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新宮党の一矢  作者: 次郎
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第二十八話.希望の人々

 京羅木山に本陣を移した大内の軍勢は、三月に入ってから一部が月山富田城の城下町近くに進出し、展開を始めた。

 天空の城とも呼ばれる天下の堅城、月山富田城への進入路は、北麓の菅谷口、西側に面する御子守口、南麓の塩谷口があった。それぞれの登り口には堅牢な城門が備わり、富田川を利用した深い堀に囲まれている。この内部に今、尼子の強兵がひしめき合っているのだ。

 大内勢の当面の目標は、この三箇所の進入路の前面を確保することにあった。当然尼子も、それを阻止せんと軍勢を動かしてくるだろう。

「籠城する尼子の数は如何ほどか?」

「およそ一万五千と聞いておりまする」

 義隆の隣に控える内藤興盛は、すでに甲冑に身を包んでいる。

「そなた自ら出陣か。誰といくのか」

「元就殿でござる」

「それは良い。元就なら心強かろう。して、兵は如何ほどか」

「合わせて五百程度でござる」

「……それは少ないのではないか?もっと連れて行けばよかろう」

 興盛は長門守護代であり、隆房と肩を並べる重臣の一人である。万が一のことがあれば、大内にとってその損害は計り知れない。

「此度はまず、様子見といったところでございます。小勢でも長門の精鋭ならば、進退も思うがままに動かせまする。まずは尼子勢の手並み、拝見と参りましょう」

「そうか……ところで、兵庫頭の采配はどうか?」

「はっ……よろしいかと存じます。隆房殿も補佐しておりますれば、大事ございますまい」

「ふむ……隆房は、へそを曲げておらんかな?」

 義隆は声を潜めてそう言う。

「と、申されますと?」

「兵庫頭に采配を取られたと……そう思うておらぬかとな」

 どうやら隆房の覇気のなさは、義隆も明らかに感じているようであった。

「我らにとって、お屋形様の思し召しが全てでございます。どうして不服などと考えましょうか」

 義隆は、養嗣子晴持と隆房らのやり取りを知らないようであった。勝手に書状を見せた晴持が言えるはずもなく、興盛らも言えるはずがない。

「ならば良いのだがな……のう、興盛」

「はっ」

「今後も大内を取り仕切るのは、隆房をもって他にない。余がそう思っている事、それとなく、そなたから隆房に伝えてはもらえぬか?」

(御自身で直接仰られては?)

 さすれば、隆房殿は涙を流して喜びましょう。興盛はそう思ったが、口に出しては言わなかった。

「承知いたしました。隆房殿には、それとなく伝えておきましょう」

 興盛は一礼して、義隆の前を辞した。

(物足りぬ、と感じるのは不敬であろうか?)

 自陣に戻る道すがら、興盛は自問する。

 先代、大内義興は正に巨人というべき存在であった。その義興の代から仕え、偏諱を賜った興盛が、無意識に二人の主君を比べてしまうのも無理はない。山口にこもって芸能ばかりに執着していた義隆が、尼子征伐に乗り出しただけでも十分とも言えたが、義興が同じ年の頃、すでに上洛して天下を争う戦をしていたことを思うと、やはり物足りなさは感じてしまう。

 義隆の人格は、苛烈な部分が削げ落ちていた。それは、彼の生い立ちに起因しているのかも知れない。

 大内家は、代々家督相続の折に内紛が起こる事が常であった。義興も家督相続の際に弟、高弘を担いでの内訌が起こり、重臣を誅殺して高弘を豊後大友氏のもとに追っている。こういった経験が、戦国の為政者として義興を大きくしたことは間違いない。

 それに対して、義隆はその家督相続において争う者がいなかった。その人生において、自らの地位を脅かす存在がいないのだ。それは彼の性格を大らかなものにし、芸能はそれに拍車をかけた。偉大な父を持つ、典型的な次代の君主であった。

(先代と比べても意味がない。お屋形様の大らかな部分は、王として十二分の価値があるはずだ)

 興盛は、自らにそう言い聞かせた。主君に足りない部分は、家臣が補えばよい。

 出雲を取れば、上洛も近い。義隆に仁君の素養があるのならば、義興を超える日もくるだろう。

 すべては、この月山富田城攻めに懸かっているのだ。


 新宮党の本拠地新宮谷は、月山富田城の三つの進入路の一つである北麓の菅谷口の、さらに北東にあった。

 その新宮谷の東南に、巨大な滝がある。その滝を目指して、豊久と敬久の兄弟は山道を進んでいる。

「やっと見えてきたな」

 地響きのような爆音に続いて、巨大な瀑布が姿を現す。叩きつけるその裾野は、真っ二つに割れていた。

「このような瀑布に打たれ続けて……誠久兄は平気なのですか?」

「兄上に常識は通用せぬ。あの巨躯は、たたらの中の真っ赤な黒鉄のようなものだからな。多少は冷ましてもらわんと、誰も近づけぬわ」

 褒めているのかどうかもよくわからない豊久の言葉に、敬久は滝の中の誠久らしき影を凝視する。その影は近づいてきた二人に気づき、滝の中からゆっくりと姿を現した。

 黒々と光る体躯を持つ誠久は、全裸であった。その表面を走る水はたちまち蒸気となり、大気中に霧散した。

「兄上……体を壊すぞ」

 近づいてきた誠久に、豊久は思ってもいない言葉を投げる。

「こんなものは、霧雨と変わらぬ。なんの用だ」

 誠久は不機嫌に呟いた。滝行を遮った者が豊久でなければ、殴り殺されていたかも知れない。

「……大内勢が、月山富田城の城下に展開を始めた。菅谷口にも、内藤と毛利の手勢が迫っている」

「……出陣か?」

 菅谷口は新宮谷に近い。新宮党が迎え撃つのは、当然の流れであろう。

「いや、それがな……晴久は、牛尾と川副に迎撃を命じたのだ」

 豊久はそう言って、兄の顔色をうかがう。

 牛尾幸清と川副久盛は、宇山久兼や佐世清宗と同じく晴久の直臣で、重臣であった。経久時代から、主要な戦の多くに参陣している両者ではあったが、特段戦上手というわけでもない。

「そうか……ならば俺は館に戻る」

「いいのか、兄上?」

 誠久が激高すると思っていた豊久は、拍子抜けした声を上げる。

「鼠を狩るのに虎がいるものか。雑魚は雑魚にまかせておけばよい」

 誠久はそう言うと全裸のまま、山道を降りて行った。ここまで来るのも、全裸で来たのだろう。

「……意外でしたな」

 去り行く誠久の大きな背中を見ながら、敬久が呟く。結局、誠久は一度も敬久を見なかった。

「どうやら滝行は、本当に兄上の闘争心を冷ますらしいな」

 豊久は苦笑した。誠久が激高して出陣すると言うならば、それについていく決心をしていたのだ。拍子抜けをしながらも、どこか安堵した感覚もあった。

「……豊久様」

 突然のその声に、敬久はぎょっとした。いつの間にか男女の二人組が、豊久の隣に立っていたのである。もちろん気配など、まったく感じられなかった。二人は、わずかな衣擦れの音を立てて跪く。

「なんぞあったか?」

「はっ……よろしいのですか?」

 そう言って跪いた男は、敬久の様子をうかがう。

「良い。申せ」

 豊久は二人でなく、敬久を見ながらうながす。

「新宮谷の近く、金尾の周辺に敵の物見が多数入っております。近々、行動を起こしてくるやも知れませぬ。御警戒の程を」

「金尾ということは……やはり狙いは洞光寺か」

「御意」

 豊久は顎に手を当てた。洞光寺は新宮谷近くの月山富田城北麓にある寺で、尼子と馴染み深い寺であった。地形的に守りやすい寺で僧兵も多くいたが、それ故、敵の手に落ちれば厄介な拠点となる。尼子方としては、守っておきたい重要な拠点であると言えよう。

「物見は、どこの者かわかるか?」

「おそらくは、安芸の平賀、石見の益田の手の者と思われます」

 平賀隆宗は安芸の国人領主で、益田藤兼は石見の若き俊英であった。どちらも手ごわい相手である。

「そうか……わかった。対応策はこちらで決めておく。貴様らは引き続き、新宮谷周辺に目を光らせておけ」

「はっ」

 豊久は、首を垂れる二人を満足気に眺めた。

「敬久、お前にも紹介しておかねばならぬな。俺が吉田で集めた者どもで忍びの集団を作っているのは、お前も薄々は知っていよう。この男は秀水。女は由利と言う。この二人は、その出雲吉田衆の中核を担う者達だ。今後は俺の使いとして、お前との間の伝令になることもあろう。顔は覚えておけ」

 出雲吉田荘は、元々国久が養子として入った吉田氏の所領であり、新宮党の要地の一つである。新宮党の家臣の中にも、その出身者は多い。

「俺はこの出雲吉田衆を、鉢屋衆に負けない集団にするつもりだ。尼子の忍びが鉢屋衆だけではないことを、いずれ周辺諸国にも知らしめてみせよう」

 豊久がそう言い放った時、誠久が去っていった山道を一人の男が歩いて来た。

「あれは……辰敬か」

 その人物を確認した敬久が振り返る。しかしすでに、先程の男女の姿は掻き消えていた。まるで初めから、幻であったように……。

「豊久様、敬久様。お久しゅうござる」

 山道を登って来た男が、そう言って跪いた。その姿を見た豊久が、笑みを浮かべる。

「久しいな、辰敬。兄上とすれ違わなかったか?」

 この男の名は多胡辰敬と言う。晴久の奉行衆の一人である。

「先程お会いいたしました。相変わらず、隆々としたお体で……」

「どこもかしこも隆々としていただろう」

 豊久はそう言って、大声で笑う。

 辰敬の姉は、誠久ら三兄弟の母であった。つまり辰敬は、彼らの叔父にあたる。

「しかしわざわざこんな所まで、どうしたのか。鰐淵寺に行くと聞いていたが」

「そちらは万事、抜かりはございませぬ。別に火急の要件ありて、某が口頭でお伝えに参ったのです」

 晴久は今年に入って、鰐淵寺などの寺社造営のために掟書を定めていた。これはもちろん尼子の寺社懐柔策に他ならず、辰敬はその折衝のために鰐淵寺に赴き、その旨を伝えていた。

「火急の件とは?」

「すでに国久様と、先程すれ違った誠久様にはお伝えしたのですが、大内が新宮谷周辺に兵を繰り出す気配があると知らせが参りました。おそらく洞光寺が目的ではないかと……」 

 その辰敬の言葉に、豊久と敬久は目を見合わせる。

「ほう……で、誰が押し寄せてきそうなのだ?」

「動きがあるのは、小早川正平。そして益田藤兼と聞いております。ご用心をなされませ」

「それは、鉢屋衆からの知らせか?」

「某は殿の仰せのまま参りましたが、おそらくそうでありましょう」

 それを聞くと豊久はゆっくりと笑みを浮かべ、敬久に耳打ちした。

「これはいい。面白くなってきたぞ」

「……先程の秀水とやらの知らせとは違いますな」

「洞光寺に攻め寄せてくるのは平賀と益田の組み合わせか、はたまた小早川と益田の組み合わせか。鉢屋衆の知らせ正しいか、俺の出雲吉田衆の知らせが正しいか。敬久、俺は館に戻る。もう一度、情報を精査せねばならぬな」

 豊久はそう言って敬久の肩を叩き、山道を下っていった。敬久と辰敬は慌てて頭を下げた。

(豊久兄は本気で、鉢屋衆を超える忍びを作りたいようだ)

 しかしこの新宮党の忍び集団の存在は、いずれ晴久の耳にも届くことだろう。それがいらぬ疑念を招くかも知れない。豊久の後ろ姿を見つめる敬久は、懸念を抱かざるを得なかった。

「若、大戦でござるな」

 敬久は、不意に発せられた辰敬の声に我に返る。

 辰敬は三兄弟の叔父にあたるが、敬久にとってはそれだけではない。この文武に優れた男は、幼い敬久の教育係でもあった。その後辰敬は諸国を遊学していたが、出雲に戻って来た今も、二人だけの時は敬久を若と呼んでいた。

「……若はよせ」

「いやいや、某にはいつまでも若でござる」

 辰敬はそう言って笑った。この男は、敬久がもっとも信頼している人物と言ってよかった。

「そう言えば……若、奥方様のお加減はいかがでございますか?」

「ん……ああ、早か……」

 敬久は一瞬言い淀む。

「……あまり良くないのだ。近頃は、身体の病が心も蝕んでいるようでな。私もどうしてよいやら、わからぬのだ」

 敬久が正直な気持ちを話したのは、辰敬を信頼しているからに他ならない。国久や兄弟にも、最近の早の病状は話していなかった。

 早の現状を国久に伝えてしまえば、おそらく国久はすぐに離縁させようとするに違いない。それはあまりに惨い仕打ちではあるが、敬久自身もどうしていいかわからないのだ。誰かに話しを聞いてもらいたい、という気持ちもあった。

「なんとも……そういうことでございましたか」

 敬久から細部まで話を聞いた辰敬は驚きの声を上げ、苦痛の表情を浮かべた。

 早は多胡氏の出身で、辰敬にとっても父方の親類にあたる女であった。他人事ではなかったのだ。

「若、よくぞお話下さった。この辰敬、多少は医術の心得がございます。知己にも良い医者が居りますゆえ、ご安心めされよ。身体が良くなれば、狂気も晴れましょう」

「辰敬……すまぬ」

 敬久は辰敬の手を取った。自然と瞳に涙がにじむ。抱え込んでいた不安が、いくらか和らいだ気がした。

「奥方様のためにも、手柄を立てなされ。それが一番の薬となりましょう」

「そうだな……ああ、そうだ」

 敬久はそう言って、何度も頷いた。

 大内を蹴散らせば、病もたちどころに良くなる。辰敬の言葉は、敬久をそんな気にさせるものだった。

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