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新宮党の一矢  作者: 次郎
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第四十四話.忠臣冷泉

 天文十二年(一五四三年)五月七日、京羅木山に立て籠もっていた三万余りの大内勢は、月山富田城を出陣した新宮党率いる尼子勢主力到着前に、京羅木山からの撤退を開始した。

 京羅木山を包囲していた大西高由と立原幸隆は、直ちに追撃を開始した。

 小勢とは言え、大内勢と士気に雲泥の差がある大西、立原勢は、一方的に敵勢を蹂躙し始めた。

 大内勢は組織的に大きな反撃をすることなく、ひたすら北西に向かって退却していく。どうやら数に物を言わせて、それらを振り切る心積もりのようであった。

「妙な光景ですな。我らのような小勢が、巨大な雲海のように広がる大内勢を、一方的に蹴散らす様は」

 大西高由の隣を並走する立原幸隆はそう言いながら、先月までの大内勢の隆盛を思い出した。あれほどの大軍が敗残兵になるとは、誰が想像したであろうか。

「誠久様率いる主力に追いつかれればすべてが終わること、どうやら敵も承知しているようだ」

 高由は逃げに徹する大内勢を見ながら、伝令を呼ぶ。

「全軍に通達せよ。逃げる敵を背後から討って殺すことは、児戯に等しい。殺戮に酔ってはならぬ。左右から敵前面に抜けるように追撃して、その足を止めるのだ。我らの目的は、誠久様到着まで敵を足止めすることであるぞ」

「心得ました!」

 執拗な尼子勢の追撃に、さすがの大内勢の足も鈍り始めた。

 しかしそこは、腐っても鯛の大内である。

 中央に義隆を抱えた大内勢は、進軍速度を落としながらも決して歩みを止めることなく、尼子勢を引きずるようにして、予定の揖屋まで到達した。


 揖屋に到着した大内勢は、隆房の指揮のもと、直ちに軍を再編した。

 隆房は、まず晴持の退路となる海路軍を編成し、直ちに中海に向けて出発させた。その軍勢は事前の取り決めどおり、石見衆を中心としたものであった。

 出立する直前、晴持は隆房を呼んだ。

「隆房、余は船が余り好きではないぞ。船酔いは嫌じゃ。父上と一緒がいい……」

 晴持は、消え入りそうな声で隆房に哀願した。隆房は、一笑に付す。

「大内の跡継ぎが、情けないことを仰るな。何、船では眠っておれば、あっという間でございましょう。山口に帰ったら笛でも詩でも、好きな芸事を存分になさるがよろしかろう」

 いつも勉学を小うるさく言う隆房がそう言うので、晴持も多少機嫌を直した。

「……まあ、よかろう。やっとこの戦場からもおさらばじゃ。帰ったら、やりたい事をすべてやるぞ」

「……あの世でな」

「え?」

 その瞬間、背中を蹴り飛ばされた晴持は前のめりに倒れた。わけが分からないまま顔を上げた時には、隆房の背中はすでに遠くなっていた。

「……??」

 何が起こったか分からない晴持は、目を白黒させた。

 ――隆房に蹴られたような気がする。でもそんなわけがない。

 晴持は狐につままれたような表情のまま、入って来た家臣に抱えられて出立した。


 隆房は、迫りくる大西、立原ら尼子勢を杉、弘中勢に迎撃させながら、陸路勢の編成を急がせた。

 新宮党率いる尼子本隊の到着まで、もはや一刻の猶予もない。

 編成を終えた隆房は、興盛と共に義隆のもとを訪れ、退却のあらましを説明し、出立を促した。

「分かった、参ろう。しかし、晴持は大丈夫か?」

 隆房の説明に、唯一義隆が顔を曇らせた部分が、海路の晴持のことであった。大内のために分かれて退却することに異存はなかったが、愛する息子の身の安全は、やはり気になるようだった。

「御心配には及びませぬ。まず水戦は、尼子の得意とするところではございません。新宮党の虎も、水辺ではその力を発揮できますまい。それに若君の周囲には、細川、福島、右田ら直臣も護衛についております。海路は万全と申せましょう」

「それは分かるが……よもや、晴持と今生の別れにはなるまいな?」

「誓ってございませぬ。御安心なされませ」

 自信満々のその隆房の姿に、義隆もようやく納得した。


 選りすぐりの周防の強者を先頭に、義隆を乗せた輿が揖屋を出発した。

 その後を、京羅木山で義隆と遊興していた公家衆が輿に乗って続く。その簾の向こうから、密やかな声が聞こえてくる。

「ほんにまあ、慌ただしいことでおじゃりますなぁ」

「いやはや何とも、侍はせっかちなこと。ほほほ……」

 簾の向こうからは、そんな笑い声も聞こえてくる。

 その行列を見て、隆房は軽蔑した眼差しを向けた。 

「あの寄生虫のような連中も、始末したいところでしたな」

「……隆房殿!」

 隆房の声は思いのほか大きく、興盛が小声で制す。

「これは、失礼……」

 隆房はそう言って薄く笑い、最後は天を仰いで、大声で笑う。

 その笑い声に公家衆は簾を上げて振り向き、怯えた表情を見せた。


 義隆が出立してしばらくの後、揖屋の陣に血相を変えた男が飛び込んできた。

 冷泉隆豊である。

「陶殿、これはどういう事か!」

「どうした、冷泉殿。血相を変えて」

「どうした、ではござらぬ。若君の護衛のために海路へ向かった軍勢の編成はどういう御了見か?」

 船奉行であった隆豊は、中海に海路用の軍船を手配した後、義隆の護衛のために陸路勢に合流していた。しかし陸路勢の充実ぶりを見れば、海路勢の軍容は推して知るべしであろう。

「冷泉殿」

 対する隆房は、冷静であった。ゆっくりと隆豊に顔を近づける。

「これは、お屋形様のため……未来の大内のためだ」

 隆房はそれだけを言うと、踵を返して陣を出て行った。伽羅らしき香木の香りが、隆豊の鼻腔をくすぐる。

「ま、まて、陶殿!」

 追いすがろうとする隆豊を、興盛が引き止める。

「落ち着け、冷泉殿」

「これが落ち着いておられようか。あの忠義の欠片もない石見衆が、若君をお守りできるはずがない」

「だから、細川ら直臣もつけておる。奴らが石見衆を指揮すれば、形にはなるだろう」

 隆房が義隆に説明した通り、海路には細川是久ら直臣も同行していた。しかしその数は少ない。

「形になる、とは何事でござるか。そもそもあんな少数の直臣が、石見衆を手足のように扱えるものか」

「よいか、冷泉殿。もっとも避けねばならぬことは何か。お二方が、共倒れとなることではないか。尼子の勢いを考えるならば、五分に兵力を分けていてはどちらも危うい。これは、やむを得ぬ仕儀なのだ。おぬしもそれぐらい分かろうが」

「やむを得ぬ、ですと?」

 隆豊は、憤懣なるかたない様子で興盛に詰め寄る。

「君を見捨てて、何のための臣か。恐れ多くも若君は、足利将軍義晴公の御名を賜りし、正統なる王の子ですぞ。王の臣下たる我々が、若君を諦めていいはずがない。やむを得ぬで捨て置いて、それで臣の道が成り立つとお思いか!」

 隆豊は吠えた。この思いは、この男の行動原理そのものと言っていい。

「おぬしの言うことは、ただの理想に過ぎぬ。隆房殿も、苦渋の決断をしたのだ。それは理解してやるべきであろう」

「また、陶殿か」

 隆豊は、あからさまにうんざりした表情を浮かべた。

「内藤殿は、何かと陶殿にお甘い。次代の大内を担う若者をお育てになる、と言えば聞こえはいいが、その実、お屋形様と陶殿のよんどころない関係にはばかって、物が言えないだけではないのか。先君の御代、大内に興盛ありと言われた御方も、今は老いたか」

「なんだと?」

 その隆豊の物言いに、温厚な興盛もさすがに顔色を変えたが、隆豊は意に介さず踵を返す。

「どこへ行く、冷泉!」

「今からでも、若君を追いかけて参る。では!」

「待て、冷泉殿。今のおぬしは、お屋形様の護衛が任ぞ。軍令を破るのか」

「某を軍令違反と仰るなら、お屋形様にご報告なさるがよろしかろう。しかし、その理由をお屋形様に言えますかな?」

「むう……」

 唸る興盛を尻目に、隆豊は陣を後にした。残された興盛は天を仰ぎ、溜息をついた。

「強情な男よ。しかし……」

 興盛は、隆豊が嫌いではない。むしろ杉重矩などより、よっぽど好感がもてる男であった。

 その輝く双眸を見て、武士とはあのようにありたいとも思っている。

 しかし国の舵取りは、綺麗ごとだけではすまない。隆房の決断に私情が入っていることは、百も承知であった。

(二代続けば、大内もどうなるか……)

 興盛はかつての巨星、先代義興を思った。

 どうやらこの老臣は、義興への思慕の情が強すぎるようであった。

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