った。

「さあ、御二方。若君がお待ちじゃ。参りましょうぞ」

 隆豊は有無を言わさず、興盛と重矩の腕を掴む。重矩はその腕から逃れようとしたが、すんでのところで絡めとられた。

「儂も出陣の支度があるでな。時が……」

「まあまあ、杉殿。そう仰るな」

 暗鬱な表情の二人とは対照的に、隆豊の顔は陽気であった。

「若君がどのような顔でお二人をお迎えになるか……いや、楽しみですな」

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