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新宮党の一矢  作者: 次郎
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第三十三話.ある王の出陣

 四月に入ってからも、戦の趨勢は一進一退であった。

 そんな中でも、元就は積極的に動いていた。富田川の対岸に尼子の重臣、河本隆任の館があったが、隆任は月山富田城に立て籠もっていたため、館は無人になっていた。

 元就は配下の南方親定、秋山親吉に命じて、この館を占拠した。いずれ橋頭堡として、月山富田城攻めの拠点にする心積もりであったのだ。

 程なくして大雨が続き、富田川が増水したのを見て、尼子の大西十兵衛、本田家吉、立原幸隆らが二千余の兵を率いて、城から占拠された隆任の館に押し寄せてきた。飯梨川の増水によって、渡河しての援軍がないと踏んでのことである。

 しかしそれは、元就の罠であった。

 元就は事前に、増水しても渡れる飯梨川の箇所を調べ上げ、更に簡易な橋を用意していた。尼子勢の来襲を察知した元就は、素早く南方に回って飯梨川を渡河し、館を攻めていた尼子勢を挟み撃ちにした。

 元就の手筈に抜かりはなかった。しかし事は、思う通りにはいかなかった。

 尼子の重臣、大西十兵衛は剛将であった。十兵衛は急は襲撃にも動揺せず、直ちに陣を立て直し、家吉、幸隆と連携して、改めて背後の毛利勢に突撃を仕掛けた。

 この猛烈な突撃に、流石の毛利勢もたじろいだ。結局元就は、南方親定らを救出して退却するしかなかった。

「父上、確かに敵の勢いは強うございましたが、決して我らも負けてはおりませんでした。今少し戦うべきだったのでは?」

「無理をすることはない。確実に勝てる見込みがなければ、戦うべきではない」

 元就は淡々とそう答える。隆元の目には、父が疲れているように見えた。

 しかしこの頃から、各進入口付近の尼子勢の敗退が目立ってきた。

 北の菅谷口では、杉重矩、吉川興経の軍勢が、川副久盛、湯惟宗らの尼子勢に大勝した。特に興経の戦功は抜群で、久盛の軍勢を散々に追い散らし、三百を超える首を取った。吉川勢の鎧は、川副勢の血で赤黒く染まる。

「殿、流石に三百はやりすぎではありませんか? 後々、晴久公との間に遺恨を生じる事にでもなれば……」

 興経の重臣、二宮経方が不安げな表情を浮かべる。

「ふん……杉重矩の目があるのだぞ。若殿の書状にも、事の露見は絶対にならんと書いてあった。手抜きなんぞできるか。そもそも経久公の書状には、策に当たっては大内勢になりきり、尼子勢を容赦なく切り捨てろとあった。こちらには経久公のお墨付きがあるのだぞ」

 血に酔った興経は、そう言って満面の笑みを浮かべた。

 西の御子守口では弘中隆包率いる安芸勢が、南の塩谷口では冷泉隆豊と石見勢が、それぞれ尼子勢を撃破して、進入路を確保しつつあった。各戦場での勝利に、大内陣中は湧き立つ。

「今こそ、雌雄を決する時でありましょう」

 評定の場、居並ぶ諸将の前で、興経が義隆に進言する。

「菅谷口の門前は、某が開き申した。富田川を渡れば菅谷口まで広い平地でございますれば、五万の強者が陣を敷くに十分でありましょう。今こそ京羅木山を下り、全軍を菅谷口の全面に押し出せば、月山富田城の城兵どもは恐れおののき、その士気を大きく挫くことができまする。さらにお屋形様にも御出馬いただければ、敵方の造反が相次ぐ事は必定。機を逃さず総攻撃に移れば、月山富田城は容易く落ちましょう。何とぞ、御決断を」

「ふむ……諸将の考えはどうか?」

 興経の進言に、義隆はいつもの如く諸将を見渡す。その言葉に、三刀屋久扶が進み出る。

「近頃、尼子勢の士気が低下しているとの報は、某も聞き及んでおりまする。また籠城している国人衆で、某と旧交ある者たちの中にも、大内の総攻撃の際には是非お屋形様のお役に立ちたいと書状を送ってくる者もおりまする。今、総攻撃に移れば、お味方の勝利は間違いないかと……」

「尼子の士気は、左様に落ちておるのか?」

「どうやら、城中の兵糧にも不安があるようでござる。出雲の米も昨年は大変な不作でございました。その上、此度のお屋形様の御出陣によって、西出雲から月山富田城に至るまでの広大な範囲の年貢が取り立てできぬとあれば、兵糧の問題は深刻でありましょう。更に膝元の戦で立て続けに負けが重なっているとなれば、士気の低下も無理からぬ事かと」

「成程な……つまり戦場に立つ余の姿が、尼子に引導を渡すということか」

「御意にござる」

 義隆は扇子を叩き、瞳を輝かせて頷いた。自らが戦場に姿を現すことで大戦が終結するという事実は、この王の自尊心を激しく刺激するものだった。

「兵庫頭はどうか?」

「はっ……籠城する敵兵は、およそ一万五千。対する我が方は五万を超え、十分に強攻できる数がございまする。さらに吉川殿や三刀屋殿の言う通り、尼子の急速な弱体は衆目の一致するところ。正に、機を見るに敏でございましょう」

 兵庫頭の言葉に、義隆は大きく頷いた。

「お恐れながら……」

 その時、遠慮がちに声が上がる。

「おお、元就か。申してみよ」

 向き直った元就を、義隆が促す。

「尼子が兵糧に難儀しているのは、おそらく事実でございましょう。しかしならば尚の事、兵糧攻めにするべきかと存じます。じっくりと干殺にしてしまえば、無駄な血を流すことなく尼子晴久を屈服させることもできましょう。焦ることはございますまい」

「臆病な。それは違うぞ、伯父貴」

 興経が、嘲笑うような口調で言う。

「戦もせずに尼子を屈服させて何とする。それでは、大内の武威を天下に示すことにはならぬ。戦において大内勢の精強なることを見せねば、出雲はこの後も治まらぬわ」

 その興経の言葉に、常光が同調する。

「興経殿の言う通りでござる。先代義興公もなしえなかった、武によって尼子を屈服させる事をお屋形様がなされるのだ。さすれば京におわす帝も将軍も、大内の力を認めざるを得まい。お屋形様の覇業の始まりとなりましょうぞ」

「余が、父を超えるか」

 義隆はこの言葉に弱い。どうやら義隆の心は、決まったようだった。

「まったく伯父貴はいつも反対ばかりだ。京羅木に陣を移す時も、時期尚早と反対したではないか。しかし結果はどうだ? 京羅木山に布陣したことで、今や尼子は風前の灯だ。戦術に凝るのも結構だが、慎重すぎるのも性質が悪いぞ」

「確かに慎重すぎるのかもしれぬ。しかし……」

「まあ聞け、元就」

 義隆は興経を制し、扇子をぱちりと鳴らす。

「近頃、石見の尼子に味方する国人どもが我らの糧道を脅かし、兵糧が滞り始めておる。今のままでは我が軍の兵糧も心許ない。さすれば今が正に、決戦の好機と言えるのではないか。ここは余、自ら出陣し、我が武威を天下に示してくれようぞ」

 その義隆の言葉に、隆房や興盛たちがぎょっと顔を見合わせた。兵糧が滞り始めている事は、義隆と重臣たちだけの秘密であったのだ。しかし興奮した義隆は、その事に気づいていない。

「伯父貴、心配するな。尼子の弱兵など俺が踏み潰してくれるわ」

 興経は、改めて義隆に向き直る。

「お屋形様……是非、この興経に先鋒をお命じ下され。城門を破って一気になだれ込み、晴久の首級を上げて御覧に入れましょうぞ」

「うむ、よう申した興経。兵庫頭、それでどうか?」

「吉川殿なら、先鋒として申し分ございませぬ。しかし菅谷口の前に陣を敷くならば、北東の新宮谷にいる新宮党の奴ばらが気になりまする。これに対する備えを考えねばなりますまい。新宮党と互角に戦える吉川殿に先鋒をお命じならば、他の誰に備えをお任せになりますか?」

「ふむ……興経を除けば、新宮党を抑えることのできる者は元就をおいて他にあるまい。元就、やってくれるな」

 義隆は迷いなく答えた。元就も躊躇なく頭を下げる。

「ありがたき幸せにございまする。この元就、天地神明に誓い、新宮党を撃退して御覧にいれましょう」

「流石は元就、頼もしい言葉よ。しかし新宮党は天下に聞こえる強者ども、万が一にもそなたの身に何かあっては一大事じゃ……よし、隆房よ。そなたも元就と共に新宮党への備えに回るがよい。これは、そなたらを深く信頼してのことぞ」

「はっ、承知仕る」

 評定で一言も発することのなかった隆房が、短く答えた。

「お待ち下され、お屋形様。先鋒はこの三刀屋久扶にお命じ下され。某はまだ、お屋形様の御恩に報いることができてはおりませぬ。ここは是非、某にお命じを」

「待て待て、三刀屋殿。お屋形様への御恩返しができておらぬのは、この本城常光とて同じこと。お屋形様、先鋒は是非この常光にお任せを」

 そんな二人の姿を見て、義隆が扇子を叩いて笑う。

「久扶、常光。この義隆、そなたらの忠義嬉しく思うぞ。よし、此度はそなたら興経の左右に付き、功を競うがよい」

「ははーっ」

「皆の者、評定は決した。全軍京羅木山を下り、月山富田城の眼前に陣を敷く。大内の旗印と共に、余も参るぞ。この戦から余の覇業を始める。そなたらの奮闘、期待しておるぞ」

 その言葉に、諸将ことごとく平伏した。一大決戦の舞台が、整ったのである。


 評定が終わった後、隆房が元就の許にやって来た。

「元就殿……この間はすまなかったな。少し、吞みすぎていたようだ」

「いや、お気になさるな。若い時分は、そういうものでござろう」

 元就は笑って流す。

「これからは気をつけるとしよう。新宮党が相手となると、酔うてもおれまい」

 隆房はそう言って、元就をじっと見つめた。

「……本音を聞かせていただきたい。此度の決戦、元就殿は反対か?」

 元就は再び、笑う。

「某の人生は、取り越し苦労ばかりでござる。あれこれ考えすぎて臆病になる。いやはや、これはもう性分なのですな。御懸念は無用でござる、戦は大内の大勝となりましょう」

 戦は、常に万全な状態でできるわけではない。元就が懸念したのは兵糧ではなく、自らの甥も含めた鞍替え武将たちに感じた、調子の良さであった。しかし印象という理性的でないものだけで彼らを疑い、讒言のように思われるのは元就の本意ではなかった。

「元就殿がそう言うなら良いのだが……。どうも私には、興経らの言葉が軽く思えてな……」

 どうやら隆房も、元就に似た懸念を抱いているようであった。

 だからと言って、何かができるわけでもない。義隆にその意思がなくとも、決戦に積極的でない隆房と元就は、結果的に閑職に追いやられた形になっていたのである。

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