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新宮党の一矢  作者: 次郎
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第三十九話.下策

 富田川を渡った義隆は、京羅木山に逃げ帰った。

 窮地に陥った大内方にとって幸いだったのは、事前に京羅木山を要塞化していたことであった。京羅木山を守っていた益田藤兼ら留守部隊は、直ちに防御の態勢を整え、義隆を出迎えた。退却してきた軍勢も含め、京羅木山の本陣を固める。

 尼子方は、退却する大内方を追撃しながら富田川を渡河し、京羅木山の前面に布陣した。

 勢いは明らかに尼子方にあったが、大内方は要塞と化した京羅木山と補給線を固く守り、防衛に徹した。常光ら国人衆と大西十兵衛は、早々に京羅木山を攻め立てたが、思いのほか大内方の反撃が強く、力攻めは容易ではなかった。

 そんな前線の諸将に、晴久からの通達が届く。

「晴久公から、無理に京羅木の城を攻めるなとのお達しだ。どうやら晴久公は、大内を兵糧攻めにするつもりらしいな」

「糧道さえ叩けば大内は根腐れするだろう。あの煌びやかな王が、飢えて出雲に野垂れ死にとは憐れなことよ」

 常光と久扶はそんな言葉を交わしながら、京羅木山を眺める。

「本城殿、そう言えば吉川殿はどうしたのだ? 姿が見えんが……」

「奴め、気分が乗らんなどと言って香に酔っておるわ。あの気まぐれは、経久公に尻を叩いていただかねば動くまいて」

「うむ……そのことなのだがな……」

「……そのこと? どのことだ?」

 常光は首をひねった。久扶は常光に近づき、声を潜める

「経久公のことだ。本当に御存命と思うか?」

「……おいおい、どういうことだ?」

 常光は、目を丸くして久扶の言葉を待つ。

「いや……某は貴公らと違い、大内が三刀屋城に進軍して来るまで月山富田城と往来して、その状況もうかがっていたのだが……どうも月山富田城から経久公の話がまったく聞こえてこなかったのだ。家臣はもちろん城から領民に至るまで、経久公が生きているような気配がまったく感じられなくてな……」

「何を言う。興経が受け取った書状には御存命とあり、花押も間違いなかったというぞ。晴久公か重臣の方々にでも聞いてみたのか?」

「まさか……妙なことを疑っていると思われて、晴久公の御機嫌を損ねてはかなわんからな。こちらからは触れておらんが」

「敵を欺くにはまず味方から、と言うだろう。間諜の恐れもあるし、限られた者たちの他には秘密にされているのではないか? 表面上はあくまでも、亡くなったことにして……」

「そうであれば問題ないが……本城殿、貴公はどうなのだ。もし、経久公がもうこの世の人でなかったら……」

 久扶は、探る様に常光の表情をうかがう。

「知れたことよ、その時は晴久公に忠誠を誓うのみじゃ」

「では、吉川殿は?」

「それはもちろん、興経とて同じであろう。晴久公をおいて他に、主君と仰ぐ人物はおるまい」

 常光はそう答えたが、内心は別のことを考えていた。

(興経は、晴久公を軽んじておる。もし経久公がすでにこの世になかった時、騙されたと思ってへそを曲げねばよいが)

 常光の眼前にある山は、嵐の前のように静まり返っている。

 京羅木山の大内の命運は、時間の問題のように思われた。


 京羅木山の包囲を、本城ら国人衆に任せた亀井秀綱と宇山久兼は、戦況を報告するために月山富田城に帰城した。報告を聞いた晴久は、扇子で二度三度と膝を叩く。

「……義隆を逃したか」

 その声は冷静であったが、表情にはわずかに苛立ちが感じられた。亀井秀綱が口を開く。

「朝方からの雨が、昼頃に少し弱くなりました。その結果、富田川の水量がわずかに足りず……大内義隆は悪運が強うござるな」

「……ふん、常日頃の神仏詣でが、奴を救ったというわけか。是非もない」

「殿、それだけではございません」

 割って入るように、宇山久兼が声を上げる。

「新宮党が、遅れましてござる。方々が北東より陶、毛利勢を飲み込み、迅速に富田川まで進攻しておれば、義隆は川を渡る前に死していたことでありましょう。これは間違いなく、新宮党の方々の落ち度であると思われますが……」

「宇山殿、それは……」

「……清宗」

 晴久の隣で口を開こうとする佐世清宗を、晴久が制す。久兼は秀綱と目を見合わせた。

 その時、廊下の向こうで大きな足音が響く。

「お待ちください、誠久様!」

「ええい、どけ!」

 そんな声に続いて、誠久に突き飛ばされた家臣が転がり込んでくる。

「騒がしいぞ、何事だ!」

 そう叫んだ晴久の眼前に、肩を怒らせた誠久が躍り出てきた。その後から、豊久と敬久が慌てて間に入る。

「……これは誠久様、急なお越しでございますな。しかし殿は、お目通りを認めてはおりませんぞ」

「控えよ亀井! こちらはそれどころではないわ」

 のんびりした秀綱の口調に、誠久は噛みつきそうな表情を見せた。

「よい、秀綱……誠久、慌ただしいな……何事か?」

 晴久は、床に視線を落としてそう尋ねた。

「何事か、ではありませぬ。この城からの使いが遅れたせいで、我らの出陣が遅れた。その遅れがなければ、我ら新宮党が間違いなく義隆を討ち取っていた。この始末、どうなさるおつもりか!」

 敬久がすがりつくようにして座らせた誠久が、額に青筋を浮かべて叫んだ。その姿は、さながら虎のようである。

「……」

 誠久の問いに、晴久は床に視線を落としたまま無言であった。久兼は、再び秀綱と顔を見合わせる。

「はて……使いが遅れた、とは如何なることで?」

 間延びした秀綱の口調に、豊久が応じる。

「言葉の通りだ。まさか、他意はありますまいな?」

「……清宗!」

 額にうっすらと汗を浮かべた晴久が、佐世清宗を呼ぶ。

「はっ」

「使いは、そなたの手の者であろう。遅れたのか」

 その晴久の言葉に、清宗は一瞬返答に窮した。何度か瞬きをし、口を開く。

「はっ……その、使いは何分にも不慣れな者でありまして……その上、陶や毛利の布陣もよく掴めておらず遠回りを……申し訳ございませぬ」

「そうか、あれは貴様の家臣か」

 誠久はそう言うと、自らの脇差を清宗に投げてよこした。

「貸してやる。そやつに腹を切らせよ」

「!……いや、しかし……誠久様……」

 清宗は脇差を見て絶句した。晴久が慌てて間に入る。

「まあ待て、誠久。何も腹を切らせることはなかろう」

「お甘い!」

 誠久は、空気を切り裂くように叫ぶ。

「大内が出雲に侵入して、何年になる。これだけ長く国を蹂躙されることに堪えたのは、ひとえに亡き大殿の策謀を信じ、義隆の骸をこの月山富田城の眼前に晒すためではないか。この数年の苦労を、清宗の家臣が一人で台無しにした。死をもって償うのは当然と心得るが、違いますか」

「……ぬう」

 晴久は思わず唸った。誠久の言葉は至極真っ当であったのだ。

「……誠久様」

 平伏して両者の様子をうかがっていた清宗は、意を決して口を開いた。

「確かに誠久様の仰る通りでございます。それはまさしく、我が家臣の罪でありましょう。しかしその者は若く、前途有望で腹を切らせるのは忍びない。不慣れな者に命じた某の落ち度もございます。ここは如何でしょう、誠久様。その家臣の不始末、主である某に贖わせてはいただけませぬか?」

「ほう……どのように?」

 清宗は誠久の問いには答えず、無言で転がる誠久の脇差を拾い、懐から紙を取り出した。紙の上に手を開いて置き、脇差を抜いて隣に突き刺す。

「待て、清宗!」

 晴久の制止も聞かず、清宗はそのまま小指に脇差を叩きつけるように落とした。

 まるでごぼうでも切るように、小指は低く宙を舞い、床を転がる。その刹那、一気に血が噴き出した。

「誠久様……何とぞ、これでお許し願いたい」

 清宗は紙で噴き出る血を押さえ、真っすぐに誠久を見つめた。その視線を受けた誠久は、ゆっくりと目を閉じる。

 清宗の行動に、誠久の心は震えていた。何事にも感情が極端に動くこの男は、この手の行動に弱かった。不覚にも、感動したのである。

 とは言え、簡単に許すわけにもいかない。そんな心の動きを見て取った秀綱が、誠久の前に進み出た。

「誠久様、義隆を討ち取る機会はまだ残っております。いやむしろ、これからが本当の戦いと申せましょう。京羅木山に立て籠もった大内勢に、もはや勝ち目はございませぬ。奴らは必ず、兵糧が尽きる前に退却を始めまする。この追撃こそが、歴史を変える一戦となりましょう」

「……」

 誠久は目を閉じたまま答えない。秀綱は、晴久に向き直る。

「如何でございましょう、殿。来たるべき追撃の先鋒は、新宮党の方々にお任せになっては? 思う存分暴れて、義隆の御首を上げていただきましょうぞ」

 秀綱の言葉に、晴久はすぐさま反応した。

「……秀綱の申す事、重畳至極である。しかし、それだけでは足りぬな」

 晴久は顔を上げ、誠久を見つめる。

「誠久、その時には新宮党が、戦のすべての采配をとるがいい。陣立てから諸将の配置に至るまで、すべてそなたらに任せよう。どうだ?」

 誠久はしばらくの沈黙の後、口を開く。

「……その言葉、偽りはございませぬな?」

「二言はない」

 晴久の言葉に、誠久は目を見開いた。

「承知仕った。義隆の首、必ず御前にお持ちいたしましょうぞ」

 誠久はそう言って、口の端を上げた。

 ほっと胸を撫で下ろした敬久は、わずかに笑みを浮かべた。それを見ていた秀綱も、頷きながら笑みを浮かべる。

 秀綱と目が合った敬久は奥歯を噛み、笑みを押し殺した。


「無茶なことをするものだ」

 晴久が下がり、新宮党の三人も帰った後の広間で、三人の重臣は膝を突き合わせる。久兼は、止血する清宗を気遣った。

「なんのこれしき、大事ござらぬ」

 強がる清宗に、秀綱が呟く。

「清宗殿……新宮党への使いに立った者は、殿の家臣だな。新宮党への使いをわざと遅らせたのは、殿であるな?」

「なんと……まことか、清宗殿!」

 久兼が驚いて清宗を見つめる。清宗は、はっきりと首を振った。

「それは違いますぞ、亀井殿。使いをすぐに出さぬほうがよいと進言したのは、某にござる。殿はそれを、お取り上げ下さったに過ぎぬ。某が始末をつけるのは、当然の事でござろう」

「……何故、そのようなことを」

「宇山殿にもお分かりでしょう。誠久様が義隆の首を取れば、その名声は天下に響き渡り、殿をも脅かすことになりかねません。おそらくあの御方のこと、今よりさらに増長し、殿をないがしろにすることは間違いないでしょう。某は、間違った進言をしたとは思っておりませぬ」

「しかし、結果は早計であったな」

 秀綱は諭すように言う。

「尼子の戦は、新宮党なしに語ることはできぬ。新宮党の名声は、殿の名声と考えるべきだ。そもそも国を治める者の器は、戦のみにあるのではない。新宮党の存在意義が宗家の藩屏であることを、国久様も承知しておられる。おぬしは下らぬ策で、指を一本無駄にしたのだ。使いが遅れれば、誠久様が黙っているはずがなかろう」

「亀井殿、某は後悔してはおりませぬ。義隆を討ち取ることができておれば、どうとでもなったのです。なに、指はまだ九本ある。あと九回、同じことができる。たとえ新宮党であっても、殿の名声を超えることはご遠慮いただく。某は、そのために居るのです」

「……困った男よの」

 秀綱はそう言って笑った。諫めながらも、清宗のそんな剛毅な部分が嫌いではない。

「どうやら誠久様も、おぬしの心意気は認めたようだ。しかしあの御方は甘くはないぞ。気まぐれに人をひねり殺せる、獰猛な獣じゃ。せいぜい、虎の尾を踏まぬようにな」

「心得ております」

 清宗は額に脂汗を浮かべ、大きく頷いた。

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