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新宮党の一矢  作者: 次郎
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第二話.臆病者

「……あれは、戦に勝つ気がない。晴久こそ、真の臆病者だ」

 天文十一年(一五四二年)の年の初め、評定を終えて月山戸田城を出た尼子誠久は、はばかることなくそう呟いた。

「兄上の言うことはもっともだが……ちと声が大きいぞ」

 誠久の長弟、豊久は、周りの様子をうかがいながら、声を潜める。幸いその門前に人はおらず、寒風の音だけが響いていた。

「……誰にはばかることがあるか。本当のことではないか」

 誠久は、肩を怒らせてそう言い捨てる。しかし、主君に対するその言動が穏やかでないことは、誰の目にも明らかであった。

 元来、誠久という男は、一本気な男である。群を抜いて戦上手なこの男は、理屈や計算といったものよりは、義理や人情といったものを重視する根本があり、どこか侠客のような一面を持ち合わせていた。

 そんな、普段は寡黙で熱情を内にする男が、晴久のこととなると感情をあらわにするのは、誠久の感情を、激しく逆なでする一件があったからである。

 前年の毛利氏攻め、吉田郡山城の戦いを主導したのは、当主晴久であったが、それを評定で厳しく諫めたのが、当時の新宮党党首であり、大叔父である久幸であった。

 久幸は、新しく加わった領土の地固めをすることが肝要であり、古強者である元就に長期戦に持ち込まれ、大内の後詰を招くことは、尼子にとって屋台骨を揺るがしかねない脅威であると説いたのだ。

 もっとも晴久も、元就憎しだけの毛利攻めではなかった。

 毛利方、つまり周防の大内の息のかかった安芸の国人領主達は、確実にその勢力を伸ばしつつあった。それに対して、尼子方は劣勢であり、特にその要である安芸武田氏も、大内方から圧迫を受けていた。つまりこれは、尼子方の自衛の戦いでもあったのだ。

 その上、晴久にも万事抜かりはなかった。美作、播磨などの新たな領土にも動員令を下し、大軍を編成して、その兵站も確保した。決して、毛利を甘く見た戦ではない。

「大叔父上、そもそも元就など問題ではない。大内の後詰をご懸念なさっておられるようだが、それこそが望むところだ。元就を餌に大内の主力をおびき出し、完膚なきまでに叩き潰す。それが、真の狙いなのだ」

 しかし、それでも承知しないのが、久幸であった。

 評定の場での両者の論戦は、次第に度を越し、その中でついに晴久が久幸を、

「臆病野州」

と罵った。

 久幸は下野守であり、野州は下野国の別称である。罵られた久幸は、一瞬色をなしたが、すぐに平静を取り戻した。

 これに烈火のごとく怒り、満面を朱色にして立ち上がったのが、その後ろにいた誠久であった。

 実の所、誠久や豊久ら若い新宮党の面々は、この戦に反対ではなかった。彼らは戦に絶対の自信があり、裏切った元就憎しの感情は、晴久と何ら変わらなかったからである。 

 しかし、それと久幸を謗られるのは、まったく別であった。

 誠久にとって久幸は、もっとも尊敬する男であった。彼に弓馬の手ほどきをしたのは、この厳しくも優しい大叔父である。しかも、新宮党党首であるその久幸を謗ることは、新宮党を謗っているようにも受け取れたのだ。

 怒りで体を震わせ立ち上がりながらも、元来寡黙であるこの男の口からは、その感情を表す言葉が、中々出てこなかった。かろうじて豊久と敬久が体を押さえて、再び座らせたものの、この時は、一触即発の事態であった。

 その後、国久が取りなして一門は事なきを得たが、結局、毛利攻めは強行となった。

 その結果尼子は大敗し、久幸は後詰に来た大内方の総大将、陶隆房の奇襲から晴久を守って、戦死したのである。

 誠久の怒りが、晴久に向けられたのは当然であろう。

 この敗戦によって、晴久は大きく面目を失うことになった。

 元々、出雲の尼子と周防の大内に挟まれた安芸の国人衆の態度は、流動的であった。時に尼子、時に大内と鞍替えする彼らは、この敗戦によってその多くが大内になびいたのだ。

 そんな苦境の情勢の中、天文十年(一五四一年)十一月、尼子経久は死んだ。

 年が明けて、初めてのこの日の評定は、その大内に動きありとの報告が間者からあったため、対応を協議したものであった。すでに大内は、傘下の国人領主に動員令を発し、大軍の編成を進めつつあるという。

 吉田郡山城攻めの敗北と、それに続く国人衆の離反、さらに精神的支柱の死が重なれば、この好機を、大内が見逃すはずはない。

 尼子方は、経久の喪を秘していたが、出雲に潜んでいた大内や毛利の間者は、すぐにこれを察知していた。この時代、ありとあらゆる場所に間者は潜み、情報の拡散を防ぐことは、至難の業であった。それを受けての大内の軍事行動は、予想された事態でもあった。

 この評定で新宮党は、出雲の国境で大内を迎え撃つべし、と主張した。

 大内の大軍勢を出雲深くまで入れることは、出雲国人衆の動揺を招き、更なる造反を呼ぶ恐れがあったからである。今出雲に大動員令を発し、大軍を以って大内と決戦に挑めば、それを壊滅する自信が新宮党にはあった。

 しかし晴久が選んだのは、徹底した持久戦であった。

 出雲には、月山戸田城と、尼子十旗と呼ばれる支城で形成される強固な防衛網があった。この防衛網を駆使し、懐深い出雲の山岳に誘い込めば、大内の兵站は崩れて、撤退を余儀なくされるであろうという算段であった。

 新宮党の一撃論は、成功すればよいが、失敗すれば取り返しのつかない事態となる。当主である晴久は、これを採用することはできなかったのだ。

「……晴久は武人ではない。やはり、臆病者だ」

 評定の様子を思い出し、誠久は再び呟いた。

 元々誠久は口下手で、人を罵ることも多くの言葉を持たない。それ故にその言葉も、まるで久幸の意趣返しのような、臆病者という言葉しかでてこない。

「まあ、兄上のいうことはもっともだが、持久戦という晴久のいうこともわからんではない。出雲の主として、後のない戦いはできんだろう。結局、父上も重臣達も受け入れたのだからな」

 豊久は、兄をなだめるように言った。

 この国久の次男は、おおよそ誠久と考えを一つにしていたが、その兄より幾分か冷静であった。国久が納得している以上、理があるとみていたのだ。

「……父上も、お年を召されたか。近頃は、晴久や亀井ごときの言うことを、素直に聞きすぎる。新宮党は一門衆として、主家に諫言すべきは、勘気をこうむってでもするべきであろう。豊久、俺の言うことは間違っているか」

 誠久のいう亀井とは、亀井秀綱のことである。亀井家は、秀綱の曾祖父の代から尼子に仕える家臣で、秀綱は、晴久が信頼する重臣の一人であった。

「間違ってはおらんが……父上のお立場もあろう。あまり新宮党ばかりが表に出るのはな……」

「……どういうことだ」

「新宮党ばかりが手柄を立てて、世間の評判になることは、晴久や側近どもにとっては面白くなかろう、ということだ」

「……くだらん。新宮党の誉れは、尼子の誉れではないか」

 誠久は、そう言い捨てた。この男の意識には、あまり本家と新宮党といった境目がなく、晴久のことも主君とは言いながらも、年下の従兄弟ぐらいにしか思っていない。もちろん、晴久の方は、そうは思っていないが。

「まあ、父上の苦労も分かって差し上げようではないか。ほら、去年の大殿の面前での事、間に入る父上の身にもなってみろ」

 豊久が言ったのは、経久が敬久に矢を射らせた例の一件のことである。あの異様な一件は、ある種の語り草になっていたが、誠久の態度は、国久が気をもむのに十分であった。

「豊久、あの時の話はやめろ。腹が立ってくる」

「……敬久のことか?」

「新宮党に、臆病者はいらん。大殿や重臣らの面前で、射貫いてやればよかったのだ。晴久がどんな顔をするか、その器量を公にするいい機会だったのだぞ。敬久は最後に腰が引けよった」

 誠久は、憤懣やるかたないといった表情で言った。

 常々、誠久は次弟の性格が柔和すぎることに、不満を持っていた。誠久は、晴久と久幸の一件以来、新宮党が勇猛であることに、異様な拘りを持っていたのだ。

「まあ、そう言ってやるな。あの状況で的を射貫くのは、相当の豪胆でなければできまい。それに敬久が矢を射る前に、父上が何事か耳打ちをしておったようだ。大方、的を外すように言われたのだろう。直前に父上にそう言われては、従わざるを得まい」

「……もしそうであれば、父上も老いた、ということだ」

 そう言い捨てる誠久の様子に、豊久はため息をついた。

「兄上……晴久のことが気に入らんのは、俺も同じだ。しかし、大殿がお亡くなりになった以上、今までのようにはいくまい。晴久の意向を軽んじては、我々とて、どんな禍に見舞われるかわからん。父上が晴久の後見人である以上、我らも、晴久を立てていかねばなるまい」

 経久が生きている頃は、一門でどんな対立があろうとも、尼子は経久の下に一つであった。しかしその経久も、もはやこの世にない。

「……俺とて、晴久に当主としての器量があれば、文句はない。しかし……」

「器量がなければどうするというのだ。兄上、要らざる野心は……」

「くだらん。おぬしの方こそ、要らざる心配をするな」

 豊久の言わんとすることに、誠久は不機嫌になった。

 当主としての晴久に、不満はある。しかしそれを口にするのは、一門衆としての諫言でしかない。いらぬ邪推は、誠久にはまったく当てはまらなかったのだ。

 誠久は振り向いて、眼前に佇む月山戸田城を仰ぎ見た。

 難攻不落の要塞城、と呼ばれる山城である。その雄大な姿は、天空の城とも呼ばれていた。

「……俺はただ、守りたいだけなのだ。大殿と大叔父が苦心して築き上げた、この尼子の繁栄をな」

 誠久は、山頂近くに位置する本丸を眺めながら、静かに呟いた。

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