第二十九話.洞光寺の戦い
天文十二年(一五四三年)三月中旬、内藤、毛利の大内勢五百は月山富田城北麓の菅谷口に進出し、城から出て来た尼子勢と激突した。
「元就殿、迎撃に来た敵は誰であろうか」
「あの家紋はおそらく、牛尾と川副でありましょう。少なくとも、新宮党の姿は見えませんな」
元就は敵勢の旗指物を見ながら、そう見当を付けて興盛に返した。
尼子の家紋は四つ目結で、尼子宗家の旗は白地に黒の四つ目結であった。それに対して黒地に赤の四つ目結は新宮党の旗であったが、尼子勢の中にその旗は見えなかった。
また新宮党はその旗と同じように、黒に赤の装飾が施された甲冑で統一されており、判別は容易であった。その統一された黒と赤の出で立ちは、敵を激しく畏怖させるものであった。
初めこそ激しくぶつかり合った両軍ではあったが、次第に距離を取り始め、矢を射かける戦になった。
そもそも両軍とも、小手調べの戦である。どちらも深入りして、損害を出すつもりはなかったのだ。
やがて大内勢は、ゆっくりと退却を始めた。元就は伏兵を配して追撃してきた尼子勢に損害を与えようとしたが、牛尾幸清はこれに乗ってこなかった。
「やはり尼子は統制がとれているな。功に焦って月山富田城から離れぬよう、厳命されているのだろう」
その統制された尼子の動きに、興盛は素直に感心した。
「それもありましょうが、少し見え透いた手でございましたな。此度はこのまま引きましょう」
「そうだな」
興盛は元就の言葉に頷き、再び退却を始めた。
同じ頃、菅谷口以外の進入路にも、大内勢は進攻を始めた。
西側に面する御子守口には杉重矩が、南麓の塩谷口には弘中隆包が、それぞれ国人衆と共に進軍した。大内勢は三箇所の進入路以外にも展開を始めて、月山富田城との間に矢戦を起こした。
各地で小競り合いが始まり、戦線は拡大し始めていた。
特に塩谷口の戦いでは、弘中隆包と尼子方の中井久包の小競り合いから激しい戦に発展した。城内からは立原幸綱が援軍として出陣し、大内方も熊谷信直らが救援に駆けつけて乱戦となり、双方に多くの死傷者が出た。
戦況は五分と五分であった。しかし、数に勝る大内勢は各地で進攻と後退を繰り返しながら、徐々に包囲を狭めていた。
新宮党の本拠地、新宮谷の館の前には、黒と赤の甲冑で統一された新宮党の精鋭たちが静かにその時を待っていた。僅かに吹く風が、甲冑と同じ黒赤の四つ目結の旗をはためかせている。
その前で床几に座る国久は、目を閉じたまま微動だにしない。その周りを、三人の息子が囲んで座っている。
そこに、一人の男が近づいてきた。豊久の間者、出雲吉田衆の秀水である。秀水は豊久に耳打ちして、すぐに下がっていく。
「父上、敵が動いてきましたぞ」
豊久がそう言ってにやりと笑う。どうやら事態は、彼の思う通りに進行しているようだった。
「安芸の平賀隆宗、石見の益田藤兼が洞光寺に迫っております。その数はおよそ五百程度でございますが、すぐ後ろに二千程の後詰がいるようです。父上、直ちに出陣の御指図を」
「……その報に、間違いないな?」
国久はそう言って、ゆっくりと目を開いた。
「今や尼子の忍びは、鉢屋衆のみではございませぬ。我が出雲吉田衆の力、信じて下され」
国久はじろりと豊久を見つめたが、口に出しては何も言わなかった。
「豊久、いくぞ」
隣にいた誠久がしびれを切らし、立ち上がる。
「まて、誠久」
「父上、大内を滅ぼしたいのなら俺に戦わせるべきだ。洞光寺だろうが菅谷口だろうがどうでもよい。とにかく進むところに敵勢あらば、そのすべてをなぎ倒して御覧に入れよう。天が新宮党の戦を見ているのだ。出陣の御下知を」
誠久は興奮して、子供のように落ち着かない。戦闘狂とでも言うべき血が、騒ぎ出して止まらないのだ。
「落ち着け、誠久。出陣するなとは言っておらぬ。洞光寺には、豊久でなく敬久を連れて行け。おぬしと敬久の二人で、洞光寺を守るのだ」
「敬久、だと」
誠久は不満げに、敬久を見つめる。
「足手まといはいらぬ」
そう言い捨てる誠久の前に、敬久が跪く。
「……誠久兄、足手まといにはなりませぬ。必ず、お役に立ちまする」
「父上、なぜ敬久を?」
そう言う誠久は、敬久には目もくれない。
「誠久、敬久に足りないものは経験じゃ。一つでも多くの戦場に立つ。それが新宮党の為になる」
「洞光寺を失ってもいいのか」
「あの程度の敵に、おぬしは不覚を取るのか?」
国久の言葉に、誠久は敬久を見つめた。敬久はその兄から、目を逸らさない。
多胡辰敬と話して以来、敬久の覚悟は決まっていた。この戦で功を上げる。それが必ず、早の為になると信じていたのだ。
「ふん……後れを取るなよ」
やがて誠久はそう言って、振り向いた。彼の率いる三十騎衆が、一斉に立ち上がる。
「よいか、二人共。吉川興経や三刀屋久扶ら、内応を約した者たちの事は分かっていよう。もし戦場でこの者らに遭遇したとしても、決して命を奪ってはならぬぞ。あの者たちがおらねば、最後の策は成り立たんのだからな」
「分かっておりまする。者ども、出陣じゃ!」
誠久の号令に、新宮党の軍勢は一斉に鬨の声を上げた。一気に陣中が騒がしくなる。
「必ず大内勢を撃退して御覧に入れます。では……」
敬久はそう言って、陣を出る誠久に続いた。
「……父上、なぜ某ではなく敬久を?」
出陣する二人の兄弟を見送る豊久がしばらくして、国久に尋ねた。
「先程言った通りじゃ。敬久は場数を踏まねばならぬ。それと、あの目……」
「目?」
「最近、あやつの目つきが変わった。ようやっと、肝が据わってきたようじゃ」
そう満足気に言う国久の前に、伝令が駆け込んできた。白に黒の四つ目結を指した、晴久からの使者である。
「申し上げます。大内勢、洞光寺方面で動きあり。新宮党の方々はくれぐれも御油断なきようにと、殿からの御伝言にございます」
膝をついて首を垂れる伝令に、豊久が言葉を返そうとしたが、国久がそれを手で制す。
「役目大義。念のため、軍勢を率いて洞光寺方面に偵察と参ろう。殿には御心遣い感謝いたすと、お伝え願おう」
「御意にございます。では」
伝令が陣を出ていくのを待ち、豊久が口を開く。
「父上……某がそんなに阿呆に見えますか?」
「隠し刀の切れ味に、喜んでいる子供のように見えたな。分かっているなら良い」
その国久の言葉に、豊久は頭を掻いた。
誠久と敬久率いる新宮党の精鋭二千は、洞光寺に出陣した。
洞光寺の近くに着陣した平賀隆宗は、早速洞光寺攻めを開始した。同時に着陣した益田藤兼が、その陣中にやって来る。
「平賀殿、話が違う。後詰を待って戦の約束でございましょう」
「戦は臨機応変じゃ。益田殿、洞光寺の守りは決して固くない。後詰を待って尼子の援軍に来られるよりは、電光石火、我らの手で早々に攻め落としてしまった方が良かろう」
「功を焦られるな。負けては元も子もない」
藤兼はそう懸念したが、隆宗は頑として聞かない。
そもそも隆宗は、藤兼をあまり快く思っていなかった。藤兼はこの時まだ十五歳である。隆宗も若かったが、彼から見ても藤兼は幼く見えた。陶隆房との姻戚関係を笠に着る、賢しい子供だと思っていた。その子供と常々大内から同列に扱われることに不満があったのだ。
「とにかく、後詰を待った方が良い。吉川興経らが来てからでも、功は立てられよう」
「益田殿は、あの程度の僧兵を恐れるのか。ならば我ら平賀のみで、洞光寺は落とす」
話が平行線をたどる中、不意に周囲が慌ただしくなった。物見をしていた隆宗の家臣が、転がり込むように入って来る。
「も、申し上げます。敵勢が目前まで迫っております」
「何だと! どこの軍勢だ?」
隆宗は、床几を飛ばして立ち上がった。
「黒と赤の軍勢でございます。四つ目結の……」
「し、新宮党か!」
隆宗は一瞬で青ざめた。周囲からは鬨の声と刀の音、馬のいななきが聞こえてくる。物見を放っていた距離を考えれば、恐るべき進軍速度であった。
「事前に察知されていたのか!」
「尼子の諜報能力を甘く見ましたな」
藤兼はどこか、他人事のように呟いた。
「ま、益田殿……どうするべきであろうか?」
「どうもこうも…撤退するしかありますまい」
おろおろする隆宗に、藤兼は冷たく言い放った。新宮党の正確な数はわからないが、小勢ということはないだろう。質、数ともに劣る以上、後詰の部隊と合流するしかない。
「し、しんがりは……」
「御自分でなさればよろしかろう!」
藤兼はそう言い様、平賀の陣を駆けだした。もちろん隆宗と心中する気など、毛頭なかったのだ。
「撤退だ。新宮党の虎どもが出てきたぞ」
藤兼は陣の外で待っていた家臣と合流すると、馬にまたがって一目散に駆け出した。慌てて家臣が続く。
「殿! 平賀殿は?」
「捨て置け! 助からぬわ」
藤兼は馬上からそう言い捨てた。洞光寺を遠巻きに見ていた益田勢と違い、平賀勢はすでに洞光寺に取りついていた。こうなれば精々、足止めとして頑張ってもらうしかない。
すでに新宮党の足音は迫っている。それは、一方的な殺戮の気配であった。




