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新宮党の一矢  作者: 次郎
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第四十一話.もう一つの裏切り

 大内勢が京羅木山に撤退してから、数日が経った。

 散らばっていた敗残兵もいくらか山に戻り、軍は一応の体裁を整えつつある。

 しかし被害は、深刻であった。

 五万を優に超えた大軍は、相次ぐ裏切りによって三万近くまでその数を減らしていた。しかもその中には多くの傷病兵も入っており、実際の戦力はさらに少なく見積もらねばならない。

 軍営では傷ついた者たちへの治療も滞り、死者の数はさらに増えつつあった。死体は山の一角でまとめて火葬され、立ち昇る煙と焦げた死臭が、兵たちをさらに憂鬱にさせる。生き残った者たちの傷は膿み、衛生状態は悪化の一途を辿っていた。

 問題は、京羅木山だけではない。

 大内敗北の報を聞いて、周辺の国人衆は激しく動揺した。特に石見の尼子派は一気に息を吹き返し、軍勢を南下させて大内の糧道を遮断しようとした。これに新宮党豊久が遊撃して加わり、兵糧の輸送は大きく滞った。

 京羅木山での籠城は、現実的に困難になろうとしていたのだ。

「撤退するより他ない」

 隆房は重臣たちを見渡しながら、そう言った。 

 義隆の窮地を救った隆房は、再び発言力を強くしていた。その表情は自信に満ちあふれ、美しさの中に猛々しさもあった。敗戦で意気消沈する他の重臣とは、覇気が違って見える。

 大内の重臣たちは、連日、京羅木山で評定に明け暮れていた。しかし、現状を打開する革新的な案が出てくるわけもなく、ただ時間だけが過ぎていく。しかも、時が過ぎるほど状況が悪化するのは明白であり、ついに隆房は決断を下した。

「各々の、存念やいかに?」

 隆房の言葉に、一同は水を打ったように静まり返る。評定には義隆や晴持の姿はなく、元就ら国人衆もいない。

 事前に話を通していた内藤興盛だけでなく、杉重矩や弘中隆包ら重臣も沈黙している。もはや誰もが出雲で踏ん張り、戦い続ける事が現実的ではないことを悟っていたのだ。前回は評定の中心であった田子兵庫頭も、今は末席で縮こまるように座り、とても意見できる様子ではない。

 そんな中ただ一人、冷泉隆豊のみが声を上げた。

「陶殿、ここは乾坤一擲討って出て、野戦にて雌雄を決すべきでござる。我が方は裏切りで兵力を減らしておりますが、まだ尼子と五分の戦ができる数がある。ここはお屋形様に今一度兵を鼓舞していただき、士気を上げてから決戦に臨めば、互角に渡り合うことも不可能ではないでしょう。もし、野戦で晴久を討ち取ることができれば、戦局をひっくり返すこともできるはず」

「戦が数だけの問題でないことは、今さら貴殿に言う事でもなかろう。士気の低下は深刻だ。傷病者を抱えて、まともな戦ができようか。野戦は現実的ではない。そもそも、晴久が前線に出てくるとは思えぬ」

「まず間者を使い、流言を広める。徹底的に晴久を貶め挑発すれば、君主たるもの捨ててはおけますまい。奴が出てくれば某が、我が家中の強者とともに、必ず討ち取る」

 隆豊はそう言い、刀を鳴らした。

「晴久とて、そう単純な男でもあるまい。そもそも晴久を討ち取ることは、かつての経久を討ち取ることとは違う。晴久が死んでも、まだ新宮党がおる。どちらも倒すことなど、今の我が軍には夢物語であろう」

「しかし……撤退と仰るが、そうなれば一層士気は下がり、一方的に蹂躙される事態になる。それでは……」

「冷泉殿」

 隆房はぴしゃりと言った。

「我らにとってもっとも重要なことは、もはや戦に勝つことではない。お屋形様が生きて山口の地を踏むことが、すべてなのだ。事ここに至って、伸るか反るかの勝負はすべきではない。この遠征は私が主導して進めた戦だ。撤退して敗戦となれば、私も敗戦の責任を免れまい。しかしそれでも私は、お屋形様のために退くことを選ぶ。確かに撤退の道は容易ではないが、一人一人が尼子兵と刺し違える気概があれば、お屋形様を山口に逃すこともできよう。たとえ我らが全滅することになろうともな」

「……刺し違える気概、でござるか」

 隆房にここまで言われては、さすがの隆豊も反論できなかった。義隆のために敵と刺し違える覚悟は、隆豊とて負けてはいない。

 渋々納得した隆豊を見て、隆房が再び口を開く。

「では内藤殿、杉殿も撤退でよろしいか」

「やむを得ぬ。お屋形様のお命には代えられぬ」

 興盛が重々しくそう言った。重矩も頷く。

「では各々方、撤退日時や陣立ては追って沙汰いたす。いつでも退却できるよう、仕度を怠るな」

 評定が終わった後、隆房は内藤興盛、杉重矩、冷泉隆豊を呼んだ。

「ひとまず、意宇郡の揖屋まで退く。そこから陸路と海路に分かれて、山口まで撤退しようと思う。これは、お屋形様と若君の共倒れを防ぐためだ。異存はないか?」

 隆房の提案に、隆豊が頷く。

「それに異存はござらんが……お屋形様と若君のご様子は?」

「……お二人ともお疲れのようだ」

 月山富田城での敗戦以降、義隆はふさぎ込んで自室にこもっていた。さすがの義隆も落胆が大きかったらしく、芸事や公家の慰めにも耳を貸さず、呆然とするばかりであった。ただ時折、狂ったように神仏に祈ることがあり、また極端に短気になることもあった。

 そう言う意味では、晴持の方が普段と変わりがなく、特段焦りを見せることもなかった。もっともこの男の場合、初めから政治や軍事に関心がないのだが。

「そうと決まれば、冷泉殿。船奉行のそなたに、船の手配を頼みたいのだ。揖屋に到着すれば、直ちに海路を使いたい。事は急を要するゆえ、すぐにでも取り掛かってほしいのだが……」

「心得た。すぐに仕度いたそう」

 隆豊はそう言うと一礼し、すぐに広間を後にした。

 隆房は、残った興盛と重矩を手招きした。興盛はするすると隆房に近づき、重矩は少し訝しげに近づく。

「お屋形様には陸路で石見路を通り、山口に御帰還いただく。若君は海路で。よろしいな」

「ふむ、よろしかろう」

 重矩は仰々しく頷いた。

「精鋭の周防兵は、お屋形様の陸路の守りにつく。長門兵や豊前兵も同様だ。安芸の国人衆も、陸路でしんがりをさせる。海路は石見の国人衆のみとする。よろしいな」

「な、なんと!……それは……」

 重矩の顔色が変わった。大内に残っている石見の国人衆は数も少なく、忠誠心も低い。とても晴持を守り切れるとは思えない。重矩は返答に窮し、興盛の言葉を待つ。

「隆房殿、理由を教えてもらおうか?」

 重矩の視線を受けて、興盛が隆房に尋ねた。

「此度の退却、おそらく一方的な殺戮となろう。尋常な策では、とてもお屋形様をお守りすることはできぬ。まず二手に分かれることで敵を分散させる。その上で、戦力をお屋形様のもとに集中する。これは、大内のためなのだ」

「それは……そうかも知れぬが」

 重矩はそう呟いて興盛の様子をうかがったが、興盛は腕を組んだまま、何も答えなかった。実はすでに隆房は興盛に話をつけており、この男は苦渋の決断をのんでいたのだ。

「杉殿、よろしいな?」

 大内の序列で言えば、隆房も重矩の賛意を得る必要があった。隆房一人で決めるわけにはいかない。

「しかし、若君は世継ぎでござるぞ」

 重矩はすぐに認めなかった。晴持は世継ぎであり、次期当主である。簡単に見捨てていいはずがない。それに、すでに興盛と話をつけていることも気に入らなかった。退路を断つような物言いは、気分のいいものではない。

 重矩は、隆房が隆豊にすぐ船を用意するよう命じて、出立させた理由が分かった気がした。隆豊がこの話を聞けば、絶対に認めなかったに違いない。

「陶殿が大内のためと言うなら、若君にも山口にお帰りいただかねばなるまい。お世継ぎがいなければ、大内に未来はない」

「……杉殿」

 不意に隆房が、重矩に顔を近づける。

「重矩殿は将来、あの阿呆に仕えるおつもりか?」

「……!?」

 隆房の美しい顔が醜く歪み、重矩は震えあがった。美しいからこそ凄みがあり、美しいからこそより醜くなる。隆房が見せた本音に、重矩は慄然とした。

 しかしそれとは別に、隆房の言うことに納得する気持ちもあった。晴持はわがままで裏があり、短気で家臣に情がない。とても君主になれる器ではなく、重矩自身も晴持に好かれていないことを感じていた。晴持が後を継げば、自身のみならず杉家もどうなるかわからない。

 大義名分はある。これはあくまでも、義隆を逃がすためなのだ。しかも、晴持の代わりがいないわけではない。

 重矩はしばらく沈黙した後、口を開いた。

「……石見衆には、命がけで戦ってもらおう。最善は尽くすようにと」

「……結構」

 重矩の言葉に、隆房は笑顔を見せた。その笑みは爽やかで、先程の醜い表情が嘘のようであった。

 哀れ晴持の運命は、ここで決まった。

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