第四十五話.厄介者、来る
大内勢が揖屋を二手に分かれて出立して間もなく、誠久率いる尼子主力が揖屋に到着した。
しかし強行軍を続けていた尼子勢は、すべての軍勢が揖屋に到着したわけではない。出遅れた敬久はまだ後方におり、国久は更にその後ろであった。
「お久しゅうござる、誠久様」
「高由か、久しいな」
誠久は、出迎えた大西高由に笑顔を見せた。
高由はかつて、誠久と共に久幸に薫陶を受けた間柄であった。晴久の奉行衆の中では、数少ない話せる男と言っていい。
「大内の動きはどうか?」
「申し訳ございませぬ。大内の横腹に何度も攻撃を仕掛けましたが、その足を完全に止めるには至らず……」
「貴様が止められんのならば、俺以外は誰も止められまい。大内もまだまだ侮れんということだ。気にするな」
他人を咎めないのは、この男としては珍しかった。それだけ高由の力を認めているのだろう。
「それで今、義隆はどこにいる?」
「はっ、先程、鉢屋賀麻党から知らせがございました。どうやら義隆は陸路、晴持は海路に分かれて逃走を図っておる模様。敵の陣容は陸路が厚く、海路は手薄と心得ますが……」
そこまで言った高由は、誠久にだけ聞こえるように声を潜める。
「海路の方は、不自然なほどに手薄でございます。何やら怪しくも思われますが……」
「……下らんな」
誠久は、興味がなさそうにそう呟く。
「海路の敵は雑魚で間違いないのだな?」
「間違いございませぬ」
誠久はそれだけ確認すると、視線を傍らの大男に移した。誠久の左右には、ひときわ大きな体躯の二人の男が立っていた。
「俺はこれより全軍を率いて、陸路の義隆を追う。忠国、貴様はここに残り、敬久が来たら海路の晴持を追撃するよう伝えろ。決して討ち漏らすことのないように、とな」
誠久に命じられたこの右側にいる男は、名を吉田忠国という。
新宮党の精鋭、三十騎衆の筆頭であるこの男は、誠久の左側にいる吉田政国と共に「左右之将」とあだ名される猛将であった。誠久配下の要、側近中の側近である。
「心得ました。して某はそのあと、殿を追ってよろしゅうござるか」
「いや、貴様は敬久について晴持を追え。手勢もいくらか置いていく」
「……お恐れながら申し上げます」
忠国は誠久の前に立ち、膝をついた。
「某は、殿と共に戦場を駆けることを無情の喜びとしております。殿の傍ら以外で槍働きをするなど、思いもよらぬこと。何とぞ、御再考のほどを……」
誠久の言葉に異を唱えることは、命知らずな行動に他ならない。しかしこの男にとっては、それで手討ちになることすら忠義であった。
「……俺が前言を翻すと思うか?」
誠久はそう言って、指で指図して忠国を立たせた。さほど怒っている様子もない。
「此度の戦は、我ら新宮党が戦功を独占する」
誠久は何の躊躇もなく、そう言い放つ。晴久の直臣である本田家吉がぎょっとした視線を向けるが、誠久はまったく気にしない。
「敬久の阿呆が晴持を逃がしては元も子もない。貴様の弟、広国も当てにはならぬからな。貴様は敬久の戦目付だ。その采配が思わしくなければ、貴様が敬久の兵を動かしてもよい。それができるのは、貴様しかおらん。政国にできると思うか?」
誠久はそう言って、左の政国を顎で示した。
平素寡黙な誠久の配下には、主に似て寡黙な者が多かったが、この政国は群を抜いて口下手であった。忠国も、従兄弟である政国のことはよく分かっている。すべての力を武力に割り振ったような男であった。
「そのようなお考えがおありとは……この忠国、思慮の浅いことを申しました。御意に従いまする」
忠国はそう言って頭を下げたが、誠久も深い考えがあるわけではない。
要は、敬久が信用できなかったのである。
敬久率いる新宮党の中備えは、すでに揖屋の目前まで来ていた。
揖屋から戻ってきた物見が、敬久と広国に報告する。
「揖屋はすでに、お味方が制圧しております。後詰を待って追撃されるおつもりと心得ますが……」
「殿、急ぎましょう。遅くなればまた、お叱りを受けますぞ」
そう言った広国の視線が、不意に敬久の隣の闇に止まる。しばらくすると、その闇はもぞもぞと動き出した。
「おおう!」
驚いた敬久は、思わず声を上げて後ずさる。その闇の中から、一人の男が現れた。
「おぬしは確か……秀水といったか?」
「はっ、主の命で石見より参りました」
現れた男は、出雲吉田衆の忍び、秀水であった。
主とはもちろん、豊久のことである。今は石見で、大内の退路を断つための活動をしているはずであった。
「どうやら誠久様と主力の軍勢は、もう揖屋をご出立なされたようでございますが……」
その秀水の言葉に、敬久は顔をしかめる。
「なんと……間に合わなかったか」
「……こりゃあまた、叱られますかなぁ」
広国は他人事のように呟く。三十騎衆左右之将、忠国はこの男の兄であり、叱責を受けるのはこの男も同様であった。
そんな二人の様子に秀水はわずかに考える仕草をしたが、すぐに口を開いた。
「拙者も石見からの道中で見ただけで詳しいことはわかりませんが……どうやら大内は、軍勢を陸路と海路に分けて撤退しているようです。誠久様は、この内の陸路を追撃するおつもりのようですが」
「ということは、義隆は陸路で逃げているということだろうか?」
「そこまでは分かりかねます。拙者は、主の言葉をお伝えするためだけに参りました。大内の動きをお知らせしたのは……ついでのようなものでござる」
「む……そうか」
ぶっきらぼうな秀水の言葉に、敬久は黙り込んだ。この忍びからは、豊久の指図以外は受け付けない雰囲気があった。
「敬久様……我が主よりの伝言をお伝えしてよろしゅうござるか?」
「……私でよいのか?」
「国久様がいらっしゃらなければ、敬久様にと……」
「そうか……豊久兄はなんと?」
「まず一つ。残念ながら、石見の調略は難航しております。我が主の見立てでは、石見路を退却する大内の挟撃は難しいであろうとのことでございます」
陸路を撤退する大内勢は十中八九、石見路を通る。この挟撃が無理ならば、追撃軍だけで大内を追い詰める必要があった。
現在の石見は尼子派、大内派入り乱れて混乱の極地にあった。さすがの豊久も、苦戦しているのだろう。
「そうか……豊久兄がそう仰るならば、難しいのだろうな。やむを得まい」
「はっ……そして今一つ……」
「うむ、申せ」
「要害山城の尼子清久が軍勢を率いて、揖屋に向かっております。どうやらその前にこちらにやってくるかと」
「清久殿が?」
敬久は、出陣前に晴久と秀綱が交わしていた話を思い出した。確かに大内追撃のため、途中で合流する手筈であると秀綱は言っていたが……。
「……参ったな。父上も兄上もおらぬというのに……」
「我が主は清久の反意を確信しておりますが、確たる証拠はまだございませぬ。それゆえに妙な言質を取られぬよう、適当にあしらうべきだと。くれぐれも気をつけるようにとの仰せでござる。では、拙者はこれにて……」
そう言った秀水は、慌ただしく去っていった。出雲に戻ったこの男には、まだまだやらねばならぬことも多いのだろう。
「しかし……清久殿の目的はなんだ?」
敬久は独り言のように呟いた。彼には側近と呼べる家臣が、目の前の吉田広国ぐらいしかいない。自然といつも、広国との問答となる。
「そりゃあ招集に応じて、大内追撃に来たんでしょう。某も途中で我が軍に合流すると聞いておりましたが?」
広国は悪い男ではない。少なくとも敬久はそう思っていたが、軍師的な役割が適任とは言えない。
「それはそうだろうが……困ったことになったぞ」
「何が困ったことなので?」
腕を組んでうろうろする敬久に、広国が尋ねる。
「清久殿とは、親しく話したことがない。それに我が軍に合流されても、私が指示するわけにもいかぬ」
「何故ですか?」
「次男の三男である私より、三男の嫡男である清久殿の方が、一門での立場が上なのだ。私が清久殿に、物申すわけにもいかぬ。かといって清久殿のいうままに軍を動かせば……」
「なるほど……そうなれば、誠久様に折檻を喰らいましょうな。某も兄に殴られまする」
広国は他人事のように笑った。
尼子一門には、はっきりとした序列があった。
この序列は、尼子宗家の継承順位と言ってよかったが、清久は敬久より上位であった。これは経久が清久を厚遇していた証左であり、興久に対する憐憫の情でもあった。
「しかし、清久様の仰ることをまともに聞く必要もないのでは……裏切者でありましょう?」
「まだ疑いがあるというだけだ。確証はない」
「しかし、まさかここで裏切って我らに襲い掛かり……大内の退却に加担するのではありますまいな」
もちろん広国も敬久を脅すつもりなどなかったが、最悪の展開も想定しておかねばならない。
「広国、今先手を取って戦えば勝てるか?」
敬久にしては珍しく、広国に対して好戦的な言葉を返した。敬久もこの戦いには、覚悟を持って臨んでいるのだ。
「敵の数が分かりませんから、なんとも……しかし、こちらから仕掛けるわけにもいかんでしょう。確たる証拠はないのですから」
「だから対応に困ると言っておるのだ。父上や兄上がおらぬ時に……」
「もしかすると清久様は、意図的にお二方を避けたのかも知れませんな」
戦の経験が少ない二人は、推測だけで浮足立つ。
話がまとまらぬ内に、伝令がやってきた。
「尼子清久様、お越しにござる」
「もう来たか……広国、どうすべきか?」
「どうと言われましても……追い返すことはできますまい」
その広国の言葉に、止む無く敬久は清久を迎え入れた。




