第二十七話.未来の轍
鰐淵寺から富田八幡山の陣に帰還した元就を、隆元が待ち構えていた。
「ああ、間に合ってよかった。今しがた、陶隆房様より御使者が参ったのです」
「隆房殿が?……して、用向きは?」
「直ちに、京羅木山の本陣に来るようにと……」
「……今からか。やれやれ、忙しいことだな」
元就は苦笑したが、もちろん断るわけにはいかない。引き続き渡辺通ら若い家臣たちに隆元を加え、休む間もなく京羅木山へ向かう。
京羅木山はすでに、城としての体裁を整えていた。中央に位置する義隆の舘の規模は、簡易的ながらも山口にある別館、築山館と比べても遜色がない。おそらく月山富田城からも、その威容は嫌でも目に入るだろう。そこにはもちろん、尼子に対する威圧の意味合いもあった。
急ごしらえで造られた大広間に入ると、義隆を中心に隆房ら大内家重臣が勢ぞろいしていた。どうやら国人と呼べる者は、元就親子しかいないらしい。
(さて……なんぞやらかしたかのう?)
元就は詰問でもあるのではないかと疑い、様子をうかがう。しかし、大広間に切迫した様子は感じられなかった。
「おお元就か……待っておったぞ。近うよれ」
義隆の言葉に、元就はわずかににじり寄る。
「遠慮いたすな。もっと近う、近う」
その義隆の求めに、腰を浮かした元就は正面まで進み出た。
義隆の隣には、元就が初めて見る人物が座っていた。平素なら晴持が座っている場所であるが、この日座っていたのは晴持ではなかった。しかしこの席に座れる人物ならば、家臣や国人ではないだろう。
「元就、鰐淵寺はどうであったか?」
義隆は、正面に座った元就にすぐさま問いかける。
義隆は出雲に進攻して以来、寺院に多くの寄進をしてその恭順を促してきた。しかし西出雲の寺院は寄進は受け取るものの、その傘下に入ることには良い返答を返さなかった。その背後には西出雲最大の寺、鰐淵寺の存在があり、この寺が尼子の要請を受けて、周囲の寺に中立を保つよう要請していることは明白であった。鰐淵寺は、宗派を超えた影響力を持っていたのである。
そこで義隆は、鰐淵寺最大の僧坊、和多坊の栄芸の知己である元就を使い、鰐淵寺を懐柔しようとした。それが今回の元就の鰐淵寺行の理由であったのだ。
「はっ……鰐淵寺は、天下に隠れなき名寺でござる。僧侶は日々修行に明け暮れ、現世に関わることを潔しとしておりませぬ。栄芸殿を始めとする鰐淵寺高僧は、此度どちらにも与することなく、ただ天下の安寧を祈ることを許していただきたいとそう申しておりました」
元就は和多坊だけでなく他の僧坊の高僧にも会っていたが、答えは皆一同に同様であった。ただ栄芸の、大内には力は貸さず、元就にのみ力を貸すという言葉は、胸の内に秘めねばならなかった。
「和多坊栄芸の知己であるそなたでも説得はできぬか。いや、仏門に仕える者はそうであらねばなるまい。よい、余は今後とも鰐淵寺への寄進を怠ることはない。尼子に味方せぬならそれでよいのじゃ。僧侶が修行に邁進せねば、寄進の御利益もなかろうて」
義隆は特に表情を変えることなく、あっさりとそう言った。
従わぬ者はどんな手を使っても従わせるという尼子経久のような苛烈さは、義隆にはない。しかし無理な謀略は統治後に禍根を残す事もあり、一概にどちらが良いとも言えない。
「鰐淵寺の高僧の言うことは建前でございます。彼の者たちは、かつて我が父を後援して痛い目をみている。腰が引けているのでしょう」
そう答えたのは、義隆の隣に座る若者であった。元就が視線を向けると、若者は一礼した。
「お初にお目にかかる。尼子清久と申す。毛利殿の御高名は、かねてより伺っております。以後、お見知りおきを」
「おお、貴殿が……」
元就は驚いて目を丸くした。
尼子清久。かつて父経久に反旗を翻し、敗れて自害した塩冶興久の嫡子である。
父の反乱の終結後、経久に許された清久は尼子姓に復し、一門衆の一人として旧塩冶領の一部を継承していた。その一門の序列も誠久、豊久らに次ぐもので、晴久からも重用されているといってよかった。
その清久が義隆の隣にいる。その事実は、自ずと一つの答えを導き出す。
「安芸吉田の毛利元就でござる。こちらこそ、よろしくお願い申し上げる」
その清久に、元就も一礼を返す。その二人を見た義隆が口を開く。
「元就よ。余は出雲平定後、幕府と朝廷に上奏して、この尼子清久殿を出雲守護に推挙するつもりでおるのじゃ」
「おお、それは何と……よいお話でござるな」
元就は感嘆の声を上げる。おぼろげながら元就にも、平定後の出雲統治の枠組みが見えてきた。
「そなたのいる安芸は、出雲と周防の間にある。元就、今後清久殿が出雲守護に就任なされた暁には、その出雲統治を後援してくれるな?」
この想定された清久の政権が、大内の傀儡であることは言うまでもない。長きに渡って尼子氏の統治支配を受けてきた領民の反発を防ぐために、一族の傀儡を立てることは有効な策と言えるだろう。
「はっ、勿論でござる。この元就、犬馬の労も厭いませぬ」
「元就殿、大内のお屋形様は某の大恩人でござる。某は何としてでも、その御恩返しがしたい。そのためにも、今後元就殿には様々な御教示を賜りたい」
清久はそう言って頭を下げた。
「出雲のお屋形様になられるお方にそのような……この元就、微力ながら力を尽くしまする」
元就のその姿を見て、義隆が微笑む。
「清久殿、この元就がおれば百人力ぞ。御存分に、御父上の御無念を果たされるが良い」
「有難きお言葉、恐悦至極に存じます。そもそもあの晴久に、出雲を治める資格などありはしない。此度の大戦でその晴久を排し、尼子の正統である某に出雲をお返しいただくというお屋形様のお言葉、誠に感謝の念に堪えませぬ。改めて、御礼申し上げ奉る」
清久の言葉に、義隆は身を乗り出す。
「ほう、晴久には出雲を治める資格がないか?」
「左様……晴久は、尼子の血を引いてはおりませぬ」
「……なんじゃと?」
突然の清久の言葉に、義隆は目を丸くした。一瞬の静寂の後、大内家臣らはそれぞれに目を見合わせ、騒めき始める。その驚きは、元就や隆元も同様であった。
「清久殿、それはどういうことか?申してみよ」
義隆は片膝を立て、清久を見つめる。
「……これは我が父、興久が生前申していたことでございます。祖父、経久の嫡男で後継であった伯父、政久は、永正十年に反旗を翻した国人、桜井宗的を討つためにその居城磨石城を攻めましたが、武運拙く戦死いたしました。晴久が生まれたのは、その翌年なのでございます」
「……政久が死んだ時、晴久の母はすでに孕んでいたのであろう。何の不思議があるのか?」
「政久と晴久の母である正室は折り合いが悪く、その死の前から政久は別邸の側室の所にばかりいたとか。つまり正室との間に、子が生まれるとはとは思えないのです」
「ふむ……それで?」
「は……それで、とは?」
今度は、清久が目を丸くする。
「よもやそれだけではあるまい……他に、晴久が尼子の血を引いていないという証拠は?」
「それ以外ございませぬが……」
清久は、恐る恐るそう呟く。義隆は、そんな清久をしばらく見つめた。
「しかし……それは随分と突飛な話じゃな。いがみ合っていようと男と女、会えば交わらんとも限るまい」
義隆はそう言って、乗り出していた身体を引く。その表情からは、興味が薄れていく様子がありありと浮かんでいた。
それは、義隆だけではない。その場にいた誰もが、もっと具体的な話を期待していたのである。その話の内容は、まるで流言の類のようであった。
「お屋形様、信じて下され。ずっと尼子の中枢にいた父が言っていたのです。だからこそ、父は反旗を翻した。それが全てでございます。某はその父の無念を晴らすため、ここにいるのです」
清久は必死に訴えた。傀儡も承知で出雲守護を求め、裏切ったその背景にはこの事があったからであろう。少なくともこの若者は、父の言うことを信じ切っているのだ。
「もちろん信じておるとも。隆房、どう思うか?」
興味の薄れた義隆はそれでも笑顔を見せたが、もう自ら尋ねる気はなくなっていた。傍らにいる隆房に聞く。
「そうですな……清久殿、塩冶興久殿が反旗を翻したのは、所領の加増について経久や重臣亀井らと対立したのが原因だと伝え聞いておりましたが……そうではないのですか?」
「それは表向きの理由でござる。父の目的は、尼子の正統を取り戻すことでございました。晴久を廃す必要があったのです」
隆房に答える清久を見ていた義隆が、扇子を叩く。
「清久殿。どちらにせよ、晴久の命はもう風前の灯火じゃ。かつて我々はそなたの父、興久殿を後援できなかった。余はそれを後悔しているのだ。この戦が終わればそなたは出雲の王。正統も異端も思うがままにするがよい」
「ははっ!」
清久は、大きく義隆に平伏した。
晴久はいずれ死ぬ。その後を見据える義隆には、正統だの異端だのはどうでもよかった。僅かに湧いた興味も、すぐに消えてしまった。
評定も終わり、富田八幡山に帰還する最中の元就一行は、その道中で休憩を取ることにした。火を起こして鍋を囲み、握り飯を食らう。
「父上、先程の清久殿のお話、どう思われますか?」
握り飯を頬張りながら、隆元が尋ねる。
「晴久のことか。おぬしはどう思っておる」
「……にわかには信じられぬ話でございます。何か証がある様子もなく……第一事実ならば、経久が知らぬはずはございますまい。その経久が晴久を後継にしたのです。興久は、反乱の大義名分にでっち上げたのではありますまいか?」
隆元の答えに、元就はゆっくりと頷く。
「うむ……確かにその可能性が高かろう。しかし、清久は父、興久の言葉を信じ切っておる。そのために尼子を裏切るほどにな」
清久の一途さは、今日会ったばかりの元就にも伝わってきた。今の清久の拠り所は、死んだ父のその言葉が全てなのかも知れない。
「しかしな、隆元。儂が清久の話を聞いて考えたことは、少し別のことなのだ」
「と、言いますと?」
「兄弟は、三人が良い。鼎が一つ欠けるようなことがあれば、よくよく気を付けねばならぬ、とな」
「……それは、我らにも言えましょうか?」
「隆元、努めて慎重に振る舞え。もしおぬしに何かあれば、弟二人は相争うかも知れぬぞ」
「はっ……肝に命じておきまする」
隆元は深々と頭を下げた。
そんな二人の前で、通が湯気の立つ鍋から汁を椀についだ。それを二人に差し出す。
「通、元茂……そして皆の者も聞け」
椀を受け取りながら、元就が語りかけた。渡辺通や内藤元茂ら帯同する若武者たちが一斉に元就に向き直る。
「おぬしら若者も、隆元を支える鼎のようなものだ。おぬしらは、儂の宝じゃ。皆心を一つにして、隆元を支えてもらいたい」
「何と勿体ないお言葉……我ら一同、必ず殿の御期待に沿えるよう全力でお仕えいたしまする」
通の一言で、未来の重臣たちが一斉に頭を下げる。
「此度の戦、手柄を立てるにまたとない好機ぞ。吉田に帰ったら、恩賞も期待しておけ」
そう言ったのは、隆元であった。その言葉に、通の隣にいた内藤元茂が破顔して口を開く。
「はっ、有難きお言葉……我ら力の限り、全力で戦いまする。しかし此度はすでに通の武功が飛びぬけております。武勲第一は、すでに通でありましょう」
そう言う元茂に、通は首を振る。
「元茂……某はたまたま殿の御側にあって、機会に恵まれているだけだ。武勲第一など、とても……」
「いや、通よ。確かに元茂の言う通りじゃ」
元就はゆっくりと頷く。義隆の御前における興経と信直の仲裁だけでなく、通の働きは多岐に渡り、すでに群を抜いていたのだ。
「此度だけではない。備後の山内から毛利に戻って来てくれてからのおぬしの働きは、他に比類がない。その働きに、儂も十分に報いているとは言えぬ。所領の話は吉田に帰ってからのことになるが、どうじゃ……他に何か望むことはないか?」
「とんでもございません。某は、殿の御側にお仕えさせていただくだけで十分でございます。他に望むものなどございません」
「通……妹御のことをお願いしてはどうか?」
そう言ったのは、元茂であった。
「元茂、殿にお話しするようなことではない」
「かまわぬ……元茂、申せ」
元就は困った顔の通をよそに、元茂に話を促す。
「はっ……通には、備後から共に帰参した妹が一人いるのですが、この娘が二十歳を超えても未だ嫁ぎ先が決まっておりませぬ。器量も良く働き者で、芯の通った良い娘でございますが、何分渡辺家は過去の汚名ありて、釣り合う武家とは中々話がまとまりませぬ。某が独り身ならば、額を地に擦り付けてでも貰い受けたい所でございますが、何分女房子供のいる身なれば、それもかないませぬ。お恐れながら、ここは何卒殿のお力添えをいただき、良い縁談をまとめることができましたなら、通の友として某もこれに勝る喜びはございませぬ」
「殿、元茂は粗忽者でございます。お気になさいませぬよう……」
「いや……通よ、おぬしは良い友を持ったのう」
元就は笑みを浮かべ、膝を叩いた。
「よし、わかった。吉田に帰ったら、儂が良縁を見つけてやろう。備後で苦楽を共にし、手を携えて帰って来た妹が不憫なのは、兄として当然の事。未だ渡辺家の汚名を気にするなど、吉田の者どもの性根も叩き直さねばなるまい。万事、儂に任せておけ」
元就の言葉に背筋を正した通は、歯を食いしばり涙を耐えた。
「この通、殿の御厚恩終生忘れることはございませぬ。渡辺の家は未来永劫、毛利の殿の御為に働きまする」
元就は、平伏する通の肩を優しく叩いた。
通はただ、ひたすら嗚咽を漏らした。




