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新宮党の一矢  作者: 次郎
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第四十八話.正平の野望、潰える

 陸路を退却する義隆のしんがりを務める毛利勢は、早くも散り散りになって山中を逃げていた。元就主従も道なき道を走り、うっそうとした木々の間をすり抜ける。

「まさか新宮党が、これほどとはな……」

 元就はそう言って臍を嚙んだ。その足取りは重く、脱力感が漂う。

 事前にしんがりを命じられた元就は、綿密に陣立てをして尼子勢を迎え撃つ算段を整えていた。

 まともに逃げたのでは、ただ蹂躙されるばかりである。窮鼠猫を嚙むの例えの通り、追い詰められた側の決死の反撃は極めて有効であり、古今多くの名将が計画的な遊撃によって窮地を脱してきた。数多の戦場を経験してきた元就は、これに関しては多少の自惚れがあったと言っていい。

 しかし、誠久率いる尼子の進撃は予想以上に苛烈であった。

 山中に伏兵を潜ませ、暗闇からの奇襲で足を止める。その元就の目論見も新宮党には通用しなかった。

 伏兵の強みは、どこから襲ってくるのか分からない恐怖である。それが追撃の足を緩めさせるのだ。

 しかし尼子勢の先鋒を務める新宮党の軍勢は、まったく恐怖に足を止めることなく、遮二無二突撃を仕掛けてきた。

 何しろその先頭には、常に誠久の姿があるのだ。その親衛隊である三十騎衆や重臣、足軽に至るまで、総大将に遅れをとるわけにはいかない。自然と後続の尼子勢の勢いも衰えることなく、毛利勢はあっという間に蹴散らされた。元就はこの戦場での全滅を避けるため、全軍に退却を命じざるを得なくなったのである。

「そもそも圧倒的に不利な状況でございました。新宮党の強さだけではございますまい」

 隣にいる隆元がそう言って、唇をかみしめた。彼自身、それが強がりであることが分かっているのだろう。

「……殿、御無事で」

 元就の耳元に、低い声が響く。いつの間にかその隣に、弥山の姿があった。

「弥山か。どうであったか?」

「小早川勢、敗走。山中を散り散りなって落ち延びております」

「……して、正平殿は?」

「残念ながら、分かり申さず。しかしあの状況では、出雲を脱出することは叶いますまい」

「そうか……」

 元就は肩を落とした。座して死を待つより、兵を伏せて迎撃すべしと正平に持ち掛けたのは元就であった。敵の頭を叩いてその進軍を鈍らせ、混乱している隙に退却する。彼らはその賭けに負けたのだ。

「笑え、弥山。この元就の体たらくを……」

 元就は、自嘲して笑う。

「おそらく誠久という男は、人外でございましょう。お気になさいますな」

「人外では、困る」

 元就は苦々しい表情を浮かべた。

 誠久の存在は山陰のみならず、西国においても飛び抜けたものになりつつある。 

 このまま誠久の名声を挫くことができなければ、いずれ人々はその強さに神意を感じ、その実力を何倍にも見せることになるだろう。誠久が出てきただけで味方が怖気づき、敵が奮い立つのでは戦にならない。

 いつの時代も一握りの常勝将軍が、不敗神話をもって謀将たちを悩ませてきた。誠久の武勇がその神話になっては困るのだ。しかし現実を見れば、その武勇が神話になりつつあることもまた事実であった。

(人外では困る、か。それも生きて帰ることができねば、要らざる懸念というものよ)

「殿!」

 そんな元就らのもとに、内藤元茂が血相を変えて走り込んで来た。

「次郎君のお姿が見えませぬ」

「次郎が? そう言えば確かに、先程から姿が見えませんな……」

 隆元が慌てて周囲を見渡す。確かに少し前までそこにいた、少輔次郎の姿が見えなくなっていた。

「某もそう思い、先程から辺りをお探ししておるのですが……」

「はぐれたか」

 元就は舌打ちをした。この戦況ではぐれたとなれば、命の保証はない。

「恐れながら……そうではないかも知れませぬ」

 そう言ったのは、赤川元秀である。

「どういうことか?」

「若君の御気性であれば、敵の大将を狙いに行かれたのかも……」

「まさか」

 そう声を上げたのは隆元であった。しかし元就も、もちろん信じられない。

「次郎君は、御自身の腕に絶対の自信を持っておられる。敵の総大将さえ倒せば、戦局がひっくり返るとお考えになっても不思議ではございません」

「儂がしばらく見ぬ間に、次郎はさほどに強くなっておるのか?」

 子供ながら、少輔次郎の腕っぷしが大人に引けを取らないことは元就も承知していたが、その腕力と実戦とでは大きく異なる。元就の知る出征前の次郎は、その技において未熟といった印象であった。

「次郎君は若年で有らせられますが、すでに膂力は並ではございません。その上剣術にも御熱心で、乾いた布のようにあっという間に剣技を御自分のものにしてしまわれる。殿の御出征の間には、家中の腕に覚えある者たちと立ち合い、悉くそれらを打ち負かしたと聞いております」

「なんと……そこまでか」

「某も吉田に戻った折に立ち合わせて頂きましたが……恥ずかしながら二本に一本は取られる有様で」

「成程な……次郎め、増長したか」

 元秀の言葉に、元就は厳しい表情を浮かべた。

「……おそらく次郎君は、己の身がどうなろうとも総大将と刺し違えさえすれば、皆を逃がすことができるとお思いなのでございましょう。殿と隆元様のために……」

「庇い立ては無用。半人前に心配されるいわれはない。しかも誠久は人外じゃ。独りよがりの、ただの無駄死にとなろう」

 厳しい元就の言葉に、内藤元茂がその前に立つ。

「殿。この元茂、今一度次郎君を探して参ります。ここで若を死なせては、家臣としての面目が立ちませぬ。身命を賭して、必ず無事お連れいたしまする」

「……捨て置け! そんな馬鹿者より、そなたらの命の方が大事じゃ」

 元就は珍しく声を荒げて叫んだが、元茂はただ無言で頭を下げ、馬に鞭を入れて駆けて行った。

「某も参ります。御免!」

 そう言った赤川元秀も、元茂の後に続く。二人の姿は、あっという間に見えなくなった。


 山中を逃げる小早川正平は尼子の追撃をかわしながら、西へ西へと逃げていた。

 その軍勢はすでに潰走し、家臣は散り散りになっていた。正平はわずか数人の家臣に守られながら、道なき道を走る。

「毛利勢も敗走しておるか?」

「分かりませぬが……こうなってはもはや、それどころではございますまい」

 家臣は悲痛な面持ちで答えた。死の気配は、すでに彼らの間近にまで迫っていたのだ。

「しかし、元就殿も焼きが回ったというべきか。こうも尼子の足を止められんのでは戦にならぬ。こんなことなら元就殿の言うことなど聞かず、とっとと逃げれば良かった。大内義隆が何だというのか」

 正平は堰を切ったように、そう愚痴をこぼし始めた。余裕のない正平は、もう家臣の前で何の遠慮をすることもなかった。

「それも今さら言ったとて、詮無きことでございましょう。それよりここを切り抜ける方法を考えねば……」

「分かり切ったことを申すな! それを考えるのが貴様らの役目であろうが!」

 正平の苛立った声が、むなしく響き渡る。驚いて口に指を立てる家臣を見て、正平も慌てて口を手で塞いだ。

 耳を澄ますと、遠く軍勢の鬨の声が聞こえる。もはやこうなってしまえば、息を潜めて安芸まで落ち延びるほかない。

(……陶隆房は、約束を果たしてくれるだろうか?)

 正平は出征前に抱いた幼い我が子、又鶴丸を思い出した。

 出陣前に男子が生まれたことは、正に幸運の兆しであった。その上、出征後すぐに妻が次の子を身ごもっていることも分かり、出雲に入った頃の正平は絶頂の時にいた。

 次子が男子であれば、竹原に養子に出すことも夢ではない。そのためには大内重臣だけでなく、元就のような大内の信任厚い国人にも根回しをしておかねばならない。

 しかし希望に胸を膨らませ、精力的に動く正平のもとに届いた知らせは、生まれた子は女子であったという知らせであった。

――何、女子とて使い前はある。二人目が女なのはむしろ、喜ぶべきだ。

 それを聞いた後も正平は、あくまで前向きであった。戦が終わって沼田に帰れば、子はいくらでも作れる。大内義隆のように男子に恵まれない男はいくらでもいる。男としての自信が、正平を前向きにさせていた。

 世は戦国乱世である。諸国でいくつもの伏龍が、下剋上によって天高く舞い上がろうとしている。正平もまた、一匹の龍のつもりであった。

「殿、川が見えてきましたぞ!」

 どれだけ山中を走ったであろうか。迷走する主従の前に、美しい清流が姿を現した。 

「おお、川か、水か!」

 馬を捨てて走り続けた主従の喉は、乾ききっていた。しかしそれ以上に、小早川にとって水辺は天国であった。主従は兜を脱ぎ捨て、滑り込むように川に入って喉を潤す。

「このような時には、天上のどのような甘露より美味よ。生き返ったぞ」

 正平はそう言って、川の水に洗われた自らの手のひらを見つめた。野望を抱き出雲に入った頃の頂点から、今は遥かに滑り落ちてしまった。ひょっとしたら尼子への寝返りに失敗したあの日から、凋落は始まっていたのかも知れない。

 しかし正平は、まだ諦めてはいない。這ってでも沼田に帰りさえすれば、必ず挽回の機会は巡ってくるだろう。

 近くに滝があるのか、辺りには水が岩を叩き続ける音が鳴り響いている。

 しかし天は、無情であった。この心地よい轟音と小早川の水への執着が、彼らの命取りとなったのだ。

 ふと正平の目の前の流れに、赤い線がゆらゆらと走る。

「……?」

 顔を上げた正平の耳に、わずかにうめき声が聞こえた。ゆっくりと視線を向ける。

 上流側で川の水に直接口をつけていた家臣の後頭部には、刀が刺さっていた。その後ろに立つ巨躯の武将が笑う。

「!!」

 次の瞬間、刀を持つ手に力が入り、鈍く光る刀は頭を貫通して川に更なる鮮血を注いだ。

「……あ」

「殿! お逃げを!」

 呆気にとられる正平の前に、刀を抜いた家臣がそう叫びながら立ちはだかる。しかし刀を突き立てていた尼子の武将、本田家吉の後ろから現れた尼子兵に囲まれ、哀れあっという間に刃に倒れた。わずか数人となっていた正平の残りの家臣たちも、次々に倒れていく。

 正平は二度三度と尻もちをつきながらも立ち上がり、下流側に逃れようと振り向いた。しかしそこにはすでに、黒と赤の甲冑に身を包んだ軍団がいた。

「しっ、新宮党……!」

 蛇に睨まれた蛙のように立ちすくむ正平の前に、ひときわ異彩を放つ武将が立つ。

 不思議と正平の意識が澄んでくる。

(……ああ、そうか。所詮はそういうものか……このような化け物であらねば、乱世に舞い上がることなど叶わぬということか……)

 絶望の中で正平は、即座に理解した。目の前の男は並ではない。この威容こそが、野望を抱くに相応しいと……。

 その男、新宮党誠久は刀を抜くと、躊躇なく正平の脳天に一撃を叩き込む。

「陶殿、元就殿! 我が子、又鶴丸を……」

 空虚な瞳で呟く正平の脳裏に、妻と子の姿が浮かんだ。しかしそれもわずかに一瞬でしかない。

 打ち下ろされた刀は鈍い音を立て、そのまま正平を真っ二つに切り裂くかと思われた。しかし刀は誠久の剛力に負け、その途中で根元から折れた。

 半ば腰まで真っ二つに裂かれた正平は、折れた刀を残したまま血しぶきを噴き出しながらよろよろと歩くと、そのままゆっくりと川に倒れ込んだ。

「また、折れたか」

 誠久はそう言って、柄を川に投げた。この男が折った名刀は、一本や二本ではない。

 倒れ込んだ屍のもとに、本田家吉がやってくる。

「……やや、これは河童でござるな」

「河童、だと?」

 誠久は不機嫌そうに呟く。

「沼田という沼から這い出てきた、小早川という河童でござるよ。安芸には、この手の妖怪が多うござる」

 家吉はそう言って笑ったが、誠久は一切笑わなかった。家吉はやや顔を引きつらせながら真顔に戻り、一礼して去っていった。

「……無益な。河童が水辺から出てきて勝てるわけがなかろう」

 誠久はそう独り言のように呟きながら、わずかに首を傾げる。

 正平の半身は夥しい鮮血を川に流し続けていたが、無念であろう最後にもかかわらず、その表情は意外にも穏やかであった。それが誠久には、意外であった。

「と、殿の刃は、慈悲の刃にございます」

 不意に、聞き慣れない声が響いた。口を開いていたのは、後ろに控えていた吉田政国である。誠久は久々に、政国の声を聞いた。

「と、殿は、須佐之男の化身にございまする。神仏の慈悲であれば、その刃を受けた者は極楽浄土へ行けましょう。この男は果報者にござる」

 上ずった声でたどたどしく喋る政国を、誠久は不思議なものを見るように見つめた。

 実は誠久は、あまり政国のことをよく知らなかった。驚いたことにこの男は、ただ強いという理由だけで政国を側に置いていた。もちろん父国久が養子として入った、吉田一門の人間という身分の保証はあったが。

 誠久は下げていた腕を鞭のように振り上げ、手の甲で政国の頬をはつった。政国の顔が衝撃で跳ね上がる。

「下らぬ世辞を申すな。あの須佐之男に慈悲があるものか」

「は……申し訳ございませぬ」

 じんわりと赤くなる頬のまま、政国が頭を下げた。

 須佐之男は稀代の乱暴者である。平素、その化身と言われることに、わずかながら揶揄が混じっていることは誠久も承知していた。そんな男に慈悲などあるはずもない。

 しかし誠久は、特に気を悪くしているわけでもない。若い頃からいつの間にかあひるの子のようについて来るようになったこの男を、誠久は嫌いではなかった。

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